映画の感想 2009年 2010/08/30 更新




採点基準
  ★★★★ :人類の宝 (最高)
  ★★★☆ :絶対必見
  ★★★ :観るべき映画
  ★★☆ :観ても良い
  ★★ :中間
  ★☆ :観なくてもいい
  ★ :観る価値はほとんどない
  ☆ :作者もろともこの世から消えてなくなれ (最低)
  なし :あえて採点しない(最低ではない)

基本的に、ネタバレがある可能性があります。

文章などの内容には、時々変更や追加が入ることがあります。

2009年公開作品(2008年以前に鑑賞) 2009/02/07
2009年公開作品(スクリーン以外で鑑賞) 2010/01/17
ビデオ、劇場上映 //
映画祭/上映会/公開未定作品 2010/01/17
2008年公開作品(2009年に鑑賞) 2009/06/28
2008年公開作品(2009年に映画館以外で鑑賞) //
2009年に映画館等で観た旧作 2010/01/25

2009年公開作品 2010/06/27

  邦画 洋画 スペイン ポーランド 韓国 中国 香港 タイ セルビア
拡大公開作品 (東京都心で4館以上かつ全国で200館程度以上で公開) 10 21 16 1 2 1 1 31
ミニチェーン作品 (東京都心で3館もしくは全国で100館程度で公開) 15 13 9 1 2 1 28
ミニシアター作品 (東京都心で2館以下で公開) 35 24 11 1 1 1 2 2 2 1 2 1 1 59
60 58 36 3 3 1 2 2 1 4 3 2 1 1 合計=118作品
 【註】上の表の国の区分けは、データベースなどの表記による正式なものに代わって、台詞の言語、主なスタッフやキャストの国籍などによります。
    例えば、『片腕マシンガール』は正式にはアメリカ映画(製作がアメリカ)ですが、ここでは邦画に含めています。
タイトル 採点 分類 製作年 国 公開規模 更新日
マラドーナ 原題:"Maradona by Kusturica"、意味「クストリッツァによるマラドーナ」 ★★ ドキュメンタリー 2008 スペイン=仏 ミニシアター 2010/01/22 107
 世界は様々な線引きのしかたで2つに分けられるのかもしれない。
 先進国と、それ以外の国々。
 スマートな考え方で行動する人々と、感情で動く人々。
 ディエゴ・マラドーナと、この映画の監督のエミール・クストリッツァは、どちらも後者のタイプの人間だろう。
 この映画の一番重要な主張は、「マラドーナは素晴らしい」ということで、その最大の理由は彼のサッカーのプレイが美しいからで、理屈なんかは全くない。
 そして、アメリカやブッシュ大統領が南米の国々に圧力をかけては儲けを独り占めしているとマラドーナが非難しているのも、理屈というよりは「尊大な金持ち国家はとにかく気に入らない」からだろう。
 真っ直ぐで熱い心というのは、確かに輝いて見える。
 しかし、個人的にはそんなマッチョ(=益荒男振り、肉食系)な考え方に対抗する(手弱女振り、草食系)な考え方の方に理解がある。
 なにより、戦争や犯罪につながるのは専らマッチョの方。
 マラドーナは、「フォークランド紛争の復讐を、イングランドチームにサッカーで勝ったことで成し遂げた。」と語るが、何より犠牲者が出た現実を重く見ないようでは、詭弁のようにも聞こえる。
 サッカーは全世界の多くの人をマッチョ方向へと駆り立てているが、それが必ずしもいいことなのか?
 熱狂している人の大多数は男だけのように見えるが、その時女性たちはどこで何をしているのか?などと、引っかかることもある。
 ただし、スポーツ選手や芸術家などを評価する際に、当人の人格や思想を道具に都合よく捻じ曲げようという考えには絶対に反対。
 だから、何をしゃべろうがどんなに太ろうが、マラドーナはマラドーナだという気持ちはつながっている。
蘇りの血 ★☆ 感覚系 ミニシアター 2010/01/03作成
2010/01/06更新
106
 採石場のようなところを支配する大王に殺された按摩が、死にきれずに極楽行きを拒否してこの世に舞い戻ってくる。
 とっつき難いストーリーなのだが、豊田利晃監督が薬物所持事件から復活したことを描いていると解釈すると、とてもすんなり理解できてしまう。(とはいえ、この解釈が正しくないとすると、全くの見当違いになるのだが。)
 これまで生きてきた人生のフィールドに戻ってこないで、いっそのことあの世のような世界に行ってしまえば楽になるのかもしれないが、主人公は肉体的ハンデを背負いながら現世で生きることを選ぶ。
 そして、そんな手負いの彼を助けたのは、数々の人々の援助や、化学物質などの人工物とは真逆の森や「蘇生の湯」などの自然から受けたエネルギー。
 ただし、この解釈が正しいとしても、具体的なことを抽象的な形で見せるなんて、まわりくどいだけ。
 それとも、そもそも深読みされるような具体的な意味が無く、観たままの映画だとしても、森の中などの映像が神秘性がいまいちで、映画全体を引っ張るだけのインパクトがない。
カティンの森 ★★☆ ドラマ系 ポーランド ミニシアター 2010/01/03 105
 第二次大戦中、ソ連がポーランド軍将校の捕虜を大量殺害した事件を元に作られた映画。
 殺戮の怖さは誰でも想像がつくが、本当に怖いことが起きたのは戦争が終わった後だった。
 歴史が都合よく書き換えられ、真実を知る者の口を恐怖政治でふさごうとする。
 戦争といえば、戦場で兵士たちが大量に殺されることが問題なのはもちろん、戦争が終わった後でも、戦場でもなかった平穏な街でも、兵士でもない人々でも、必然的に日常を蝕むものだという怖さを描いている。
アサルトガールズ ★☆ 感覚系 ミニシアター 2009/12/30 104
 冒頭は「現実と虚構」についての硬いナレーションだが、始まってみればゲーム世界を生身の人間が演じているだけみたいで、設定やストーリーに深みは無い。
 それなら映画の狙いは、ストーリーではなく映像面であるはず。
 その映像の特徴は生身の人間の良さを生かすことで、それゆえの黒木メイサなどの女性陣のキャスティングであり、体の線が出るピッタリの戦闘服を着せたりしている。
 それなのに、結果は登場人物にも映像にも魅力を感じなかった。
 やる気が無かったとしか思えないくらい。
 もしくは、全く苦手なタイプの映画を演出してしまったのか?
 押井監督って、女性を魅力的に見せることに対して執着心がないのか?あっても見せる技術が無いのか?
THE 4TH KIND フォース・カインド ★☆ ドラマ系、ドキュメンタリー系 拡大 2009/12/28 103
 ストーリー的には実際の録画と録音を素材に作られた実話となっているが、映像的には紛れも無く劇映画。
 劇映画として面白くしようとしている形跡があまり感じられないのは、実話っぽさを強調させたいがためにドラマチックな展開を避けたからだろうか?
 そのせいか展開が唐突だったので、普通の劇映画のように盛り上がるような展開にするとか、とにかく面白さを目指した方が良かったと思う。
 日本映画でこの手の題材の映画なら、ビデオ撮りと再現フィルムの両立ではなく、登場人物が常にビデオ撮影をしている設定にして、その記録を編集して作品を作ったという形にするだろうが、この方が自然だろう。
アバター ★★★ ドラマ系、社会派系 拡大 2009/12/28 102
 「『アビス』(★★★☆)の人物設定」 + 「『もののけ姫』(★★★☆)の舞台設定」 + 「『ダンス・ウィズ・ウルブス』(★★★☆)のストーリー」といった感じ。
 3つの映画の共通点である『大自然などの、人知を超える大きな存在に対する畏れ』、解りやすい言葉でザックリ言えば「エコロジー」は、『アバター』でも描かれている。
 とはいっても、10年以上前の3作品と似た映画を改めて作る必然性が無いかと言えば、問題の重要性がむしろ益々問われる状況になってきているので、『アバター』の存在意義はとても大きい。
 3作品との違いは、エコロジーと敵対する相手が、資本主義とそれの手先と化している軍隊(つまり帝国主義)であることはまさに現実そのままなのだが、それを名指しで非難している形になってこと。
 そして、資本主義などの西欧的な考え方に対抗するものとして、八百万の神のような東洋的思想を示している。
 難点としては、環境破壊の危機という内容はまさに今の地球上の問題なのだが、未来の他の惑星の話にしているので、描き方が直接的でないこと。
 (それでも、ブルドーザーが森林をなぎ倒すシーンは、まさに今の地球上の映像そのものだったけど。)
 さらに、『もののけ姫』で描かれていたように人間の営みと環境破壊の間の葛藤は一個人の中にもあるもの、つまり人間誰もが環境破壊者なのだが、『アバター』ではエコに敏感な善玉とエコに無関心な悪玉がすんなりと分かれ過ぎで、葛藤のプロセスは描かれてないに等しい。
 そのため、環境破壊は誰か悪い奴のせいであって、自分は全く無関係だと思うという、間違った考え方に結びつきやすい。

