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Cat's 観能記  観能復習 2002

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2002 一覧  50音順      
翁 2.17  葵上 4.29  井筒 11.24   鉄輪 11.16+1.19  熊坂 4.29  小督 11.16
白田村 7.19  隅田川 11.08  大会 2.17  高砂 2.17  天鼓 11.24  道成寺 12.08
東北 4.29   羽衣 替之型 2.17  花筺 筺之伝 7.19  船弁慶 9.21  放下僧 2.17
屋島 2.17  楊貴妃 9.21  熊野 1.19  養老 11.24  羅生門 12.11
狂言
悪坊 2.17  柿山伏 12.07  蝸牛 7.19  鎌腹 11.08  子盗人 1.19  昆布売 2.17
末広かり 2.17  佐渡狐 12.07  磁石 4.29  宗論 12.07  八句連歌 12.11+12.8
文立山 11.24+11.16  棒縛 12.07  謀生種 12.07  箕被 2.17  呂蓮 9.21



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舞囃子
[雲雀山]
[雪]  
雪踏之拍子
[櫻川] 
東京能楽囃子科協議会定式能  
12月11日(水) 1:30〜 国立能楽堂  

(観)観世喜之
    大鼓…亀井広忠 小鼓…鵜澤洋太郎 笛…一噌幸弘
(剛)金剛永謹
    大鼓…安福光雄 小鼓…幸 清次郎 笛…松田弘之
(観)関根知孝
    大鼓…高野 彰 小鼓…坂田正博 笛…川本義男
 [雲雀山] お能になるとよいのかもしれjませんが、舞囃子では足元に魅力がないと、 あまり面白くない感じ。お囃子わりあい良かった。
 [雪] 雪踏では音が高くなるのか、松田さんの笛に迫力がありましたが、 魅力ある音域の上限が多いような感じで、少々残念。 「土に落ち身は消えて」 も 「我とはいさや白雪の」も高いのが、 地謡の調和とボリュームの面であまりよくありませんでした。足拍子の音が無いのも結構単調。 「雪」の言葉とメロディーが好きなので、お仕舞の前後をどう動くのか興味がありました。
 [櫻川] すっきりと見栄えのする舞でした。流派で所作の場所が違うのも面白かった。 地謡は、今日の中で一番よかった。
一調
[誓願寺]
山本順之  太鼓…小寺佐七
おとなしい取り合わせでした。
狂言
[八句 
 連歌]
野村万作 野村萬斎
なんというか、“性善説八句連歌”でした。居留守を使うのがお金の貸主のほうで、 展開が人間学的に複雑なのだけれど、お話は単純という感じ。
“万作”のことづての句に興味を感じた貸主“萬斎”は、 「居留の者ですぅ」と言ってしまった以上会うに会えず、そっと家の外に出てから、 「ただいまー」という感じで“帰宅”するのが律儀だ。 返済を延ばしてほしい句と、返してほしい句は、松がなんとかという、山本家と同じみたい。 気の利いたことを言う“万作”に、“萬斎”が証文を返してあげると、喜んで帰っていくのでした。
今日の貸主は、もともと金額的にさほどとは思っていなくて、言い訳ばかり続ける万作があわれで、 それなりに真面目なヤツだし、チャンスがあったら反古にしてあげようかなぁ、と思っていた感じ。 見ていて気持ちの良い舞台でしたが、先日の「もう恐れるものはない」 びりびり、くしゃくしゃ、ぺっ、 の東次郎さんは、すごかった。

宝生流
[羅生門]
シテ…高橋 章(鬼)
綱…宝生閑 頼光…森 常好 保昌…殿田謙吉
   梅村昌功 則久英志 大日方 寛 舘田善博 御厨誠吾 宝生欣哉
アイ…竹山悠樹
大鼓…国川 純 小鼓…住駒昭弘 太鼓…金春惣右衛門 笛…藤田次郎
例の「蚊相撲」の蚊の精と大名と太郎冠者が揃って登場したので、は?乱能?とびっくり。 侍烏帽子で10人ほどがずらーっと並んだのは壮観で、おもしろかった。 森常好さんが「頼光は私でーす」、殿田謙吉さんが「羅生門に鬼が出るそうです」、 宝生閑さんが「みかどのお膝元にそんなことは無いでしょう」 「いい加減な話ではありません、行ってみてください」「そうしようではありませんか」。 武者は、揃って退場。なんだか残念で、もう少し居てほしかった。
一畳台の右上に、お宮のような赤い屋根がのって、紫の布に覆われた羅生門が建つ。 アイは近くの住民で、近頃の物騒なうわさ話をしていく。
登場した綱は、「渡辺の綱はー、口論からこういうことになってー、兜の緒を締めー、 家宝の太刀を差しー」と自分で自分を説明している。台に乗り、証拠の木札を屋根の近くに置くと、 なんだか、それは中に入ったようで、見えなくなった。すると、門の左上の一角の布が少し三角に開けられ、 にょっきりとむき出しの腕が出て、綱の兜の後ろを掴んだのでした。アンビリーバボーとはこのことか。 すっぽりと脱げた綱は、カツラを脱いだバッハのよう。門の後ろから姿を現わした鬼は、 兜を投げ捨て、綱と闘います。激しいバトルで、打杖を持った腕を切り落とされたようで、 逃げて行きました。 地謡の中で 「また機会がきたら、取るぞ」 というのは、 鬼が腕を取り返しに来ることなのでしょうか。 とにかく、愉快な構成にうれしくなってしまいました。お能って面白い!


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[道成寺]第八回 青藍能 工藤 寛
12月8日(日) 午後1:30開演  国立能楽堂
仕舞
[八島]…今井清隆  (香川県屋島で、義経の霊が語る)
[花筐]クセ…豊嶋訓三
[融]…松野恭憲

  地謡…塚本嘉樹 廣田幸稔 種田道一 松野洋樹
「屋島」、大変かっこよかった。気迫があって見どころの連続という感じ。 「花筐」は内向的に秘めた穏やかさで、「融」は格のある迫力だった。 地謡、少し物足りなかった。
舞囃子
[熊野] 
 花之留
金剛永謹
  大鼓…安福光雄 小鼓…幸 信吾 笛…松田弘之
  地頭…元吉正巳 片山峯秀 今井清隆(地頭) 塚本嘉樹
始め地謡が続き、「寺は桂の…」が、はっきり響いて驚いた。 素晴らしい笛の迫力ある陰影に、舞もドラマチックに映え、やがて、 「俄かに村雨の…」と問い掛けると、地頭の方が、「…花の散りそうろ」と受けるのが、 とてーーも素敵だった。今度お能を見るときの楽しみが増えた。短冊をしたためる所など 見ごたえがあり、「心変わりしないうちにお暇しなくては」とちょっと可笑しみもあって、 面白かった。舞囃子「巻絹」には降参したが、これは大歓迎。花之留、また見たい。
狂言
[八句 
 連歌]
何某(東次郎と呼ばれていた)…山本東次郎  貸主…山本則直

