2001 |
茶の資料室
レッスンうんちく集
“山椒は小粒でぴりりと辛い” |
10.18 |
<三夕の歌> さんせきの歌…暮れゆく秋のこころを 題しらず 寂蓮法師 ◆さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮 (新古今和歌集 巻四秋上 361 俊成の養子、新古今集撰者になったが途中で没す) 淋しさは、このあたりの特にどのしるしのためというのではないが、何ともいえない淋しさを 感じてならない、この真木(杉松柏などの常緑樹)の立っている山の秋の夕暮れの景色は 題しらず 西行法師 ◆心なき身にもあはれは知られけり 鴫たつ沢の秋の夕暮 (同 362 俗名佐藤義清、鳥羽院北面武士の身を捨てて出家。「山家集」) 出家して世間なみのあわれや悲しみを捨てたこの身にも、しみじみとした情趣が感じ られることだ、鴫(しぎ)が淋しく飛び立ってゆくこの沢辺の秋の夕暮のけしきは。 西行法師、すすめて、百首歌よませ侍りけるに 藤原定家朝臣 ◆見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 (同 363 俊成(千載集の撰者)の子、新古今の撰者、当代第一の歌人。「拾遺愚草」) はるかにながめやると、心をとめる美しい風情を感じさせるものは一としてないことだ、 海辺の苫葺小屋だけが立っているあわれに淋しい夕暮よ。 (源氏物語明石の巻の一節に想を得たものといわれている。) |
<十牛図> じゅうぎゅうず ◆一.尋牛…牛を尋ねる:目標を立てて始めてみる 志をたて、心の牛を求めて綱を持ち探し歩くが、今日もむなしく暮六つの鐘。 ◆二.見跡…足跡を見つける:学んで徹す 足跡=教え。教えや知識の上に立って修行を積まなければ、何の役にも立たない。 ◆三.見牛…牛をみつける:進むべき方向がわかる 牛の声を頼りに悟りの本当の入り口をみつけ、牛の後ろが見える。六根を研ぎ澄ませ ◆四.得牛…牛を手に入れる:さらに工夫を重ねる:書物は反古腰張にせよ 綱と、本心の牛は繋がったが、野に放たれていた牛は気が荒く意のままにならない。 ◆五.牧牛…牛を飼いならす:悟りのあとの修行 荒牛も慣れてきたが、この状態を維持すべく、仏の教えの実践に励むべし。 ◆六.騎牛帰家…牛にのって家に帰る:心のふるさとに帰る、悠々自適 自ら牛に騎(の)って、牛と己とが一つ心となり、横笛を吹きながら我が家を目指す。 ◆七.忘牛存人…牛を忘れて人のみ存する:分別を捨て心を磨いて進む 牛は居なくなっている=簗(筌)で魚を捕ってしまえば簗のことは忘れ、必要がない 利休居士=抛(ほう)筌斎、孤蓬庵・遠州好みの茶室=忘筌 ◆八.人牛倶忘…人も牛も倶(とも)に忘れる:心安らかな無の境地←充実感 自分をも忘じた円相の図=おおらかな、欠けることもなく余ることのない仏の心 =「吾が心秋月に似たり/碧潭清うして皎潔たり/ 物の比倫に堪えたるはなし/我をして如何説かしめん」 (寒山詩) =放下着…一物をも待たず、その持たないという心をも捨て切る ◆九.返本還源…本に返り、源に還る:次元の高い完成を目ざして 変わりないありのままの清浄な大自然の図。悟っても、悟らない以前と変わりがない。 旅は帰ってこなければ目的は達成されたとはいえない。戻らないものは、移住である。 ◆十.入廛垂手 にってんすいしゅ …廛(街、家)に入り、手を垂れる:「お人のために」 何やらたくさん持った布袋和尚が、街で人(牧童)と話している。 社会に出て、世の中すべての人々に慈悲心、愛の心をもって教化(きょうげ)する。 八までは、こころざしを立ててから自己完成に至る修行、 九で本に返り、 十で利他の行。 |
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はっしょうどう …初転法輪=悟りを開いたお釈迦さまの初めてのお説教(四諦・八正道) 正見 正思 正語 正業 正命 正精進 正念 正定 |
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<七事式>しちじしき 七事随身:七事を具して身に随えて以って同生同死す可し ◆花月:互換の機鋒子細に看よ ◆且座(一座):是法は法位に住ず ◆廻り炭(一回):端的底にしゃくを看よ ◆系廻り花(一回):色即是空思量凝らせば即ち背く ◆茶カブキ(一席):古今に舌頭をせつ断して始めて真味を知るべし ◆一ニ三(一順):修証即ち無きにしもあらず染汚すれば得ず ◆員茶(一扁):老倒疎慵(よう)無じの日閑眠高臥して青山に対す |