 映像的には、複雑さを表現できるテクノロジーやテクニックの向上はあるのかも知れないが、印象的なショットは少なかったと思う。
 これって、CGは生身の人間などと比べて被写体として質感で劣っているからだろうか?
スノープリンス 禁じられた恋のメロディ ★★ ドラマ系 拡大 2009/12/25 101
 演出的には★★☆で、ストーリー的には★☆。
 清く正しい心を称える目新しさの無い内容や制作上のハンデを、表情とそれを捕らえる確かなショットを見せる松岡譲司監督の手を抜かない演出が支える。
コネクテッド (原題:"保持通話 / Connected"、意味「電話がつながった状態」) ★★★ 感覚系 香港=中国 ミニシアター 2010/01/17 100
 これまでのベニー・チャン作品は、大破壊&大爆破の見せ場で押しまくる「やり過ぎ映画」の感があった。
 それがここでは、「やりまくり」ではあっても「やり過ぎ」ではなくなっている。
 つじつまが合ってなかったり、展開の都合が良過ぎるなど、程々の荒っぽさがむしろ映画を面白くしようという作り手の意気込みを感じさせる。
3時10分、決断のとき (原題:"3:10 to Yuma"、意味「3時10分発のユマ行きの汽車」) ★★★ ドラマ系 ミニシアター 2010/01/17 99
 『決断の3時10分』(1957年 ★★)のリメイクで、地味な作品だったオリジナルを、上手い具合に広がりのある映画に作り直せていた。
キャピタリズム〜マネーは踊る〜 (原題:"Capitalism: A Love Story"、意味「資本主義:1つの愛の物語」) ★★★ ドキュメンタリー ミニシアター 2010/01/17 98
 マイケル・ムーア作品は、一言で言えばとにかく明快で的確。
 内容は、多くの人にとって身近で重要な問題。
 作品はその問題解決の手段であり、目的第一なことが明確。
 主張には必ず根拠も示す。
 解決策も簡単(みんなで選挙に行く)。
 はめを外す表現をしても、外し過ぎない。
 そして、彼を批判したところで、彼の作品以上の代案も実績も出せていないことで、優位性を示せている。
インフォーマント! (原題:"The Informant!"、意味「情報提供者」) ★★ ドラマ系、感覚系 ミニシアター 2010/01/17 97
 どんでん返しだらけの込み入った話を、その面白さを解りやすく見せることよりも、流れるような展開で見せる、洗練重視の映画。
 おかげで、
  「そういえば、さっきのあそこって、こういうわけで面白かったということか…。」
  「観終った後になって、この映画って面白かったのかも、と思えた。」
といった、その瞬間には解らずに、遅れて時間差で面白さを感じる映画になっていた。
 これって、映画自体は面白かったということ?やっぱり面白さをはずしているということ?
イングロリアス・バスターズ (原題:"Inglourious Basterds"、意味:"Inglorious Busters"「不名誉な駆逐者たち」か、"Inglorious Bastards"「不名誉な奴等」のつづり違い?)) ★★☆ ドラマ系、感覚系 拡大 2010/01/17 96
 シーンの展開がよく出来ていて緊迫感は抜群なんだけど、タランティーノって深作欣二のことが好きなのに、あの豪快さとはまったく逆の、むしろ極端に言えば小津安二郎のように台詞の言い方やカット割りが折り目正しくて、娯楽映画的にはテンポが落ち着き過ぎな演出をするのは何故だろう?
 深作的な方が絶対面白くなると思うんだけど、自分ではやりたくないから?やりたくても出来ないから?
 戦争映画って、アルドリッチとかフラーとか、テンポの良い演出が普通なだけに、余計に違和感を感じる。
脳内ニューヨーク (原題:"Synecdoche, New York"、意味:「提喩法、ニューヨーク」、「主人公が自身の人生を喩えて自作した劇中劇、ニューヨーク」) ★★★ 観念系 ミニシアター 2010/01/17 95
人間は平凡で無力でちっぽけな存在だということを終始描いた映画なのに、希望を感じる映画になっているなんて、本当に素晴らしい。
黄金花−秘すれば花、死すれば蝶− ★★ ファンタジー系、感覚系 ミニシアター 2010/01/17 94
死を意識するような年齢の91歳の木村監督ならではの、恐いもの知らずのデタラメな死生観映画。
南の島のフリムン (意味「南の島の憎めないバカ」) ドラマ系、お笑い系 ミニシアター 2010/01/17 93
 沖縄出身のお笑い芸人のゴリならではの、コントのようなやりとりのシーンの数々と、沖縄独自性をネタにした映画。
 でも、撮るべきは「ネタ映画」なんかではなくて、映画でなければ描けないようなその先のもの、つまり「沖縄の人や風土の素晴らしさ」なんじゃないの?
 それにしては、人々の表情や風景などのショットが皆無に等しい。
 よって、結局は「お笑い番組」と「旅番組」を合わせた程度の、ネタ映画どまりのものにしかなっていない。
 同じ吉本興業の芸人の品川ヒロシ監督の『ドロップ』(★★☆)がいい比較対照だけど、あれも「ネタ映画」になりそうな題材を決してそうしないで、中学生の日常的な友情や成長を描いた「映画」になっていた。
 ずばり映画として、あっちが「正解」でこっちは「不正解」ということだろう。
非女子図鑑 オムニバス:『オープニング』、『占いタマエ!』、『魁!!みっちゃん』、『B』、『男の証明(あかし)』、『混浴 heaven』、『死ねない女』、『エンディング』 ★★ 感覚系、ドラマ系 ミニシアター 2010/01/17 92
 やっぱりオムニバスって、出来が良かったとしても食い足りない。
 二口分ぐらいしかない小皿がいくつか並ぶような食事だと、美味くても1つ1つに満足できないようなもの。
 そんなわけで、それぞれの出来の良し悪しの比較は出来ないが、出演者で言えば一番印象的だったのは仲里依紗かな?
腐女子彼女。 (「ふじょしかのじょ」、意味「美男子の同性愛モノの漫画を見ることが好きな女子が彼女」) ドラマ系 ミニシアター 2010/01/17 91
 前半は腐女子の実情をベタに紹介するようなネタor啓蒙だけ、後半はガラッと変わって仕事か?恋愛か?のありふれた選択だけ。
 やっぱり、全体的に密度が低くてぬるい映画。
 大東俊介は、リアクションなどに頑張って芝居していた。
母なる証明 (原題:"Mother") ★★★ 感覚系 韓国 ミニチェーン 2010/01/17 90
 映画の密度を高めようとする演出の力の入り方がすごい。
 これに比べたら手抜きとしか言えない演出が目立つ日本の映画監督の多くと、そんなゆるい演出の映画に甘い日本の映画観客は必見。
 度肝を抜かされた冒頭のダンスに加えて、死体のぶら下がり具合や、地面や床を緩やかに広がる水や血や立小便など、具体的な意味は無くても一瞬の映像で気持ちを揺さぶることが出来る。
 映画はストーリーや映像などはあくまで手段であって、映画に説得力を持たせたりインパクトを与えるという目的が大事。
 その目的を達成するためには、漫然と映画を撮っていてはダメで、どんなに細かいところでもどんな手段を使っても、なにがなんでも映画を面白くしてやろうという強い意志が感じられる作品だった。
わたし出すわ ★★☆ ドラマ系、象徴系 ミニチェーン 2010/01/17 89
 人と人とは、様々な形でお互いに関わり合っている。
 お金の結びつきだったり、言葉や想いだったり。
 一方通行だったり、ズレていたり、想定外だったり。
 お金自体には善も悪もなく、人間関係における様々なことには正解も不正解も定まってない。
 そんなことを描いた映画。
スペル ("Spell"、意味「呪文」、原題:"Drag Me to Hell"、意味「私を地獄に引きずり落として」) ★★★ 感覚系、お笑い系 拡大 2010/01/17 88
ホラーとはいえ、要所要所でのくだらない悪乗りが、サム・ライミらしいお茶目な魅力。
戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYLINTH ★★ 感覚系、ドラマ系 ミニチェーン 2010/01/17 87
 日本初の長編デジタル3D劇場映画だが、気負いよりも、以下の「3D映画でやってはいけないこと」を徹底的に避ける慎重さを感じられた。
  ▼飛び出す映像をこれみよがしに多用する安直な演出
  ▼早いカット割り(3Dが意識されにくいので)
  ▼激しいカメラワーク(3Dが意識されにくいので)
  ▼俳優の激しい動き、特にホラーでよく見られる「ワッ」と驚かすようなこと(3Dが意識されにくいので)
 結局、3Dにはいろいろと制約があって、ホラーというジャンルは合っているかと思われたが、激しい動きの映像には不向きで、ホラーならではの押しが弱くなった。
 もしくは、上記の禁止事項を無視して、2Dのホラー通りの演出を通すという選択肢も考えられるけど。
 3Dの効果で意外だったのは、人物を寄りで撮った時に顔や体形の立体感が強調されて2Dよりも印象が強くなること。
ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜 ★★★ ドラマ系 日(東宝) 拡大 2009/11/18 86
アンナと過ごした4日間 ★★ ドラマ系 ポーランド ミニシアター 2009/11/18 85
パンドラの匣 (ぱんどらのはこ) ★★ ドラマ系、感覚系 ミニシアター 2010/01/17 84
 軽いストーリーと思われる原作を、軽いテイストの映画として作り上げ、しかし軽いからといって決して緩くない、緊張感のある美意識が感じられる作品だった。
 恋愛モノとして軽く楽しむことができたのだが、非日常的な映画のわりに突き抜けていない感じが引っかかるかな?
エスター ★★★ 感覚系 ミニチェーン 2009/11/18 83
クヒオ大佐 ★★☆ ドラマ系、観念系 日本 ミニチェーン 2010/01/17作成
2010/06/02更新
82
 まあ、ざっとまとめると、人間って、
 ▼疑うよりも信じる方が好き。 他人を疑って絶縁したところで、それまで抱いていた相手に対する希望や期待が失われるだけ。 そして、誰にも依存せずに自立しなければならない。 それよりは、誰かに支えてもらっていると信じる方が安心できるし希望も持てる。 たとえ、それが根拠の怪しい一方的にな思い込みだとしても。 そして、その安心の代償を相手に支払わなくてはいけないとしても。 恋人とか同盟国とか…。
 ▼ウソは悪いことであって許せないというのが一般常識だが、実は多くの人が無意識に求めていたりすること。 特に、ウソが無けれはひどいだけの現実や平凡な日常しかない人にとっては。
 この世は確固とした真実を基盤として、人々が筋の通った生き方をしていると思いきや、実は膨大なウソやまやかしや詭弁やグレーな領域が存在して、人間の言動も全然理屈通りでない、かといってそれは不幸だとも言い切れないという、大きくてつかみどころの無い題材を、実在の詐欺師のエピソードを元にして、上手い具合に映画に出来ている。
 出演者の中では、松雪泰子が素晴らしい。
TOCHKA (読み「とーちか」) ★☆ 感覚系 ミニシアター 2010/01/17 81
 遅過ぎる展開、動きの少な過ぎる映像、少な過ぎる台詞、クライマックスの長過ぎて暗過ぎるカットなど、いびつで抽象的な映画を狙っているようだ。
 冒頭、始まって台詞なしの間は映像に引き込まれた。
 しかし、登場人物2人が会話をし始めると、映像が動かないこともあって台詞中心の展開になるが、その台詞が回想などのイメージしにくい内容なので、結局映画が頭の中に入ってこなくなった。
 でも、これって悪いのは作品ではなく、観る方の認識力不足のせい?
 ゆっくりした展開に大量のあいまいな言葉といえば、タルコフスキーの『ストーカー』(★★★★)もそうだった。
 (黒い大型犬が重要な役割で出てくるのも共通している。おまけに、『トーチカ』というタイトルと比べると、3文字もダブっている。)
 『ストーカー』の中の詩の数々は、私は実はほとんど理解していないのだが、それでも詩以外の映像などの部分で大好きな映画だ。
 言葉やストーリーを除いた感覚的な部分は『ストーカー』と『トーチカ』は似たタイプの映画だと思うが、では何が違うのか?と言われると、それこそ感覚的に肌に合う合わない、ノリが良い悪い、だと思うとしか言えない。
 まあ、タルコフスキー相手にいい勝負が出来た時点で巨匠レベルだから、比較対象としては敷居が高すぎて不適当なんだけど。
ライブテープ ★★☆ ドキュメンタリー系 ミニシアター 2010/01/17 80
 監督の個人的な想いから始まった企画が、その想いを残しつつ、音楽と街などの風景が主役の、普遍的で生っぽい映画になった。
ロボゲイシャ ★★★ 感覚系、お笑い系 日(角川) ミニシアター 2010/01/17 79
 この映画に雰囲気が似ている映画といえば、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』。
 あの拒絶者多数の映画に、約30年の時を経た今になって、やっと時代が追いついてきた気分。
 その特徴は、「楽しさ」「愛」「爽快感」といった様々なタイプのエモーションの数々を、むきだしで作品の中に大量に詰め込んでいること。
 そのことにおいて、恥ずかしがって自分を良く見せようとして手加減するなんてことはせずに、どこまでもストレートにやり通す。
 それはまるで、「愛のためならいかに自分さらけ出せるか?」に例えられるような、むしろ「いかに臆面なくできるかを示すことで愛の強さを表している」ようなもの。
 大林監督がかつて「映画はすべて純愛」と語ったように、『ロボゲイシャ』は「愛」と称すべき様々な想いが映画作りの原動力になっていて、そんな想いを恋愛映画を観ているかのような気分で感じることが出来た。
空気人形 ★★★ ファンタジー系、観念系 日本 ミニシアター 2009/10/12 78
 空気人形に象徴される「代用品」とは逆の「本物」とは何をもって本物であると言えるのか?何があるべき姿であると言えるのか?
 定義できない以上「代用品」が本物でないとは言い切れない。
 本当に大事なのは「本物か?代用品か?」ではなく、「他者に価値を与えられるか?出来ないか?」
色即ぜねれいしょん ★★ ドラマ系 ミニシアター 2009/10/30 77
クリーン ★★☆ ドラマ系 仏=英=加 ミニシアター 2009/10/30 76
 最近、なんとなくカメラを振ったりの小手先の撮影や編集で映画になると思っているような映画(邦画に多い)を観過ぎたせいか、この映画のようにしっかりした芝居が第一で、それを有効にカメラに収めることを目指した真っ当な撮影をしている演出を観ると、それだけで満足感を覚えてしまう。
リミッツ・オブ・コントロール ★★ 象徴系 米=スペイン=日 ミニチェーン 2009/10/30 75
 ラスト近くでやっと映画の全貌が判るまでは、それを伏せたままでミステリアスな雰囲気だけで尺の大半を引っ張っている。
 結果として悪くは無かったけど、ネタ晴らしを最後まで待たされると、もったいぶらされて時間配分の点で損した気分。
カムイ外伝 ★★ 感覚系、ドラマ系 拡大 2009/10/30 74
 ストーリーや映像など、それぞれの要素で長所と短所が背中合わせで同居しているような作品。
 悪く言う程ではないけど、観て良かったというポイントもあまりない。
 基本はアクション映画で、そこに関してはまずまず。
葦牙-あしかび- 子供が拓く未来 ★★☆ ドキュメンタリー ミニシアター 2009/09/30 73
 岩手県で虐待児童を受け入れている学園のドキュメンタリー。
 「虐待を受けた子供も暴力的になる」と言われているように、一筋縄では扱えない難しい子供たちが多数出てくる。
 元々結核児童を受け入れていた施設が、時代と共に喘息、不登校と子供たちが変わってきた中で、指導する大人たちも、試行錯誤をしながら、子供に心の傷を負わせないことを気遣いながら真摯に向き合っていく。
 前半が問題の深刻さや困難さを強調していて、後半は子供の将来に楽観的なイメージになっていくのには、観る者に対して「危機感」「問題提起」よりも「希望」を持ってもらうことを優先させたのだろうが、きれいに見せ過ぎている気がする。
ポー川のひかり ★★ 観念系 ミニシアター 2009/09/30 72
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 ★★☆ 感覚系、観念系 ミニチェーン 2009/09/30 71
あんにょん由美香 ★★★ ドキュメンタリー 日本 ミニシアター 2009/09/14 70
 松江監督が、2005年に亡くなった林由美香への想いから、数年後に彼女を中心に据えたドキュメンタリーを撮り始めたときは、作品作りに対してさほど強い目的意識は無かったように思われる。
 むしろそれは、恋人の姿を映像に残したいとか、死別した人の想いを具現化させたいとか、普通の人でも行いそうなことの延長のように思える。
 そして、監督は由美香さんへの想いの同志ともいうべき先輩監督たちに、由美香さんを思い返すことに付き合ってもらうべく声をかけるのだが、彼らはそのセンチメンタリズムに反発するどころか、むしろ松江監督以上にノリノリで彼女との思い出の地を再訪しているようにも思える。
 そうさせたのは、彼らも松江監督と同様に由美香さんに関わったがゆえの共通した想いの持ち主であることに加え、松江監督以上にその関係が深かった故であることが、その無邪気さの陰にうかがえる。
 また、この映画の中心に
グッド・バッド・ウィアード ★☆ 感覚系 韓国 ミニチェーン 2009/09/06作成
2009/09/07更新
69
 一言で言えば、「活劇」と「殺戮」の区別ができてない作り手による作品。
 活劇にするべく作られていないから、観ていて直感的に全然楽しくない。
 銃弾と火薬と人殺しと血糊の量を増やせば迫力が増して面白くなると思っているかのような映画になっているのだが、活劇にするということは、そんな物量アプローチとはべつに、映画を楽しいものにしようとする意志とそれを実現するための具体的なアイディアが不可欠で、それ無しでは単なる「殺戮」にしかならない。

 基本的にアクションシーンが、アップの構図中心でカメラを小刻みに動かした短いカットをつなげる「目くらましアクション」で、カットの前後のつながりには極めて無頓着なので、10秒以上の連続した動きの流れとしてのアクションになっていない「ぶつ切りアクション」。
 ストーリー的にも、つながりをすっ飛ばしたまま進むところが多い以上に、登場人物たちの行動が何を目的としているのかが判らない人たちが多いのが大問題。
 でも、これらの欠点以上に、「活劇」になっていないことがはるかに致命的。
 チョン・ウソンやイ・ビョンホンが笑っちゃうぐらいカッコつけるとか、ソン・ガンホはコメディリリーフとしての芝居をするとか、チョン・ウソンが疾走する馬上で手放しでライフルを撃って豪快さを見せるとか、活劇にするためのアイディアの具体例はいくつか見られたのだが、大半のシーンのまずさの前には焼け石に水であった。
ちゃんと伝える ★★☆ ドラマ系 ミニシアター 2009/09/01 68
 ガンで余命わずかで間もなく死に別れることになる人が、その前に大事な人に言っておかなければいけないことを「ちゃんと伝える」ことの大切さを描いた映画で、映画自体もトリッキーな手法は一切無い、ちゃんとしたスタイルで伝えようとしている。
 よってドラマチックな派手さは無く、落ち着いた雰囲気で映画が進む。
 芝居も動きが少なく、相対的に起伏の小さい表情が前面に出てくる。
 主人公の相手役の伊藤歩は、このような芝居の実績があるので期待通り。
 一方の主人公役のAKIRAはそんな実績は無いのだが、全く引けをとらない表情を見せて素晴らしかった。
 題材的なインパクトの弱さを、作り手たちの確かな仕事でカバーして、ちゃんとした映画になっていた。
真夏の夜の夢 ★★☆ ファンタジー系 ミニシアター 2009/08/16作成
2009/08/18更新
67
 シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を原作に、古くから沖縄の小島に住む妖精と、そんな妖精たちの存在を忘れて若者を中心に島を離れて行く人が増えたり、観光開発で村おこしをしようとしたりする状況を絡めて、ファンタジックに描いた映画。
 神話のような映画ということで、ストーリーは自由にハッピーに展開し、具体性のあるものではない。
 それでも、中江監督の演出は懐が深く、沖縄の風景の取り込み方や、観る者の心をつかむメリハリの利いた芝居などに手馴れたところを見せて、印象的なシーンやショットがちゃんとある映画になっているのはさすが。
山形スクリーム ★★ お笑い系、B級系 ミニチェーン 2009/08/16 66
 数々のギャグを散りばめたホラー映画だが、映画の芯となっている部分は、夜の山中を命を狙われて追われて逃げ回るという、定番のB級ホラー映画の展開を踏襲しているので、そんな映画を観る気分で観れば、自然に気楽に楽しめる。
 ギャグの方は、変な身振りで脈絡の無いことを言い続ける芸人竹中直人のギャグを、竹中の分身キャラと言えそうな数多くの出演者たちがやって見せていて、面白いか?面白くないか?と言われれば、はっきり言って面白くない。
 そして、何よりお笑い担当キャラが一律でバリエーションが無いのがこの映画の一番の欠点。
 成海璃子以外の女子高生3人組が、アイドル、格闘技マニア、発明家というキャラ分けをされていて、さしずめ大林宣彦監督の『HOUSE ハウス』における池上季実子の「オシャレ」、大場久美子の「ファンタ」、神保美喜の「カンフー」みたいなもので、当然その目的は登場人物のキャラにメリハリをつけるためのはずなのだが、結果として竹中監督はメリハリには無頓着なのかと思うくらい生かされてなかった。
 激しい芝居の割には印象に残らない出演者たちの中で、唯一美味しいところを持っていくことが出来ていたのが、意外にもマイコだったというのが、この映画の収穫。
ニッポンの大家族 Saiko! The Large family 放送禁止 劇場版 ★★ フェイクドキュメンタリー ミニシアター 2009/08/15作成
2009/09/01更新
65
 フェイクドキュメンタリー「放送禁止シリーズ」の最新作だが、フェイクドキュメンタリーというよりも、ドキュメンタリーの体裁をした風変わりな謎解きクイズと言った方が正確。
 監督として画面にも映っているのが受賞歴のあるカナダ人女性で、本人自ら大家族のメンバーにインタビューしていくのだが、ご飯のおかずをいちいち「これは何?」と聞いたりして、観光客のおばちゃんみたいで、どう見ても凄腕のドキュメンタリー監督に見えないのは何かの狙い?
 表向きには、家族の中のゴタゴタしたもめごとや不幸が描かれるのだが、解りやすい状況証拠というかむしろ文字通り「ヒント」(このあからさまに不自然なところが「謎解きクイズ」に見えるゆえん)を散りばめながら、答えが完全に伏せられていることで、謎解きをしながら映画を観ることと、観終わった後も、「真相は自分の考え通りか?別な真相があるか?」ということが気になってしまうことで、楽しめる作品になっている。


