映画の感想 2009年 2010/08/30 更新
採点基準
★★★★ :人類の宝 (最高) ★★★☆ :絶対必見 ★★★ :観るべき映画 ★★☆ :観ても良い ★★ :中間 ★☆ :観なくてもいい ★ :観る価値はほとんどない ☆ :作者もろともこの世から消えてなくなれ (最低) なし :あえて採点しない(最低ではない)
基本的に、ネタバレがある可能性があります。
文章などの内容には、時々変更や追加が入ることがあります。
2009年公開作品(2008年以前に鑑賞) 2009/02/07
2009年公開作品(スクリーン以外で鑑賞) 2010/01/17
ビデオ、劇場上映 //
映画祭/上映会/公開未定作品 2010/01/17
2008年公開作品(2009年に鑑賞) 2009/06/28
2008年公開作品(2009年に映画館以外で鑑賞) //
2009年に映画館等で観た旧作 2010/01/25
2009年公開作品 2010/06/27
邦画 | 洋画 | 米 | 英 | 仏 | 伊 | スペイン | ポーランド | 豪 | 韓国 | 中国 | 香港 | タイ | セルビア | 計 | ||
拡大公開作品 (東京都心で4館以上かつ全国で200館程度以上で公開) | 10 | 21 | 16 | 1 | 2 | 1 | 1 | 31 | ||||||||
ミニチェーン作品 (東京都心で3館もしくは全国で100館程度で公開) | 15 | 13 | 9 | 1 | 2 | 1 | 28 | |||||||||
ミニシアター作品 (東京都心で2館以下で公開) | 35 | 24 | 11 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 59 | ||
計 | 60 | 58 | 36 | 3 | 3 | 1 | 2 | 2 | 1 | 4 | 3 | 2 | 1 | 1 | 合計=118作品 |
【註】上の表の国の区分けは、データベースなどの表記による正式なものに代わって、台詞の言語、主なスタッフやキャストの国籍などによります。
例えば、『片腕マシンガール』は正式にはアメリカ映画(製作がアメリカ)ですが、ここでは邦画に含めています。
タイトル | 採点 | 分類 | 製作年 国 | 公開規模 | 更新日 | 累 計 |
マラドーナ 原題:"Maradona by Kusturica"、意味「クストリッツァによるマラドーナ」 | ★★ | ドキュメンタリー | 2008 スペイン=仏 | ミニシアター | 2010/01/22 | 107 |
世界は様々な線引きのしかたで2つに分けられるのかもしれない。 先進国と、それ以外の国々。 スマートな考え方で行動する人々と、感情で動く人々。 ディエゴ・マラドーナと、この映画の監督のエミール・クストリッツァは、どちらも後者のタイプの人間だろう。 この映画の一番重要な主張は、「マラドーナは素晴らしい」ということで、その最大の理由は彼のサッカーのプレイが美しいからで、理屈なんかは全くない。 そして、アメリカやブッシュ大統領が南米の国々に圧力をかけては儲けを独り占めしているとマラドーナが非難しているのも、理屈というよりは「尊大な金持ち国家はとにかく気に入らない」からだろう。 真っ直ぐで熱い心というのは、確かに輝いて見える。 しかし、個人的にはそんなマッチョ(=益荒男振り、肉食系)な考え方に対抗する(手弱女振り、草食系)な考え方の方に理解がある。 なにより、戦争や犯罪につながるのは専らマッチョの方。 マラドーナは、「フォークランド紛争の復讐を、イングランドチームにサッカーで勝ったことで成し遂げた。」と語るが、何より犠牲者が出た現実を重く見ないようでは、詭弁のようにも聞こえる。 サッカーは全世界の多くの人をマッチョ方向へと駆り立てているが、それが必ずしもいいことなのか? 熱狂している人の大多数は男だけのように見えるが、その時女性たちはどこで何をしているのか?などと、引っかかることもある。 ただし、スポーツ選手や芸術家などを評価する際に、当人の人格や思想を道具に都合よく捻じ曲げようという考えには絶対に反対。 だから、何をしゃべろうがどんなに太ろうが、マラドーナはマラドーナだという気持ちはつながっている。 |
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蘇りの血 | ★☆ | 感覚系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/03作成 2010/01/06更新 |
106 |