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11.15 |
ろくはらみつ…彼岸に行くための修行 ◆布施(人に物を施す事→タダで出来ることは笑顔=和顔施) ◆持戒(戒律を守る事) ◆忍辱 にんにく(我慢する事) ◆精進(努力する事) ◆禅定 ぜんじょう(静かにものを考える事) ◆智恵(頭を働かせる事) |
「流水無間断」…たゆまず流れ、淀まない →執着心がない/自由な心 = 「行雲流水」→雲水/孤蓬 五行…木火土金水(もくかどごんずい) 五常…仁義礼智信 |
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6.14 |
茶花の意義 井伊大老 =『一期一会』(←山上宗二「一期ニ一度ノ会ノヤウニ」) の無常観を表現する。 (私は、茶席の中で唯一生命のあるもの、活力を秘めたもの、 という表現が好き。) 花の四清同 …青竹の清きを切り 清き水を張り 清き心を持って 清き花をいける |
5.10 |
席中の三露…(掛け物の)風帯の露/花の打水/茶杓の(櫂先の)露 露地の三露…初入/中立ち/送り礼 の時の、3回の打ち水 |
4.19 |
茶筅通しの意義 …真言密教の「灑(しゃ…はらう)水」 に、意義を感じた利休居士により。 三度打ち…ラン (火) 六根清浄の義 (六根…眼耳鼻舌身意 げんにびぜっしんい) パン (水) 水火不散の義 ウン吽 (風) 風火のよく塵を払うの義 |
4.12 |
<ゆいげ> 人生七十/力囲希咄/我這宝剣/祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時ぞ/天に抛 天正十九年 仲春/廿五日 利休宗易居士 じんせいななじゅう りきい(口+力)きとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち いまこのときぞ てんになげうつ 1591年2月28日 切腹 / 菩提寺…大徳寺聚光院 <利休忌>祥月命日3月28日(月命日28日)に、法要が行われている(裏千家)。 法要のあと、お墓にお参りし、お庭伝いに総見院(信長の菩提寺)のお茶席に伺います。 自刃の時に活けられていたという菜の花は、2月28日以降、茶席に用いる慣わし。お節句の彩り。 |
3.08 |
「利休しちそく」…南方録に、笑嶺和尚の言 (当たり前のことがむずかしい) ←鳥か禅師⇔白楽天の問答(諸悪莫作衆善奉行) 茶は服のよきように/炭は湯の沸くように/花は野にあるように/ 夏は涼しく冬あたたかに/刻限は早めに/降らずとも傘の用意/ 相客に心せよ |
わけい せいじゃく 3.01 |
村田珠光…「一味清浄法喜禅悦」(≠趙州「喫茶去」・陸羽「茶経」) 足利義政:「茶とは何か」 珠光:「茶とは遊に非ず芸に非ず、一味清浄、法喜禅悦の境地にあり」 茶室に入れば、外は人我の間を忘れ、 内には柔和の徳をたくわえ親しく相楽しむの徳。 『謹敬清寂』によって天下泰平となす。 草庵茶の湯への準備。 利休…事物人境すべてにおいて『和敬清寂』を基とする。 ←「和をもって尊しとなす。 さかろうことなきを旨とする。」(聖徳太子…実在しないかも?) 一休宗純…『和敬清寂今まさに修し 喫茶去身心寥廓たり 願わくは要諦鎮日に堅持し 精進以って事理円成せんことを』 |
2.22 |
今日の禅語…「紅爐上一點雪」 「侘び」とは 武野紹鴎…『正直に慎み深くおごらぬさまを侘びと言ひける』 =見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ (定家) 利休…花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや (家隆) |
「松無古今色 竹有上下節」 題詠[草] あら玉の年のはじめにふる雪に かくれて萌ゆる武蔵野の草 | |
「福寿海無量」 白隠禅師(日本臨済禅中興の祖)坐禅和賛 観音経/具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮 | |
「松樹千年翠 不入時人意」 (続伝灯録/南宋) |
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しくはっく 四苦=生・老・病・死 八苦=四苦+愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦(五蘊/色受想行識) |
2002 | の忘備録
“山椒は小粒でぴりりと辛い” 古山椒 2001 |