映画の感想 2001年 2009/05/28 更新
採点基準
★★★★ :人類の宝 ★★★☆ :絶対必見 ★★★ :観るべき映画 ★★☆ :観ても良い ★★ :中間レベル ★☆ :観なくてもいい ★ :観る価値はほとんどない ☆ :作者もろともこの世から消えてなくなれ なし :採点不能
文章などの内容には、時々変更や追加が入ることがあります。
2001年公開作品(テレビで鑑賞) 2001/05/01
ビデオ、劇場上映 2001/08/22
映画祭/未公開作品 2002/12/15
旧作 2002/01/27
2001年公開作品 (108作品) 2009/05/28
タイトル | 採点 | 更新日 | 累計 |
6週間 プライヴェートモーメント | ★☆ | 2002/01/27 | 108 |
アクシデンタル・スパイ | ★★ | 2002/01/27 | 107 |
フォロウイング | ★★ | 2002/04/28 | 106 |
『メメント』同様、時間が前後する複雑さに加え山場のない展開に、観ていて集中力が失せてくる | |||
まぶだち | ★★★ | 2002/01/27 | 105 |
修羅雪姫 | ★★☆ | 2002/04/28 | 104 |
アクションまあまあ、アクション以外もまあまあ | |||
贅沢な骨 | ★★☆ | 2002/01/27 | 103 |
PAIN | ★★★ | 2002/01/27 | 102 |
スパイキッズ | ★★ | 2002/02/25 | 101 |
大人にとってはしょーもない内容で、子供が観て喜べばそれでいい映画なのだが、果たしてそうかといえば・・・。 私が子供のころは、007やテレビのウルトラマンなどが好きで主人公に憧れたものだが、それは決して子供のままの自分が主人公になるということではなく、あくまで大人たちが演じている世界に憧れていた。 だいたい作り手が子供にこびているのだと思うが、ウルトラマンなんかで何故か大人たちの中に混じって、大人顔負けの活躍をする子供が出ていたりすると、嘘くさく感じたものだった。 というわけで、私の子供のころの感覚からすると、子供2人が活躍するこの映画は子供にはうけないと思う。 | |||
大河の一滴 | ☆ | 2002/12/01 | 100 |
アカシアの道 | ★★★☆ | 2001/12/01 | 99 |
陰陽師 | ★ | 2001/11/26 | 98 |
悪の陰陽師の真田広之が平安京を闇の都にしようとする中、野村萬斎演じる安倍晴明が「都が滅んでもよいではないか。」という台詞を言うのだが、観ているこちらの気分もまさにそのとおり。真田広之は何のために都を征服しようとしているのか、征服されたらどんな不都合があるから(不幸が訪れるはずの一般民衆はほとんど登場しない)それを食い止めなければならないのかがさっぱりわからないまま、ただ善と悪との間で戦いが繰り広げらけるだけである。 つまりこの映画は登場人物たちの行動を起こす動機やエモーションといったものを形だけ描いているだけで、重みというものがまったく描かれていない。人に裏切られたら死んでも怨霊となって恨み続ける、愛する人が苦しんでいたら自分を犠牲にしてもその人を救おうとする、そうしたことは描かれているのだが、あくまで形だけで重みがないので、観ていてちっとも心に響かない。あげくの果てに、誰かの命を救うためにある人の命を捧げるといったことが、それこそ人の命を足し算引き算するような軽さで描かれるものだから、とことん人間が全く描かれていない映画である。そもそもこの映画の登場人物の中では、伊藤英明演じる源博雅のみが普通の人間の感情を持った役で、それ以外の人々は取っ付きにくい役なのだが(人間ではないと言ってもいい)、それなら博雅のキャラクターをしっかりと作り上げて、彼を通して他の理解しにくいキャラクターの人たちを理解しやすくできるようになっているかといえばそれは成されておらず、かといって人間を描かないと割りきった面白さを目指しているわけでもない。 どーでもいい人たち同士が争っているだけの、どーでもいい映画である。 | |||
GO | ★★★ | 2002/04/28 | 97 |
登場人物たちがいきいきと描かれているのが何よりいい | |||
ターン | ★★☆ | 2001/11/12 | 96 |
牧瀬里穂演じる主人公は、交通事故に合った瞬間に24時間前に戻り、以降ひと1人いない別世界の東京で同じ1日を繰り返し続けるが、半年後に現実の世界と1本の電話が通じる。都合の良い展開も気になったが、全体的にストーリーをなぞるだけの映画になっていたのがちょっと残念。しかし、この映画の大半を一人芝居で演じる牧瀬里穂が素晴らしく、『東京上空いらっしゃいませ』『つぐみ』でデビューした頃に見せた、あの憂いをたたえた眼差しが久々にスクリーンに帰ってきたことが嬉しい。 | |||
ピストルオペラ | ★☆ | 2001/11/12 | 95 |
映画の中でこそ出来うるデタラメさを追及している清順監督の作品は、まともにコメントしようとしても、それをはぐらかすように予め作られているようで不可能であり、本来は採点することも無意味。『ピストルオペラ』は、『夢二』以来10年ぶりの長編作品だが、10年の時間を感じさせないような、『夢二』の系列の映画。はっきり言って良く解らない。常に死と背中合せの殺し屋が、恐怖を感じながら生きる姿を描いた映画ということぐらいは解るのだが。解らないなら解らないで見た目の面白さが感じられればいいのだが、そうした普通の面白さを期待するこちらの気持ちすらはぐらかそうとしているようである。観る者に取りつく島与えない、相変わらずの清順監督の孤高の存在ぶりを示す作品である。 | |||
ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 | ★★★☆ | 2002/01/27 | 94 |
この映画の製作中の9月11日、アメリカで同時多発テロが起き、流された映像を見て「映画のようだ」と多くの人が言っていた。その言葉は、映像は真実だとわかっていても、それを見ているだけでは現実として実感できないことによるからなのかもしれない。実際に身近で大きな災難を体験した人の気持ちは、現実をありのままに伝えようとしているはずの報道映像を見た人とは大きくかけ離れているのだろう。また、日本はかつて太平洋戦争や原爆投下など、数々の惨劇が起きたにもかかわらず、そうした過去の出来事は今日の我々にはほとんど無関係で、それがどの程度悲惨だったのかはなかなか実感できない。さらに、それ以前の科学が発達していなかった頃には、人々は様々な天変地異を恐れ、それを鎮めるために守り神の力にすがろうとした。現代科学がどんなに進歩しようともすべての災難が防げるわけではなく、被害にあって科学の無力さを目の当たりにした人々の心には、昔の人のように神にすがりたい気持ちが起こるのではないだろうか。 巨大な怪獣が現われて街を破壊する怪獣映画では、その設定があまりにも現実離れし過ぎているので、恐さを表現するのが難しいのだが、この映画では上で述べたような直接災難に合っていないとその不幸が実感できないことの後めたさを観る者が持っていることを利用して、映像の向こう側にある本当の不幸を実感させようとしている。弱小テレビ局でインチキくさい超常現象番組のレポーターをしている立花由里(新山千春)は、最初は軽いノリで取材で怪獣を追っているうちに箱根でゴジラを目の当たりにし、開口一番「あんなに大きいの?!」