<以下、ネタバレ>
 で、この映画の答えは、大家族の出費の多さゆえ家計が苦しくなってくると、家族がお互いに密かに殺し合って、その保険金で食いつないでいる…、ということで合ってる?
マン・オン・ワイヤー ★★☆ ドキュメンタリー ミニシアター 2009/08/10作成
2009/09/01l更新
64
 すべての始まりが、「建設中のワールド・トレード・センターは、2つのビルの間で自分が綱渡りをするために建てられているビルだ。」と直感的に思って、そこから綱渡りを始めて最終目的を目指していった男の半生。
 この動機に関することに対しては、「安易」「無意味」「無茶」といった言葉が思いつくだろう。
 ところが、実際に綱渡りをしている画を観てしまうと、その画が圧倒的な説得力で、この行為の意味を訴えてくる。
 どのくらい圧倒的かというと、WTCは2つのビルが建っているだけでは未完成で、その2つがワイヤーでつながれて、そのワイヤーの上に人が立って初めて完成した、と思えるくらいである。
 人間って、何のために生きているのか?何が出来るのか?などという問いに対し、その答えは論理的に考えたり常識で考えたりすることでしか求められないかといえば、そうではなく思ってもみない人間の行動や表現の中に答えがあったりする、その意外性から導かれる無限の可能性を人類が確かに持っていることを感じさせてくれる映画だった。
サンシャイン・クリーニング ★★☆ ドラマ系 ミニシアター 2009/07/26 63
 何をやっても上手くいかない人、自分を他人と比べてばかりで他人との優劣にこだわる人、身の丈をわきまえず向上心と自尊心だけ強くて結局失敗ばかりの人、そんなダメ人間と言われそうな人たちが悪戦苦闘しながら成長していく話。
 幸せの価値の基準が、富や名声のような客観的なものではなく、自分自身の中にあるという内容の映画は、アメリカではともかく日本では珍しくない。
 だから、ストーリーに対する作り手の向き合い方が真剣さに欠けると、簡単に薄っぺらで陳腐な映画になるところ、この映画はそうはならずに真摯な映画になっていた。
蟹工船 (2009) ★★ ドラマ系 ミニシアター 2009/07/19 62
 原作が発表された当時なら、労働者階級の敵は彼らから搾取している資本家で、彼らと戦うために団結することが大事だった。
 グローバル経済の今なら、待遇改善を求めて雇い主と敵対したところで、事業が成立しなくなれば撤退して、カニ缶ならより低コストのロシアからの輸入に切り替えるだけ。
 つまりは、敵はどこなのか明確にできないので、原作のストーリーはそのままでは通用しなくなっている。
 ただ、敵が判らないとはいえワーキングプアなどの問題は相変わらずあるので、そのような立場にある人はやはり戦って自らの手で将来を勝ち取っていくのか、さもなければ自殺ごっこや妄想などで自分をごまかしながら境遇を受け入れていくか、いずれにしろその選択は必然的に各自がする以上、重要なのは自分の意志であって、悪いことは世の中のせいにするなんてことは愚の骨頂であるということは、この映画化にも反映させることが出来ていた。
 SABU監督の演出は、いつもは何か異様なエネルギーを感じるのだが、今作は何故か感じられなかった。
 場所が船内に限定され、ストーリーの起伏も少ないことが、得意技を封じられて悪く作用したのか?
愛を読むひと [原題:"The Reader"、意味「朗読者」] ★★☆ ドラマ系 米=独 拡大 2009/07/19 61
 折りしも裁判員制度が始まった日本では、裁判の公正さに関して以前より真剣に考える機会が増えた。
 どんな裁判が公正かというと、事実が包み隠されず提示され、それを元に公正な人物が公正な判断で判決を決めるということだろう。
 『愛を読むひと』のケイト・ウィンスレット演じる被告人ハンナは、事件に関わる重大な事実を明かして裁判を自分に有利なものにすることよりも、その恥かしい事実を明かさない方を選んだ。
 もう1人その事実を知りながら裁判の傍聴をしていた、デヴィッド・クロス演じるマイケル・バーグも、理由はハッキリしないが、事実を明かさない方を選んだ。
 (戦犯を擁護する証言をすることで自分が非難されることを恐れたから、と考えられるが、匿名で弁護人に手紙を出すという方法もあるので、これが理由でないとすると、被告人の意志を尊重したということか?戦争犯罪を憎んで罪を重くするためだったのか?)
 彼は法学部の学生という立場から、裁判が真実に基づいてない状況で捌きを下そうとしていることに対する葛藤もあっただろう。
 証拠や証言の不備以外に、戦争中の行為を戦争犯罪として裁くことの是非もこの映画は問いている。
 ハンナが罪に問われている行為についてコメントを求められたとき、裁判長に向かって「あなたなら(その場合)どうするの?」と質問したことに対し、誰も明快に反論できなかった。
 「自分ならやらない」とみんなが言い切れない限り、彼女の行為を犯罪として裁けないはずなのに、である。
 『私は貝になりたい』とも重なるように、戦争をする国が巨大なシステムで動いている中で、社会の歯車である1人の人間の責任は問えるのか?
 歯車から脱することは、平時においても難しいことなのに。
 脱したところで代わりの歯車が社会を動か続けるだけで社会を止めることなど出来ないのに。
 そんなわけで、公正な裁判とは本当に可能なのか、公正な裁判による公正な判決が正しいといえども良いこととは言えるのか?
 裁判を絶対視することなど出来ないとしか言えないということを考えさせられた。
 オスカー受賞のケイトの演技も素晴しかった。
呪怨 黒い少女
呪怨 白い老女
★★☆
★★
感覚系
感覚系

ミニシアター 2009/07/09 60
2009/07/09 59
 これまでのシリーズを通しての登場キャラである俊雄くんと伽椰子に代わって、新たな呪われたキャラによるリセットされた設定の独立した新作2本。
 とはいえ、呪われた人が殺されたり他の者を呪うようになる10分程度のエピソードが連鎖していて、それぞれのエピソードは原因とオチがきちんと示されず、単に殺されるだけのストーリーしかないという構成はこれまでと同じ。
 ストーリー性の無い映画なので、映像と音による見せ方聞かせ方といった、演出的要素が100%作品の出来を決定すると言ってもよい、監督の腕の見せどころになる。
 しかし、シリーズの前作『呪怨 パンデミック』(★★)がそうであったように、シリーズものの宿命としてアイディアの出尽くしやり尽くし感が出てくる反面、観る側は過去のシリーズと似た内容や同程度の出来では満足せず、前作を超えることを要求するので、それを満たさなければならず、成功に対しては悲観的になってしまう。
 しかし、悪くなかったとはいえその不安の通りだった『白い老女』に続いての『黒い少女』の安里麻里監督の仕事振りを観て、演出的にやり尽くしたように思えても、まだまだ新しい表現を作り出す余地はあるものだと考えを新たにした。
 「出来ることはやり尽くしてしまったかもしれない」という思いは、呪怨シリーズに限らず映画という表現形式全体についても投げかけられるものなのだが、それを突き破る可能性を信じて努力を続ける人たちがいてこそ、様々な新作が作られ続けるということである。
ディア・ドクター ★★★ ドラマ系 ミニチェーン 2009/07/03 58
 この映画を観て、「本当に大事なものって何だろう?」と考え、その答えは簡単には求められないかもしれないが、少なくとも「本当に大事なものって何だろう?」と考えることの先にしか見つけられないと思う。
 反対にこの問いについて深く考えない人は、「ウソ、騙し、犯罪は良くないこと。それらを行った者を糾弾し、それらがこの世から無くなることが大事」などといった、簡単に得られる答えで満足し、それ以上の思考が停止してしまうのではないだろうか?
 ラストで、それまで隠されていた真相が明らかにされるのだが、それは欺瞞からの開放という表面的にはいいことであるにも関わらず、井川遥や松重豊演じる役の心の変化に表れていたように、単純には結論付けられない結末となった。
 以上のことについて考えてしまったほどこの映画は登場人物や舞台になる村の様子がリアリティにあふれていて観る者の心に迫り、それは俳優の芝居をしっかりと作られることから成り立っているのだが、その一方でストーリーは核心がかなり現実離れしていて、村の風景や主役の笑福亭鶴瓶の独特なキャラを生かして、ファンタジックな仕上がりになっているのが凄い。
劔岳 点の記 ★★☆ ドラマ系 拡大 2009/06/28作成
2009/06/29更新
57
 結論から言えば、いい意味で真面目な映画。
 作り手に明確なメッセージがあって、それを明確に伝えることに対して律儀に作られている。
 映画を作る目的に対して、ブレが全く無い作品になっていることが素晴らしい。

 そのメッセージとは、名声とは無縁でもあることを成し遂げた人を称えることで、逆に名声しか考えない人、センセーショナリズムに染まった人を卑しい者として描いている。
 自分の仕事に対する他人からの賞賛を受けることと無縁ということは、自分のしたことにどんな意味があったのか?ということを自問自答することによって自分なりの答えを見つけることであり、「人は何のために生きるのか?」ということを意識するということにつながる。
 そういう人は、自分たちが他人より先んじているとか、他人より優れているとかといった、他人との比較とか客観的な事実などということにこだわらず、いかに自分自身のしたことに満足できるかということが重要になる。
 そして、自分自身をきちんと見つめられる人は、例えライバルでも同じような立場にいる他者を尊重し敬意を持って接することが出来る。
 「自分は何のために生きているのか?」、「自分とは何者だ?」という自問自答をしてしまう心境に否応なく追いやる、立ちはだかる巨大な壁のような剱岳の映像は、確かに見たこともないようなものもあるけど、寒さ、足元の不安定さ、空気の薄さ、空気感などは、実際に体験するのとはかなり違うだろうと思ってしまうほど、うまく表現できていなかったか、あるいは映画自体の限界を感じてしまった。
 とはいえ、実際に登山をしながらの撮影は、画面に映らない部分での苦労なんて無意味とも思えるが、そうじゃなくて直接は映らなくても、何らかのエネルギーとなってスクリーンから発せられることを信じたい。

 山岳映画といえば、アーノルド・ファンクの劇映画(『聖山』(★★★☆、1926 独)、『死の銀嶺』(★★☆、1929 独)、『モンブランの王者』(★★、1934 独))や、ガストン・レビュファのドキュメンタリー(『天と地の間に』(1961 仏)、『新・天と地の間に 星にのばされたザイル』(1975 仏))などが思い浮かばれる。
 山の魅力とそれに魅せられた人々を描いたレビュファと、山の魅力に加えて、さらにスポーツ的に初登頂を目指したりするファンクは、いかにも山好きによる山ありきの映画だが、山自体にそれほど愛着のない木村監督は、山のすごさを描きつつそれに対峙した人間の方があくまでも主役なのが一味違う。
ウルトラミラクルラブストーリー ★★☆ ドラマ系、感覚系 ミニチェーン 2009/06/22作成
2009/06/24更新
56
 今から30年ぐらい前、イエロー・マジック・オーケストラがアルバム「ソリッド・ステート・サヴァイヴァー」で世の中を席巻した直後、彼らはそのヒットパターンを踏襲するのではなく、逆にイメージを壊していくことで「ファンのふるい落とし」(と彼ら自身が明言した記憶がある)をしていった。
 具体的には、曲調を一般受けしそうにない暗くて重いものにしたり、とんがった音を詰め込んだり、歌謡曲風にしたり、お笑いをやったりと、クルクルとイメージを変えていった。
 ファンは多いに越したことはないと思われそうなところ、あえて拒否していったその理由は、想像するに一言で言えば受け手との間に「予定調和」とか「馴れ合い」といったものを排除したかったのではないだろうか?
  「ファンの期待に応えるように活動するようなファン主導の状況よりも、ファンを出し抜いてでもあくまで作り手側が主導権を握ってやる!」
  「自分たちのことを理解しているように思われたり、身近な存在のように思われてはたまらない。そう簡単に解られてたまるか!」
  「期待通りに作ってたまるか!こうやってビックリさせてやる!」
  「どうだ、俺たち何考えてるか解らないだろう?!」
…などと思ったかのかもしれない。
 そうしてファンとの距離を保つことは、作り手が受け手にとってミステリアスな存在であり続け、両者の関係を緊張したものにし、結果陳腐化を防ぐことになると思う。

 横浜聡子監督も、『ウルトラ〜』と『ジャーマン+雨』を観た印象では、とにかく徹底して「非・予定調和」「嫌・観客との馴れ合い」映画を目指しているのではないだろうか?
 「映画なんかで人と人とが簡単に解り合えてたまるか!」?
 そのことの解りやすい例を挙げると、この映画の台詞がほぼ全編津軽弁であることにある。
 この目的が単に「標準語と違う雰囲気を出すため」だとしたら、そのままでは意味の伝わりにくい単語は標準語に変えて、アクセントだけ津軽弁っぽくすれば、「解りやすさ」と「雰囲気」を両立できる。
 ところが、この映画では単語は津軽弁で押し通していて、「解りやすさ」に対する考慮はこれっぽちもない。
 それどころか、津軽弁を選択した時点で「解り難い映画」、少なくとも「台詞には頼らないで、それ以外の部分で表現する映画」を目指したと言えるだろう。

 とはいっても、何もひねくれまくっているわけでもなく、『ウルトラ〜』は一応ストーリーの筋は通っている。
 つまり、「恋人が首なし死体の状態になって、その不完全な死ゆえか死別を受け入れられない麻生久美子が、彼女に一目惚れして自分の頭の中のアオムシを農薬で殺して彼女に気に入られようとして『不完全な死体』状態になった松山ケンイチと触れ合うことにより、失われた首に対する想いを断ち切ることができた。」という話で、ご丁寧にオチもキッチリつけられている。
 それを、オチをラブストーリー的なキレイなものには意地でもさせないために露悪的にしたり、ストーリー展開も平気で飛び飛びにして、映画のシーンを具体的なストーリーでつなげるのではなく、抽象的な勢いみたいなものでつないでいるところが横浜監督らしさだろうか?
 そんなとっつきにくい展開でも、これが彼女の映画の一番の強みだろうけど、シーン単位では芝居が豪快で画面の発する力が異様に強く、ダレることなく観続けられることができた。

 評判は賛否両論のようだけど、彼女にしたら批判は嫌うどころか逆にガソリンにして燃えそうだから、今の状況にはご満悦なのではないだろうか?
レスラー [原題:"The Wrestler"] ★★★ ドラマ系 ミニチェーン 2009/06/22 55
 体を張った仕事に就いている人の体の衰えとの戦いとか、仕事の都合などで家を空けたり家族と触れ合う時間を取れなかったりしたことによる家族とのわだかまりとか後悔とか、あらすじレベルでは全くありふれた内容の映画。
 でも、ストーリーがどうこうよりも、冒頭からエンディングまでどんな曲線で映画を盛り上げていけばいいかとか、それぞれのシーンもどんな芝居でどう作り込んでいけばいいかなどの演出的なことの方がはるかに重要で、ストーリーのことなど何も気にならないことを実証してみせたような映画だった。
 主人公のレスラーの生き様(地味な裏の姿が中心)の映画にふさわしい、こけおどしを排して寄り添うようなカメラによる描き方の的確さが素晴らしい。
スラムドッグ$ミリオネア [原題"Slumdog Millionaire"、英語、意味「貧民街出のチンピラの百万長者」] ★★★ ドラマ系 英=米 ミニチェーン 2009/06/22 54
 この映画について、思いついたキーワードを挙げると、純愛、兄弟の絆、格差社会、下層の人々のきれいごとなど言っていられないこと、下層から抜け出せる希望の星の存在、人権軽視、新興国への変化、などなど。
 ストーリー的には強烈ではないけれど、上記のような様々な要素を程良く取り込んだ、いい話だと思った。
天使と悪魔 ★★ ドラマ系 拡大 2009/06/13 53
 どうしてこんな「可もなく不可もない映画」なんかが、平気で出来てしまうんだろう。
 たとえ失敗に終わったとしても、面白さを狙って一か八か賭けに出るようなことをした映画の方に好意を感じる。
 それすらやらないで無難に映画化作品を作ったところで、何の意味も意義も無いと思う。
 「無難」ということは思い入れが感じられないということで、例えばストーリー的には前作『ダ・ヴィンチ・コード』では、根拠に基づいて導かれた結論が信仰を覆すものである場合、各人がどちらを信じるかの選択を迫られることが描かれていた。
 『天使と悪魔』でそれに当たるのが、科学の進歩が早すぎることの是非だが、この絶好の題材を深く掘り下げずに流していることにもの足りなさを感じた。
 手がかりを追って真相に迫りつつ危機を回避しようという全体の展開は、ヒッチコックのサスペンス作品、007、インディアナ・ジョーンズなどと同じだが、それらの作品が、ラッシュモア山でのアクションのようなかつて無いシーンや、強敵との格闘シーンなど、これぞという見せ場を用意していて、それはむしろ見せ場を見せることこそが主目的で、そのために映画が作られたのではないかと思えるほど強烈な印象を残している。
 それに対して『天使と悪魔』は、時間内に込み入った展開を収めることに専心しているかのように、これといった見せ場も無くただただ目まぐるしく進むだけで、観る者の心を動かしてやろうという野心がまるでないかのようである。
 「有名小説の映画化作品」以上のものは何も無いような映画だった。
重力ピエロ ★★ ドラマ系 ミニチェーン 2009/06/05 52
 いくつかの伏線がきれいに張られている考えられたストーリー。
 でも、映画のストーリーにとっては伏線はしょせん「副」線でしかなく、伏線だけ良くても実際に映画の明暗を分けるのは本線の方。
 では、『重力ピエロ』のストーリーの本線はどうかというと、謎解き、家族愛、犯罪者の心の闇、犯罪に対する憎しみなど、様々な要素を盛り込んでいるのだが、そのどれも心に引っかかるものになっていない。
 なので、この作品って結局何のための映画なのか?何かのために作られた映画なのか?何も感じることができず、単にちょいと良く出来たストーリーをノンポリシーでそつなく映像化しただけにしか思えない。
 あっという間に記憶から消え去る気がする。
ブッシュ (原題:"W."、意味:主人公ジョージ・W・ブッシュのミドルネームのイニシャル) ★★☆ 伝記系 2008 米 ミニシアター 2009/05/30 51
 世界一の権力者であるアメリカ大統領を2期務めた男の半生を描いているとは思えないほどの、ゆる〜いBGMが始終流れたりで、ちっとも盛り上がらない演出による、一見だるい130分。
 もちろん、この雰囲気はオリバー・ストーン監督があえて目指したもので、もしこれがドラマチックな映画になっていたら、ブッシュ大統領のイメージは良くも悪くも輪郭のハッキリした特別な人間ということになるが、ゆるい映画にすることで、彼が我々俗人たちと地続きの人だと感じられる。
 よく歴史的人物を評価するときに、偉人か悪人かどちらかに区別したり、「偉い」「すごい」「とんでもない」などの形容詞1つ程度の単純なイメージだけで考えがちで、それば現実の人間のイメージからかけ離れて、特別な人間が歴史を動かしていると考えるようになる。
 その結果、過去の歴史上の悪行は特定の悪い人や民族や国の仕業ということにして、自分はそんな人たちとは無縁の善人だと考えたり、世情が悪くなるとヒーローを待望して、自分の代わりに世直ししてもらおうと思ったりする。
 でも、政治の世界にそんな非現実的な考えは禁物で、実際には国家のトップだって人間くさい部分も欠点もあると思わないといけないし、人物を思い込みを排して正しく判断しないと、間接民主制の下ではふさわしくない人間がトップに選ばれてしまうことだってある。
 国民の生命がかかっているというよりは、会社の営業会議みたいな緊張感の無さでイラク侵攻が決まったりするあたりに、単に彼を最悪大統領呼ばわりする以上の、人間くさい怖さが表れていた。
チョコレート・ファイター (原題:"Chocolate"、意味:チョコレート) ★★ 感覚系 2008 タイ ミニシアター 2009/05/30作成
2009/06/05更新
50
 「『女必殺拳』の志穂美悦子のように、アクションで主人公がもっと見得を切ったりするだけで、かなり見栄えのするものになるのに…」などと思いながら観ていた。
 本編終了後にNG集で、演者たちが怪我だらけだったことが映され、主役のジージャーはじめ運動能力の高さや体を張って撮影に挑んでいることはアピールしている。
 でも、それは「曲芸」の見せ方と同じで、これは曲芸でもドキュメンタリーでもなく「映画」であって、映画的に面白いものにするためにはスタッフの努力や手腕がかなり不足している。
 上に述べた見得もそうだが、怒りを溜めに溜めてから爆発させたりしてテンションの抑揚をつけるとか、カット割りでスピード感を出すとか、構図で迫力を出すとか、香港や日本のアクションと比べると、スタッフの力不足を感じる。
 せっかく阿部寛を起用して、一味違う迫力で日本刀の殺陣を演じさせているので、そういう見せどころは解っていると思えるのだが…。
チェイサー ★★☆ ドラマ系 韓国 ミニシアター 2009/05/16作成
2009/05/26更新
49
 まず思ったのは警察の捜査が信じられないくらいお粗末だということ。
 論理的思考よりも、思いつきや思い込みで進む捜査。
 容疑者の拘留期間が迫ったりなどのタイムミットがあるにもかかわらず、効率的な捜査はせずにがむしゃらに当てもなく地面を掘り返したりの根性捜査。
 お偉いさんたちの、事件解決よりも対面重視の姿勢。
 警察がこんなに簡単に見当違いな捜査をしてしまうのが事実だとすると、容疑者を拘留してから12時間以内に証拠が得られなければ釈放しなければならないという、この映画で知った韓国の法律が無かったとしたら、えん罪が数多く起きることが予想されるから、容疑者の人権重視は無理も無いと思ってしまう。
 また、「飴と鞭」ではなく鞭一辺倒で高圧的に自白を迫る刑事を見ると、拷問へとエスカレートすることも予想できる(実際、『ペパーミント・キャンディー』や『殺人の追憶』などで描かれた1980年代の韓国の刑事は拷問が当たり前だった。)から、容疑者への暴力を厳禁にしているのもうなづける。 (でも、元刑事の主人公が警察署内で容疑者を殴るのを刑事たちが黙認して、結局釈放を早めてしまうので、肝心なところで抜けているんだけど。)
 以上はこの映画における刑事像だが、韓国の国情に詳しくないので、この映画がどの程度韓国の警察の実情を反映しているのか?リアルな映画なのか?事実無視の映画なのか?判断できない。
 つまり、
  【1】実際の韓国の警察もこのように問題だらけで、そのことを告発している社会派映画。
  【2】警察をおちょくりの対象として、ダメダメに描くことで観る者の笑いを誘ったり溜飲を下げることを狙ったジョーク映画。
  【3】韓国人は基本的に警察を信頼していないので、この映画のようにおちょくったような描き方をするのは当たり前で、気にするようなポイントではない。(確かに、日本では映画やドラマでの警察の扱いは、正義と悪がざっと半々だが、警察がヒーロー扱いの韓国映画って観た覚えがない。『シュリ』もヒーローとはちょっと違う。)
のどれなのか判らない。
 明らかにシリアスなシーンがあるので、100%【2】のようなお笑い映画ではないものの、警察署長(?)が主人公に襲われると思って慌てふためいて車にのりこむといった、お笑いっぽいシーンもあるので、ある程度は【2】の要素があるように思える。
 いずれにしろ、もっと戸惑わない状態で映画を観たかった。

