2003 |
茶の資料室 レッスンうんちく集 “山椒は小粒でぴりりと辛い” |
以 為 貴 |
儒教の五常…仁・義・礼・智・信 聖徳太子…徳・仁・礼・信・義・智 (冠位十二階の順 各々に上下設定) 更に「仁」を「和」に変えた <十七条の憲法> 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。 乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。 和を以って貴しと為し、忤さかふること無きを宗とせよ。 人皆党有り、亦達さとれる者少し。是を以て或いは君父に順はず、 乍た隣里に違ふ。然れども、上和らぎ下睦びて、 事を論あげつらふにかなふときには、則ち事理自づから通ふ。 何事か成らざらむ。 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。 若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。 夫れ事独り断むべからず。必ず衆と論ふべし。少き事は是軽し。 必ずしも衆とすべからず。唯大きなる事を論ふに逮びては、 若しは失あやまり有ることを疑ふ。 故、衆と相弁あいわきまふるときは、 辞則ち理を得。 ◆梅原猛説 上下に「和」があれば、議論が可能であり、議論が可能であれば「理」が実現される。 「理」が実現されれば、事は必ずうまくゆく。この「和」の原理は今でも日本社会で通用している。 それは日本社会の最も良い部分である。太子は正に日本社会の根本原理を見出した人と言わねばならない。 ◆A説 独断を排した、日本のデモクラシーの源泉である。日本の思想は、中国・韓国型ではなく、 ヨーロッパ型である。 ◆B説 日本人は、昔から、強制されなくても、一致団結する民族である。 ◆C説 客観的正義や合理的な法律など、人々にとってどうでもいいことなのである。 要は、当事者間で合意さえされているのなら、 その当事者間の合意事項が最も尊重されるべきことなのである。「談合大いに結構」ということである。 ◆D説 過度な「和」は、なれ合いに通ず。「和」の実態は、ことなかれ主義、なれ合い、組織エゴである。 |
行 無 常 |
<三法印> 教えの要約 漢訳仏典では、 諸行無常・一切皆苦・諸法無我 (+涅槃寂静…四法印) 日本では、 諸行無常・諸法無我・涅槃寂静 (+一切行苦…四法印) <諸行無常偈> ○無常観 ×無情感 雪山偈ともいう 釈尊が過去生の菩薩名「雪山せっせん童子」の頃聞いたという伝説 諸行無常 しょぎょうむじょう =色は(葉)匂へど 散りぬるを 同じ状態がずっと続くことはない 是生滅法 ぜしょうめっぽう =我が世誰ぞ 常ならむ この世に存在するものは、生じては滅び、不滅なるものはない 生滅滅已 しょうめつめつい =有為の奥山 今日越えて 生滅へのとらわれを滅し、因縁の道理を知る 寂滅為楽 じゃくめついらく =浅き夢見じ 酔ひもせず 物事へのこだわりや、とらわれの心がなくなり、安らぎを得る 『良い時は気を引き締め、悪い時は気を取り直し、 一度しかない今日という日を空しく過ごさないように。』 |
2004 |
茶の資料室 |
本 | 『私の茶乃湯考』 堀内宗心
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日 本 茶 道 学 会 |
<近代の茶道> 明治維新以前には、大名とその家臣と素封家を中心として栄えていた茶の湯は、 支持層の崩壊で衰微の一途をたどった。しかし、茶道具に対する関心は全く失われた というわけではなく、新しい支配階級となった官僚や新興の実業家たちが、 茶器の蒐集を競い始めた。・・・・・・ 「茶道の美学 茶の心とかたち」田中仙翁 講談社学術文庫 より |
の 伝 来 |
◆「日吉茶園」最古説の意味 ◆「栂尾 高山寺茶園」最古説の意味 |
段 と 真 行 草 |
<真行草九段> 真の真行草,行の真行草,草の真行草。 (茶道手帖平成16年:名数より) <相伝八種> 小習・茶通・唐物・台天目・盆点・行台子・真台子・十段(又は大円盆) 『十二段のうち公開された「真之行」、「行之行」以外を十段という。 十段は全ての平点前の原点である。』 (某氏談) <茶湯の真行草> 真の茶…奠茶(てんちゃ 仏への供茶), 献茶(貴人への供茶) 草の茶…日常喫茶 (これでは お話がややこしくなりそう) 行の茶…その中間、真の茶を和らげた行の茶の創案が茶の湯の発祥である 利休は「行の茶」の真行草の体系化をはかったといえる 道具の真行草, 座敷の真行草, など 真の茶…薄茶 草の茶…濃茶 (茶道辞典より) 『真行草九段 の真行草』とは? ◆真行草は対等である。むしろ不完全の美ともいうべき「侘び」「冷え枯れる」といった美意識から、 真の格をやつすことによって、より精神性の高い侘びの極地に至ろうとする思想により、 草こそ最も成熟したものであるという価値観の逆転が起きた。 東山時代の書院茶を真とし、ハレの儀礼ではその形式に従いつつ、草庵の茶を理想とする。 (岐阜県インパク:「戦国博」より) 稽古とは * 徹底した稽古は真の格を体得するが、目指す所は、形式をくずした「破格」である(古田織部など)。 * 守破離 * 稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一 「もとの一」は自分が成長を遂げた一である。(淡交研究会より) * 規矩作法守りつくして破るとも 離るヽとても本を忘るな |
2005 |
茶の資料室 |
青瓷(あおじ)と青磁
■ 砧青磁 (きぬたせいじ) 世阿弥の作った能の一つに「砧」(きぬた)という曲があり、 之を演ずるシテが手に持つ槌の形に、往時有名であった龍泉窯青磁の花瓶が似ていたため、 それを「砧青磁」というようになった。 以後、それに類する青磁を「砧手」といい、龍泉窯青磁の上手物の代名詞になっている。 http:// www12.ocn.ne.jp/~hajime-1/note/been-know/BK022/Bk022-kinutaseiji.htm |
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宣徳銅と砂張
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2010 |
茶の資料室 |