。そして、目の前で人が死ぬのを見て「あの人たち死んじゃった!」。その後、恐怖に震える人たちの姿などを見て、最後にテレビカメラの前に立ち視聴者たちに語りかける彼女の真剣な姿は、映画の最初のいいかげんなレポートぶりから大きく変わっている。それは、他のテレビ局がヘリコプターから怪獣同士の戦いを実況中継していたシーンがあり、現実の報道もそうなのだが、それが現実をそのまま伝えているようで実感は伝えられてなく、報道が実感を伝えるということはどういうことなのかが描かれている。 これ以外にも、ゴジラが日本に来るのは太平洋戦争で犠牲になった日本兵とアジアの人々の怨念がゴジラに乗り移っているという設定、ゴジラが上陸するのは第五福竜丸にゆかりのある清水市で、第五福竜丸のポスターをワンカット挟み、ゴジラが放射能をまさに吐こうとする次の瞬間、広島や長崎の原爆のように閃光がはしりキノコ雲が立ち上るカット、ゴジラを攻撃するシーンで、湾岸戦争のときの戦闘機からのビデオ撮影のようなカットを挟むなど、現実を連想させるようなものを入れて、映画の中の惨劇に実感を持たせようとしている。 と、こまごまと書いたことは、実は圧倒的なビジュアルの迫力と息もつかせぬ展開で、ラストまで一気に押し通すことがメインであるこの映画にとっては、ほんの隠し味に過ぎない。この映画の最大の魅力は、映画の迫力を追及するという当たり前のことを、申し分なく成し遂げた金子監督以下の仕事ぶりにある。奇をてらったことをせず、映画の大画面の特質を生かした、王道中の王道のまさに映画ならではの面白さいっぱいの映画である。 | |||
蝶の舌 | ★★☆ | 2001/11/03 | 93 |
山の郵便配達 | ★★★ | 2001/11/03 | 92 |
夏至 | ★★ | 2001/10/27 | 91 |
主人公の三姉妹の今は亡き両親は仲が良かったらしいのだが、果たしてそうか? 母親には別に好きな人がいたみたいで、その人が誰か目星はついているのだが,果たして本当にその人なのか? 長女とその夫は共に浮気をしていて、それでもお互いの間には夫婦の愛情はあるのか? 次女は夫が浮気をしたらしい証拠を見つけるが、夫は浮気をしたことになるのか? 三女の同居人は彼女の夫に間違われるが実は兄で、招待不明の男と付き合っているのかいないかもよくわからない。 このように、臆測と想像であふれた世界を描いていて、つかみどころがないとはいえそれはそれで面白いのだが、問題はそれを描いているこの映画のスタイルの方。布、下着、玉のれん、絵、金魚の入ったビンといった小道具類への異常なまでのこだわり、ベトナムが舞台なのにむしろヨーロッパ映画のような光線の映像(監督のトラン・アン・ユンはフランスが活動のベースで、『青いパパイヤの香り』はフランスのスタジオにベトナムのセットを作って撮影されたが、これもそう?)、それらを駆使してスタイリッシュで本筋に関係あるのかどうかわからない意味ありげなシーンが数多く登場する。せめて料理が美味しそうに撮られているなど魅力的な映像だったら意味不明でも惹かれていただろうが、それもなかった。ここまでスタイル過剰だと、あいまいな世界を描くためのスタイルというより、ストーリーはスタイルを見せるための方便に過ぎないんじゃないかとさえ思えてしまう。トラン・アン・ユン、どこへ行く・・・。 | |||
恋は負けない | ★★ | 2002/02/25 | 90 |
田舎出身者や裕福でない者は心が純朴で美しいといったパターンから抜け出ていないと思う。 | |||
ゴーストワールド | ★★★ | 2001/10/22 | 89 |
ウォーターボーイズ | ★★★ | 2002/04/28 | 88 |
「若大将シリーズ」のような定番の面白さは、登場人物たちのキャラクターの面白さによるもの? | |||
メメント | ★★ | 2001/10/22 | 87 |
妻が殺された時のショック以来、10分前までの記憶しか持てなくなってしまった男が、妻殺しの犯人を捜す話。 この映画は、数分間のシーンが普通の映画とは逆に過去へとさかのぼる順番に映し出される。つまり、そのシーン以前に主人公の身に起きたことは観客にとっても白紙であるので、主人公の気持ちになって見せようという狙いである。しかし、過去が白紙の人間の気持ちを再現させるために映画の中の時間の流れを過去から未来にする必然性は本来ないのであって、それは事件の全貌を描くために長い時間の出来事を描かなければならないからである。 普通のサスペンス映画では、観る者に謎を提供し、「この謎の真相はなんだろう? この先どうなるんだろう?」と思わせることで観客の興味を引く。ただし、この興味は長続きしないので、少しずつ真相をばらすと同時にそこから新たな形の謎を観客に提供することで観客の興味を引き続ける。ところが『メメント』は、謎の形を変化させて観客の興味を引き続けるということが、時間の流れを逆にするという構造上出来なくなっていて、最初に数多くの謎が提示され、映画が進むに従ってそれが少しづつ減っていくだけである。観ている方としては、多くの謎を提示されて混乱し、謎の数は少しづつ減るが形はずっと変わらないわけで、次第に飽きてきて、混乱させられてほおって置かれているようで、フラストレーションが溜まってきてちっとも楽しくない。 また、過去へとさかのぼっていく展開といえば『ペパーミント・キャンディー』がそうだったが、あの映画では先に将来を見せておくことが伏線になっていて、その後描かれる過去の出来事を見て、これが将来にどう繋がるのかということを思わせる面白さがあった。ところが『メメント』は、直前のシーンとは脈絡のないことがしばらく続き、そのシーンの最後になって初めて直前のシーンの最初と重なるだけである。伏線が無いわけではないのだが、それらは点の繋がりでしかなく、『ペパーミント・キャンディー』の逆行して描かれるそれぞれの時間の繋がりが線であったことに比べれば、伏線としての面白味は欠けている。 『メメント』でかろうじて面白かったことといえば、主人公を取り巻く人々の言っていることが本当か嘘かがが判らない面白さがあったことだろうか。どうもこの映画は知的な映画ということで自称知的人間とおぼしき人たちには評判が良いようだが、でも映画を意図的に複雑化することは単に「複雑」ということであって、それ自体あるいはそれを解き明かす行為自体は決して「知的」ではないと思う。百歩譲って知的であるとしても、映画を見ている時にその知的なことを楽しめなければ、何の意味もない。例えれば、きちんと巻かれた糸をグチャグチャに絡ませて、その絡まった糸を元に戻すように与えられたみたいで、5分ぐらいならそれをほどくことに面白さを感じるかもしれないが、2時間も続くと何のためにこんなことをしているのかとしか思えなくなり、苦痛でしかない。『メメント』はそういう映画だった。 | |||
ザ・ミッション/非情の掟 | ★★★ | 2001/10/15 | 86 |
かあちゃん | ★★★ | 2002/04/28 | 85 |
江戸末期版「サイダーハウス・ルール」か? 没後十数年にして、和田夏十の脚本絶好調。 | |||
ブリジット・ジョーンズの日記 | ★★★ | 2002/04/28 | 84 |
よくある話だけど、レネ嬢の魅力でみせる。 | |||
LADY PLASTIC | ★ | 2002/02/25 | 83 |