聞いて意味がわかるかどうか…。
面白かった。東次郎さんて、どこから声が出るのかな。 「あの御仁は、また戻ってくるタイプだから」 と裏から抜けると、そこでばったり行き逢うというのが可笑しい。 貸主の詠む句は「返せ返せ」と聞こえて、“東次郎”の句は「返せない」と聞こえる。 忘れてしまったが、それなりに聞き取れておもしろかった。ほんのちょっとの「てにをは」に注意すると、 ぐんと句が締まるのは、だれしも経験していることで、 それが、散々こだわった証文を返してもよい程となると、連歌はまさにステータスなのだ。 帰る道々、だんだん事態の実感が湧いてきた“東次郎”が、証文を丸めて打ち捨て、 「これで、もはや、世に恐いものはない」というところ、本性を現したイアーゴ(オセロ)の雰囲気。 本日只今より、幕の向こうでどんな人物になるのか、見届けたい感じであった。

[道成寺]
シテ…工藤 寛 ワキ…和泉昭太郎 藤野藤作 荒木吉治
アイ…山本東次郎 山本則直
大鼓…安福建雄 小鼓…大倉源次郎 太鼓…観世元伯
後見…豊嶋訓三 種田道一 豊嶋幸洋
地謡…遠藤勝實 片山峰秀 坂本立津朗 元吉正巳
       山田純夫 今井清隆 松野恭憲 廣田幸稔

鐘後見…金剛永謹 松野洋樹 田村 修 荒川 進 榎本 健
鐘を吊るところが面白い。鉤針編みの巨大な棒を、舞台の中で操る姿に感心。 幕が上がり、白拍子が走り出る。力がみなぎっている感じ。 しかーし、壷折のウェストが面より前に出てません? 久々に拝見する安福建雄さん、 高い声で「イオッ」 カーン、「ウォ」 カーン。プログラム裏表紙の草書の 「花のほかには松ばかり…鐘や響くらん」が、若々しく響く。 源次郎さんがこちらを向いて下さって!?「イヤーッ」と鬼瓦のようになってポン。 少しハスキーに「イヤーハーーッ」、ますます深い彫りになり、ポン!すごーぃ。 蛇は、階段の真中を真っ直ぐに一心に、鱗の足で登っている感じ。 間で、体を沈めて「イヤーー」ポン。 と、カクカクと動きはじめる。 「春の夕べを来てみれば…花や散るらん」に、「夕べ」とか「暮れ初めて」とか、 情景の時刻を初めて意識した。鐘が少しずつ降りてくる。 鐘の左に行き、左足でドン!『いざっ』、『まってました!』と念が飛び交ったと思う。 縁に触れ、烏帽子をかなぐり捨て、鐘の下に立って、跳び上がり、中に消えて、どしーんと鐘が落ちる。

寺男が転がりながら登場。大変な地響きだったのに、お坊さんは気がつかない。 広い境内なのだ。それとも妖力の局地的現象か。「一緒に報告に行こう」「お一人でどうぞ」 「こういうときのために、めんどうみてるのに」「それはそれ、では失礼」、 わかりやすい会話にびっくり。道成寺で笑えるとは。
お坊さんも、熱くて触れないと言っている。昔の出来事を話し、祈り始める。「川の真砂は尽きるとも」 法力は尽きない、のか、尽きるまで頑張るのか、よくわからなかった。五右衛門のように「尽きまじ」とか はっきりして欲しい。鐘が少し持ち上がって、また下に。ジャジャジャーンと盛大に鳴り響き、 上がり始めた鐘が激しく左右に揺れる。

蛇体(とプログラムにある)は、唐織を、胸高に巻きつける。あ、し直しているわ。 般若の目と歯が、ぎら、ぎら、っと光る。唐織が白地なので、あまり悪者には見えない。 打杖を振り上げ、僧と押しつ押されつの激戦、橋掛りをずっと向こうまで逃げ、また押し返してくる。 しかし、遂に走って逃げ去り、幕の向こうの日高川に、どぼーん!

わーっと、クレシェンドで終わった感じ。ぱたっと音の無い世界が夢のようで、 廊下に出て、たくさんの普通の人々の音を聞いているうちに、やっと地球に戻れた。
今日は正面角柱寄りの席だったので、鐘後見の方の様子がよく見え、また、舞台上の配置も、 空間的にふさがった感じではなく見えてよかった。僧の紫の衣に素敵な存在感があった。 笛は“小面”の雰囲気だった。
プログラムが、教科書のようで、詩章の流れを追って説明、解説が入っていて、 読み進めながら、場所場所で、必要なことがわかる仕組みに感心した。



  <発表会見聞録>
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狂言
[佐渡狐]
14:20頃
第5回 万酔会 (野村万之介さんのお弟子の会)
12月7日(土) 13:00〜17:00  銕仙会能楽研修所

シテ:佐渡のお百姓…前田誠司
越後のお百姓…加藤 悟  奏者…三遊亭竜楽

佐渡に狐がいるか、いないかを争う。
おもしろかった。奏者の袖の下の受け取り方がよかった。 三度断られて引っ込めるのではなくて、四度目をお勧めしなければいけないというのが参考?になった。 両手を広げる越後の懸命の目隠しをかいくぐって、 佐渡と奏者がカンニングし合う三つ巴のアクションに笑えた。 奏者が立ち去り、越後の「ところで…」という感じに、うずうずと期待が高まって、 佐渡がだんだん窮していくところに盛り上がりたかったのだが、いまいち。 ちょっと一本調子でした。 で、キツネはやはり、佐渡にはいないのでしょうか。
狂言
[柿山伏]
山伏…大島英司  畑主…濱田義孝

柿の木に登って柿を食べているのは、烏か、猿か。
こういう山伏さんなら、柿くらい上げてもいいのではないかという気持ちになる。 扇を広げてばさばさ、というところがよかった。 飛び降りなくてはと場所を探して、高さにひるむのがおかしかった。 葛桶がぐらぐらして、スリル満点。畑主がすごくて、温厚そうに見えたり、 こわーい人に見えたり、なかなかのものでした。山伏が術をかけると、「なーに言ってるんだか」 という感じが、おもしろかった。その後、手繰り寄せられるところは迫真の演技。 ばったり倒れた後姿に、にじみ出る味があって、この方に興味津々。
狂言
[棒縛]
太郎冠者…宮崎亮一 次郎冠者…西本直久 主…朝生啓嗣