採石場のようなところを支配する大王に殺された按摩が、死にきれずに極楽行きを拒否してこの世に舞い戻ってくる。 とっつき難いストーリーなのだが、豊田利晃監督が薬物所持事件から復活したことを描いていると解釈すると、とてもすんなり理解できてしまう。(とはいえ、この解釈が正しくないとすると、全くの見当違いになるのだが。) これまで生きてきた人生のフィールドに戻ってこないで、いっそのことあの世のような世界に行ってしまえば楽になるのかもしれないが、主人公は肉体的ハンデを背負いながら現世で生きることを選ぶ。 そして、そんな手負いの彼を助けたのは、数々の人々の援助や、化学物質などの人工物とは真逆の森や「蘇生の湯」などの自然から受けたエネルギー。 ただし、この解釈が正しいとしても、具体的なことを抽象的な形で見せるなんて、まわりくどいだけ。 それとも、そもそも深読みされるような具体的な意味が無く、観たままの映画だとしても、森の中などの映像が神秘性がいまいちで、映画全体を引っ張るだけのインパクトがない。 |
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カティンの森 | ★★☆ | ドラマ系 | ポーランド | ミニシアター | 2010/01/03 | 105 |
第二次大戦中、ソ連がポーランド軍将校の捕虜を大量殺害した事件を元に作られた映画。 殺戮の怖さは誰でも想像がつくが、本当に怖いことが起きたのは戦争が終わった後だった。 歴史が都合よく書き換えられ、真実を知る者の口を恐怖政治でふさごうとする。 戦争といえば、戦場で兵士たちが大量に殺されることが問題なのはもちろん、戦争が終わった後でも、戦場でもなかった平穏な街でも、兵士でもない人々でも、必然的に日常を蝕むものだという怖さを描いている。 |
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アサルトガールズ | ★☆ | 感覚系 | 日 | ミニシアター | 2009/12/30 | 104 |
冒頭は「現実と虚構」についての硬いナレーションだが、始まってみればゲーム世界を生身の人間が演じているだけみたいで、設定やストーリーに深みは無い。 それなら映画の狙いは、ストーリーではなく映像面であるはず。 その映像の特徴は生身の人間の良さを生かすことで、それゆえの黒木メイサなどの女性陣のキャスティングであり、体の線が出るピッタリの戦闘服を着せたりしている。 それなのに、結果は登場人物にも映像にも魅力を感じなかった。 やる気が無かったとしか思えないくらい。 もしくは、全く苦手なタイプの映画を演出してしまったのか? 押井監督って、女性を魅力的に見せることに対して執着心がないのか?あっても見せる技術が無いのか? |
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THE 4TH KIND フォース・カインド | ★☆ | ドラマ系、ドキュメンタリー系 | 米 | 拡大 | 2009/12/28 | 103 |
ストーリー的には実際の録画と録音を素材に作られた実話となっているが、映像的には紛れも無く劇映画。 劇映画として面白くしようとしている形跡があまり感じられないのは、実話っぽさを強調させたいがためにドラマチックな展開を避けたからだろうか? そのせいか展開が唐突だったので、普通の劇映画のように盛り上がるような展開にするとか、とにかく面白さを目指した方が良かったと思う。 日本映画でこの手の題材の映画なら、ビデオ撮りと再現フィルムの両立ではなく、登場人物が常にビデオ撮影をしている設定にして、その記録を編集して作品を作ったという形にするだろうが、この方が自然だろう。 |
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アバター | ★★★ | ドラマ系、社会派系 | 米 | 拡大 | 2009/12/28 | 102 |
「『アビス』(★★★☆)の人物設定」 + 「『もののけ姫』(★★★☆)の舞台設定」 + 「『ダンス・ウィズ・ウルブス』(★★★☆)のストーリー」といった感じ。 3つの映画の共通点である『大自然などの、人知を超える大きな存在に対する畏れ』、解りやすい言葉でザックリ言えば「エコロジー」は、『アバター』でも描かれている。 とはいっても、10年以上前の3作品と似た映画を改めて作る必然性が無いかと言えば、問題の重要性がむしろ益々問われる状況になってきているので、『アバター』の存在意義はとても大きい。 3作品との違いは、エコロジーと敵対する相手が、資本主義とそれの手先と化している軍隊(つまり帝国主義)であることはまさに現実そのままなのだが、それを名指しで非難している形になってこと。 そして、資本主義などの西欧的な考え方に対抗するものとして、八百万の神のような東洋的思想を示している。 難点としては、環境破壊の危機という内容はまさに今の地球上の問題なのだが、未来の他の惑星の話にしているので、描き方が直接的でないこと。 (それでも、ブルドーザーが森林をなぎ倒すシーンは、まさに今の地球上の映像そのものだったけど。) さらに、『もののけ姫』で描かれていたように人間の営みと環境破壊の間の葛藤は一個人の中にもあるもの、つまり人間誰もが環境破壊者なのだが、『アバター』ではエコに敏感な善玉とエコに無関心な悪玉がすんなりと分かれ過ぎで、葛藤のプロセスは描かれてないに等しい。 そのため、環境破壊は誰か悪い奴のせいであって、自分は全く無関係だと思うという、間違った考え方に結びつきやすい。 映像的には、複雑さを表現できるテクノロジーやテクニックの向上はあるのかも知れないが、印象的なショットは少なかったと思う。 これって、CGは生身の人間などと比べて被写体として質感で劣っているからだろうか? |