特殊メークのプロモーション映画なのかもしれないが、映画の作りはどうでもいいといった感じ。 単純にテンポを倍速くするだけで少しはましになると思われるのだが。 ところが、後半になって小嶺麗奈が出てくると,それまで緩んでいた画面がとたんに引き締まる。彼女は凄かったんだというのが再認識できたことが唯一の収穫。 | |||
タイガーランド | ★★★ | 2002/04/28 | 82 |
いいのか悪いのかわからないけど、兵士たちに迫る死の恐怖は感じられた。 | |||
VERSUS | ★★ | 2002/02/25 | 81 |
アクションシーンはとてもスピード感にあふれていてテンションも高くて、いい意味で目くらましのカメラワークも効果的。 ところが、アクションの合間のシーンになると、とたんにモタモタとした展開になって、間延びした退屈な映画になってしまう。 結果的に2時間もの長い映画になってしまって、こんなことなら余分なシーンはバッサリ切って、90分ぐらいの映画にしたらかなり良くなったと思う。 結局、この映画の最大の功績者はアクション監督なのだろう。 | |||
赤い橋の下のぬるい水 | ★★★ | 2001/11/12 | 80 |
考え過ぎて深刻になるより、もっと快楽主義に走っていい思いをすれば、その思いは周りの人たちも幸せにする、といったように、人が他人を幸せにする様々な結び付きが描かれる。そう言いきる根拠らしいものは何もないので、信じられない人は信じられないが、信じるものは気楽に生きた方が幸せな気になってくる。 | |||
ラッシュアワー2 | ★★ | 2001/09/26 | 79 |
前作はあまり記憶に残っていないのだが、この映画と合わせて、受けた印象はほとんど一緒。とりあえす観ている間は退屈はしないという最低ラインは何とかクリアしているものの、もっと何とかならなかったのかと思うところがかなりあって、出来には不満。一番はっきりしているのはチャン・ツィイー演じる役で、正体不明の役なのに、ミステリアスでもなければ訳のわからないはじけ具合も中途半端。久びさのジョン・ローンもちっとも良くない。主演二人についても、クリス・タッカーが出過ぎたまねをしてひと騒動起き、ジャッキーがそれに対処するといったやりとりのパターンに終始して、あの二人ならもっと面白いやり取りができるのではと思ってしまう。アクションもジャッキーが何となく体を動かして、敵と手足をバシバシぶつけ合うといった感じ。ジャッキー映画特有の、アクションの時間を長くとり、次第に興奮度を高めていくのとは違い、前作同様短かめのアクション・シーンのあっさりしたもので、ジャッキーは出演のみだから違うのは当たり前とはいえ、やはり物足りない。 | |||
オテサーネク -妄想の子供- | ★★★ | 2001/11/12 | 78 |
ストーリー的には『A.I.』+『イレーザーヘッド』+『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』+『プルガサリ』といった感じだが、内容はどれとも違う。子供ができなくて木の根っこを自分の子供だと思い込む母親、その夫婦の隣に住む家族の父親は、奥さんが作るまずそうな料理に不気味なものが潜んでいる幻覚を見るし、彼の小さな女の子は弟が欲しいと思っていて、同じアパートに住む爺さんをエロジジイと思っていて、実際その爺さんは女の子をエッチな目で見ている。登場人物たちはすべて心に妄想を抱いていて、そうした孤立した人間関係も含めて人間たちの描き方はグロテスクなのだが、、同時にそうした人間の描き方に感じられる意地の悪さがとてもユニークな面白さにつながっている。 | |||
ブロウ | ★★ | 2001/09/15 | 77 |
ジョニー・デップ演じるジョージ・ユングは、父の事業が失敗し、母は経済的な不満を父にぶつけ夫婦喧嘩ばかりしている両親のもとで少年時代を過ごし、そのような不幸はまっぴらと青年に成長して東部からカリフォルニアに移り住み、そこの明るい雰囲気に浮かれて何となくマリファナの売人になって小銭をつかみ、強い目的意識があるようには見えないのだが、もっと事業を拡大しようとしてより多くのマリファナやコカインを密輸し、アメリカへのコカインの密輸80%を握るようになり、暖かい家庭を望んでいたはずなのにペネロペ・クルスに一目ぼれして、妻としてふさわしいかを見極めないままとっとと結婚し、娘を授かるが全財産を失ったら、妻はかつて母が父にとったのと同じ態度をとって、かつての自分の少年時代の家庭状況そのまんま。ここにきて自分に一番大切なのは娘と一緒にいることだとやっと気づいた時には、おとり捜査にひっかかって長期刑に服され娘とは引き離されてしまった。 結局、ジョージにとって本当の幸せというのは、少年時代の不幸がない生活、つまり暖かい家庭と生活に困らない程度のお金のはずだったと思うのだが、この男はその目的に向かって行動するのではなく、目の前に金もうけのチャンスぶら下がっているのが目につけばそれに飛び付くといった、何も考えずに楽して儲ける方へフラフラと流れていくといった生き方をしている。この映画の登場人物の大半はジョージのように軽い生き方をしているので、映画を観ていて地に足のついていないような落ち着かない気分になるのだが、ジョージは実在の人物なので、これはしょうがないというか狙いなのか? でも、ジャックが保釈中なのか逃走中なのか状況がわからなかったり、無くてもいいようないざこざのシーンがあったりと、映画の作りがしっかりしていないせいもあると思う。 軽い生き方をする登場人物たちの中、事業に失敗しながらも地道にチャンスを待とうとする、レイ・リオッタ演じるジョージの父親が、この映画の唯一の堅いキャラクターとして、犯罪者である自分の息子をしっかりと見つめる姿が引き立っている。この映画は、目の前の大きなチャンスは逃さず捕まえるものだというアメリカン・ドリーム追及よりも、地道な生き方を肯定するような、アメリカ映画には珍しい反アメリカン・ドリーム映画である。 | |||
レクイエム・フォー・ドリーム | ★★★ | 2002/01/27 | 76 |
自分から薬物には手を出さないから大丈夫と思っていても、エレン・バースティンが知らないうちに中毒患者にされたように、麻薬業者は人の心の弱みにつけ込んで市場拡大を狙っていること以外は、ここで描かれている薬物の恐ろしさは常識ぐらいに思っていなようでは現代は危険なので、薬物防止啓蒙映画としてはびっくりするほど目新しいものではない。 ただ、この映画の映像はとても強力で、短いカットで目まぐるしいのは最近の映画では珍しくないのだが、この映画の映像は決して小手先ではなく、もっと長い目で見て映画全体で大きなうねりのように観る者に迫ってきて、ラストに向かって次第に痛みがヒシヒシと感じてくる。 | |||
チャック&バック | ★★ | 2002/02/25 | 75 |
前向きな話なんだけど、主人公のキャラクターが特異なため、あまり惹かれない。 | |||
反則王 | ★★☆ | 2001/09/05 | 74 |
プロレスシーンもなかなか本格的 | |||
A.I. | ★★★☆ | 2002/04/28 | 73 |
ラストのほうが何とも言えず素晴らしく、この部分のために作られたような映画 | |||
ボディドロップアスファルト | ★★ | 2002/01/27 | 72 |
心の中に沸き起こる「表現したい」という気持ちと、プロのクリエーターになってから、その表現を見せる対象である他者といかに向き合うかを描いた映画だということが、わかったようなわからないような・・・。でも、チープな雰囲気が気さくに楽しめる。 | |||