留守の間に使用人にお酒を飲まれないようにする策は成功したか。
大変な力演。まず、棒術のご披露に、おー、と感心。 そのおかげで、棒付人間にされてしまった太郎さん、甕からお酒を汲むも、 哀しいかな自分の口には届かない。気前よく、“お縄”になった次郎に飲ませてあげる。 器の中のほうから、いかにも美味しそうな、無我夢中の音がする。 その後、太郎も、汲んだ器を次郎の後ろに縛られた手に持たせ、無事味わうことができた。 実は、次郎さん器を斜めに持ったので、後ろがびしょびしょになったと思う。 やがて、二人はうきうきと、そのままの姿で謡って舞って、宴たけなわ。 と、器のお酒にしわい主人の顔が映る、というのがちょー傑作。 気のせいにして、悪口まで言ってしまうおまけ付き。 逃げながら、太郎は棒の先でひょいひょいと、イエローカードくらいに主人をあしらう。 おもしろかったけれど、現代では問題のある曲かもしれませんね。
狂言
[謀生種]
甥…山崎宏之 伯父…池田篤彦

ほうじょうのたね
上手な法螺話の秘訣は、庭に埋めた嘘の種である。
この伯父のすごさは、相手の話の一部を取り込んで、更に大きな作り話にしてしまうことだ。 「そういえば、ものすごく巨大な大木があって、それをくり抜いて大太鼓を作った。 皮は、先ほど話に出てきたその巨大牛だ」 となれば、そんな大きな牛などいない、とは言えない。 実に悔しいし、その上、つい乗ってしまって庭まで掘ったとなると、 少々のことでは挽回できないくらい落ち込んでしまうに違いない。しかし、この伯父上はなかなかセンスがいい。 琵琶湖に抹茶を入れて、大勢が箒で泡立てたのを何かが飲み干すのだが、 その泡が吹き寄せられた?ところが「(新)粟津」なのだ。 よくある民話のミネラルウォターのまま飲み干すより一味凝っているし、泡まで視野に入れるなんてさすが。 動きの少ない話術ものであったが、おもしろかった。
狂言
[宗論]
浄土僧…眞鍋廣志 法華僧…小原宏章 茶屋…佐藤嘉久

■ 「五十展転随喜の功徳」→芋茎(ずいき)
  「一念弥陀仏即滅無量罪」→無量菜
  両宗旨へのイメージの違い。二人は、なぜ和解できたか。
嫌味な役が上手、というのは誉めたことになるのかどうかわからないが、 法華僧にまとわりつき、おちょっかいを出す浄土僧の憎たらしさといったらなかった。 日蓮上人の「南無妙法蓮華経」を唱えれば、ありがたい随喜の涙にひたると、随喜の連発に何やら芋茎も混じり、 『釈迦が芋茎汁を飲んだか?』と半畳が入る。数年前、懐石で初めて芋茎(ずいき)を知った私としては、 おもしろかった。一方、黒谷の法然上人の「南無阿弥陀仏」を唱えると、お膳の献立になるのがわかりにくい。 とにかく、あれもこれも違う二人が、お勤め競争を始めることになる。 それぞれのお題目?を連呼しているうちに、お互い相手につられて、大嫌いなそちらを口ずさんでしまっていた。 なーんだ、何を唱えようと自分は自分、宗派が違っても同じ仏弟子、と仲良く立ち去る。 宗教では嫌悪感を克服できないのか、何のための宗教なのか、面白かった。


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[養老]
円満井会能     
11月24日(日)矢来能楽堂     

シテ…平 友恵  ツレ…大澤久美子
ワキ…村瀬 純 他2名  アイ…大蔵教義
大鼓…安福光雄 小鼓…幸 信吾 太鼓…小寺佐七 笛…寺井宏明
後見…高橋 汎 横山紳一
地謡…金春憲和 井上貴覚 本田芳樹 中村昌弘
     辻井八郎 吉場広明 高橋 忍 山井綱雄

■ 前半は老人と孝行息子が勅使に会って、霊泉のありかを教えるところ。 後半は山の神が現れ、水の徳を讃えて爽やかに舞を舞い、平和な世が続くよう祈ります。 「水」は生命の源、「うるおい」は肉体、精神、又あらゆるものに不可欠です。(「シテの心意気」より)
いつも、面は小さく、体は大きな動きを見慣れているので、面の大きさに合った体では、 日常の出来事のような気がして魔法がかかりにくいが、昔の男性は小さかったかもしれないし、 実際、博物館で見る能装束は、会場の広さとの錯覚はあるとしても、妙に小さいし、 発祥の頃の舞台上の大きさのバランスは、どんなふうなものであったのか、興味を感じる。
自然な言葉で、作ったような声でなかったのが感じよかったが、 老人を声で表現するのはむづかしようで、少々響きの魅力に欠けた。安福さんの声がかぶるし。 動きは控えめに老人らしくあったが、所作の変化が曖昧で、 自然の中に生きている人の凛としたようなところも欲しかった。

アイの里人が若いながら、言葉も動きも大きく堂々としていて、貫禄があった。 豪勢な黒いあごひげが、息でぷぅっと動くのがご愛嬌。舞いながら、大小前でこちらを向いたときに、 ひげの簾がなくなって、“そのまま”になって若返ったのが面白かった。
この方を見ていると、家の芸の何を伝え、どう受け留めたかがわかるような気がして、好きだ。

世阿弥の自信作(能楽手帖)だそうですが、当時は、前場の親子は実在の人物としてワキと一緒に舞台に残り、 別の役者が山神になって現れ、かつ、老体であったらしい。しかし、格式のある洗練された神ではなく、 自然の荒荒した神とか。で、こんにち、若い山神が颯爽と現れ、溌剌と霊泉の奇跡を寿ぐ。
紺地に金の狩衣が雰囲気を作り出し、袖が舞うのが楽しみ。ワキの豪華装束と相乗効果で、ハレの舞台だ。 前場とは逆に、大きな所作のつながりが少しぎこちなかったが、地謡もお囃子も盛り上がって、生き生きしていた。
小鼓の方には、精神的ケアが必要な感じ。
狂言
[文立山]
シテ…大蔵基誠 アド…榎本 元
おもしろかった。勢いがあって、楽しい熱演でした。
「ただかりそめに家を出で…」 という書き出しが素敵だ。さっさ、ぴんぴんと紙からはみ出して書いている文が、 そういう内容というところも、可笑しい。 書き置きの筆は、指なのか、扇なのか、今度同じ大蔵家で確かめる楽しみもできたし。 声を合わせて読むところも、ぴったり、いい響きでよかった。 演者の家系で違っていたり、年代で違っていたり、舞台は面白い。 ところで今日は、580歳、七回り、の長生きでした。わかりませーん。

[井筒]
シテ…上野寧子 ワキ…野口敦弘 アイ…宮本 昇
大鼓…上条芳暉 小鼓…神保道世 笛…
後見…金春安明 井上貴覚
地謡…赤羽たか子 長谷川純子 箕輪扶由子 藤江桂香 
     平 友恵 富山礼子 島原春京 久保田葵美