 映画としては、犯人とそれを追うものが、相手の正体を知らない状態で偶然に出会うという展開を生かしたサスペンスが、『羊たちの沈黙』や『フレンジー』をほうふつとさせて面白かった。
 ストーリー展開がどんどん意表をついて、予想もしていない方に転がっていくのもいい。
余命1ヶ月の花嫁 ★★★☆ 感覚系、実録系 拡大 2009/05/16 48
 「悲しい映画」なら、悲しいシーンを盛り込めばどんなヘボ監督の手にかかってもそれなりにできてしまいそうで、現に最近の日本では粗製濫造気味だったりする。
 でもこれがこの映画のように「切ない映画」となると、演出において格段に細心の注意が要求されると思う。
 実話を元にオリジナルエピソードを付け足した映画だが、映画は全部ドキュメンタリーも含めて、現実そのままなんてことはありえない「作りもの」。
 でも、だからといって「絵空事」「綺麗ごと」を観ようと映画館に来るお客さんはいないので、「綺麗ごと」とは感じさせずに「綺麗なもの」として見せなければならない。
 間違った演出で「クサい」「作りものっぽい」「わざとらしい」「大袈裟」「不快」などと一瞬でも観る者に感じさせてしまったら、その瞬間に魔法が解けて映画が作りものにしか見えなくなってしまう。
 廣木監督は、そんな「魔法が解ける」ようなことが約2時間の上映時間の間に一瞬たりとも起きないことを徹底することに成功している。
 そして、欠点を排除する一方、映画を魅せるポイントとしては、主役2人の誠実な芝居や、特にその表情をアップでじっくり撮ることによって、ストレートに彼らを身近に感じられ、本当に素晴しい。
四川のうた [原題:二十四城記] ★★☆ ドキュメンタリー系 中国=日 ミニシアター 2009/05/05 47
 まさに一つの町である巨大な古い国営軍需工場が幕を閉じ、跡地にホテルや高級マンションなどが建つことになった。
 職場がなくなることになる従業員や関係者たちが、自らの半生を語る様子を撮影したのがこの映画だが、ドキュメンタリーのように見えて、その中にはジョアン・チェンなどのプロの俳優が混じっている。
 とはいえ、本物の工員か俳優か?フィクションかノンフィクションか?というのを区別する必要は無く、重要なのは時代の変化と共に、新しく作り出されるものの陰に、その流れから追われいづこへと消え去る者や物があるということを描いていること。
 ジャ監督は前作『長江哀歌』と同じテーマを、表現方法を変えて再度取り上げるという思い入れを見せる。
 ありのままの姿が映っているはずのドキュメンタリー風の映画の中に、工員たちがカメラ目線で立っているような、普通なら「やらせ」と言われかねない「作りモノ」のシーンがまぎれていることの違和感を利用した表現の不思議なメリハリが面白い。
レイチェルの結婚 ★★★ ドラマ系 ミニシアター 2009/05/05 46
 姉妹の確執と、自分に愛情を抱いて欲しい相手から愛されないことの狂おしさが、『エデンの東』をほうふつとさせる激しさで描かれる。
 それ以外にも、罪の意識と赦しについても加えて、内容の濃いドラマ。
 手持ちカメラによるホームビデオっぽい撮影も、リアリティのある独特の雰囲気を作っている。
 登場人物の人種は、白人のレイチェルに黒人の花婿とアジア系の参列者、風俗もインドの衣裳にサンバなど、ほぼ全世界に渡る多数の異なるものが共存しているのは、衝突ではなく理解がそれぞれの民族の間に結ばれることを願ってのことだろうか?
ウェディング・ベルを鳴らせ [原題:"Zavet / Promets Moi"] ★★ お笑い系 セルビア=仏 ミニシアター 2009/05/05 45
 クストリッツァ作品おなじみの、歌えや騒げやのドンチャン騒ぎ、バカでエロくて、映画が面白くなるんだったら何でもあり。
 楽しい映画の目指し方としては全く正しくて、実際に楽しいんだけど、そんな裏表まで何もかも見えてしまっていることが面白くないというか、見る前に予想した通りの映画であり過ぎて意外性がなかったことが残念、というのは贅沢な悩み?
ミルク [原題:"Milk"、意味:(主人公である実在の人物の名前)] ★★☆ 伝記系 ミニチェーン 2009/05/05 44
 アメリカで初めてゲイで選挙によって公職に選ばれ、ゲイの権利保護のために活動したハーヴェイ・ミルクを描いた映画。
 ゲイに関する偏見は、宗教的に悪だと決まっているとか、変な性癖の奴は精神面全体がまともでないに違いないとか、ゲイの危険性を率先して主張している人々が率先して、論理で主張することをしていない、主張するには論理的考察を経なければいけないことすら解ってないので、はっきり言って単なるバカなのだが、単なるバカが相手なだけに考えを改めさせることが絶望的に難しい。
 そんな考えに大半の人間が影響されなければ問題ないのだが、宗教や社会的地位を背景にしたり、危機感をあおることで心の弱みに付け込まれたりして、説得力を感じて信じ込んでしまう人たちも多い。
 一方のミルクは、単にヒューマニズムだけで動くのではなく、ゲイ以外の人たちと取引をして自分の主張を通そうとしたり、群集心理を操作してイメージ戦略に利用することもする。
 これら、ミルクやその対立勢力の人々まで、きれいごとに走らずにリアリティのある人間として描いている。
 また、1970年代当時に撮影されたような映像が、どこまで本物でどこまで再現映像なのか、区別が出来ないほどうまく映画に溶け込んでいて、同時に普通のシーンの衣裳やセットなどが実際の1970年代と比べて違和感を感じさせないのも素晴らしい。
マックス・ペイン [原題:"Max Payne"、意味:(主人公の役名)] ★★ ドラマ系、感覚系 ミニチェーン 2009/05/05 43
 街の風景が、常に雪が舞っているのを彩度を落とした画質で映していたりなどで、凝った作りになってはいるのだが、有効的には働いていない。
TOKYOレンダリング詞集 ★★ 感覚系 ミニシアター 2009/04/28 42
 東京の街の風景を撮影して、約1分間の1カットによるシーンごとに、1行程度の言葉の字幕を付け加えた25分の短編。
 これまでの市川準作品で映された東京の風景は、風景とはいえその中にいる人間を写しているといった方が正確で、望遠レンズで人々を撮って人物以外は背景としてぼかしたりしていた。
 また、カットも短くて次々と違う風景を映していく編集だったが、ここでは全く逆でカメラは固定で広角レンズで約1分間のワンカットワンシーン、その上、映像に対して様々な加工を施して、人物の顔が判別できず、まるで人間が風景の一部になった印象を受けたものもあった。
 新しいスタイルを目指したのだと思うが、スタイルは違えど市川監督の風景に対する思い入れが以前と変わらなかったことだけは確かに感じられた。
buy a suit スーツを買う ★★ ドラマ系、感覚系 ミニシアター 2009/04/28 41
 東京の街の風景の中で、数人の登場人物たちがぶつぶつとつぶやくような会話を交わし、その様子を拾って紡いでいるような作風は、これまでの市川準監督作品と同じ。
 違いは、映画用の高画質カメラではなく、小型ビデオカメラで撮影していること。
 芝居を作りこんで撮影するのではなく、俳優に登場人物になってもらい、その自然な振る舞いを長回しで獲り続けていいところを編集して作るという演出法は、長回し、複数のカメラ、隠し撮りっぽい撮影をしてカメラによる映像であることを意識させないことなど、ビデオカメラ向きであると言える。
 そんなわけで、自分の作風を維持しつつ、普通の映画よりもはるかに低予算で製作できる方法として、新しい手法を試してみる意味も込めて、低予算なりの無造作な撮り方をしているように見える。
 このある意味方向転換は、さほど画期的には見えず、かといってこの作品だけではダメだと決め付けることは出来ない。
 あと何作品か続いていたら成否を判断できただろうが、監督亡き今となっては答えは出ない。
 ストーリーとは何の関係も無い街の風景が、ドラマ部分と交互にインサートされる市川監督ならではの編集も、いつもより無造作に感じたのだが、これも「きっちり作らない」ことを狙った結果だろうか?
バンコック・デンジャラス [原題:"Bangkok Gangerous、意味「バンコク、やばい」"] ★☆ ドラマ系、感覚系 ミニチェーン 2009/04/25 40
 細かい部分についてコメントする以前に、ニコラス・ケイジの外見が平気でカッコ悪いのは、どういうことだろう?
 Tシャツ姿で立っているだけで、変に猫背っぽくて、ちっとも腕利きの殺し屋に見えない。
 出来上がりはともかく、衣装や身のこなしなどの簡単な役作りでカッコつけようという形跡すら感じられない。監督が何も仕事をしていないとしか思えない。
 普段は殺し屋に見せないためのカモフラージュをしているという、考えた上でのカッコ悪さなのか? 映画全体がジョークなのか? ニコラスを陥れようという悪意なのか? 全くもって謎である。
GOEMON ★★ ドラマ系、感覚系 拡大 2009/05/05 39
 断片しか見ていない紀里谷監督の前作に対する印象同様、この映画もはっきり言えば実写素材を使って作られた、実質「アニメ」映画。
 構図やキャラの動きやカット割りなど、映像はアニメそのものだし、俳優の台詞の言い方をはじめとする演技も、単純でハッタリ調で、深みのないところはまさにアニメ。
 前半はそんなアニメ様式の狭い世界から表現が一向にはみ出す気配がないので、つまらなさを感じつつ出演者の誰かが殻を破ってくれないかなぁと思いながら観ていた。
 そんな状況が変わるのは、後半に入って反戦のメッセージが臆面も無くストレートに表現されるようになってからで、映像的にもこれ見よがしに凝った表現は影を潜め、芝居もスカした感じから泥臭い感じの生々しいものに変わっていった。
 やっと様式に凝り固まった表現から、エモーショナルな普通の映画になったと思ったのだが、そんな反戦を訴えていた主人公が、その直後に大量虐殺をするシーンを気合たっぷりに作ってたりするのだから、やっぱりなんかちぐはぐ…。
 以上をまとめると、『GOEMON』から感じられる紀里谷監督は、
  【1】CG偏重の映像インテリのように見えて、実は本質的には泥臭くてストレート。
  【2】反戦を訴えている反面、戦闘シーンや虐殺シーンに力が入る。(宮崎駿か?)
  【3】CGシーンに手間と暇を大量にかけている割りに、それらのシーンのウケが悪く、普通に撮った方が良さそう。
となり、これらの食い違いが上手く解決できれば、今後凄い作品が出来るかもしれない。
 『GOEMON』はチグハグさを感じるとはいえ、監督が作りたいものを本気で作っているという意欲だけは十分に感じられるので、少なくともテレビドラマ上がりの監督がドラマの延長気分でやっつけで作ったような映画なんかよりは、何百倍も価値があるだろう。
60歳のラブレター ★★ ドラマ系 拡大 2009/05/15 38
 タイトルにあるように、定年退職や病気などの60歳頃にやってくる人生の転機に戸惑う人々を描いた映画。
 でも、井上順演じる医者が男手一つで育てた一人娘(金澤美穂)が、生意気さで大人たちに立ちはだかると見せかけてすぐに普通のいい子になってしまうことに象徴されるように、問題を克服していくという感じでなく、勝手に上手い具合に決着してしまうという、予定調和なストーリーには拍子抜けしてしまう。
フロスト×ニクソン [原題:"Frost/Nixon" (登場人物2人の名前)] ★★★ ドラマ系、感覚系 ミニシアター 2009/04/27 37
 インタビュアーのフロストと、される側の元大統領ニクソン、表面的には2人の対決の結果はフロストの勝ちとなるのだろうが、その決め手になったのは4日間のインタビューの最終日の、その中のほんの短い時間のやり取りだけニクソンが弱みを見せたということである。
 はたして、そんな勝敗は確かだと言えるのか?
 そもそも、勝ち負けは決められるべきものなのか?
 テレビは、他のメディアでは伝えることの出来ない、言葉では説明できないような一瞬の映像も伝えることが出来るが、その一瞬が強烈過ぎると全体像が歪められて真実からかけ離れて伝えられる恐れがある。
 そんなテレビの凄さ、恐ろしさ、空しさを、敵味方両陣営の最前線で戦った2人だからこそ共感できたという、深みのあるストーリーが素晴しい。
 そして、芝居や衣装や髪型など、時代の雰囲気やテレビ越しの映像の感覚などを見事に再現できているのも素晴しい。
グラン・トリノ [原題:"Gran Torino"、意味:(車種の名前)] ★★★ ドラマ系 拡大 2009/05/05 36
 クリント・イーストウッド演じる主人公は、「近頃の若いもんは…」が口癖のようなジジイなのだが、この言葉を言う大人の大半が、自分がそれを言えた柄か?ということに対してノータッチであるという、浅はかで無責任な人々である。
 では、その言葉を言うに値するような、重みのある人とはどのような人なのか?という問いかけがあったとして、その答えの一例を示したようなのがこの映画で、それに沿って作られたストーリーから映画作りから、一言で言って何から何まで素晴らしい。
 特筆すべきことは、イーストウッドが主役を演じる上で、彼の過去の出演作でのイメージを上手く利用していること。
 悪者たちに対して銃口を向けて警告するところなどは『ダーティハリー』のハリー・キャラハン刑事のようだし、敵対する者たちと対決する時にタバコをくわえて火をつけるところなどは、細い葉巻をくわえながら拳銃での決闘に挑んだ『荒野の用心棒』を思わせる。
 そうした、敵対する者の敢然と立ち向かうかつてのヒーローというべき彼のイメージの使い方には感心させられた。
バーン・アフター・リーディング [原題:"Burn After Reading"、意味「読後焼却すべし」] ★★ お笑い系 拡大 2009/04/25 35
 まあ確かに、CIAのトップが動くのと、その事件の張本人が単なるバカ市民という対比も面白くて、よく考えられている映画なんだけど、その面白さの目指しているレベルが、
 「ねぇ、こんな映画作ったんだけど、どう? ちょいと面白いでしょ?」
 「うん、いいねぇ。 おじょうず〜。」
という会話が聞こえてきそうな、カッコつけて全力で作っていない感じがするのがイヤ。
ダウト −あるカトリック学校で− ★★☆ ドラマ系 ミニシアター 2009/04/19 34
 この映画の中の出来事を、例えばニュース程度の少ない情報量で知ることになったとすると、メリル・ストリープ演じる校長は適切な仕事をしたと言われるのではないだろうか?
 彼女は教え子の様子がおかしいという「シグナル」を見逃さず、ワーストケースを回避することを最優先とする「危機管理」の原則に則って他人を信じることよりも疑う方を選び、悪事に対しては断固として許さない「毅然とした態度」をとっていた。
 子供のシグナル、危機管理、毅然とした態度、日本のニュースの論調や世論では、これらは絶対に正しいことであり、特に学校の先生のような立場では、ちょっとでも落ち度があると重大な責任問題とされる。
 つまりは、日本的な「ことなかれ主義」的な見方では、彼女はまったくもって正しいということになる。
 しかし、この映画が訴えているのは、一言で言えば「正しいことは良いこととは限らない」となり、上に示したような「正論主義」な考え方を良しとすることや「不寛容」を痛烈に批判している。
 映画としての見どころは、なんといっても芝居につきる。
ドロップ ★★☆ ドラマ系、感覚系 ミニチェーン 2009/04/13 33
 喧嘩に明け暮れる中学生の、その動機みたいなものは、誰にもきちんと説明できないものかもしれないが、この映画で上地雄輔演じる元ヤンキーと思われる鳶の台詞「あいつらバカだから…。」というのがその答えに近いのではないか?
 理由は解らなくても、彼らがその時々の感情のままに行動していることが、人生という限られた時間で出来るだけ充実した濃い生き方をしたり捜し求めたりするという、不良に限らず誰にとっても当てはまることにもつながっているように思えた。
 感情が良く表現されていて、役者たちの芝居をしっかりしたものにするということを監督が第1に考えていたと思えるような映画になっていたことがその理由なのではないだろうか?
 キャスティングも充実していて穴が無く、そんな彼らの芝居を奇をてらわずに普通に撮影するのが、観る者に感情を素直に伝える最善の方法だという確信の元に作られた映画になっているのが素晴しい。
 でも、芝居で観る者の感情を動かすことって、まさに「お笑い」が目指していることと同じだから、お笑い芸人の監督作品としては真っ当な結果になったということかも。
レッドクリフ PartII −未来への最終決戦− ★★★ 感覚系、バカ系 米=中国=日=台湾=韓国 拡大 2009/04/12 32
 ジョン・ウー作品としては、『フェイス/オフ』もしくは『M:i-2』以来、久しぶりに彼が他の監督を圧倒するほどのアクションに対する力の入り方が違う、「アクションバカ大将」ぶりを見せつけた作品だった。
 アクションにおいて「快楽主義」に素直に従って作ることを何より重視し、合戦シーンでは兵士たちの断末魔の姿を多く見せることや、炎の使い方もやたら大きく見せたりと、サービスのためには遠慮して出し惜しみしないし、時代考証だとかのリアリティに対して目配せなんかしないで気持ちよくドンドン無視してくれる。
 アクション演出をレッドゾーンまで振り切ることで、迫力に圧倒されるのと同時に、「いくらなんでもそればやり過ぎだろう!ワッハッハ!」と、そのやり過ぎぶりを笑って楽しむこともできるのも、ジョン・ウー作品ならではの楽しさだろう。
 ストーリーに関しては、最近にしては珍しいくらいの絵に描いたような勧善懲悪で、民のために戦う善玉と民を踏みにじる悪玉、成功と失策などが明確に区別されている。
 でも、善悪の区別がつけられないという考え方を突きつけられると方向性を見失いがちになるのに対し、やるべきことと憎むべきことを明確な映画の方が、アクションと合わせてスッキリ気分良く観れて善意にも燃えられていいかもしれない。
ワルキューレ ★★ 実録系 拡大 2009/04/12 31
 1944年の、ヒトラー暗殺とその後のドイツを掌握するクーデターの未遂事件の実話の映画化。
 作風は実録風で、ドラマチックに盛り上げすぎることはなく、出来事そのものを正確に見せることを重視している。
 まあ、それはいいんだけど、暗殺の一連のプロセスや、クーデターで情報伝達のコントロール権を握ろうとすることなど、他の映画でも描かれてきたことを改めて真面目に描いてみせても、特異性を出すことが難しいという、ありがちな結果になった。
ベンジャミン・バトン 数奇な人生 ★★ ドラマ系 拡大 2009/04/05 30
 生まれたときは老人のような体で、時が経つに従って若者になっていき、やがて子供になる主人公の物語。
 これだけでは特殊な人生の物語のように思えるが、人は誰でも肉体的だけではなく、考え方など精神的にも変化するものであり、しかも人生は人それぞれで他人の人生は自分のとは違うのが当然ということでは、この物語も「とあるひとつの人生」ということになって、実はちっとも特殊ではない。
 そんなわけで、「人生モノ」としては定番の、多くの人々との出会いと別れ、特に登場人物たちがみんなこの世と別れてしまったか、もしくは別れつつあるという感慨にしみじみ出来る終盤は良かったけど、それにしては尺が長すぎて結果的に薄味になってしまった。
オカルト ★★★ フェイクドキュメンタリー ミニシアター 2009/04/12 29
 通り魔殺人事件で始まった映画が、およそ20分ごとにストーリーの展開が、まるでそれまでとは別の映画が始まったかのように、思ってもみない方向に大きく転換していくことになり、先の読めない面白さにあふれた映画だった。
 先が読めないだけなく、タイトルが示すとおり、映画が進むに従って次第に異常な世界に入り込んでいくエスカレートぶりもいい。
 怖い描写も、フェイクドキュメンタリーらしいさりげなく気味が悪いものから、クライマックスシーンのようにここぞというところではフィクションならではの徹底的な怖がらせ方も強烈だった。
ザ・バンク-堕ちた巨像- ★★☆ ドラマ系 拡大 2009/03/26 28
 淡々と流れるBGMに、シャープな構図のクールな映像という、アラン・J・パクラ監督の70年代の社会派サスペンス作品が突然復活したような映画。
 最近のサスペンスやアクション映画は、大仰な音楽が鳴り響いたり、やたらカメラがぐるぐる回ったりのめまぐるしい映像といった演出パターンに縛られているようなものばかりで、そんな中にあってはこのような映画は断然新鮮に見える。
 全体的に表面的には動きの少ない映画の中での唯一の銃撃戦シーンの激しさも見応えがあり、もうちょっと派手な見せ場も見たいと思った。
 原題の"The International"は、共産主義者が歌う歌ではなく、Internationalな銀行や、国益がぶつかり合う国際社会と国際捜査の難しさの映画という意味。
SRサイタマノラッパー ★★ ドラマ系 ミニシアター 2009/03/25 27
 一言で言えば「愛すべきダメ人間」の映画。
 バランス的に、ダメの量はもうちょっと少なく、覚醒のタイミングがもうちょっと早め、せめて、みひろ演じる同じ高校に通っていた女と最後に会うシーンで、強がって口にはしない彼女の本心をきちんと受け止めて欲しかった。
 その時点まででみっともなさは十分出ていたので、そのシーンまでもみっともないっぽくするのではなく、ラストシーンのようないわゆる「いいシーン」をもっと見せてくれても良かったんじゃないの?と思ってしまった。
マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと ★★☆ ドラマ系 ミニチェーン 2009/03/25 26
 犬の映画ではなく、ある犬と暮らした家族の日常の映画。
 人生は計画通りにいかずに、それで苦労を背負うことになっても、成り行きだからこそ人生を豊かに感じられるということを、言うことを聞かずに暴れまくる犬でもかけがえのない存在だということが結果的に象徴すしている。
 家族と仕事、やりたい仕事とお金になる仕事などの板ばさみといった、ありふれた家族のありふれた題材なのだが、それらを丁寧にきっちり描いている映画になっている。
少年メリケンサック ★★ ドラマ系、感覚系 拡大 2009/03/25 25
 パンク・ロックを題材にしているだけあって、この作品自体もパンクな映画。
 感情のうねりのままに展開し、こじんまりとまとまったものを破壊する。
 あおいちゃんにとっては、この役は初めてのタイプのものだと思うけど、見事に演じきっちゃているのには、改めてさすがだと思った。
チェンジリング ★★☆ ドラマ系 拡大 2009/03/21 24
 このストーリーで、凄く釈然としない部分がある。