愛のエチュード | ★★☆ | 2002/01/27 | 71 |
ジョー・タトゥーロ演じる主人公のユージンは、チェスの名手なのだがチェスに没頭し過ぎてそれ以外のことは全くままならない。主人公のキャラクターが特異過ぎると、同情の対象としてどうにも受け入れられず、この映画でもそうだった。でも、彼を愛するエミリー・ワトソンをとてもしっかりと描いていたので、ラブストーリーとしても見ごたえがあった。チェスの対決シーンの緊迫感もなかなか。 | |||
点子ちゃんとアントン | ★★★ | 2001/08/22 | 70 |
ニュー・イヤーズ・デイ/約束の日 | ★☆ | 2001/08/22 | 69 |
ELECTRIC DRAGON 80000V | ★★★☆ | 2002/01/27 | 68 |
切れ味抜群の映像と、大音量のノイジーなロックで見せる浅野忠信と永瀬正敏の宿命の対決は、今まで観たこともないド迫力だが、それに圧倒されるよりも過剰さに大笑い! 硬派なイメージの石井監督のお茶目な一面がみられる。 | |||
DENGEKI | ★★ | 2001/08/22 | 67 |
例えば、よく出来たアクションシーンの例として、『ダイ・ハード』でブルース・ウィリスがビルの屋上に出てからのシーンを挙げると、それが「流れ」「リズム」「間(ま)」といった点でとても良く出来ているということは説明するまでもないだろう。ところが、この点の善し悪しを言うのは、何かと映画を分析したがる映画通であって、そういう細かい部分がどうこうより、とにかく派手であることが第一という人たちも多いであろう。 『DENGEKI』はまさに後者のタイプの人たちのために作られたような質より量の映画で、 2組のグループが撃ち合いをするシーンでは、人物の位置関係がサッパリわからなくなろうとも、アップと速いカット割りを多用して迫力を出し、なにより大勢が銃を撃ちまくるその弾の数がいかに多いかが重要。 カーアクションのシーンでも、車がいかに激しく壊れるか、どの位高く宙に弾き飛ばされるか、オシャカになる車の数がいかに多いかが重要。 また、さして格闘を始める必然性を感じないようなシチュエーションでも、とにかく殴り合いを始めて見せ場を作ることが重要。 主人公たちがこれから向かう場所をどうやって知ったのか?といった疑問をはさむなんて野暮とばかりに、とにかく悪者たちが待ち伏せしていてアクションが始まって見せ場を作ることが重要。 そして、アクションシーンのバックにはノリのいいヒップホップを流して、ついでに登場人物もセガール以外は黒人たちで固めれば、いかにもそういうものが好きな人たちが喜んでくれるのではないか?という意図で作られた映画である。 好意的に見れば、ターゲットを絞ってその需要に合った映画を作ることは手堅い映画製作とは言えるけど、個人的には「あーいう人たちにはこーいう映画を作って、作り込みはこの程度で十分だろう。」といった「手抜き」の気持ちが感じられ、作り手も受け手も予想の範囲の中だけで満足するというのは、なんか面白くない。 | |||
ディスタンス | ★★ | 2001/08/22 | 66 |
天国から来た男たち | ★★☆ | 2001/08/22 | 65 |
みんなのいえ | ★★★ | 2001/09/15 | 64 |
田中邦衛はやっぱりおもしろい | |||
ギフト | ★★☆ | 2001/08/22 | 63 |
東京マリーゴールド | ★★★ | 2001/08/22 | 62 |
花様年華 | ★★★☆ | 2001/08/22 | 61 |
案山子 | ★☆ | 2001/08/22 | 60 |
LIES/嘘 | ★★☆ | 2001/08/22 | 59 |
非・バランス | ★★☆ | 2001/08/22 | 58 |
ギター弾きの恋 | ★★☆ | 2001/07/04 | 57 |
JSA | ★★★☆ | 2001/07/04 | 56 |
アメリカン・サイコ | ★★★ | 2001/06/23 | 55 |
リムジンドライブ | ★★★ | 2001/06/23 | 54 |
沈黙のテロリスト | ★★ | 2001/06/23 | 53 |
ユマニテ | ★★ | 2001/06/23 | 52 |
幼なじみ | ★★ | 2001/06/23 | 51 |
15ミニッツ | ★★☆ | 2001/06/23 | 50 |
ショコラ | ★★☆ | 2001/07/04 | 49 |
ラッセ・ハルストレム監督の前作『サイダーハウス・ルール』は、果樹園の労働者の住居に貼ってあったその家に関するルールで、どこの誰が決めたのかわからない、「屋根に登るな」などの意味不明のもので、実際そこの住人は字が読めなかったので、そんなルールは存在しないも同然だったのだが、それで問題になることは何もなかった。つまり、現実に合わないルールに縛られるより、それを破ってでも人々のためになることをするほうがよいという映画だった。そして、その破った方がよいこともあるルールの1つとして「堕胎の禁止」が描かれていた。これは決してあの映画のメインではないのだが、かといって小さい扱いでもなかった。『サイダーハウス・ルール』はアメリカ映画で、アメリカといえば堕胎をする医者がテロに合うほどの国だというのに、アカデミー賞にノミネートされて、果たしてこの点は問題にならなかったんだろうか? そしてこの『ショコラ』は、前作では名指ししなかったカトリック(? 宗教に疎いので正確にはわかりません)教会が悪者として描かれている。村長をはじめとするそこに属する人々は、よく理由が解らない禁欲的な生活を実践していて、奥さんやダンナに逃げられて自分の家にしがみついているつまらない保守的な人々で、それに対してジュリエット・ビノシュ親子をはじめとした自分の家を離れて暮らす人々は魅力的と、露骨に描き分けられている。そして、保守的な人々はよそ者たちに対し差別的な行為をするのだが、ここで神の名を語ってまさに「サイダーハウス・ルール」が作られるのを作られるのを目の当たりにする。実際の神の教えはそれとは逆のはずなのに。それは「汝の隣人を愛せよ。」と。 『ショコラ』は、欲望を抑えて暮らす村人たちの頑な心を、チョコレートという甘い誘惑で優しく解きほぐしていくおとぎ話のような映画、と表面的には作られているが、私には反保守主義の辛辣な映画に見えた。若い新任の神父が、エルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」を腰を振ながら歌っている所を村長が見てとがめるが、下半身の動きが卑わいという理由でプレスリーがテレビで歌うときには下半身が映せなかったことがかつてのアメリカであった。ということは、相変わらず外国人に対して冷たい態度をとることがあり、ブッシュ政権になってからさらに内向きになったといわれるアメリカに向けて作られたのだろうか?(ブッシュが大統領になったのは映画が出来た後なので、これは単なる偶然) 外国人を見れば犯罪者だと思う都知事がいるような国も無関係ではないだろう。 しかしハルストレム監督、変な連中に目を付けられてなければいいけど。 | |||
ハンニバル | ★★ | 2001/06/03 | 48 |
スターリングラード | ★★☆ | 2001/06/03 | 47 |
日本の黒い夏 冤罪 | ★★☆ | 2001/06/03 | 46 |
初恋のきた道 | ★★★☆ | 2001/06/09 | 45 |