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スノープリンス 禁じられた恋のメロディ | ★★ | ドラマ系 | 日 | 拡大 | 2009/12/25 | 101 |
演出的には★★☆で、ストーリー的には★☆。 清く正しい心を称える目新しさの無い内容や制作上のハンデを、表情とそれを捕らえる確かなショットを見せる松岡譲司監督の手を抜かない演出が支える。 |
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コネクテッド (原題:"保持通話 / Connected"、意味「電話がつながった状態」) | ★★★ | 感覚系 | 香港=中国 | ミニシアター | 2010/01/17 | 100 |
これまでのベニー・チャン作品は、大破壊&大爆破の見せ場で押しまくる「やり過ぎ映画」の感があった。 それがここでは、「やりまくり」ではあっても「やり過ぎ」ではなくなっている。 つじつまが合ってなかったり、展開の都合が良過ぎるなど、程々の荒っぽさがむしろ映画を面白くしようという作り手の意気込みを感じさせる。 |
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3時10分、決断のとき (原題:"3:10 to Yuma"、意味「3時10分発のユマ行きの汽車」) | ★★★ | ドラマ系 | 米 | ミニシアター | 2010/01/17 | 99 |
『決断の3時10分』(1957年 ★★)のリメイクで、地味な作品だったオリジナルを、上手い具合に広がりのある映画に作り直せていた。 | ||||||
キャピタリズム〜マネーは踊る〜 (原題:"Capitalism: A Love Story"、意味「資本主義:1つの愛の物語」) | ★★★ | ドキュメンタリー | 米 | ミニシアター | 2010/01/17 | 98 |
マイケル・ムーア作品は、一言で言えばとにかく明快で的確。 内容は、多くの人にとって身近で重要な問題。 作品はその問題解決の手段であり、目的第一なことが明確。 主張には必ず根拠も示す。 解決策も簡単(みんなで選挙に行く)。 はめを外す表現をしても、外し過ぎない。 そして、彼を批判したところで、彼の作品以上の代案も実績も出せていないことで、優位性を示せている。 |
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インフォーマント! (原題:"The Informant!"、意味「情報提供者」) | ★★ | ドラマ系、感覚系 | 米 | ミニシアター | 2010/01/17 | 97 |
どんでん返しだらけの込み入った話を、その面白さを解りやすく見せることよりも、流れるような展開で見せる、洗練重視の映画。 おかげで、 「そういえば、さっきのあそこって、こういうわけで面白かったということか…。」 「観終った後になって、この映画って面白かったのかも、と思えた。」 といった、その瞬間には解らずに、遅れて時間差で面白さを感じる映画になっていた。 これって、映画自体は面白かったということ?やっぱり面白さをはずしているということ? |
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イングロリアス・バスターズ (原題:"Inglourious Basterds"、意味:"Inglorious Busters"「不名誉な駆逐者たち」か、"Inglorious Bastards"「不名誉な奴等」のつづり違い?)) | ★★☆ | ドラマ系、感覚系 | 米 | 拡大 | 2010/01/17 | 96 |
シーンの展開がよく出来ていて緊迫感は抜群なんだけど、タランティーノって深作欣二のことが好きなのに、あの豪快さとはまったく逆の、むしろ極端に言えば小津安二郎のように台詞の言い方やカット割りが折り目正しくて、娯楽映画的にはテンポが落ち着き過ぎな演出をするのは何故だろう? 深作的な方が絶対面白くなると思うんだけど、自分ではやりたくないから?やりたくても出来ないから? 戦争映画って、アルドリッチとかフラーとか、テンポの良い演出が普通なだけに、余計に違和感を感じる。 |