【以下、ネタバレあり】

 犯人が子供たちをどのくらい殺してどのくらいが逃げたのかが、誘拐された息子が生きているかどうかの重要なポイントなのに、そこがはっきりと描かれていない。
 それだけではなく、動機も含めた誘拐事件の全貌がほとんど描かれていないし、アンジェリーナ・ジョリーの母親も、無罪を主張する被告人から情報を引き出すことに積極的でなく、結局彼は最後まで謎の男のままである。
 母親にとっては、息子がまだ生きているかもしれないと信じることは決して思い過ごしとは言えないほど、解らないことだらけのように見える。
 それなのに、ジョン・マルコヴィッチ演じる牧師は母親に対して、息子は死んだのだから早く忘れて新しい人生に踏み出すように勧める。
 根拠も無しに「死んだ」と一方的に決めつけるのは、母親の言い分を聞かずに一方的に別人の子供を「これはあなたの息子だ」と言い張る警察と同じように見える。
 そもそも牧師は、単に親子が再会したと報じただけの新聞記事しか見てないと思われるのに、何故警察の陰謀だと気づいて母親にコンタクトしたのか?
 その他にも、偽の息子を仕込んだのは誰か?彼を迎えに来た怪しい女は誰か?などなど、不可解なことが多過ぎる。
 だから私は映画を観ている最中、表向きは事件が次第に解き明かされていくのは全部ミスリーディングで、どこかで謎が解き明かされて思っても無い真実が明かされるのではないか?と思っていたのだが、結局それも無く謎は謎のままだった。

 この映画は、アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公の立場で観るのが普通だと思われるか、彼女が警察などの公共機関に裏切られれば、他人は当てにしないで自分の力で子供を捜そうするのが当然だと思ったのに、彼女の行動がちょっと違うことを不思議に思ったりして、更に様々な矛盾点を感じたのだった。

 以上のことの理由を考えてみると、『チェンジリング』のメッセージらしいことは、警察が暴走して捜査や治安維持などの本来の職務よりも、犯罪に加担して私利私欲に走っていて、それを隠すために邪魔者を殺したり精神病院に入れて口封じをしたり、マスコミをコントロールして都合のいい嘘を広めているようなことに対する非難で、それは今日でも警察に限らず権力が行っても不思議ではないことであり、よって権力やマスコミが言うことは鵜呑みにせずにじっくり考えて判断しなければならないということだろう。
 ということは、映画の表向きのストーリーが実は嘘で、見る側は矛盾点に気づいてストーリーを鵜呑みにしてはいけない、権力やマスコミにだまされないためには、まず「映画」にだまされちゃいけないということを言おうとしているのかもしれない。

 でも…、そんな隠しメッセージなんか無くて、単に脚本が穴だらけということだったりして。
釣りキチ三平 ★★☆ 感覚系、ドラマ系 拡大 2009/03/18 23
 そういえば、「釣りキチ三平」の原作マンガを最後に読んだのはいつのことだろう?
 30年ぐらい前だろうか?
 20代以降には読んでない気がするけど…。

 釣りとは違うけど、テレビ朝日の「いきなり!黄金伝説。」などの、よゐこの濱口が海に潜ってもりで魚を獲って料理して食べる番組が子供たちに人気があるというのは、よく解る気がする。
 ひとことで言えば、子供は未知のものが大好きで、海の中はまさにそんな好奇心をそそられずにはいられない世界で、さらにそこに人間が立ち向かっていくのを目にして、冒険心や体でぶつかっていく闘争心をもかき立てられるからだろう。

 そんなわけで、映画『釣りキチ三平』は、原作のテイストをそのまま映画化し、よゐこ濱口の「獲ったどー」が好きなような人なら間違いなく楽しめる映画になっている。
 オーソドックスな展開に、ステレオタイプのような登場人物で、心にひっかかりを感じることなくすんなり観られる。
 でも、数々の見せ場をちゃんと用意することは忘れない。
 あえて余計なことやひねったことは何もしていないが、それが最善の映画化だという滝田監督たちの的確な判断の元に作られた映画だった。