多くの好きな映画監督がいる中で、私にはヒッチコックは絶対的な存在で、彼の映画こそ映画の中の映画だという思いがある。だから、恋愛映画に対してもザスペンスでない恋愛映画は傑作とはなりえないという持論(と言ったら大げさだけど)がある。このサスペンスというのに違和感があるのなら「エモーション」とか「ときめき」と言いかえてもいいが、恋心に揺れる思いが見たいのであって、甘い台詞やきれいなラブシーンなど二の次三の次なのである。 ヒッチコックの『めまい』で、キム・ノバクと初めて会ったジェームズ・スチュアートが、彼女と目が合うのを避けるように目線をはずすことで一瞬で恋に落ちたことを描いたが、『初恋のきた道』のチャン・ツィイーも赴任して来た若い男の先生に一目ぼれし彼を見つめ続けるが、彼が彼女の方を見て目線が合いそうになると、秘めた心を見透かされるのを恐れて目線をはずす。そして、口には出せない恋心を、彼女は衣装や料理や丼鉢に込めたり、井戸や通学路の途中で偶然を装って先生を待ち伏せるといったことをする。この映画のタイトルは、中国語では『我的父親母親』英語では『Home Road』というが、それよりも邦題の『初恋のきた道』がぴったりくるほど、何の意外性もなく・・・というよりは、誰でも身に覚えのある初恋のエピソードの数々が描かれる。そして、そうした「想い」を描くことは映像にも表われていて、風景までもがウキウキした気分の時には明るい色調で描かれるが、その直後ガッカリした気分になると、まるで何カ月も経って季節が変わったんじゃないかと思うほど硬い画面になる。それに、この映画には恋する2人が1つのフレームに納まっているところを客観 的に撮っているカットはほとんどなく、誰かが誰かを見つめているように撮られたカットがほとんどといった徹底ぶりである。 この映画は、映画の最初と最後がモノクロで撮られた2000年頃の現在の話で、村に住む年老いた母親の所に都会に住むその息子がやって来て、父親が村から離れた病院で死んで、母親がその遺体を村まで人に担いで運んでもらおうとする。そして、その間にはさまれた部分は、上で述べられたような母親と父親のなれそめを描いた、カラーで撮影された1960年頃の話である。現在の部分では、老人たちは村に住み、働き盛り者のは都会に出て、遺体を人手で運ぶには時間もお金も多くかかって車などで運んだ方が良く、運ぶ人を雇うとなると何人必要で、1人当たり細かい経費を出して合計していくらかかる、といったことが描かれ、ここで中国の近代化に伴って、日本にもある都市化、効率第一主義が進んでいて、そうしたものが遺体を人手で運ぶと言ったことに象徴される人の「想い」というものを押しつぶそうとしている中国の今を感じさせる。チャン・イーモウ監督はこの映画ではその「想い」の大切さに人々が気づくはずだという描き方で、父親が作った古い本が現われるラストは。まさにそうした意味で感動的である。 ほとんどケチのつけるところのない映画なのだが、あえて1つ言えば・・・チャン・ツィイーのアップ、やっぱり多過ぎ! | |||
セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ | ★★★ | 2009/05/28 | 44 |
同類の映画として、『監督・ばんざい!』(★★★)の感想を参照して下さい。![]() |
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富江 re-birth | ★★☆ | 2002/11/23 | 43 |
この映画で一番印象に残っているのは、酒井美紀演じる富江が着る白いセーター。それをてろっと着た富江が現われると男たちは彼女に夢中になり、殺されて土に埋められても何故か汚れひとつなく真っ白いままで再び現われる。富江シリーズの特徴である、彼女を一目見た男はみんな彼女に夢中になり、やがて彼女のわがままに耐え切れず殺してバラバラにしたくなり、そしてどんなに細かく切り刻んでも生き返って男の前に現われるという、あまりにも常識はずれで理詰めでは到底描けないような、はっきり言ってバカバカしいほどに訳のわからない怖さや可笑しさを、この白いセーター、そして酒井美紀の甘えたりいじけたりすごんだり甲高い声で小さく笑ったりなどのこれまた訳のわからない役作りとでうまく表現している。これで、妻夫木聡と遠藤久美子らの心に芽生える愛する人に対する疑念に関するストーリーがわかりにくくて地味になっていることが何とかなっていてくれたら良かったのに。 | |||
ふたりの人魚 | ★ | 2001/05/21 | 42 |
チキン・ラン | ★★☆ | 2001/05/21 | 41 |
ハイ・フィデリティ | ★★☆ | 2001/05/21 | 40 |
キャスト・アウェイ | ★★☆ | 2001/05/21 | 39 |
LOVE SONG | ★★☆ | 2001/05/21 | 38 |
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 | ★★★☆ | 2001/05/21 | 37 |
あの頃ペニー・レインと | ★★★☆ | 2001/04/28 | 36 |
連弾 | ★★★ | 2001/04/28 | 35 |
星降る夜のリストランテ | ★★☆ | 2001/04/21 | 34 |
1軒のレストランでくりひろげられる、様々なお客さんたちによる群像劇で、なかなか手堅くまとまっている。 | |||
スナッチ | ★★☆ | 2001/04/21 | 33 |
確かに良くできている映画だとは思うし、観ている間もそれなりに楽しめるのだが、ムチャクチャ面白いという気持ちは沸いてこない。何故そのような印象を受けるのかを考えた結果、つまりは観る者の心に響くような「生々しさ」がこの映画には決定的に欠けていて、多くの登場人物の中で最終的に誰が勝って誰が負けるか、つまり誰が生き残って誰が死ぬかという結果だけしか注目することがないからである。映像に関しては、編集機器が進歩しているなぁとは思うが、感覚的に優れたものは感じない。むしろ、あの小ワザだらけの目まぐるしい映像を見ると、登場人物がやたらと多くて込み入ったストーリーも含めて、じっくりと描くことに自信がないことのカムフラージュなんじゃないかと勘ぐってしまう。 | |||
ギャラクシー・クエスト | ★★★ | 2001/06/23 | 32 |
自分の小さな子供に(いない人はいるものとして)「サンタさんて、本当にいるの?]と聞かれたら、いると答えるべきか、それとも本当のことを言うべきか・・・。 宇宙船の乗組員たちの活躍を描いた往年のテレビ番組「ギャラクシー・クエスト」を地球から遠く離れた星で観ていたサーミアン星人は、他の宇宙人に襲われ滅亡の危機に陥り、「ギャラクシー・クエスト」の出演者たちに助けを求めるために地球にやって来る。しかし、彼らは以前にも滅亡の危機が陥ったことがあり、それはつまり未来に対する「夢」がなくなったからだという。そして彼らは地球から飛んできた「ギャラクシー・クエスト」のテレビ電波を受信して、それに勇気づけられそれを目指すことで復興することができたのだった。嘘というものも人をだますということも知らず、テレビドラマも真実のドキュメンタリーだと思っていたサーミアン星人は、人間で言えばサンタクロースが本当にいると信じている小さい子供のような情緒の持ち主で、やっぱり子供には夢がかかせないのである。大人なら過去の栄光にすがって、マニア相手のイベントで食いつないでいくことができるが、子供は夢がないと生きていけないのである。ギャラクシー・クエストの出演者たちが赤の他人のサーミアン星人たちを助けようという物語のベースには、大人は子供を守ろうという何とも暖かい気持が感じられる 映画だった。 | |||