■ 『井筒を照らすのは十七夜か十八夜の月の想いがしてならないのです。 男への思いと、その心変わりを語るとき、女は殆ど動きもなくひっそり耐えています… ついに業平の姿を借りて謡うとき、男の心と、女の心で謡うようにと教えられたものでした… 序の舞の静かさから次第に心は高まり、いつしか薄の陰に消えてゆく…』(「シテの心意気」より)
初冠の耳のところのウニのようなとげに挟まれた白くうつむく面、 紫の長絹、朱色のような赤に扇面と小花の刺繍の腰巻の裾、色入りの扇、 どう見ても情熱的スタイルだ。井戸に向かって歩み始める時、 一瞬、空気が揺らいでよかった。ここのところが好き。 右の袖ですすきをはらう。井桁が胸まであるように見えるのがいまいち風情が。 女性の面から女性の声がするのは初めて。少し地味。
とにかく地謡が素晴らしかった。ぐっと抑えたところ、盛り上がるところ、 草をゆらし、地をながれ、言葉が続く。 静かに、凝った幽霊の回顧録でした。

[天鼓]
シテ…梅井みつ子 ワキ…鏑木岑男 アイ…大蔵千太郎?
大鼓…大倉正之助 小鼓…古賀裕己 太鼓…大川典良 笛…田中義和
後見…本田光洋 本田布由樹
地謡…本屋禎子 大澤久美子 深津洋子 原田英美
     中田智久 仙田理芳 高橋万紗 長谷川洋


■ 『後漢の時代の中国を舞台にしたフィクションです。 風土・時代共に迂遠な世界とも思えますが、天賦の宝を授かった少年の非業の死と老親の嘆きは、 現代にも訴えるものがあります。』(「シテの心意気」より)
ビブラートの強い声で、雰囲気が出なかった。普段の謡はどうなのだろうか。 正之助さんが、かっこよかった。 最後に一畳台を下げるときお手伝いに現れた方、あまり思いやりがなさそうでした。
『シテの心意気』というのは、金春円満井会のページに載っている記事です。
さて、女性のシテについて、故白州正子さんのような経歴の方が、 能は女性には出来ないと悟ってぷっつり止めてしまった、という文を残すと、経験もしないで、 その言葉だけを受け取ってしまいそうになるが、好きな道を自分にどう活かすかは、 各自が判断すればよいと思う。
今日の観客は、思い切り発表会応援のような感じで、 あるいは、そういう立場の出演者もいらしたのかもしれないが、とにかく、 2チームも、女性だけで地謡の編成を組めるとは、すごいことだと思う。 ところで、半々の混声というのは、ないのだろうか。


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研修能
[ 車僧 ]
第4回 東京金剛会例会能
11月16日(土) 国立能楽堂

シテ…荒川 進 ワキ…舘田善博 アイ…若松 隆
大鼓…柿原弘和 小鼓…森澤勇司 太鼓…徳田宗久 笛…田中義和
数年前にも「車僧」を見逃した。 今日は、すぐ近くまで行って大渋滞で時間が経ってしまった。 お囃子も楽しみにしていたのに残念。
仕舞
[金札] 猪野宏實  [杜若]キリ 奥山勝作  [枕慈童] 榎本 健
[金札]はお能を知らないせいか、謡も動きもよくわからなかった。奥山さんは、声がよかった。 [枕慈童]の盛りだくさんなのに驚く。いろいろな型のバリエーションの連続。 上羽の後半の言葉があやしくなるのわかるなー。

[ 小督 ]
シテ…遠藤勝実  ツレ…見越文夫  ツレ…大川隆雄
ワキ…森 常好  アイ…山本則俊
大鼓…内田輝幸  小鼓…北村 治  笛…松田弘之
柴垣が途中で退場していって、邸に変身。 そういう違いもあるのかとびっくり。 笛の響きに、ぜひ、この集約度で舞台も進んでいただきたいものと期待。 仲国の言い方が少々聞き取りにくく、音楽的効果がいまひとつだったが、 袖の緒を結んで首に掛け、さっそうと帰るところがおもしろかった。
一つの奉書が、帝からのお手紙と、小督のお返事になるのが、なんとまあ合理的なこと。 小督と侍女は、双子のような明るいオレンジの装束で、裾をつぼめて不安な歩み。 もう少し広く着てはいけないのだろうか。勅使の装束は、肋骨模様(大きな桧垣)だった。 地謡のまとまりが、いまいち。
狂言
[文山立]
山本則直  山本則俊
面白かった。以前のわんわん畳み掛ける言い方ではなく、聞きやすかった。 追い剥ぎに失敗した後という設定が本でわかって、なるほどと納得。
「茨の上に落ちたら痛いから、安全な所で闘おう」とかいうところで、もう、こちらは、 ふにゃけてしまって、楽しい期待。 決闘を中断するのに、「出し抜くな」とか、ちょっとの気配でまた殺気立ち、 一、二の三で、同時に刀から手を離すところなど、疑惑と妥協の描写がよかった。 妻への置手紙に「余儀ない事情でこんなことになってしまって…」と書いて、 声を合わせて読むのが、同質の兄弟デュエットなのも面白かった。
で、いつまで決闘を延ばすかで、2日?3月?5年?で、無期延期。 めでたく580歳、七回り半?まで生きようと、終わる。これがどうも、 すごく説明して下さっている感じなんだけど、わかんない。
連吟
[三輪] 高木貞次 斎藤忠 平井孝一 吉田信司 川合重穂 金子昇
しばらくの間に、随分新しいメンバーが増えたものと、つくづくと拝見。 まあまあ、よい響き。
仕舞
[龍田] 種田道一  [綾鼓] 豊嶋訓三
大変真剣な龍田だった。よかったが女神っぽくなかった。 綾鼓は、またまた超凝り性の訓三さんでした。囲碁か将棋のギャラリーのように、 ほほー、そうきましたか、という感じ。この方がお仕舞で舞台に立つと、 ぽつんと、ひとりだけが存在すようで、照明も柱も地謡も、その背景の一部になる。 すごいことなのかもしれない。

[ 鉄輪 ]
シテ…山田純夫 ワキ…和泉昭太朗 ワキツレ…藤野藤作
アイ…山本則直
大鼓…大倉正之助 小鼓…野中正和 太鼓…大江照夫 笛…一噌隆之
後見…豊嶋訓三 遠藤勝実 荒川 進
地謡…田村修 奥山勝作 雄島道夫 熊谷伸一
     田島弘 坂本立津朗 宇高通成 工藤寛
オニというのは、むずかしいものらしい。 前場はかなり不気味な迫力があるのに、オニで現れると、なぜか、明るく元気になっている。 面の角度かも。今日は、黒い煤のようなものを幾何学的に塗った、大柄の表情。 頭上の小松明の炎が、90度に折れてなびいているのは、激しい動きを表しているところ。 とは思うが、唐辛子みたいで漫画チックだった。
大鼓と小鼓の声が、時々高いところで共鳴して、珍しい音がしていた。