 まあ、『おくりびと』に続く滝田作品とはいえ、2本を比較する必然性は全然ないんだけど、善悪や美意識の主張が無い分だけこっちの方が好き。
悲夢 ★★☆ ファンタジー系 韓国=日 ミニシアター 2009/03/17 22
 男が見た夢の通りに、別の女が同時刻に夢遊病者のように犯罪行為まで実行してしまうという物語。
 この状況が続いても実害があるのは専ら女の方なのだから、オダギリジョー演じる男は解決する必然性が無い。
 にもかかわらず、この映画ではむしろ彼の方が解決に積極的である。
 これまでのキム・ギドク監督作品の登場人物といえば、男は独善的で暴力は恋敵だけでなく愛する女に対してもふるって女を縛りつけようとし、そんな男や自分自身の強迫観念に縛られて苦しむ女が主人公というパターンが多かった。
 これが実際の韓国人たちの一般的なイメージだとすると、それとは正反対のキャラの男を設定するにあたって、韓国人ではなく「和の心」の日本人に設定にして、韓国在住にもかかわらず日本語しか話さないのは、韓国人とは違うということを強調するためなのだろうか?
 (もしくは順序が逆で、最初にオダジョー主演ありきで、彼に合った線の細い男を設定したのかも。)
 でも男は「和の心」というレベルを超えてむしろ「犠牲的」で、にもかかわらず別れた元彼女を忘れられない彼が偶然知り合った女に対して恋心が芽生えたのはかなり後だと感じたので、それまでは恋の対象でもない女の為に犠牲的行為をしていたことになる。
 特殊な設定をキャスティングで強引に克服しようとしたとしても、克服しきれてなく作為的な印象がぬぐえない。
 とはいえ、インテリアの色使いや、屋外の澄み切った空気感など、映像の印象は幻想的なまでにクールなので、物語も細部にはこだわらずにファンタジーと考えて、映像と合わせて映画の雰囲気を楽しめばいいと思う。
007/慰めの報酬 ★★ 感覚系、ドラマ系 英=米 拡大 2009/03/17 21
 この映画ってどんな映画?といえば、まず第1にざっと上映時間の半分がゴチャゴチャした画面のアクションシーンの映画だということ。
 いわば「目くらましアクション」で、構図はアップばかりで引きの画が少なく、被写体かカメラかが激しく動いてブレているショットを、速いカット割りでつないで作られた映像なので、何が起きているのかよく解らない。
 冒頭の屋根の上などの高所のアクションシーンでは、「これが宮崎駿演出だったら、こんな雑な映像じゃ済まされないだろうに…」などと、思わず極端な比較をしてしまうほどガッカリさせられた。
 ストーリー的には、善と悪とが分かれていて悪役を倒せばいいというかつてのシンプルなモノから、善と悪との区別ができない現在の国際社会を反映して複雑なモノにするなど、アナクロやマンネリにならない工夫は感じられる。
 それはいいのだけれど、「007シリーズの面白さを期待して観に来てくれたお客さんたちを楽しませる」ということに関しては、かなり物足りない。
 ストーリーのリアルさだけを追求するのなら、007以外にも国際的な特殊任務を描いた映画はたくさんあって、それらとの差別化が難しいと思われるけど、そんな単なるいちスパイ映画でもいいのだろうか?
 かつての007シリーズは、「お客さんを楽しませる見せ場を作る」ことが最優先だったように思えるので、やはりリアル&ハードを目指すより、いいアクションによる「もてなしの心」の方を重視して欲しい。
ディファイアンス [原題:"Defiance"、意味「反抗」] ★★☆ 伝記系 ミニシアター 2009/03/17 20
 1941年、ナチスに占領されたベラルーシで、虐殺やゲットーから逃れて、森の中で飢えや寒さと戦ったり、ナチスやその一派それにその敵に当たるソ連軍などと対立したユダヤ人たちの物語。
 ドラマチックな要素は押さえ気味にして、実際の場所に近いリトアニアでロケをするなど、実録的に描くことを重視している。
 ゲットーの中で生きるか?ナチスからの自由を求めて物資の無い森で暮らすか?、ナチスとの戦闘に加わるべきか?森で女性や老人たちを守るべきか?など、さまざまな葛藤が描かれる。
7つの贈り物 [原題:"Seven Pounds"、意味「7ポンドの重さ」] ドラマ系 拡大 2009/03/16 19
 「ラストでネタバラシ映画」は、かえって映画をつまらなくすることがほとんど。 いい加減にやめて欲しい。
 ウィル・スミス演じる主人公の謎の行動は、何かの罪滅ぼしのためであることだけは判る状態で映画を観続けることになる。
 罪と向かい合う人間を描くのなら、その罪がどんなものかを示すことが不可欠だと思うのだが、それがラストのオチにするためなんてことのために伏せられているので、ウィルはただの眉尻が下がった弱った顔で変なことをしている男になってしまっている。
 オチも、映画の進行に合わせて真相が小出しにされるので、なんとなく予想できてしまって何のインパクトも無い。
ハルフウェイ [意味:【英語】halfway(ハーフウェイ、「途中」)の発音間違い] ★★☆ ドラマ系、感覚系 ミニチェーン 2009/03/14 18
 「ハルフウェイ」="halfway"=「途中」…というより「発展途上」、「未熟」と訳した方が適切と思えるような、高校生の青くて硬い恋のやり取りを描いた映画。
 とはいえ、それは決して批判されるものではなく、人生経験も少ない高校生という一時期に特有な考え方に則って行動をしているというだけ。
 そんな高校生ならではの思考と行動の描き方が、映画的なドラマチックなものというより、ドキュメンタリーのようにナチュラルなので、かつて高校生だった大人たちは、確かにかつて自分の中にあった情緒に敏感に反応して、気恥ずかしくも甘酸っぱい思いに浸れるが、現役の高校生にとっては、あまりにも日常のままをわざわざ映画で見せられても、何が面白いのか解らないかも知れない。

 ところで、この映画の演出について。
 脚本家の北川悦吏子の初監督作品とのことだが、演出方法はプロデューサーの岩井俊二の監督作品の『花とアリス』あたりに限りなく同じで、実際に作風もかなり似ている。
 シーンの流れと台詞は一応決まっているが、本番は何十分でも長回しできるビデオカメラの利点を生かして撮影して芝居はアドリブ。
 手持ちカメラで、どんどん動き回る俳優たちを追いかけて撮影していく。
 そして膨大な撮影素材の中からいい部分を繋ぐ編集(北川悦吏子と岩井俊二)によって映像を作っていく。
 撮影の角田真一は、岩井作品常連の篠田昇とともに『花とアリス』の撮影を手がけていたので、つまり技術的なことはスタッフに任せ、芝居はナチュラルが原則で俳優たちのアドリブ任せということにすれば、監督の仕事は脚本に既に書かれている芝居の内容を決めるだけとなり、脚本家の仕事と重なることになる。
 極端に言えば、完成した脚本に従って撮影することにすれば、誰でも監督が出来るということなのではないだろうか?
ポチの告白 ★★★ 社会派系 ミニシアター 2009/03/14作成
2010/01/01更新
17
 警察が、犯罪者の後ろ盾になって上前をはねたり、一般市民を恐喝したり、国家権力やマスコミを丸め込んで不祥事が表ざたにならないようにしたりなど、まるでヤクザのそのものであることを描いた映画。
 ここで描かれていることが事実か?事実無根か?という問題については、「リアルではないかもしれないけど、リアリティは十分過ぎるほどある」ということでクリアできている。
 つまり、「例え今がこんな状態ではなくても、明日にでもこうなっても全然不思議ではないほど、荒唐無稽な作品ではない。」ということ。
 組織に対抗できない個人の弱さ、お金のうまみの前にははかなく崩れる良心など、ここで描かれる堕落の過程には論理の飛躍が無いということでリアリティがある。
 菅田俊演じる主人公の巡査が、真面目で命令に従順だということで刑事課にスカウトされ、タバコを吸わない彼がタバコを勧められて断れずに吸い始めることが堕落のきっかけであることなど、彼の堕落がどんな人間にとっても敷居の低いものであるという怖さが出ていたりで、そんなエピソードの数々が上手い。
 日本が法治国家であるということが表向きに過ぎないという内容の映画だけに、否定するよりも、ありうることだと思うためにも観た方がいいと思う。
愛のむきだし ★★★☆ ドラマ系 ミニシアター 2009/03/13 16
 タイトルに偽りが無いほど、近年他に類を見ないほど濃い濃度の純愛映画。
 愛の喜び、悩み、苦しみ、悲しみ、叫び、怒りといった感情を、フルスロットルの表現で見られることに、映画ならではのエモーションを感じる。
 また、純愛映画は純愛の純度を増していくと、必然的に「変態映画」になってしまうという自説(【例】『めまい』(★★★★)、『ベニスに死す』(★★★★))を唱える者としては、愛情と変態と宗教とが、形や見方が違うだけで、実は全部地続きであるように描いていることも、人間の情緒の大きな要素をひとくくりで取り上げているスケールの大きさを感じる映画だった。
フィッシュストーリー ("Fish Story"、意味:ホラ話) ★★ ドラマ系 ミニチェーン 2009/03/09 15
 複数のエピソードの登場人物たちは、それぞれ「頑張っても成し遂げられる見込みが無いから実行できない」とか「自分のやっていることが、世の中の誰かのためになったり、誰かの心を動かすとは思えないので、続けることを迷っている」といった葛藤を持っていることで共通している。
 そして、そんな登場人物たちや、反面教師として配された石丸謙二郎演じるマイナス思考の男などを通して描かれる映画全体のメッセージは、「無理だと思っても無意味だと思っても、やらないで何の成果も出さないより、やって成果を上げる可能性に賭ける方を選ぶべき。」という、いわば「前のめりな生き方」を訴えている。
 しかし、映画の作りは「前のめり」とは全く逆で、ラスト数分間できれいなオチをつけることが第一目的で、それまでの2時間弱はオチのためのお膳立ての時間に過ぎないという意図が感じられる。
 だから、後半のパンクロックの演奏シーンが、前のめり映画を象徴するようにホットに盛り上がらなければならないのに、映画の雰囲気がひたすらクールなので、盛り上がりたくても盛り上がらせてもらえず、歯がゆい思いをしながら映画を観ることになった。
 もういい加減このような、ストーリーを複雑にしてそれを繋げてみせて映画を知的に見せることなんか、やめた方がいいと思う。
 映画は知的であるよりエモーショナルであるべきで、知的にして観る側に頭を使わせることを強いると、見る側の気持ちを冷めさせることになるから。
 映画は、頭で観て感心するより、心や体で観て感激したい。
禅 ZEN ★★ 伝記系 日(角川) ミニチェーン 2009/02/22 14
 道元の生涯を描いた、曹洞宗の宣伝的な映画であるとはいえ、一言で言えばとても中立な映画。
 道元をいかにもな偉人として描くとか、他の宗派と比較して優位点を強調し過ぎるようなことはなく、他の宗教や宗派の人にも抵抗無く受け入れられて、曹洞宗の教えを解りやすく理解できる内容になっている。
 道元やその弟子たち以外の登場人物の人間くさいドラマを加えたり、映画表現においても瞑想のような非現実的なイメージをGMで映像化したりなど、解りやすさや親しみやすさを重視しつつ、決して多用しないという中立中庸ぶり。
 ただ、ここまで当たり障りの無い映画だと、逆に本当に作る意味があったのか?誰に向けて何のために作った映画なのか?という疑問がわき起こる。
 映画って、作り手の自己主張が表れていて、観る者の心を揺さぶってこそ作る方も観る方も意味があるんじゃないの?
罪とか罰とか ★☆ お笑い系 ミニシアター 2009/02/21 13
 全編を悪ふざけで覆いつくすことを目指した映画なのだろう。
 その結果、「頑張って面白い映画を作ろうとして出来た面白い映画」より、「深く考えずにお気楽に作って、その結果面白い映画になっていた」の方が素敵、だと思っているのかもしれない。
 はたして、適当に作ったことが効を奏した映画の成功例があったかどうかは思いつかないが、「深く考えなくていい映画」ならば、深く考えずに「面白くなかった」って結論でいいかな?
 出演者的には、可愛くも不細工にもしてもらえなかった璃子ちゃんはじめ、ものすごく気合を入れて演じたものの、出演シーンが面白くなかったので報われなかった奥菜恵や、顔すらまともに写してもらえなかったサトエリなどは、ゆるゆる演出の被害者か?
 その反面、クセ球をのびのび投げさせてもらえた麻生久美子と安藤サクラが、相対的に目立つことになってしまった。
天使の眼、野獣の街 ★★☆ ドラマ系 香港 ミニシアター 2009/02/21 12
 多数の監視カメラによる遠隔集中監視や高性能の盗撮盗聴機器、そして昔ながらの眼力や記憶力やチームプレイなどを駆使して容疑者の尾行や張り込みの捜査を描き、主人公を新米捜査官に設定し彼女の成長モノとして展開することで、捜査官の人物像をより的確に描こうとしている。
 その結果、彼らの仕事振りがリアリティたっぷりに描かれていて、全編緊張感にあふれた映画だった。
 まぁ、難点は「『リアリティと緊張感』止まりの映画」だったことで、ストーリーや登場人物たちにもっとふくらみがあったらなぁ、と思った。
グロテスク ★★ プレイ系 ミニシアター 2009/02/15作成
2010/06/27更新
11
 「愛する人のためなら死ねる」という台詞は、フィクションの中だけなのか?現実に言う人もいるのか?はっきりしないように、この言葉は実現性に乏しく、よって本気かどうか証明できず、そのことをいいことに軽はずみに言える「きれいごと」のように思える。
 それなら、「この言葉がどういうものなのか、具体的に映像にしてみよう」と思って作られたような、フィクションとしても未だかつてなかったような「愛する人の危機と自分の命、どちらを選ぶかの二者択一を、判りやすい形で示した映画」ということなのだろうか?

 映画の目的はそうであるとして、映画の作りは「プレイ」を描いた「AV」っぽい。
 AVが、AV女優や男優を性的に攻めて肉体をコントロールして、それが精神もコントロールすることになり、その様子をモニター越しに見て楽しむことは、映画の中の監禁する側が「感動」を動機にプレイしていることに似ている。
 ところで、「AV」「プレイ」っぽい映画といえば、『オールド・ボーイ』(★★☆)を思い出す。
 あの映画の復讐の描き方が、精神的というより肉体的な行為をダイレクトに描くことを重視していた表層的なことが、「映画」というより「AV」のようだと感じて、「ロマンポルノ」にあって「AV」に無いものが『オールド・ボーイ』に欠けていると思った。
 そして、同じパク・チャヌク監督の次の作品であるオムニバス『美しい夜、残酷な朝』の中の1篇「cut」(★)が、イ・ビョンホンを恨む男が彼の奥さんを人質にとって復讐として妻の前で彼をいたぶるという内容で、まさに「プレイ」そのものだったことから、『オールド・ボーイ』のプレイっぽさが腑に落ちた気がした。
 そして今回新たなプレイ映画の『グロテスク』を観て、改めて「『プレイ映画』否定すべきなのか?構わないのか?」と思ったのだが、結局大半のAVがAV以上でも以下でもないように、プレイ映画もプレイっぽいことを問題視して映画ではないように考えるのではなく、重要なのは「面白かったか面白くなかったか」だと思えたのは、個人的に心に引っかかっていたことが解決できて良かった。
 「cut」に不満を感じたのは、監督のプレイ映画作りなんかへの個人的なこだわりが気に入らなかったこと以上に、結局そのことを不問に出来るほど面白くなかったことが大きかったということだ。
 そんなわけで、『グロテスク』はクライマックスのハッタリは面白かったが、そこ以外の虐待部分は意外に工夫が足りなくて一本調子だった気がする。

 あと、ひょっとしたら白石監督はここまで意図して作っていないかもしれないのだが、私の深読みとして…。
 「感動を得るという目的のために、他者を虐待して、その苦痛と立ち向かう姿を見ようとする。」というこの映画の設定は、現実では考えられない異常な発想のように思えるが、実は誰もが知っている形で大々的に実行されている
 それは、「24時間テレビ『愛は地球を救う』」の100kmマラソン。
 「仮に、ランナーが何の苦痛も感じずにすんなり100km完走できたら、視聴者は『感動』を覚えるだろうか?」との問いに対する答えから明らかなように、あのマラソンの目的は完走ではなく、「他人の苦痛を見ることに感動(というよりはむしろSM的な喜び)を感じている視聴者を満足させること。」であり、そんな視聴者の嗜好に合わせて作られた言わば公開虐待である。
 そんな一見良識番組に感動するような人々が高視聴率をたたき出すほど大多数存在し、そんな「自称良識派」が『グロテスク』を良識に反するとして批判するとしたら、こんな「良識」を皮肉っていることはないだろう。
 しかも、『グロテスク』はフィクションに過ぎないのと違って、100kmマラソンはまぎれもない現実だというのに…。
ララピポ ★☆ ドラマ系 ミニチェーン 2009/02/15 10
 性的や経済的に現状に不満を感じ、そこから抜け出そうとする人々を描いた映画。
 脚本の中島哲也監督の作品『パコと魔法の絵本』(★★★)も『嫌われ松子の一生』(★★★☆)も、問題を抱えた人々が悩み苦しむような映画だったのだが、それらに比べるとこの映画は一言で言って弱い。
 その理由は、現状の苦しさの描き込みが弱くて、そこから抜け出さなければならないという切迫感が足りなかったこと、それから、軽めのBGMがメリハリなく常に流れているように、全体的にテンションが低めだったからだろうか?
レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで (【原題】Revolutionary Load、意味:(主人公たちの家の住所)) ★★★☆ ドラマ系 拡大 2008/02/13 9
 人生は無数の選択肢の中から1つだけ選んだ結果で、他の選択肢の方が良かったかもしれないという検証不可能な可能性がある以上、今の自分に満足できるはずがない。
 この映画は一言で言えば「本当の自分はここではなく他のどこかにあるに違いない」と思った主人公の「自分探し」映画なのだが、彼らを単に軽はずみな考えの持ち主ではなく、決して高望みしているわけではなく、自分たちの人生を豊かにしようと真剣に考えている「真っ当な人間」として描くことを徹底していて、安直な映画にはなっていない。
 そして、「真っ当な人々」がスキの無い人間関係を築けるかといえばそうではなく、それぞれ考えていることにズレがあるのが普通なので、その溝に気づいて埋めようとすると、相手がそんな「好意」を「おせっかい」に思って溝がさらに広がったりする。
 身近な人間同士だからこそ「好意」を示す機会も多いし、関係がこじれて口論になった時には赤の他人には決して言えない「図星」を突きつけられることもある。
 「努力すれば願いは叶う」なんていう人もいるけれど、この映画を観ると夫婦や家族においてはあきらめて我慢して「仮面夫婦」となるのも1つの正解かもしれないと思える。
 現に、完全な仮面夫婦ではなくても隠し事の1つや2つあるのが普通だろうし。
 いづれにしても、この映画で描かれていることに関しては「正解」なんて存在しないのだから、例えば精神病患者(本音でしか発言しないキャラとしての、普通人とは違うという設定上の方便)の登場人物を引っ掻き回し役として配するなどして、我々の日常では表れないような、自分についても自分でも意識していないような、人の隠れた問題を見せることを目指した映画になっている。
 人生に数学の問題のように正解が1つだけあり、その解法を見つけられれば幸せになれる、といった「プラス思考100%信者」にとっては、それを否定するこの映画はショックかもしれない。