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脳内ニューヨーク (原題:"Synecdoche, New York"、意味:「提喩法、ニューヨーク」、「主人公が自身の人生を喩えて自作した劇中劇、ニューヨーク」) | ★★★ | 観念系 | 米 | ミニシアター | 2010/01/17 | 95 |
人間は平凡で無力でちっぽけな存在だということを終始描いた映画なのに、希望を感じる映画になっているなんて、本当に素晴らしい。 | ||||||
黄金花−秘すれば花、死すれば蝶− | ★★ | ファンタジー系、感覚系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 94 |
死を意識するような年齢の91歳の木村監督ならではの、恐いもの知らずのデタラメな死生観映画。 | ||||||
南の島のフリムン (意味「南の島の憎めないバカ」) | ★ | ドラマ系、お笑い系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 93 |
沖縄出身のお笑い芸人のゴリならではの、コントのようなやりとりのシーンの数々と、沖縄独自性をネタにした映画。 でも、撮るべきは「ネタ映画」なんかではなくて、映画でなければ描けないようなその先のもの、つまり「沖縄の人や風土の素晴らしさ」なんじゃないの? それにしては、人々の表情や風景などのショットが皆無に等しい。 よって、結局は「お笑い番組」と「旅番組」を合わせた程度の、ネタ映画どまりのものにしかなっていない。 同じ吉本興業の芸人の品川ヒロシ監督の『ドロップ』(★★☆)がいい比較対照だけど、あれも「ネタ映画」になりそうな題材を決してそうしないで、中学生の日常的な友情や成長を描いた「映画」になっていた。 ずばり映画として、あっちが「正解」でこっちは「不正解」ということだろう。 |
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非女子図鑑 オムニバス:『オープニング』、『占いタマエ!』、『魁!!みっちゃん』、『B』、『男の証明(あかし)』、『混浴 heaven』、『死ねない女』、『エンディング』 | ★★ | 感覚系、ドラマ系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 92 |
やっぱりオムニバスって、出来が良かったとしても食い足りない。 二口分ぐらいしかない小皿がいくつか並ぶような食事だと、美味くても1つ1つに満足できないようなもの。 そんなわけで、それぞれの出来の良し悪しの比較は出来ないが、出演者で言えば一番印象的だったのは仲里依紗かな? |
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腐女子彼女。 (「ふじょしかのじょ」、意味「美男子の同性愛モノの漫画を見ることが好きな女子が彼女」) | ★ | ドラマ系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 91 |
前半は腐女子の実情をベタに紹介するようなネタor啓蒙だけ、後半はガラッと変わって仕事か?恋愛か?のありふれた選択だけ。 やっぱり、全体的に密度が低くてぬるい映画。 大東俊介は、リアクションなどに頑張って芝居していた。 |
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母なる証明 (原題:"Mother") | ★★★ | 感覚系 | 韓国 | ミニチェーン | 2010/01/17 | 90 |
映画の密度を高めようとする演出の力の入り方がすごい。 これに比べたら手抜きとしか言えない演出が目立つ日本の映画監督の多くと、そんなゆるい演出の映画に甘い日本の映画観客は必見。 度肝を抜かされた冒頭のダンスに加えて、死体のぶら下がり具合や、地面や床を緩やかに広がる水や血や立小便など、具体的な意味は無くても一瞬の映像で気持ちを揺さぶることが出来る。 映画はストーリーや映像などはあくまで手段であって、映画に説得力を持たせたりインパクトを与えるという目的が大事。 その目的を達成するためには、漫然と映画を撮っていてはダメで、どんなに細かいところでもどんな手段を使っても、なにがなんでも映画を面白くしてやろうという強い意志が感じられる作品だった。 |
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わたし出すわ | ★★☆ | ドラマ系、象徴系 | 日 | ミニチェーン | 2010/01/17 | 89 |
人と人とは、様々な形でお互いに関わり合っている。 お金の結びつきだったり、言葉や想いだったり。 一方通行だったり、ズレていたり、想定外だったり。 お金自体には善も悪もなく、人間関係における様々なことには正解も不正解も定まってない。 そんなことを描いた映画。 |