ミリオンダラー・ホテル | ★★ | 2001/04/21 | 31 |
短い時間ではあるが愛する人がいることの幸せを感じさせる映画、というのはいいんだけど、その主人公を知能が劣っているキャラクターにしてしまうと、純愛を素直に受け入れられなくなってしまう。それにしても、『アメリカン・ビューティー』に似てるなあと思ってしまう。 | |||
ツバル | ★★ | 2001/04/18 | 30 |
ビジターQ | ★★ | 2001/04/21 | 29 |
夫婦とその娘と弟の4人による、壊れた家庭を中心に繰り広げられる映画で、援助交際、近親相姦、通り魔、家庭内暴力、いじめ、薬物、主婦売春、レイプ、死姦、などなど、果ては映画では初めてではないかと思われる母乳飛ばしプレイまで、タブーとされていることがこれでもかと起こる。そこに1人の見知らぬ男が家に居座ることから、バラバラになっていた家族の様子がすこしづつ変わっていく。という話は『家族ゲーム』や『逆噴射家族』を連想させるが、家族の変化の過程はこの映画では明確に描かれてなく、何をしたから家族関係が良くなったというよりも、偶然によって良い方向に流れていく話にしか見えない。ということは、家族の再生というのはあくまで表向きで、数多く盛り込まれた変態行為を見て楽しむグロ映画というのが正しいのだろうか? 「ラブシネマ」第6弾ということだが、愛は感じられなかった。 | |||
アンブレイカブル | ★★☆ | 2001/06/09 | 28 |
私も子供の頃はウルトラマンなどのテレビのヒーローものが好きで、自分が変身するヒーローになった妄想を抱いていたものだった。さすがに大人になったら地球防衛軍に入るとまでは想ったことはないが、それでも平凡な大人になるなんて考えたことはなかった。大人にとっても、自分が社会の歯車の一部に過ぎない、いや歯車の一部ならまだいいが、何の存在価値のない、死んでも誰も困らない人間だと想うことは耐えられないことだろう。だから、人々は何かの形で社会のために尽くそうとしたり、自分の存在した証をこの世に残そうとする。 大学時代はアメリカン・フットボールの花形選手だったが、今はスタジアムの警備員をしていて、どうやら今の勤め先を辞めてニューヨークで働きたいとステップアップを考えているブルース・ウィリスが乗った列車が事故にあい、他の乗客が全員死んだのに彼だけは無傷だった。そんな彼の前に、どうやらかなりのコミックスマニアがこうじて、コミックスの画廊を経営しているらしいサミュエル・L・ジャクソンが現われ、ウィりスのことをスーパーマンのような強靭な肉体を持った実在するヒーローだと言う。最初はそんなことを信じていはいなかったが、次第に手を振れた人の心が読めたり、ものすごい筋力を持っていることに気づき、自分がジャクソンが言う通りのヒーローなんじゃないかと思い始める・・・。 以上のストーリーの映画なのだが、この映画はヒーロー誕生ものとはいえ、映画の雰囲気はあくまでシリアスでリアル。だから、観ている方も、まさかそんな能力を持った人間が存在するはずがない、ジャクソンは偏執狂なんじゃないか?という思いながら映画を観ることになる。ウィリスの息子も自分の父親がヒーローだと思うようになり、銃で父親を撃って確かめようとするところがあって、普通のヒーローものなら実際に発砲してウィリスが弾をはじき飛ばし、やっぱりそうなんだ!というふうになるのだろうが、ここではそうならない。ウィリスがスタジアムで警備中、能力らしきものである男(演じるのはシャマラン監督)が麻薬の売人とにらみ、所持しているはずの麻薬を身体検査で捜すが見つからなかった、といった能力の確かさに疑問を感じるミスをしたにもかかわらず、ウィリスは自分がヒーローだと思い込み、その力を世の中のために役立てたいと思うようになるので、彼が先走ったことをしている印象を受ける。 普通のアメリカ映画なら、人が能力を持っていたらそれを活用すべき、自分があることを成し遂げられると思ったら、たとえリスクがあってもその可能性にかけてみるべき、そうやって積極的に成功を勝ち取ろうとするのは常に正しい、といったアメリカンドリームがあると言われている国らしいプラス思考100%肯定映画になるだろうが、インド人のシャマラン監督によるこの映画は、目が見えるようになって更なる欲望を満たそうとすると前より不幸になることを描いた『星願 あなたにもういちど』や、古くは溝口健二の『雨月物語』のように、そうしたプラス思考が必ずしも正しくないことを描いた東洋的(?)な映画で、私にはこっちの方が共感できる。変に高い目的意識を持って、それを実現するために宗教やオカルトに走り、ついには大量殺人を行なったオウムのようなものを生み出した日本で生れ育った私としてはなおさら。 でも、これと『シックス・センス』の2本のシャマラン監督作品に共通して言えるのは、映画全体が1枚の大きな紙に書かれた設計図や相関図のようで、それを少しずつ見せながら最後に全体を見せて、「どう、これ? 良くできてるでしょう。」と言うことに一番力が入っているような作りで、反面その最後に至るまでの途中の部分が、観ていてどうも楽しくないし、今回で言えばバーベルを持ち上げていくところや、背中にSECURITYと書かれたフード付きのジャケット姿で駅に現われるところなど、それまでの映画の流れに逆らうような唐突な展開で、この映画どこに行くんだろう?と思ってしまった。でも、観ている間登場人物が何を考え、お互いどういう関係なのかさっぱりわからなかった『シックス・センス』よりは、この点では進歩していると言えるか。 | |||
イディオッツ | ★★☆ | 2001/04/21 | 27 |
知能が劣っているふりをするグループ。人前でどんな不作法な行為をしても、彼らを見た人たちは内心嫌な思いをしても、表立って文句を言うことはできない。グループがそのようなことをする目的は、人々の心の奥に潜む偽善と暴くというより、そのような存在が現代社会では最強の存在で、どんな傍若無人も許されることを楽しんでいるだけのようである。現に、本当に知能の遅れた人たちには、グループのメンバーはあからさまに嫌悪感を表わすし、仲間の1人を全身入れ墨の男たちの中に残し、芝居を続けざるをえない状況に追い込んで、その様子を見てあざけったりもする。しかし、そうした彼らも実際の彼らを知る人の前ではバカになりきれない。彼らは現実生活の問題から逃れてグループで行動しているとはいえ、それはお遊びに毛の生えた程度の現実逃避でしかないのである。そんな中、途中からこのグループに参加した女性が亡き夫の家に戻り、そこでバカの振りをすると夫の家族の男に張り倒される。人を張り倒す思いやりのない人間の存在、本当に逃げ出したいほどの深刻な現実の存在にさらに打ちのめされる。 人の心に潜む偽善をあからさまにし、さらに人の不純な行ないに強烈に嫌悪感を表わした映画だった。 | |||
タイタンズを忘れない | ★☆ | 2001/04/18 | 26 |
RUSH! | ★ | 2001/03/25 | 25 |