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狂言
[鎌腹]
第4回 今井清隆 能の会
11月8日(金)国立能楽堂

シテ…善竹十郎 アド…善竹大二郎 アド…善竹富太郎

どうも、家庭不和で就労拒否気味の男の自殺未遂騒動のようだ。鎌は仕事道具。どんな風に思って、 山に仕事に向かうことにするのか、最後が知りたい。 それにしても、お能の番組は、凄い内容を組み合わせるものだと感心する。
お仕事に向かわなかった。止める妻に鎌を渡し、「そんなに言うのなら、代わりに腹を切れ」 というのが、妙に飛躍した発言で、言ってはいけないことを言ってしまった感じ。 独りで「どうしよう」と、行きつ戻りつしているところは、面白い感じもあったが、最後でだいなし。

金剛流
[ 隅田川 ]
シテ…今井清隆 ワキ…宝生閑 ワキツレ…大日方寛 子方…片山隆志
大鼓…柿原崇志 小鼓…鵜沢洋太郎 笛…一噌仙幸

■ 十郎元雅・作というところから既に悲劇っぽい。 古の渡し守は、『日が暮れそうだから乗りなさい』と言ったのに、『芸を見せなければ乗せない』 とは情けない、という言葉が効いている。
■ 都鳥に寄せて我が子を思い舞うところは、曲中唯一、軽やかなテンポ。 船中で渡し守は、行き倒れになった子供のことを語り、狂女は、それとわかり泣き崩れる。 人々に諭され、鉦を打ち、念仏を唱えると、塚から子供の声が。 現れた子の姿は、夜明けと共に消え去る幻。(パンフレット参考)
泣かせる自信ありげ。 使用面…曲見
笛の音色が合っていた。渡し守の、塚の由来の語りに、川を渡る風が静まり、低く力をためている気配。 「息を引き取るとき、残る母をしのんで…」のあたりが、本当に可哀想だった。 船客の商人の表情が、どうもいまいち。
「それより親類、親とて尋ねて来ないはず。私が母なのだから」というところから、一気に悲劇に突入し、 塚の下を掘り返すところで最高潮。 気を取り直し、声明の合間に鉦鼓の音をさせる、舞台の雰囲気がよかった。
やがて、塚の中から声明に子供の声が重なり、白い姿が現れる。右に、左に、子の姿は動き、 それは、抱きしめることの出来ない幻であった。お囃子と地謡が悲劇を織り成す横糸になって、 切々と響き、大変よかった。後見の廣田幸稔さんも、とても感じよかった。

深緑に江戸解きの、水と鳥と竹垣と、赤や黄色の葉の混じる葦の模様の装束と、 深緑に静かに小花が並ぶ鬘帯がよかった。手にした笹の枝の先に枯葉が混じっていていたのは初めて。 曲見の面は、近すぎたのか、正先では、照明に肌が目立ち、全体の表情を見ることができなくて、 舞台の奥に回って、照明が翳ったときなどに、少々味わうことが出来た。 目が細く、なんとなく誠が薄く、すごそうなのだが、???な感じ。 それがうつむいて、手を片方ずつ顔に寄せて泣くのが、何か型だけで、何かずれ過ぎのようで、 共感がわかなかった。 子供の幻を追ったあと、もう少し空気を鎮めて、しんみり終わってほしかった。 塚からかなり離れ、塚に全く背を向けて西?に手を合わせるだけの説得力が、あったかどうか。
かなり前、哀しみが霧となって舞台から溢れ降り、こちらの足元を浸すようなのがあった。 広田かい一さんだったと思う。その時は、実際の亡霊はあらわれなかったので情況が違うのかもしれない。


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[楊貴妃]
東京金剛会例会能  
9月21日(土) 国立能楽堂  

シテ…金剛永謹 ワキ…鏑木岑男 アイ…高野和憲
大鼓…亀井忠雄 小鼓…幸清次郎 笛…一噌庸ニ 地頭…松野恭憲

お能の公演は小書が普通のような状況なので、 基本型を見るチャンスなのかもしれません。方士は病後で、遥々旅をするのはお気の毒な感じ。 楊貴妃の装束もいまいちで、蓬莱宮の華麗さや神々しさをもっと感じたかった。 手にしたかんざしを挿すと、いつもの天冠になるのがおもしろい。また、 絆の証に、そのかんざしを抜いて渡すのが、ぞくぞくするほどかっこいい。してみたい。 「比翼の連理」は、まだ先は長い、「げい裳羽衣」は、そろそろ終わり、の合図のよう。
狂言
[ 呂蓮 ]
僧…野村万之介 宿の主…石田幸雄 女房…竹山悠樹
『さすがプロ』なところもあれば、素人の会のほうが面白かったところもある。 僧のひとり旅の、しぶーい声と言い方と表情が、今日はとても雰囲気がよかった。 主人が「ろ」を聞きとがめるところ、期待したほど盛り上がらなくて残念。 妻の“腹立ち”は、おとなしかった。最後の「南無三宝…」にシーン…?? ちょっと、もう、流行らないという感じ。

[船弁慶]
シテ…片山峰秀 子方…片山隆志
ワキ…和泉昭太郎 ワキツレ・・・荒木喜治・藤野藤作? アイ…石田幸雄
大鼓…安福光雄 小鼓…住駒匡彦 太鼓…桜井均 笛…内潟慶三

数年前の「西王母」では、大変大柄に見えたが、 今日の静は、その時よりかわいかった。義経君は、言葉も、刀を抜くのも立派だった。 お別れの舞は、烏帽子の角度なのか、面の角度なのか、少々おでこちゃん。涙にくれている時間が長くて、 送る船頭さんも何かしなくては、という感じで、無言も難しい。
弁慶は穏やかで、家来が迷信を述べ、たしなめるあたり、何か私語のようだった。 船出してしばらく、船中の会話が面白かった。こんな自然な情景は初めて。
やがて海が一変し、薙刀を掻い込んでせまってきた知盛は、近づいては祈りに押し戻され、薙刀を捨て、 剣を振るうが、ついに消えて、こちらに背をむけ立ち去る。本日の海は、舞台の上。橋掛りは別世界。 恨みがましい視線がいつまでも残らない演出も、あっさりしていていいかも。
大鼓の声が大きい割にはぴりっとしない。後見の人が、肩を揺らして歩くのに、違和感を覚えた。
東京金剛会例会能とは、何なのだろうか。2年ほど前、京都からの中堅(若手?)の方が、 「事情があって、ちょっと、リハーサルのように、様子をみている」のかと思ったら、 やはり本番だった、というお仕舞で、自滅を待っている流派のように感じたのだが、今日、 「楊貴妃」の後、正面の空席が目立ったのをみても、何のための流派の会なのか、疑問を禁じ得ない。