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スペル ("Spell"、意味「呪文」、原題:"Drag Me to Hell"、意味「私を地獄に引きずり落として」) | ★★★ | 感覚系、お笑い系 | 米 | 拡大 | 2010/01/17 | 88 |
ホラーとはいえ、要所要所でのくだらない悪乗りが、サム・ライミらしいお茶目な魅力。 | ||||||
戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYLINTH | ★★ | 感覚系、ドラマ系 | 日 | ミニチェーン | 2010/01/17 | 87 |
日本初の長編デジタル3D劇場映画だが、気負いよりも、以下の「3D映画でやってはいけないこと」を徹底的に避ける慎重さを感じられた。 ▼飛び出す映像をこれみよがしに多用する安直な演出 ▼早いカット割り(3Dが意識されにくいので) ▼激しいカメラワーク(3Dが意識されにくいので) ▼俳優の激しい動き、特にホラーでよく見られる「ワッ」と驚かすようなこと(3Dが意識されにくいので) 結局、3Dにはいろいろと制約があって、ホラーというジャンルは合っているかと思われたが、激しい動きの映像には不向きで、ホラーならではの押しが弱くなった。 もしくは、上記の禁止事項を無視して、2Dのホラー通りの演出を通すという選択肢も考えられるけど。 3Dの効果で意外だったのは、人物を寄りで撮った時に顔や体形の立体感が強調されて2Dよりも印象が強くなること。 |
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ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜 | ★★★ | ドラマ系 | 日(東宝) | 拡大 | 2009/11/18 | 86 |
アンナと過ごした4日間 | ★★ | ドラマ系 | ポーランド | ミニシアター | 2009/11/18 | 85 |
パンドラの匣 (ぱんどらのはこ) | ★★ | ドラマ系、感覚系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 84 |
軽いストーリーと思われる原作を、軽いテイストの映画として作り上げ、しかし軽いからといって決して緩くない、緊張感のある美意識が感じられる作品だった。 恋愛モノとして軽く楽しむことができたのだが、非日常的な映画のわりに突き抜けていない感じが引っかかるかな? |
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エスター | ★★★ | 感覚系 | 米 | ミニチェーン | 2009/11/18 | 83 |
クヒオ大佐 | ★★☆ | ドラマ系、観念系 | 日本 | ミニチェーン | 2010/01/17作成 2010/06/02更新 |
82 |
まあ、ざっとまとめると、人間って、 ▼疑うよりも信じる方が好き。 他人を疑って絶縁したところで、それまで抱いていた相手に対する希望や期待が失われるだけ。 そして、誰にも依存せずに自立しなければならない。 それよりは、誰かに支えてもらっていると信じる方が安心できるし希望も持てる。 たとえ、それが根拠の怪しい一方的にな思い込みだとしても。 そして、その安心の代償を相手に支払わなくてはいけないとしても。 恋人とか同盟国とか…。 ▼ウソは悪いことであって許せないというのが一般常識だが、実は多くの人が無意識に求めていたりすること。 特に、ウソが無けれはひどいだけの現実や平凡な日常しかない人にとっては。 この世は確固とした真実を基盤として、人々が筋の通った生き方をしていると思いきや、実は膨大なウソやまやかしや詭弁やグレーな領域が存在して、人間の言動も全然理屈通りでない、かといってそれは不幸だとも言い切れないという、大きくてつかみどころの無い題材を、実在の詐欺師のエピソードを元にして、上手い具合に映画に出来ている。 出演者の中では、松雪泰子が素晴らしい。 |
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TOCHKA (読み「とーちか」) | ★☆ | 感覚系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 81 |