『現金に体を張れ』『パルプ・フィクション』のように時間軸を前後に行き来し、『リバース』『ラン・ローラ・ラン』のように枝分かれした未来がパラレルワールドのように複数存在する世界を狙ったのはわかるのだが、さすがにこれはすんなり理解することが困難な不親切な作りで、フィルムの順番を間違えたんじゃないかと半信半疑のまま観ていた。しかしこの映画、細かいところをどうこう言うよりも、作り手の熱気が観ていてさっぱり感じられないことの方がはるかに問題。低予算の日本映画にありがちな、やたら人けのないところでロケが行われていることの不利はあっても、それでもなお、である。 | |||
EUREKA | ★★★☆ | 2001/03/24 | 24 |
楽園をください | ★★☆ | 2001/03/17 | 23 |
リトル・ダンサー | ★★☆ | 2001/03/26 | 22 |
人々の心を動かすものが、理屈では説明できないものであるというのが良い。それは、ビリーが感情の高ぶりを抑えきれずにダンスとして体の動きに現われるところや、ダンスなど全く無縁の生活をおくってきたと思われる彼の父親が、ビリーのダンスを目の当たりにして考え方を変えるところに表われているのはもちろん、ラストのビリーは、ダンサーになれなかった彼の祖母と対比されるし、ビリーの友達が体は男でも心は女であるという存在は、まさに理屈はどうでも心の根っこは変えられないものの最たる例である。 | |||
ギプス | ★☆ | 2001/03/12 | 21 |
ギプスをつけた人に惹かれ、またそういう人を狙ってギプスを身に付ける、といった設定は一種のプレイのようで、同じ塩田監督の『月光の囁き』のSMやラストに包帯と眼帯をつけた主人公の姿を思わせる。でも、そこから先の2人の主導権争いのやりとりは余り面白くなかった。 | |||
式日 | ★★★☆ | 2001/03/13 | 20 |
他人に愛情を与えることができず、他人が自分に対して与える愛情を受け止めることもできない「彼女」(藤谷文子)。彼女の母親もまた、悪いことは全部他人のせいにするような人だった。そして、「彼女」はは愛情の感じられない身近な人を排除し、自分のまわりを自分の気に入ったものだけで埋めつくすことで、やっと自分の生きる意味を感じとっていようとする。彼女の姿はとても悲しく、そしてそれは、庵野監督の分身であるもう一人の主人公の「カントク」(岩井俊二)にも当てはまる。映画とそれを観る観客との間の関係は、一時の娯楽として表面的に受け止められることがほとんどで、彼は創作の意味を失いかけている。また、特にアニメは虚構の世界を映画の中に作っているものがほとんどで、それは「彼女」の行為にもダブる。わかり合えそうにない他者はどうやったってわかり合えず、そんな人たちとは徹底的にかかわらないという、いかにも現代的な人々の姿を描いているが、庵野監督の考え方はポジティブで、それでも1歩踏み出そうと騙りかけている映画である。また、それはオタク批判ともとれる。 改めて『ラブ&ポップ』のことを思うと、あの中の少女たちには、どう働きかけても彼女たちには受けとめてもらえないという絶望的なものがあったのだが、それでも人の心の中は闇ばかりということはない、もっと他人を信じていいんじゃないかというという思いが『式日』同様にあったことに気づいた。『ラブ&ポップ』のリアリティのあるキャラクターと違って、『式日』の少女は虚構そのものなので取っ付きにくさはあるかもしれないが、庵野監督の思いが強く出ている映画である。 | |||
BROTHER | ★★★ | 2001/04/18 | 19 |
回路 | ★★★ | 2001/03/26 | 18 |
この映画も『カリスマ』のように、なんとなく解ったような解らないような映画。でも死を題材にしている以上、死とは何かといった問題は黒沢監督にも答えが出せなかったようで、漠然としているのも無理がない。 この映画で不老不死のことがチラッと触れられているが、現代の最新医学ではその実現の可能性が見えてきたところである。そして、それが実現された時に、果たして人類は永遠に生き続ける人間になるのか、それとも永遠に死なない幽霊のような存在になるのか? もし、みんなが幽霊のようになってしまったら、それこそこの世はあの世からやって来たような幽霊たちで溢れかえることになる。いや、人間か幽霊かというのは何も寿命という制限時間が外されてからのことではなく、今現在でも生き方によっては人間のようにも幽霊のようにも生きることができる。例えば、ネット経由の人間どうしのつながりでは、生々しさが感じられないぶん、相手が幽霊のような存在に近くなる。孤独を感じた人間が誰かとつながりたいと考え、その相手との関係が幽霊同志のようであると、この映画に描かれているように人間が霊界に取り込まれたともいえる。そして、誰かとつながりたいという意識がどんどん強くなっていくと、それは逆に孤独を強く意識することにもなる。 この映画で描かれている以上のようなことが、現実の社会を反映している思われることが、この映画のゾッとすると怖さである。それと同時に、この映画では『CURE』『降霊』などの黒沢ホラー作品にも見られたような、生理的にゾッとさせられるホラー・ショットが、10や20じゃきかない程ふんだんに見られる。論理的な怖さと生理的な怖さが1本の映画に同居していることで、前者の説明的なことが後者の恐怖を弱めているとも言えるが、ここは両方の怖さで全体的に漠然と怖い映画になっていると考えたほうが良さそうだ。 | |||
アタック・ナンバーハーフ | ★★ | 2001/03/26 | 17 |
弱くて馬鹿にされていたスポーツチームが、悔しさをバネに頑張って次第に強くなっていく、といったスポ根もののパターンを期待してこの映画を観るとかなりガッカリする。馬鹿にはされるが屈辱感は感じないし、どんどんバレーボールがうまくなるかといえば、最初から素人にしてはかなりうまく、練習熱心でうまくなったというふうには見えない。この映画はむしろ、スポ根ものに見られるような重苦しい要素は徹底的に排除して、オカマという白い目でみられがちなひとたちをみんなの人気者として描いた、楽しくほのぼのとした映画である。 | |||
アヴァロン | ★★☆ | 2001/03/03 | 16 |
星願 あなたにもういちど | ★★ | 2001/03/03 | 15 |
狗神 | ★★★ | 2001/02/25 | 14 |
映画の中の世界を実感できるものにするということに対して、ものすごく力を注がれた映画。まず、何といってもロケ地がこの映画にピッタリで、オープニングの空撮で、ふもとから山奥へと次第に山々を覆う森が深くなっていく日本の風景を見ていると、自然にその世界に引き込まれてしまう。天海祐希演じる紙すきの仕事が、その土地と深くかかわっているものなので、風景の描き方がおろそかでは台なしになってしまう。更に、標準語がほとんど使われないこと、テレビや携帯電話が登場しないなど、役者の演技や大道具小道具の細部に至るまで演出の注意が払われているので、この映画の舞台のような所では今でも土地や因習が人々を縛りつけていても不思議ではないという気になってくる。(これはもちろん現実がそうかもしれないというわけではなく、フィクションとしての映画の中の世界の話である。) | |||
弟切草 | ★☆ | 2001/03/03 | 13 |