2002
7月19日
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1部

ミニ講座
第25回 納涼能  名曲シリーズ・慶び
7月19日 国立能楽堂

お話…野村与十郎
与十郎さんとは、数年前の熱海の「梟山伏」の若い方のようだった。 今日は、“想像の回り舞台”のお話がよかった。
仕舞
宝生流 [嵐山] 宝生英照
金剛流 [羽衣] 金剛永謹

   
狂言
[蝸牛]
シテ…石田幸雄  アド…竹山悠樹  小アド…深田博治

発見!でんでん虫は、角があるから牛の字なのだ。頭の動かし方も、寸胴なのも似ている。 しかし、でんでん虫人間となると、カフカの「変身」を思い出させて、気持ち悪い。 山伏の“目くらまし”の術?が説明的で、このあたりで一度笑っておくかな、という感じ。 冠者は、主人と顔を合わせる前に、もう、正気に戻る気配。術にかからない強い主人だった。

喜多流
[白田村]
シテ…塩津哲生 ワキ…村瀬純 ワキツレ…村瀬提・中村弘
笛… 松田弘之 小鼓…幸信吾 大鼓…佃良勝
地謡…香川靖嗣・出雲康雅・谷大作・大村定・長島茂・金子敬一郎・
     粟谷充雄・粟谷浩之
渋ーい声の童子だった。地謡は控えめ。笛が豪華にドラマチックで、田村麻呂は、そこにいた感じ。  小鼓の方、お加減でもよくなかったのでしょうか。
2部
ミニ講座

お話…中森貫太
扇の種類の説明。シテ、地謡、狂言などの扇の実物紹介。 『替え』扇があるのは、『さすが』なのだとか。 扇子は日本が発祥の地で、中国は団扇。
舞囃子金春流
[ 乱 ]
シテ…金春安明
 笛… 藤田次郎 小鼓…宮増純三 大鼓…大倉三忠 太鼓…観世元伯
 地謡…高橋忍・山井綱雄・辻井八郎・井上貴覚・金春憲和
裃着用。シテが楽しそうで、汲めども尽きず、のあたりとか、波を蹴るところがよかった。 響きに厚みのある地謡と、朗々とした笛がよかった。藤田次郎さんは、だんだん堂々としてきた。
狂言
[福の神]
シテ…山本則直

   

観世流
[花筺]
筺之伝
シテ…梅若六郎

橋掛りが多くて、面白くなかった。笛(寺井宏明)よかった。
今日のお囃子は、どれも、笛が冴えていた。


2002
4月29日
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金春流
[熊坂]
金春円満井会定例能 4月29日(月・祝)12時30分〜 矢来能楽堂

シテ…本田布由樹  ワキ…鏑木岑男  アイ…山本則重

■ 牛若丸に討ち取られた盗賊、熊坂長範。長霊ベシミ、長範頭巾、大薙刀の霊。
盗賊などを生業としながら、負けると化けて出るのは、なぜか。
怨霊の知盛系ではなく、実盛系の成仏願望でした。長霊ベシミは、 大ベシミから神通力を取った感じで、人間ぽく、しかも大きな雰囲気。少し上向き加減だったのが、 いまいち。大薙刀は、動かしている時より、右手に押さえて持っているのが大変そう。 筋トレの世界!? 薙刀を投げて、いよいよは、お相撲に負けた感じ。シテ・ワキ・アイの、 ふくよかトリオで、小鼓は森沢さん。
狂言
[磁石]
シテ…山本泰太郎  アド…山本則孝  アド…加藤元

田舎者は「磁石の精」なのか?
詐欺師は、なぜ、磁石の精を生き返らせようと思ったのか。   
実に奇妙なお話。どちらがシテなのかも変わっている。 田舎者(山本則孝?)の 「…で、はなくて」 と、 延々と続くテストにもめげない詐欺師(山本泰太郎?)。彼は奴隷商人でもあった! それを出し抜いて、“未来の主人”から投げ渡されて地面に散らばった自分の代金を自分で拾い集めて逃げた田舎者は追跡され、 抜かれた刀に「ああ!」っと口を大きく開ける。いわく、磁石の精なので、刀を呑んで栄養を補給したい。 “美味しい”刀の刃が鞘に収めれれて見えなくなると死んでしまう。異界のものに対する恐怖心からか、 詐欺師は、磁石の精に刀をお供えする。奴隷として何とか売り物にしようと考えていたのかどうか…。ま、詐欺師の負け。
油断もすきもならない時代、すごーい。“銭”は投げられるものらしい。屈辱的だ。
街ですれ違いそうな現代青年が、「あ!」とかしているのに、少々違和感があった。出だしが単調。
仕舞
杜若キリ(中村昌弘) 箙(金春憲和)
七騎落(金春穂高) 小塩キリ(横山紳一) 春日龍神(本田光洋)
左腕が自然体というか、腕を返さない感じが意外だった。
本田光洋さんのお仕舞は、動く空気に意味があるような感じで納得できる。

金春流
[東北]
シテ…高橋忍  ワキ…安田登 ワキツレ…  アイ…若松隆

■ 「好文木または鶯宿梅とかや申し候」
「春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる」
「火宅は出でぬさりながら 植え置く花のうてなとして 詠み置く歌舞の菩薩となって」
全編きれいな“詠唱”に期待。   
ノルが無くて?難しそうな旋律にびっくり。 面と紫の長絹がきれい。 ゆっくりの舞は、初めの内、幽玄の趣があったが、袖のふんわりと辺りに残す風紋のようなものがあまり無くて、 少し飽きてしまった。あれは、手自体の動きというより、体のふとした動きで気流が変わってなびくという、 “運動の方向の変化を修正する袖の動き”で、物理的!に予測できるのでは、と思う。 声はよく聴き取れたが、何となく花曇の感じで、全体的に、どこかにぴーんとした部分、透明感がほしかった。
今日は、渋い、大人の雰囲気の大蔵正之助(大鼓)さんでした。
仕舞
嵐山(井上貴覚) 法下僧コウタ(辻井八郎)
吉野静キリ(吉場広明) 昭君(金春安明) 鶴亀(高橋汎)
放下僧の詞と節が面白くて、舞は従という感じ。鶴亀は、荘重で、重厚だった。 終わりの角とりと向きを変えるところが、今までに見た型とはまた違っていて、面白かった。