遅過ぎる展開、動きの少な過ぎる映像、少な過ぎる台詞、クライマックスの長過ぎて暗過ぎるカットなど、いびつで抽象的な映画を狙っているようだ。 冒頭、始まって台詞なしの間は映像に引き込まれた。 しかし、登場人物2人が会話をし始めると、映像が動かないこともあって台詞中心の展開になるが、その台詞が回想などのイメージしにくい内容なので、結局映画が頭の中に入ってこなくなった。 でも、これって悪いのは作品ではなく、観る方の認識力不足のせい? ゆっくりした展開に大量のあいまいな言葉といえば、タルコフスキーの『ストーカー』(★★★★)もそうだった。 (黒い大型犬が重要な役割で出てくるのも共通している。おまけに、『トーチカ』というタイトルと比べると、3文字もダブっている。) 『ストーカー』の中の詩の数々は、私は実はほとんど理解していないのだが、それでも詩以外の映像などの部分で大好きな映画だ。 言葉やストーリーを除いた感覚的な部分は『ストーカー』と『トーチカ』は似たタイプの映画だと思うが、では何が違うのか?と言われると、それこそ感覚的に肌に合う合わない、ノリが良い悪い、だと思うとしか言えない。 まあ、タルコフスキー相手にいい勝負が出来た時点で巨匠レベルだから、比較対象としては敷居が高すぎて不適当なんだけど。 |
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ライブテープ | ★★☆ | ドキュメンタリー系 | 日 | ミニシアター | 2010/01/17 | 80 |
監督の個人的な想いから始まった企画が、その想いを残しつつ、音楽と街などの風景が主役の、普遍的で生っぽい映画になった。 | ||||||
ロボゲイシャ | ★★★ | 感覚系、お笑い系 | 日(角川) | ミニシアター | 2010/01/17 | 79 |
この映画に雰囲気が似ている映画といえば、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』。 あの拒絶者多数の映画に、約30年の時を経た今になって、やっと時代が追いついてきた気分。 その特徴は、「楽しさ」「愛」「爽快感」といった様々なタイプのエモーションの数々を、むきだしで作品の中に大量に詰め込んでいること。 そのことにおいて、恥ずかしがって自分を良く見せようとして手加減するなんてことはせずに、どこまでもストレートにやり通す。 それはまるで、「愛のためならいかに自分さらけ出せるか?」に例えられるような、むしろ「いかに臆面なくできるかを示すことで愛の強さを表している」ようなもの。 大林監督がかつて「映画はすべて純愛」と語ったように、『ロボゲイシャ』は「愛」と称すべき様々な想いが映画作りの原動力になっていて、そんな想いを恋愛映画を観ているかのような気分で感じることが出来た。 |
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空気人形 | ★★★ | ファンタジー系、観念系 | 日本 | ミニシアター | 2009/10/12 | 78 |
空気人形に象徴される「代用品」とは逆の「本物」とは何をもって本物であると言えるのか?何があるべき姿であると言えるのか? 定義できない以上「代用品」が本物でないとは言い切れない。 本当に大事なのは「本物か?代用品か?」ではなく、「他者に価値を与えられるか?出来ないか?」 |
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色即ぜねれいしょん | ★★ | ドラマ系 | 日 | ミニシアター | 2009/10/30 | 77 |
クリーン | ★★☆ | ドラマ系 | 仏=英=加 | ミニシアター | 2009/10/30 | 76 |
最近、なんとなくカメラを振ったりの小手先の撮影や編集で映画になると思っているような映画(邦画に多い)を観過ぎたせいか、この映画のようにしっかりした芝居が第一で、それを有効にカメラに収めることを目指した真っ当な撮影をしている演出を観ると、それだけで満足感を覚えてしまう。 | ||||||
リミッツ・オブ・コントロール | ★★ | 象徴系 | 米=スペイン=日 | ミニチェーン | 2009/10/30 | 75 |
ラスト近くでやっと映画の全貌が判るまでは、それを伏せたままでミステリアスな雰囲気だけで尺の大半を引っ張っている。 結果として悪くは無かったけど、ネタ晴らしを最後まで待たされると、もったいぶらされて時間配分の点で損した気分。 |
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カムイ外伝 | ★★ | 感覚系、ドラマ系 | 日 | 拡大 | 2009/10/30 | 74 |
ストーリーや映像など、それぞれの要素で長所と短所が背中合わせで同居しているような作品。 悪く言う程ではないけど、観て良かったというポイントもあまりない。 基本はアクション映画で、そこに関してはまずまず。 |
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葦牙-あしかび- 子供が拓く未来 | ★★☆ | ドキュメンタリー | 日 | ミニシアター | 2009/09/30 | 73 |