 この映画の一番のみどころは俳優たちの芝居で、ケイトはいつも通り良いのだが、ディカプリオがひょっとしたら過去最高、少なくとも最近の出演作の中では抜群の繊細な演技を見せていて、見応え満点の映画になっていた。
チェ 39歳 別れの手紙 ★★ 実録系 仏=スペイン=米 拡大 2009/02/08 8
 一言で言えば、『28歳』が「革命の栄光」で、『39歳』は「革命の挫折」、2つ合わせて「栄光と挫折」ということで、2作品合わせて1つの映画と考えた方が良さそうで、『39歳』だけなら何だか解らないままとにかく淡々と敗北しているだけの尻すぼみな映画にしか見えない。
 ゲバラ自身は『28歳』では成功して『39歳』では失敗したという印象はなく、やっていることは同じで、では何故勝利と敗北という異なった結果になったのかといえば、「民衆が協力したかしなかったかの状況の違い?」、「政府側の対処が不十分だったか十分だったかの違い?」ぐらいのことがなんとなく描かれている。
 『28歳』の方が「理想」で、『39歳』の方が「現実」で、2つ合わせて「頑張れば成功するのが当然だと思っていたけど、改めて現実はやっぱり厳しく、最後は成功するというのは「理想」で、「理想」が当たり前であるほど甘くなく、むしろ夢のまた夢だということの映画だという気もする。
オーストラリア ドラマ系 拡大 2009/02/08 7
 まるでプロモーション・ビデオ、もしくはゲームのような映画だった。
 数分間の音楽のPVなら、ストーリー仕立てのものでもストーリーはあくまで「ストーリーらしきもの」で、映像がいかにキャッチーかが出来の決め手の90%ぐらいといった構造。
 でも、映画なら「ストーリーらしきもの」程度ではもの足りないし、映像も「心を揺さぶられる」ぐらいのものであって欲しい。
 で、この映画は、ストーリーが
  「困難が立ちはだかりました。克服しました。でも誰かが死にました。」
といったエピソードがいくつか繰り返されるだけの薄っぺらさで、それに対して映像はPVみたいに小細工を多用して凝っているのだが結果は上滑りするだけだった。
エレジー ★★★ ドラマ系 ミニチェーン 2009/02/08 6
 冒頭の「体は老いても、頭の中は若いときと変わらない。(相変わらず女好き)」みたいな台詞が印象的。
 恋に関する思いは、嬉しさよりも悩ましさの方、特に「葛藤」というものがつきものなのか?
 ベン・キングスレー演じる主人公のように、長く生きていることもさることながら、恋の経験も豊富で、芸術評論家という物事を客観視することに長けている人なら、恋に深入りしない方がいいということが解っていてもどんどんハマってしまう。
 年をとると、「年甲斐もなく」と言われることをやりづらくなったり、若さに適わないことがあったりするのに、恋の誘惑には勝てずに若者のような気分で行動したりもする。
 芸術評論家らしく、ペネロペ・クルスが美的魅力を発するから彼女に惹かれたのが、やがて彼女との関係そのものが大事になって「美」は重要でなくなったりと、理屈がどんどん崩れていく。
 そして、2人とも関係を維持したいと思って二股になったりなどなど、恋に関する人間の行動は不可解なことばかりで悩みの種なのだが、それでも老いても恋していたいという思いは理解できる。
プライド ★★☆ ドラマ系 ミニチェーン 2009/01/28 5
 もっとコテコテのドラマチック過ぎる映画かと思っていたのだが、変だったのは日本刀を(音大生なのに本格的な殺陣で)振り回したり、ワンルームの部屋にどうやって入れたのか判らない巨大なダブルベッドがあったりするくらいで、判りやすいウケ狙いは抑え気味で、全体的には困難に立ち向かいながら歌や恋で幸せを掴んでいこうする人々を人物重視で描いていて、きれいにまとまった映画にした感じ。(もうちょっと濃い味付けでも良かったと思うけど。)
 歌のシーンをエモーショナルに盛り上げるなど、シーンや登場人物を要所要所で魅力的に見せるているのは、さすがの金子修介監督。
ヘブンズ・ドア ★★ ファンタジー系 ミニチェーン 2009/01/27 4
 心に傷をもつ女の子と青年の2人だけの世界といえば、『シベールの日曜日』(★★★☆)などでもおなじみのある意味必勝パターンで、さらにここでは「逃亡」という、映画をよりファンタジックにする要素まで加わっているので、それなら映画の目指す方向は「心ときめくファンタジー」だと思うのだが、結果は「選択と集中」が不十分だったのか、『シベール〜』の20%程度。(でも、20%あれば良しとすべき?)
 映画を引っ張っていたのは主演2人の魅力で、麻由子ちゃんと長瀬なら第二のパトリシア・ゴッジ&ハーディ・クリューガーになれるかも?とは思えたが、やはり可能性じゃなくて成果を見たかった。
 それから、三浦友和は『台風クラブ』の先生役以来、あのような「ダルい大人の役をやらせたら日本一」ぶりをここでも発揮していた。
チェ 28歳の革命 ★★☆ 実録系 仏=スペイン=米 拡大 2009/01/18 3
 チェ・ゲバラが同志たちと共にメキシコからキューバに潜入して武装闘争をして革命の達成を目指す1950年代後半と、国連総会で演説をするためにニューヨークを訪れた1964年とをフラッシュバックすることにより、前者で活動そのもの、後者で中南米の貧富の格差問題(世界レベルと比べれば格差のうちに入らないかもしれない今の日本とは程度が違う)を武力による革命で解決しようとするストレートな意思を描く。
 その描き方は客観的で、ただでさえ実話はドラマチックな展開に欠けがちのところ、極めて淡々としたものになっていた。
戦場のレクイエム ★★ ドラマ系 中国 ミニチェーン 2009/01/18 2
 1940年代後半の中国共産党と国民党の内戦から、その終戦後の1950年代に至るまでの、共産軍の連隊長の話。
 とはいえ、政治的な要素は全く無く(検閲に引っかかるから?)、戦友のために体を張って戦ったり、亡くなった部下のために体を張ったりという、とても小さい世界で生きている人々が描かれる。
 「人情」で生きる人間というのは、人間臭くて身近に感じる反面、戦争という非常事態においても身近な人々だけを相手にすることになり、「何故戦っているのか?」、「何のために戦っているのか?」といったことに考えが向かわない。
 自分の行動の意味に対して無思慮な人間、つまりは主人公が「戦闘マシーン」、「戦友供養マシーン」のように思えてしまうと、戦争映画としては居心地が悪くなる。
 そんな人間だから、戦友の中でも特に身近な人間が戦死して初めて、投降した敵を捕虜にせずに殺そういうことを「情」で正当化するような描き方なのだが、行為自体は『私は貝になりたい』の中居くんと比べると何万倍も立派な戦争犯罪だったりするのである。
サーチャーズ 2.0 ★★☆ 象徴系、お笑い系 ミニシアター 2009/01/18 1
 映画の中の台詞「正義!ガソリン!復讐!」(順番は違ったかも)は、9.11を受けてのイラク戦争を正当化するアメリカ人としてのもので、こんなノー天気なことを言う主人公をはじめ、バカな人たちがさまざまなバカな言動をするバカ映画。
 でも、バカとはいっても特殊な人々ではなく、抜け目の無い賢い人間の方がむしろ現実にはありえない。
 それこそ、「正義!ガソリン!復讐!」の精神でイラク戦争を支持したアメリカ人の方がかつては大多数だったように、この映画の主人公たちのようなバカはむしろ当たり前。
 そんなバカたちがはびこって戦争、環境破壊、お金をめぐる関係、映画製作や映画にまつわるマニアック話などなど、重大事から無意味なことまで、この世は決して筋道が通っているのではなく、良くも悪くもバカ原則で動いていることをよく表している映画だった。
 こんなにもバカな人類の存在って、罪深くて哀れでちっこくていとおしいと思う。


2009年公開作品(2008年以前に鑑賞) (7作品) 2009/02/07

タイトル 採点 分類 上映形態 製作国 公開規模 更新日 累計
ザ・ムーン ★☆ ドキュメンタリー 試写会 ミニチェーン 2009/02/08 7
 ケネディ大統領の「60年代中に月面に人類を送る」という演説からアポロ計画の終わりまでの膨大に存在するであろうエピソードの中から、アポロ11号の初着陸やアポロ13号の事故を中心に、NASAの映像や宇宙飛行士たちのインタビューによって作られたドキュメンタリー。
 はっきり言って、一番有名なエピソードを超月並みな手法で作られた映像ダイジェストなので、内容的にも量的にも全く物足りなくて、もっと見たい、他のエピソードも知りたいという欲求が膨らんだだけ。
マンマ・ミーア! ★★★☆ ミュージカル 試写会 拡大 2009/02/02 6
 この映画に関しては、具体的な誉め言葉というものがほとんど思い浮かばない。
 ただただ、ABBAの名曲の連発に圧倒されたとしか言えない。
 ストーリーも全然たいしたことないけど、そんなことは気にならない。
 以上。
 ・・・で締めてもいいのだが、これだけだと感想文としては内容がなさ過ぎなので、以下にこの映画の感想にはあたらないかもしれないけど、筆者は感想のつもりでいることを書く。

 私が一番好きな曲といえばバグルスの「ラジオスターの悲劇」で、その次がABBAの「ダンシング・クィーン」だった。
 どちらも判りやすいメロディアスな曲で、キラキラした感じのアレンジ。
 で、『マンマ・ミーア!』を観終わって2つの曲を比べると、「ダンシング・クィーン」の方がいいと思うようになった。
 その決め手は、よりクセが無かったから。
 単に好きな音楽というのなら曲のクセの有無なんて気にしない、むしろクセがあるほうが面白いと思うかもしれないのだが、「一番好き」なのは何か?となると、クセのある邪道っぽいものはハズして定番っぽい王道のモノを選ぼうとしてしまう。
 食べ物で言うと、一番好きなのは結局は「みそしる」になってしまうようなもの。
 この「定番」の何が強いかというと、状況を選ばないということで、みそしるは一流の料理人でなければ上手く作れないかと言われれば、そんなことはなくて家庭のものでも美味しいし、食材だって高級なものでなくても、ジャガイモのような庶民的なものだって問題なく美味しい。
 『マンマ・ミーア!』のABBAのの曲は、メリル・ストリープのような歌もダンスも本職ではなく、見た目も年相応にイケてない(バカにしてるわけではない、念のため)人たちによって演じられるのだが、むしろそんな彼女たちが活き活きと歌って踊る姿を見せているからこそ、これが「プロの技を見せるための音楽」ではなく「誰もがカラオケのように気楽に楽しめる音楽」であると感じることによって、映画としても楽しいものと感じたのではないだろうか?
へばの (【方言】舞台となる青森県六ヶ所村あたり、意味:「それじゃあね」(別れ際の挨拶)) ★★ ドラマ系、感覚系 映画祭TAMA CINEMA FORUM第9回TAMA NEW WAVE ミニシアター 2009/02/08 5
 この映画、いろんなところでリアリティをあえて無視しているか、意識的に象徴としてウソを描いているか、或いはかなり無頓着であるか、と思われる。
 数年数ヶ月の話なのに、常に雪景色なのは地方の象徴?
 吹雪いている夜に窓ガラスの無い蔵の中で全裸でセックス。
 その他、多数の細かい部分。
 そんなこともあってつかみにくい映画だったけど、細かい部分より映画全体で観る者にインパクトを与えることを目指した映画なのだろう。
かさぶた姫 ★★ ドラマ系 映画祭、2009/01/24公開予定、映画祭TAMA CINEMA FORUM(ビデオ上映) ミニシアター 2009/01/18 4
 惜しいなぁ。
 前半は芝居のノリが良くて素晴しかったのに、後半になると湿っぽいシーンが長く続くようになってしまった。
 いつも卑屈になっている主人公を激励するような映画なんだから、映画自体を必要以上に悲劇的な展開にして卑屈っぽい雰囲気の映画にして欲しくなかった。
はじめての家出 ★★☆ ドラマ系、感覚系 映画祭、2009/02/14公開予定、映画祭TAMA CINEMA FORUM(ビデオ上映) ミニシアター 2009/01/18 3
 登場人物のキャラがどれもこれもユーモラスだし、台詞のやりとりも楽しいし、スクリーンから勢いとか雰囲気とかスピード感とかせつなさとかが感じられるのが良かった。
 特に感激したのは「とび蹴り」で、あれは映画的なセンスがある人にしか撮れないショットだと思う。
約束の地 ドラマ系 映画祭、2009/01/31公開予定、映画祭TAMA CINEMA FORUM(ビデオ上映) ミニシアター 2009/01/18 2
 映画全体が、ラストシーンに象徴されるように「善意」が「これ見よがし」なのが嫌で、何故「さりげなく」「自然に」できないのかと思う。
 でもそれ以上に、映画は「テレビドラマ」や「アニメ」に対して演出の深みで優位性を示さなければならないのではないか?
 私が時々「テレビドラマみたい」とか「アニメ演出」とか言うのは、人間の感情が喜怒哀楽の4種類しかなくて、しかもそれぞれ「怒れば声を張り上げて怒鳴る」とか「悲しければ大泣きする」とか、パターンでしか演技付けしないような演出をしがちだから。
 映画なら「解りやすさ」に対する要求が少ないから、人間の感情が4種類ではなくもっと複雑だっていうことなど、じっくりと演出して示してほしいものだが、それゆえテレビやアニメ並の「パターン演出」をしている映画を観ると、本当にガックリしてしまう
年々歳々 ★☆ ドラマ系 映画祭、2009/02/21公開予定、映画祭TAMA CINEMA FORUM(ビデオ上映) ミニシアター 2009/01/18作成
2009/02/07更新
1
 母と娘の2人暮らしの親子が、父(夫)を火事で失ったことを引きずり続けていることを克服していく話。
 ていねいに作られている真面目な映画なんだけど、とにかく真面目過ぎで、映画が硬い、重い、(「幸せになってもいい」というキーワードが何度も登場するなど)くどい、(同じように鬱屈しているシーンが長く続いて)展開が遅い。
 一番好きなシーンは、コンビニの前で子供たちが親の悪口を言い合っているシーンで、映画全般に渡ってあのような「遊び」がもっとあったら、と思う。
 あと、スケジュール上無理だったのかもしれないけど、せっかく花がたくさん映されるのだから、もっと天気のいいときに撮影してたらと思う。


2009年公開作品(スクリーン以外で鑑賞) (4作品) 2010/01/17

タイトル 採点 分類 製作年 国 その他  メディア 公開規模 更新日 累計
感染列島 ★★ ドラマ系 2008、日本(東宝)、カラー、1:1.85、ドルビーステレオ、138分【監督&脚本】瀬々敬久【出演】妻夫木聡 檀れい 国仲涼子 田中裕二(爆笑問題)池脇千鶴 カンニング竹山 光石研 キムラ緑子 嶋田久作 金田明夫 正名僕蔵 ダンテ・カーヴァー 小松彩夏 三浦アキフミ 宮川一朗太 馬渕英俚可 田山涼成 三浦浩一 武野功雄 仁藤優子 山中聡 吉川美代子 山中秀樹 下元史朗 諏訪太朗 佐藤浩市 藤竜也 他 WOWOW(録画) 拡大 2010/01/03作成
2010/01/12更新
4
 感染力と致死率が高い正体不明の伝染病が、主に日本のみで大流行するストーリー。
 想像では、
  (1)パンデミック発生時の医療機関の対応マニュアルを元に、それを映像化してリアリティのある映画にすることが基本。
  (2)それだけだとただのシミュレーション映像にしかならないので、主役の2人の恋愛という設定を追加。
  (3)さらに多くの人々の別離のエピソードを追加して、ドラマに厚みがあるっぽく見せる。
という発想で作られた感じ。
 結果的には、(1)はそれなりに出来ているが、(2)と(3)の狙いは成果不十分。
 おまけに、主に病院内が舞台で医療関係者たちの姿を描いたストーリーで、それに対して患者や一般人の立場のシーンは少ない。
 だから、「医療関係者は働きづくめになって大変だなぁ。」とは思えても、身に迫るエピソードは少なく、映画的には面白味に欠ける。
 例えば、鳥インフルエンザを発生させた養鶏業者(光石研)一家が伝染病の発生源と決め付けられてマスコミや娘(夏緒)が通う同級生たちに罵倒され、責任を感じた光石が自殺した後、病気はインフルエンザではなかったと判って、娘が父を追い詰めた人々を「人殺し」呼ばわりするエピソードがあるが、私だったら娘が1人づつ殺していく復讐劇で映画を1本作っちゃう方が、映画としても面白いし、無責任なバッシングの罪深さを知らしめる意味でも『感染列島』よりも有意義な映画になるんじゃないか?なんて思ったりする。
スター・トレック (原題:"Star Trek") ★★☆ ドラマ系、感覚系 2009 米 HDDレコーダー(WOWOW) 拡大 2010/01/17 3
 言わずと知れた往年のテレビと映画のシリーズの新作で、その主要登場人物たちの新米時代のエピソードを、新たなスタッフ&キャストで描いている。
 こうした多数の固定ファンが既に存在する題材の新作は、大ざっぱに「内向き」と「外向き」の2種類に分けられる。
 前者は、固定ファンを満足させることが第一の目標で、門外漢のことなど考えていないどころか、「無知」だと見下す取り巻きがいたりする。
 こうしたシリーズの先行きは、「ゴジラ」のように高齢化&ジリ貧と決まっていて、「ガンダム」もそうなりつつあるだろう。
 その点、この『スター・トレック』は見事に外向きで、何の知識のない人が観ても、見せ場が手際よく展開していく良く出来た新作の1つとして楽しめることが素晴らしい。
大阪ハムレット ドラマ系 HDDレコーダー(WOWOW) ミニシアター 2010/01/17 2
 これって、最後の方で「子供向けの児童映画だったの?」と思った。
 そうでなければ、無難止まり、人がいい止まりで、それ以上は何も無い、「なんじゃ、こんなもん!」な映画。
希望ヶ丘夫婦戦争 ★☆ ドラマ系 2009 日 HDDレコーダー(WOWOW) ミニシアター 2010/01/17 1
理想の夫婦象を求めて、インポの夫と欲求不満の妻がそれぞれ奮闘する話は、全然変ではないし、映画の出来も悪いわけではない。
 でも、「そつの無い映画」ってだけじゃ、今の時代に存在価値は発揮出来ないなぁ。