金春流
[葵上]
シテ…山井綱雄 ツレ…本田芳樹 ワキ…村瀬純? ワキツレ… アイ…山本則秀

生霊のうわなり打ち。怨霊の上品、下品の差は、どこにあるのだろうか。
鬼女の装束に、六条御息所は麗人の面影を宿すのか、楽しみ。
いろいろな鬼に、いろいろなポーズがあって面白い。今日は、シテ柱に背をつけ、 橋掛りの側からぞろーっと身を乗り出し、視線まで巻きつくような感じで、舞台を窺う。 現実の人の姿とは異質のまがまがしさが、とてもよかった。膨らんだ髪のコブがひとつ、 言い尽くせない怒りを表わしている。頭の血管が脹れる程の?感情を込めた般若の面は素敵だった。 傾き加減もよい。後見座で、唐織に隠れてこのような支度をするなんて、スリルがある。 謡も上手で、技量が感じられたが、貴人の変化であったかどうかは、あまりわからなかった。
後見が小袖を畳むのも注目の的で、立派な舞台のうち。地謡は、今日の中で一番よかった。
大鼓の声が雰囲気にマッチしていなかった。附祝言は高砂(だったと思う)。

金春流って、着付けの裾が長いみたい。数年前の円満井会定例会に比べて、面と装束が立派なのは、 演者のキャリアが増したということなのでしょうか、それとも、その間、 流儀でいろいろ新調なさったのでしょうか。ちょっと興味があります。

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喜多流
[ 翁 ]
第42回 式能 (都民芸術フェスティバル) 2月17日(日)国立能楽堂

シテ…喜多六平太  千歳…井上靖浩  三番叟…野村又三郎
小鼓…幸清次郎・幸正昭・福井良治

■ 祈祷の芸術的表現、演劇というより神事への奉仕。(能楽手帖)
   脇能の脇は、翁の脇という意味。(能楽ハンドブック)
幸清次郎さんの「うっ」が96%無かった。始めの雨垂れ式が、だんだん三丁揃ってきた。 動きのある翁であったが、写真で見る程、面のシワの渦巻きがはっきりせず、意識に霞が掛かったようなのが 気になった。翁退場の後、地謡の後列が舞台から下がるのは初めて。 膝などのためには合理的、舞台背景としてはやや淋しい。
「黒地に鶴と若松の装束型」三番叟の揉の段まで、足に迫力があって面白かったが、 声が無いようなのが物足りない。(去年の大蔵彌太郎さんの、かすれた渋い声と“大の字”の型の気合はすごかった。) 鈴を持ってから、笛が“珠玉”的になり、耳は満足したが、三番叟もおとなしく、お疲れのようになってしまって、 それは違うんじゃないの、という感じ。佐藤友彦さんの「よっ、ほ」の激動型には、いつまた会えるのでしょうか。

[高砂]
シテ…香川靖嗣  笛…松田弘之


古今集仮名序 「たかさご すみの江のまつも あひおひのやうにおぼえ」
    誰をかもしる人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに
    われ見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いく世へぬらむ  より

「あひおひ」 (1)旧説 「相逐」…互に迫い追われする
       ○(2)契沖説 「相生」…同じ年に生まれた意
        (3)荷田東満、加茂真淵説 「相老」…互に老いた意=あいおい

  現代の定説=(2)己が老いたから、松の老いたのをも、
              自分と同じ齢のもののように思われる。

■ 「千秋楽は民を撫で」…千年の平和は民を安んじ
「相生の松風颯々の声ぞ楽しむ」 と松吹く風の音に平和な響きを楽しむ能。

袖の帆に風を受ける所作が楽しみ。
相生の松が離れているのと、仲睦まじいことのYES、 NOがどうもつじつまが合っていないように聞こえて、困ってしまう。 住吉明神の活きのよいテンポにほっとしたが、後になって、老人ののんびりした所のほうが 印象に残った。笛の風は吹いているのに、舞台の風力は弱かったのと、地謡の迫力がいまいち。 ハンサムで背の高い神主(福王和幸)ご一行でした。 松田さんは、どうも幽玄の道を突き進んでしまって、「松に歌うはただ嵐」という感じ。 時々、光をまぶして、蝶々の一匹も飛ばして下さーい…。
狂言
[末広かり]
シテ…野村萬

「骨」「要」など、定義で対象が決まらない所がおかしい。 詐欺師の別れ際が魅力的。一度行きかかって、ふと引き返す感じが好き。今度はどんなか。
今日は、主人が太郎冠者(野村与十郎)を許してあげるチャンスを待っているところが主眼だった。 「戯れ柄」に、あーあ、やっちゃった、と可笑しかった。今までになく、シャレの内容がよくわかって、 少々説明的な舞台であったかも。詐欺師(小笠原匡)は、「お仕事にサービスは付きもの」と、 自動的に挽回方法を伝授。お囃子が横を向いたまま、軽くいきましょう、という感じも面白い。

観世流
[屋島]
シテ…観世銕之丞
義経のその後を思うと、勝修羅も複雑。前シテが現実の別な人間に成りすまして 出てくるのは初めて。しかも、粗末な所だからと宿を断るのも念がいっている。武者姿の、 右の袖を巻いた箙姿がかっこいい。藤田六郎兵衛さんの音が変わったように思う。大日向寛さんが、 一時とても暗い頃があったが、今日は、そうでもなかった。6年前にファンになったので、 一応今でもファンの気持ち。
狂言
[箕被]
(みかづき) シテ…山本東次郎

■ 夫 「いまだ見ぬ 二十日の宵の三日月(箕被)は」
  妻 「今宵ぞ出づる 身(箕)こそつらけれ」
☆☆
とーってもよかった。声と役が合っていた。夫が帰らないと家が衰微していく状況が、 語る声だけで、じーんときた。三行半の印の箕、それも「朝夕使い慣れた」とひとことあるのが、 場面をぐんと深める、を被って出て行く妻(山本則俊)のみすぼらしい姿を想像してしまう。 別に装束がよれよれしているわけではないのに。「もう、行くか」というセリフがよかった。 しかし、返歌くらいで離婚中止になるのが、舞台はよかったけど、失礼しちゃうお話なのです。

金春流
[羽衣]
替之型
シテ…金春欣三
おもしろかった。幕が上がり「のうのう…」が、800歳位の天女らしくて、案外よかった。 橋掛りが長いのに、少しいらいら。「涙の露の」など地謡の響きが心地よくて、オラトリオのように 大いなるものへの祈りを感じてしまう。こんなにいい味のある流派なのに、なぜ、最弱小なのだろうか。 「七宝じうまんの」と「あしたか山や」で、ゆーーっくりになり、そういうのあり?という感じ。 天の羽衣がゆったりたなびき、ふんわりと去っていく天女でした。反芻すると、速い動作より、 かえって風の抵抗があって、揚力が感じられるみたい。記憶によると、平均年齢の高い舞台でした。
狂言
[昆布売]
シテ…野村万作  アド…野村万之介
以前の万之介さんの大名は、少々お弱そうで、地面に這いつくばっているだけのようであったが、 今日は存在感があった。昆布売りの唄の変化もわかって面白かった。遊びを楽しむ余裕のある半生が さり気なく感じられて、いい大名でした。対する昆布売は、「とにかく歌え」と続け、 にこにこと大小揃えて持っていってしまうのが、なんとなく釈然としなかった。知恵のある人物ということか。 シテが強いとアドも対等に強くなり、シテが弱いと、もっと弱い大名になるのが、面白い現象だ。