岩手県で虐待児童を受け入れている学園のドキュメンタリー。 「虐待を受けた子供も暴力的になる」と言われているように、一筋縄では扱えない難しい子供たちが多数出てくる。 元々結核児童を受け入れていた施設が、時代と共に喘息、不登校と子供たちが変わってきた中で、指導する大人たちも、試行錯誤をしながら、子供に心の傷を負わせないことを気遣いながら真摯に向き合っていく。 前半が問題の深刻さや困難さを強調していて、後半は子供の将来に楽観的なイメージになっていくのには、観る者に対して「危機感」「問題提起」よりも「希望」を持ってもらうことを優先させたのだろうが、きれいに見せ過ぎている気がする。 |
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ポー川のひかり | ★★ | 観念系 | 伊 | ミニシアター | 2009/09/30 | 72 |
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 | ★★☆ | 感覚系、観念系 | 日 | ミニチェーン | 2009/09/30 | 71 |
あんにょん由美香 | ★★★ | ドキュメンタリー | 日本 | ミニシアター | 2009/09/14 | 70 |
松江監督が、2005年に亡くなった林由美香への想いから、数年後に彼女を中心に据えたドキュメンタリーを撮り始めたときは、作品作りに対してさほど強い目的意識は無かったように思われる。 むしろそれは、恋人の姿を映像に残したいとか、死別した人の想いを具現化させたいとか、普通の人でも行いそうなことの延長のように思える。 そして、監督は由美香さんへの想いの同志ともいうべき先輩監督たちに、由美香さんを思い返すことに付き合ってもらうべく声をかけるのだが、彼らはそのセンチメンタリズムに反発するどころか、むしろ松江監督以上にノリノリで彼女との思い出の地を再訪しているようにも思える。 そうさせたのは、彼らも松江監督と同様に由美香さんに関わったがゆえの共通した想いの持ち主であることに加え、松江監督以上にその関係が深かった故であることが、その無邪気さの陰にうかがえる。 また、この映画の中心に |
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グッド・バッド・ウィアード | ★☆ | 感覚系 | 韓国 | ミニチェーン | 2009/09/06作成 2009/09/07更新 |
69 |
一言で言えば、「活劇」と「殺戮」の区別ができてない作り手による作品。 活劇にするべく作られていないから、観ていて直感的に全然楽しくない。 銃弾と火薬と人殺しと血糊の量を増やせば迫力が増して面白くなると思っているかのような映画になっているのだが、活劇にするということは、そんな物量アプローチとはべつに、映画を楽しいものにしようとする意志とそれを実現するための具体的なアイディアが不可欠で、それ無しでは単なる「殺戮」にしかならない。 基本的にアクションシーンが、アップの構図中心でカメラを小刻みに動かした短いカットをつなげる「目くらましアクション」で、カットの前後のつながりには極めて無頓着なので、10秒以上の連続した動きの流れとしてのアクションになっていない「ぶつ切りアクション」。 ストーリー的にも、つながりをすっ飛ばしたまま進むところが多い以上に、登場人物たちの行動が何を目的としているのかが判らない人たちが多いのが大問題。 でも、これらの欠点以上に、「活劇」になっていないことがはるかに致命的。 チョン・ウソンやイ・ビョンホンが笑っちゃうぐらいカッコつけるとか、ソン・ガンホはコメディリリーフとしての芝居をするとか、チョン・ウソンが疾走する馬上で手放しでライフルを撃って豪快さを見せるとか、活劇にするためのアイディアの具体例はいくつか見られたのだが、大半のシーンのまずさの前には焼け石に水であった。 |
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ちゃんと伝える | ★★☆ | ドラマ系 | 日 | ミニシアター | 2009/09/01 | 68 |
ガンで余命わずかで間もなく死に別れることになる人が、その前に大事な人に言っておかなければいけないことを「ちゃんと伝える」ことの大切さを描いた映画で、映画自体もトリッキーな手法は一切無い、ちゃんとしたスタイルで伝えようとしている。 よってドラマチックな派手さは無く、落ち着いた雰囲気で映画が進む。 芝居も動きが少なく、相対的に起伏の小さい表情が前面に出てくる。 主人公の相手役の伊藤歩は、このような芝居の実績があるので期待通り。 一方の主人公役のAKIRAはそんな実績は無いのだが、全く引けをとらない表情を見せて素晴らしかった。 題材的なインパクトの弱さを、作り手たちの確かな仕事でカバーして、ちゃんとした映画になっていた。 |
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真夏の夜の夢 | ★★☆ | ファンタジー系 | 日 | ミニシアター |