普通の映像ではお客さんにウケないと言わんばかりに、ほぼ全編に渡ってヴィジュアルをいじくっている映画。でも、それが何を目指しているかはよくわからないです。この映画はホラーなのか、それとも別なものなのか? ホラー、スリラー、サスペンス、いずれにせよそんな映画の描写では「間」とか「リズム」とかが重要で、そういう感覚を理解してないと、いくらテクノロジーが向上しようが、ヴィジュアルをトリッキーにしようが、それじゃちっとも心を動かされないというという、ダメな見本みたいな映画。あくまでこの映画がそんなジャンルの映画だとしたらの話だけど。 屋敷の中を歩いていると、秘密の部屋の鍵を見つけて・・・といったゲームの要素を取り入れたストーリーも、どーでもいいっちゃーどーでもいい内容で、結局どーでもいいような映画なんだけど、どーでもいいことはどーでもいいと割り切れれば、どーにか楽しめないこともない。 | |||
張り込み(2000 日) | ★★☆ | 2001/02/21 | 12 |
処刑人 | ★☆ | 2001/03/03 | 11 |
この映画の敗因は、ウィレム・デフォーが最初に登場するシーンで、彼の芝居がかった捜査方法に大ウケしてしまったので、そっちの方の期待が一気に高まったものの、結局その期待に応えるほどではなかったから。いや、本当はその後もかなりの見せ場はあったのだが、どちらかと言えば最初の派手な印象から次第に傍観者へとトーンダウンしてしまったのが残念。こういうのは尻上がりにエスカレートしてくれないと。 「法が裁かない悪は俺が裁く」といった内容の映画だが、法律の生ぬるさを訴えるといった社会的なテーマはこれっぽっちもなく(もしくは、本当はあるのだが、全然成功していない)、この映画の面白さはそのムチャクチャさにある。でも、それにしてはハジケ具合がもの足りなく、もっと徹底的にやってほしかった。 | |||
ただいま | ★★★ | 2001/02/21 | 10 |
クリムゾン・リバー | ★★☆ | 2001/02/06 | 9 |
映画を見ている間は楽しめるという点で、十分合格点。2人の刑事がそれぞれ別々に追っていた事件が、やがて結び付いていくというやや込み入った展開だが、映画の真ん中あたりでそれまでのおさらいのようなシーンが用意されているのが助かる。それでも一部つながりがわからなかったりするのだが、それが気にならないのは、2人の刑事のオカシイやりとりや、おどろおどろしいシーンから派手なアクションまで、様々な見せ場が変化に富んでいることがこの映画の面白い点だからである。 | |||
ヤンヤン/夏の想い出 | ★★★ | 2001/02/06 | 8 |
結婚式で始まり、出産を経て葬式で終わるこの映画が描いているのは正に人生。ちょっとした出来事が人生の分かれ目となり、過去に対して後悔の思いがあっても、決して時間を逆に進めることができない。でも、そうした過去から未来への時間の流れを受け入れて生きていくのが人生であると、実に堂々と描いている。 ただ、1人の人生を最初から最後まで描いているのではなく、人生のパートを親子3代の家族のメンバーそれぞれが受け持つという構成が凝っている上に、これ見よがしの大量の比喩が次々に出て来るので、私のような凡人の頭脳の持ち主では、それぞれの比喩が何を意味するかを理解しながら観ることなど不可能。言いたいことがあるなら、そんな回りくどいことをしないで、セリフでズバッと言えばいいのにと思ってしまった。 | |||
ダンサー・イン・ザ・ダーク | ★★★ | 2001/01/29 | 7 |
ゴッド・アンド・モンスター | ★★☆ | 2001/01/14 | 6 |
ザ・セル | ★☆ | 2001/01/14 | 5 |
この映画には、 ・『羊たちの沈黙』を思わせる猟奇的な映像 ・ジェニファー・ロペスが心に闇を持つ人に接し、なんとか救いたいという思い ・心の中というバーチャル空間で、何でもありのイメージを見せる ・派手な衣装と美術による華麗な映像 ・血みどろのグロテスクな映像 ・子供の虐待という、現代アメリカの問題 ・命の危機に瀕している事件の被害者の居所を、時間内に捜し出して救えるかというスリル ・ジェニファー・ロペスと担当刑事の間の恋愛感情のようなもの といった相反する数多くの要素があり、さすがにこれだけ詰め込まれていると、どっちつかずで中途半端。全体的な印象は、人間描写が薄っぺらだし、見どころのビジュアルも軽い。欲張っちゃったのかな? もっと心を描くことをメインに重々しい映画にすべきだった。 | |||
DEAD OR ALIVE2 逃亡者 | ★★ | 2001/01/14 | 4 |
三文役者 | ★★★ | 2001/01/14 | 3 |
PARTY7 | ★★★☆ | 2001/01/09 | 2 |
映像の見た目が新しいっぽい映画って、見てくれだけだったり、手法だけが上滑りしていたり、頭の良さは感じられても心にグッと来るものがなかったりすることがよくあるのだが、この映画では映像的にキマっているだけでなく、バカバカしさを剛速球で客席に向けて投げつけているような映画全体の雰囲気がそれ以上に強烈で、観ていて圧倒されるし、前述のようなイヤミなカッコつけ映画には感じられない。登場人物たちがかみ合わない会話を続けるのを観ていて、観ているこっちまでイライラした気分になってくるのが、なんとも楽しい。 | |||
ホワット・ライズ・ビニーズ | ★ | 2001/01/09 | 1 |
最初はミステリー映画風に始まるのだけど、パソコンの電源が勝手にオンになったりとか、どうもおかしなことばかり起こるので、幻覚や妄想が混じっているのかなと思っていたら、映画が始まってから真ん中ぐらいになって、初めてこの映画が幽霊が出てきていろいろやらかすものだということがわかり、ついでに映画の最初3分の1ぐらいが本筋には全く関係がなかったこともわかって・・・。こんないい加減な展開のため、後半はストーリーや先の展開を追う気がすっかり失せてしまった。 そんなわけで、この映画ちっともサスペンスじゃない。観客の心を引き付けてこそサスペンス映画なのに、ストーリーが全くそれに役立っていないどころか、足を引っ張ってしまっているヘロヘロなもの。結局この映画って、10分に1回ぐらい「ワッ!」と言って観客を脅かしているだけ。しかも、幽霊さんが話にカラむシーンが少な目なもんだから、ヒマな時にストーリーや映画の中の彼女の役割とは無関係に、観客を脅かすだけのために、突然大音量で音楽を流したりとかの心霊現象を起こしてたってわけね。あーあ、いいかげん。 さらに許せないのが、サスペンスになってない映画に、多くのヒッチコック作品から頂いたショットなどを入れて、サスペンスの神様の後継者づらをしていること。『メル・ブルックス 新サイコ』じゃあるまいし。だいたい、ヒッチコック作品に不意打ちで脅かすような、幼稚園児でもできるような芸のないシーンは1つもないぞ。ヒッチコックのことに余り詳しくない人が、「ヒッチコックってこんなもんか」って誤解したらどうする。不出来な映画に勝手に引用されては、さぞかし彼もあの世で迷惑がっていることだろう。何でもかんでもオマージュだといって持ち上げるなんてとんでもない。 |
2001年公開作品(テレビで鑑賞) (1作品) 2001/05/01
映画祭/未公開作品 (10作品) 2002/12/15
ビデオ、劇場上映 (3作品) 2001/08/22
タイトル | 採点 | 更新日 | 累計 |
柔らかな頬 | ★★ | 2001/08/22 | 3 |
告別 | ★★☆ | 2001/08/22 | 2 |
女学生の友 | ★★☆ | 2001/08/22 | 1 |
旧作 (43作品) 2002/01/27
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