映画祭/上映会/公開未定作品 (5作品) 2010/01/17

タイトル 採点 上映形態 製作年 国 分類 更新日 累計
クロネズミ ★★☆ 映画祭(ビデオ上映) 2009 日 感覚系 2010/01/17 5
 この映画も『エクスクロス』同様、悪乗り上等の楽しい映画で、特に前半のクロネズミのお茶目な振る舞いは最高。(かぶりもので演じていたのは、ほとんど清水美花だったとのこと。)
 まあ、設定とかキャラとか行為とか、どこかの映画などで見たことある気がするけど、観ているときに楽しめればそれだけで単なるパクリだけではなくなるのでOK。
キヨミの呪い (?) ★☆ 映画祭(ビデオ上映) 2009 日 感覚系 2010/01/17 4
ラムネ ★★★ 映画祭(ビデオ上映) 2009 日 ドラマ系、感覚系 2010/01/17 3
 ストーリーが『月とキャベツ』っぽい。
 篠原監督の発案なのか?それとも、脚本と企画は別の人なので、ストーリーが先で、後から篠原監督の起用が決まったのか?
 でも、ストーリーが似ているだけで問題にするわけではない。(どんなこと言ったら、起承転結の映画は全部パクリになっちゃう。)
 それ以上に、久々に篠原マジックを感じた作品だった。
 大作よりも低予算で本領発揮って、なんか変だけど、邦画の大作が万人ウケなどを狙ってつまらなくなりがちということか?
 主人公演じる清水美花に、80年代の相米慎二作品のヒロイン少女のような、台詞をハッキリ言う芝居をさせていた。
 撮影期間は今年の夏に6日しかなかったらしいけど、クランクイン前にリハーサルを1ヶ月やったということで、その成果が出たということか?
 役者が魅力的に見えることが作品の出来に重要であることを認識して、そのために芝居をきちんとさせてそれをフィルムに抑えるべく撮影などにも注力し、そうして鍛えられていくことが新人俳優にとって何より幸せだと思うし、そしてそうした作り手たちの努力が作品の出来に反映していることを観る喜びって本当に嬉しい。
大人になった夏 映画祭(ビデオ上映) 2009 日 ドラマ系 2010/01/17 2
 監督によれば、13歳の女の子たち3人の成長をストレートに描いたということで、確かにヒネた感じのない真面目な作りの作品になっていた。
 でも、観る方にとっては、愚直なだけがとりえじゃ映画の面白味がない。
 まぁ、撮影は油壺あたりの民宿で今年の夏に4日間ということで、時間的や予算的な制約が大きかったせいで、映画としての肉付けをする余裕が無かったのかもしれないけど。
 民宿が常連客たちにしたわれている感じのリアリティが無かったことを筆頭に、作品のフィクションとしての弱さがが全体を覆っていて、味気ない。
 お金が無かったのか?
君と歩こう ★★★ 映画祭(ビデオ上映) 2009 日 ドラマ系、お笑い系 2010/01/17 1
 石井監督の映画はやっぱり面白い。
 その面白さは特に芝居のリズムの面白によっていて、演出によって感覚的かつ確信的に面白くできるところが、「計算された」とか「緻密な」といった形容詞で(ストーリーが)面白いと言われている他の新人監督よりも優れているところ。
 例えれば、他の監督が定規で直線的な線の絵しか書けないところ、石井監督はフリーハンドでスラスラと描いている感じ。



ビデオ、劇場上映 (作品) //

タイトル 採点 分類 更新日 累計



2008年公開作品(2009年に鑑賞) 2009/06/29

  8作品 (日=4/米=1/英=1/スペイン=1/香港=1)

タイトル 採点 分類 製作国 公開規模 更新日 累計
大丈夫であるように-Cocco終わらない旅- ★★★ ドキュメンタリー ミニシアター 2009/03/12作成
2009/06/29更新
8
 この映画の中で、Coccoは世の中のいいことも悪いことも、感じたまま考えたままに受け止め、そんな気持ちを思ったままに装飾なしの言葉にして発したり、心の中のモヤモヤも歌にして発散している。
 頭でっかちではなく気持ちで生きているそんなCoccoの日常や音楽活動を記録したドキュメンタリーで、作風もそんな彼女のまっすぐなキャラに沿っているようにシンプルで、激しいカット割りはしないで、1台のカメラで撮影しているような編集になっていて、彼女の傍らで彼女を見つめ続けているような気分になる。
 実に的確な映画で、あえて難癖をつけると、Coccoを撮ると決めた時点でいい映画になることが約束されているように思え、そして当たり前過ぎる結果になっていること。
ファニーゲームU.S.A. ★★☆ メタ映画系 ミニシアター 2009/01/26
2009/01/27更新
7
 内容的には『ファニーゲーム』(1997 オーストリア)とほとんど同じなので、共通部分の感想はそちらを参照。
 どのくらい同じかというと、「リメークではなくコピー」と言われたガス・ヴァン・サントの『サイコ』(★)の上をいっていると思う。
 『ファニーゲーム』との相違点をまとめると、
<ほとんど同じ点>
 ストーリー、台詞、カット割り、構図、セット
<変わった点>
 ・青年たちの衣装が、半ズボンが黒かったのが、それも含めて全体的に白一色に変わった。
 ・青年役のキャスティングも、黒髪から色白ブロンドにして、冷酷さと表面的な好印象を強調。
 ・室内の照明をより明るくして、表情が判りやすくなった。
 ・温室でペンチを探すシーンを1つ追加
 ・主役がハリウッドスターで、台詞はドイツ語から英語
となり、俳優を入れ替えてそのまま機械的に作り直しただけで、「リメイク」というよりは「焼き直し」、「アメリカ映画しか観ないアメリカ人向けのローカライズ」というのが適当。
 日本なら「外国映画は字幕とか吹き替えでそのまま観られるから、わざわざ同じものをもう1本作り直す必然性が解らない。」となるところ、アメリカ人に見せるためだけとはいえ、コストに見合ったアメリカ市場での興行収入が望めるなら作る意味があるのだろうが、『ファニーゲーム』はアメリカで大々的に興行できるタイプの映画とは思えないので、商売上の理由も考えにくい。
 果たして、主演兼製作総指揮のナオミ・ワッツたちの製作意図は何なのだろう?
Theショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった ドラマ系 ミニシアター 2009/01/21 6
展望台 ★★ ドラマ系 【監督】阪本順治 2009/01/21
 ダメ中年と生意気少年によるドラマは、阪本監督の得意分野なのか、サラッとしていても楽しめる。
TO THE FUTURE ★☆ ドラマ系 【監督】井筒和幸 2009/01/21
 大人が教育において強圧的な態度を取ると、子供も暴力的に育っちゃうよというメッセージが、解りやすくて前面に出過ぎていて、もっと楽しめる映画だと良かった。
 せっかく光石研がオーバーな芝居をしているのに、面白さを感じる代わりにその意図の方が気になってしまった。
イエスタデイワンスモア ★☆ ドラマ系 【監督】大森一樹 2009/01/21
 なぁ〜んか、5作品の中で一番どうでもいいと思ってしまった。
タガタメ ★☆ ドラマ系 【監督】李相日 2009/01/21
 観ている間はそれなりに引き込まれたんだけど、結局印象に残ってないなぁ。
 何故だろう?
ダイコン〜ダイニングテーブルのコンテンポラリー ★★☆ ドラマ系 【監督】崔洋一 2009/01/21
 子供の映画というイメージの逆を行って、かつての子供たちのなれの果ての大人たちが、ダイニングテーブルに象徴されるような非常に小さな世界の中で、世の中を裏表を知り尽くしたように冷めた批判をしてみたり(批判するだけで何もしない)、家族などに身近な人を相手に文句をいってみたりという姿を描いて、それを目にすることで「こんな大人たちにはなるなよな」という子供へのメッセージが、ゆるい描写とは逆に強烈。
エグザイル/絆 ★★★☆ 感覚系 香港 ミニシアター 2009/01/21 5
 銃撃戦の映画を手がけている監督は、やっぱりそのジャンルの金字塔である『ワイルドバンチ』(★★★★)みたいな映画を撮ってみたいと思っちゃうんでしょうかねぇ?
 過去の傑作に敬意を込めて、それを下敷きにして同じような新作を作ってみたいという思いで作られた映画としては、ほぼベスト。
 「パクリ」「オマージュ」「リメイク」などという言葉を安直に使う人たちとは志が違う。
バンク・ジョブ ★★★ ドラマ系 ミニシアター 2009/01/18 4
 銀行の金庫を破る窃盗団と、盗み出した後に新たな問題が起こるストーリー。
 『突破口!』(★★★☆)や『ホット・ロック』など、似たような映画は過去にたくさんあったが、それら傑作群と比べても遜色の無い、堂々とした面白さの映画。
 特に、実話を元にしたという二転三転するストーリーがいい。
永遠のこどもたち ★★☆ 感覚系、ドラマ系 スペイン ミニシアター 2009/01/18 3
 古い洋館を舞台にしたホラーで、その雰囲気を生かしつつ、新しいホラー描写も取り入れている。
 失踪した子供が養子であることから、より愛情を問われることに対抗するかのように、失踪した子供を探す母親の設定がホラーのストーリーに上手く絡んで展開してきれいな落ちをつけるなど、よくまとまっている映画だった。
悪夢探偵2 ★★★ 感覚系、ドラマ系 ミニシアター 2009/01/18 2
 他人の心が読めてしまうことや、他人の夢の中に入ってしまう能力をもった人間の苦悩の話だが、人と人とのコミュニケーションにおいて、本音を見せないこと、コミュニケーション自体が無くて相手のことを知りたくても判らないことなどの問題も描かれる。
 塚本監督は、今回もカメラワーク、照明、編集、セット、衣装、俳優のヘアスタイルなど、ありとあらゆるヴィジュアル的な要素において、完璧と言いたくなるような仕事振りで素晴しい。
うん、何? ★☆ ドラマ系 ミニシアター 2009/01/18 1
 例えば、「米は何千年も前から日本人が食していて、他の食べ物とは違って日本人にとっては特別で神聖な存在」などという言葉でごばんの素晴らしさを訴える人がいるが、私にとってはそんな言葉や稲荷神社の存在に象徴されるような神格化されたイメージとは無関係に、「食べたくなる食べ物」だから好きだということの方がはるかに重要。
 「言葉」を重要視する人なら宗教的なものに惹かれるのだろうが、自分の「感覚」を信じることを重視する私は、感覚的に訴えてくる「映画」の方にむしろ惹かれる。
 だから、『うん、何?』が映画として作られているにもかかわらず、「故郷は大事」「伝統は大事」「家族は大事」などということを言葉レベルの表層的にしか描かれてなく、それらが「どう大事」なのかということを「実感」できる映画ならではの表現になっていないことが不満。


2008年公開作品(2009年に映画館以外で鑑賞) //

タイトル 採点 分類 更新日 累計


2009年に観た旧作 (5作品) 2010/01/25

タイトル 採点 製作年 国 分類 上映形態 更新日 累計
棒の哀しみ ★★★ 1994 日 ドラマ系 映画祭(35mm上映) 2009/09/30 5
濡れた欲情 特出し21人 ★★☆ 1974 日(日活) 感覚系 映画祭(35mm上映) 2009/09/30 4
恋人たちは濡れた ★★☆ 1973 日(日活) 感覚系 映画祭(35mm上映) 2009/09/30 3
意志の勝利 (原題:Triumph des Willens、意味「意志の勝利」) ★★★ 1935 独 ドキュメンタリー 映画館(ビデオ上映) 2009/09/20作成
2010/01/25更新
2
 ヒトラーの演説って、文言だけなら社長の訓示みたい。
 例えば、「我が国(社)の未来は明るい!」とか、「国民(社員)が頑張れば、我が国(社)は発展する!」とか。
 それほどまでに時代のギャップを感じない。
 後世の人間が後出しジャンケン的に見れば、「我が民族の純血」という言葉がナチス幹部の演説にチラッと表れて、それはホロコーストに結びつくのだが、この第二次大戦開戦4年前の映画の中には、他民族に対しては具体的に何も言っておらず、ユダヤのユの字も出てこない。
 つまり、今の時代に野望の持ち主がいても、よほど用心しないと普通に受け止めて見抜けないおそれがあり、わずか数年後にはとんでもない事態になりうることがあり、現に70年前にそれがあったということ怖い。
ファニーゲーム ★★☆ 1997 オーストリア メタ映画系 映画館(35mm上映) 2009/01/25 1
 青年2人組のリーダー側が、スクリーンから客席に向かって話しかけたり、映画の尺やオチが適切かを気にしていたり、挙句の果ては、展開が間違っていると感じたら、巻き戻して映画の展開を修正したりしている。
 つまり、彼らはゲームを仕掛けているのと同時に映画を作っているのであって、それは「ゲーム」と「映画」には共通点が多いことを意味している。
 青年たちはゲームをさらに面白くするために、命がけのものにしたり、逃げ道のないものにしているが、それは映画の緊迫感を高めて面白くするための設定上の常套手段でもある。
 そして、なぜ映画の作り手がそのようにして映画を面白くしようとするかといえば、それはお客さんがそんな映画を面白いと感じて望んでいるからである。
 つまり、この映画で青年たちが行っていることは、映画の観客に代表される普通の人々が暗に見てみたいと思っていることなのである。
 そして、その望んでいることというのは、ゲームや映画のフィクションの世界では必然的に誰かを傷つけることによってなされるのだが、お客さんはこの作品でその傷つけられる人々に肩入れして不快な思いをしてしまう。
 傷つけられているのはフィクションであるにもかかわらず、まるで現実であるかのように不快な思いをしてしまう。
 ということは、フィクションと現実は明確に分かれているものではなく、人は簡単に混同してしまうということである。
 つまりフィクションの中の暴力行為と人々の心の中の暴力的な思いはつながっているのであり、ひょっとしたら、フィクションの暴力行為のエスカレートが人々の暴力感情のエスカレート、さらには実際の暴力行為を誘発していることだってありえる。
 (この「現実とフィクション」という、きっちり分かれていると思われている2つの世界が実はつながっているかも知れないというのは、映画の中で「物質世界と反物質世界」「虚像(=映画)は実像」という台詞でも表されている。)
 単に「暴力反対」と訴えるだけなら小学生でもできるが、「なぜ『暴力反対』と訴えなければならないかといえば、誰の心にも暴力的なものが潜んでいるので、各自が自身を爆発させないようにしなければならないから」というところまで描いた、本当の意味での反暴力映画だった。



映画のページ
    ┃
    ┣ 映画の感想 2009年
    ┣ 映画の感想 2008年
    ┣ 映画の感想 2007年
    ┣ 映画の感想 2006年
    ┣ 映画の感想 2005年
    ┣ 映画の感想 2004年
    ┣ 映画の感想 2003年
    ┣ 映画の感想 2002年
    ┣ 映画の感想 2001年
    ┣ 映画の感想 2000年
    ┣ 映画の感想 1999年
    ┣ 映画の感想 1998年
    ┃
    ┣ 2009年に観た映画
    ┣ 2008年に観た映画
    ┃
    ┗ 掲示板

メール

Copyright (C) SALVAGE, 2009-2010, All rights reserved
Since 2009/01/18