宝生流
[放下僧]
シテ…前田晴啓  アイ…大蔵吉次郎

■ 狂言「寝音曲」の小謡のぐるぐるの本歌。
能 解説書では相当盛り上がりそうなお話なのだが、どうも、 パッチワークのような、細切れ場面を接いだ感じだった。羯鼓を打ちながら、 自信なさそうな表情で回っているのがヘン。笠を刺す仇討ち場面は、烈しかった。 仇の宝生欣也さんが、そっくりさんになっていた。
狂言 [悪坊]
シテ…善竹十郎
破滅型泥酔ではなくて、遊興型酩酊でした。酔っても薙刀の威力を忘れない、 ご迷惑な人物というところ。犠牲者の僧(善竹大二郎)が按摩で腰を打たされて、寝入ったとみるや、 仕返しに痛く打ち、バレるとひたすら恭順し、あとは、狼にお休みいただくよう、奴隷の如く仕える、 という人間劇。ご迷惑人が目を覚ましてからは、僧が置いていった坐禅道具を顎に当ててみたりして、 伝統芸能も大変。改心というより、出家体験コースになりそう。
善竹十郎さんて、女形が超抜群だと思う。

金剛流
[大会]
シテ…今井清隆  後ツレ…今井克紀

■ 大会(だいえ)…大法会のことで、諸仏大衆が説法の場に集まること。
比叡山のある僧が、昔助けた天狗が恩返しをすると言うので、お釈迦さまが 霊鷲山(りょうじゅせん)で行った大説法を見たいと望む。
面白かった。大蔵家総出の仲間の天狗が、これから大変なことがある、 という感じで、“天狗=盛り上がる”の経験から期待する。後シテが、面を2つ重ねるなど、内側から 見えるのだろうかと恐ろしい。太鼓の観世元伯さんには、チラチラしないで、平然と続けていただきたかった。 釈迦の面は、鈍い金色の大きな仏頭で、すっぽりと錦の布を被り、まがまがしくて、「虚空に花降り音楽きこえ」に驚いた。 せっかくの恩返しであったのに、天狗は帝釈天(今井克紀)に叱られてしまって、ぺんぺんされる。 下から現れた雰囲気満点の大ベシミと、大きな羽団扇で、爽快なテンポ。兜巾まで着けていたとは! 長い今日の1日を、 何もかも謡とお囃子の響きにのせて吹き飛ばし、気分よく終わった。
大倉正之助さんも、ひとり別世界に行ってしまうことなく、よかった。
地謡が、数年前のいい感じに落ち着いてきたみたい。

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金春流
[熊野]
第29回 都民能  H.14年1月19日(土)13:00〜 国立能楽堂

シテ…本田光洋
想像がつかない、ような、わかるような。声と美女との関係に興味がある。
『宿の長者』とは、何ぞや。遊女業界の“元締め”、というのを読んだことがあるが、 それはやはり、並ではない、秀でた人物であることの証明か。母の危篤に間に合うように、 晴れ晴れと帰ってゆくのだろうか。お花見の、『はなやかさと淋しさの入り混じった 効果を出すための、たゆうとうような進行』の演出を味わう『リズム』にのるべく臨もう。 「ゆや」のほうが音読みというのが面白い。 (能楽手帖)
面白かった。昔より言葉が聞き取れた。

宗盛(殿田謙吉)は厳しそうな感じで、熊野の後姿はちょっと雰囲気に欠けて、声はおじさまで、 地謡はいつも程ではなかった、が、よかった。

お手紙を2人で読もうという宗盛に、すてき!とちょっとしびれたり、清水寺に向かう道々の景色に、 そうなのかと思い、若い面が花の下らしく、装束も明るく(ついでに舞も、“沈んでいるけど華やか” だともっとよかったなー)、 にわかの村雨が劇的な感じを高め、歌をしたためてから差し出す所作に含みがあって、テンポの変化に驚いたが、 あ、そういう気持ち?と、なにやら舞台全体に吸引力があった。

幸正昭さんの小鼓は、ちょっと幽霊っぽい響きで、開かずの間から聴こえてくる感じ。
お仕舞の「寺は桂の橋柱」は、全くの“途中”で、今日、“その時”がわかった。
狂言
[子盗人]
シテ…善竹十郎
宿題となっている、最後の“語呂合わせ”?“掛詞”?を絶対聞き逃さないようにするのだ。 赤ちゃんを盾に、「暫く!」というところ(東次郎さん、よかった)と、刀を振り上げて、 さあ、どうする!が、待ち遠しい。
意外な狂言。始めから終わりまで賑やか。芦屋釜に高麗のお茶碗の取り合わせに期待したら、 お茶入は、「愛らしい形」で交わされてしまった。「先ず赤ちゃんから切って」では、あまりおもしろくなく、 更に、主人がとんでもない人で、赤ちゃん諸共叩き切るとかで、乳母が割って入って、「逃げて下さい」 という筋にびっくり。おまけに、どうして580歳なのか、またまたわからなかった。

宝生流
[鉄輪]
シテ…當山興道
夢枕獏の「生成り姫」に影響されて、「葵上」と違う庶民の女性の恨み怨念未練を、 むきつけにお下品に表わすお能である、と思えなくて困ってしまう。
この物語の元凶!の貴船神社の社人が吉次郎さんで、 白い大きな袖のしゃきっとした装束でかっこよく、声も、いつもよりよかった。 これが、おどろおどろしいお告げなどでなければね…。

鬼女はとぼとぼと現れ、孤独な「はぐれ鬼」の感じ。祭壇で、裾を左手でたくし上げて坐り、 ほんと!?という感じ。足の間から、お囃子の装束が見えるのが、詳しく描き過ぎた劇画というところ。 少し席が低(前)過ぎたかしらん。髪を左手に巻き付けて、打ち杖でばしばし。 炉中で逆さまの五徳を見慣れているので、正しい向きに思える。 ブルーグレー地に立涌と花の丸の腰巻が珍しかった。
神様とは、強くお願いした方の味方なのかもしれない。

笛(一噌幸弘)、大鼓(柿原弘和)よかった。晴明(宝生閑)の人格がピンとこなかった。
附祝言がなかったみたい。なぜ。高齢のシテだと、お目出度いものになるのかしらん。

今日はパンフに地頭が載っていて、2番とも、奥から2番目でした。流派で違うのですね。


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