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2002.12.19 幼稚園のクリスマス祝会 |
思い起こせば5年前、引っ越してきてからまだ1ヶ月あまりのときに初めて参加した幼稚園のクリスマス祝会。そのとき亮佑は年少組で、出し物は合唱のみ。晃志はまだ1歳9ヶ月。教会のイス席に入ると迷惑なので、畳の部屋からガラス越しに鑑賞していた。ママは亮佑のクラスのお母さんたちに歓迎されて、さっそく保護者コーラスに参加したが、緊張したおもつきだった。 年少組、年中組、年長組の演技を順番にみていくと、我が子たちが育った経緯を思い出す。それぞれの園児たちの顔が我が子のように思える。今年は全体に園児の声が大きくて、元気いっぱいあふれる演技だった。 年中組の合奏が特にすばらしかった。毎年この種の合奏は、単なるリズム打ちなので、うんざりすることもあるが、今年はそうではなかった。それぞれのパートのリズムがしっかりしていて、演奏しているなあと感じさせる。指揮は八木先生。八木先生は昨年の晃志の担任だったが、我々が池田に引っ越してきた年の4月に、森永先生といっしょに、はじめて幼稚園に勤めた先生だ。前の幼稚園の先生と同級生らしくて、前の幼稚園での亮佑の情報を入手してたりして、親近感があるいた。その八木先生も、いまや風格さえ感じるほどに落ち着いてきた。森永先生も余裕を感じる。 ビデオの撮影係りが園長先生から、別の人に変わっていた。ママはプロの人といったが、使用機材がどうみても一般家庭用なので、きっと保護者の誰かだろう。撮影メモを三脚に貼り付けていた。聞くと、リハーサルは10回もみて、撮影の勘所を押さえてきたという。2台のカメラを一人で駆使して、今晩は編集だといっていた。趣味でビデオ編集しているにしても、えらいなあ。感心した。 ママがプロに頼んだらしいと言ったとき、そんなやったら引き受けたのに、と言ってしまったが、この人のような撮影はできなかっただろう。安請け合いしないでよかった。 |
2002.09.19 ロズウェル:イザベルが銃弾に倒れる! |
前回のロズウェルでマックスが死んだ! そして、今回の冒頭でイザベルが銃弾を受けて瀕死の重症に! いやあ、結構緊張感があってなかなか良い展開です。残るはマイケルだけ。ジェシーには異星人であることがバレてしまう。どうするんだろう。 残留思念(おぉ、幻魔大戦!)として生き残るマックス。実はパワーを与えた相手に体もろとも乗り移ってしまった。が、意識は支配できない。残留思念のマックスがリズに襲いかかる魔の手を食い止める。 イザベルはマイケルの必死の願いでよみがえる(よみがえる一瞬の画面をわき見して見逃してしまった! どうして手が白く光ったんだろう)。そういえばもとの星では夫婦だった二人。イザベルが救われるのは納得。でも最後にマックスがよみがえるのはいただけない。体を失った残留思念として漂うのならいいけど、あんな復活の仕方をするのだったら最初から体を消失させないほうが筋がとおっている。スキンズは体を失っただけですべて死んだのに。 それにしても今回も、作りにアラがめだった。化学工場で起きた火災はそのごどうなったのか。消防や警察沙汰にならないほうがおかしい。銃も発砲されているのに。 |
2002.09.13(金) ロズウェル:マックスが死んだ! |
どうでもいいことなんですが、本日(木曜深夜24時頃放映)のNHK海外ドラマ「ロズウェルー星の恋人たち」でマックスが死んでしまった!!! なんかすごいじゃん、この展開。マックスって主人公ちゃうん? シリーズも3シーズン目に入ると話の流れが枝道ばかりで、これはビバリーヒルズ青春白書かと思えるような学園ものや、とか、先々週の奥様は魔女のパロディ(パパはMacが好きに記載)とか、展開がダレダレで、宇宙人ものサスペンスとしては全くおもしろくなくなってきていた。最初のシーズンは、まるでXファイルのように毎回ドキドキするような新鮮な秘密の探求と解明があった。2シーズン目以降は、なぜか話が急に大きくなったかと思ったら、どれもこれも尻すぼみで終わってしまって、疑問だらけ。たとえば、 もう一組のマックスたちはどうなったの? 疑問や未解決のものがあるということは、話の展開に粗が目立ちはじめたということ。 今回のメタ化学工場の件では、かつてのFBIより詳しく調べ上げているのに、治癒能力をもった者が誰かを特定できないのもおかしいよ。それに犯罪組織でもないのに、調査に関わった人たちが宇宙人のことを平然と受け入れているのも不思議すぎる。 |
2002.09.11 米国テロから1年 |
米国テロから1年たったが、米国の被害者意識と無差別テロの存在ばかりが拡大報道されて、アフガニスタンにはびこる貧困問題に関しては、世界的には何ら救済の措置がとられていないのではないか。 これは、日本の原爆問題と似通っている。被爆国として訴えるだけで、日本が侵略した国々への陳謝は、つい最近まで政府から語られたことはない。これでは日本が広島・長崎と言うと、アメリカはパールハーバーという。これでは平行線なばかりか、かえってお互いに反目するばかりだ。アメリカは他の国々に対して行っている独善的政策を反省してテロの教訓とすべきではないのか。 アフガニスタンでの教育がイスラム教に偏狭しているのと同じように、アメリカの教育は汎アメリカ主義である。アメリカこそが唯一絶対の世界正義であると信じて疑わないのだ。国内に多民族を抱え、価値観の相違は熟知しているハズのアメリカでさえ、最終的にはWASP(アングロサクソン系白人種のプロテスタント信仰者)よりになるのがおかしい。 |
2002.09.02 田中康夫の再選 |
長野県知事に田中康夫が再選した。前回の投票率よりも高く、田中康夫の得票数も前回を上回った。県民のための県政とはなにかを考えてきた田中康夫の姿勢が、県民に支持されたということだ。旧態依然たる県議会と県庁役人に囲まれて、何かと話題が多かった。田中康夫自身のキャラクター評価は別として、長野県民の選択に敬意を表す。これで日本にも人々が政治を考える基盤があることがわかった。 |
2002.08.28 ベータマックスの終焉 |
ソニーがベータマックスビデオデッキの生産をうち切ることを発表した。いまだに生産していたことも驚きだ。しかし年に4千台程度だったらしい。ソニーがVHSデッキの生産を始めたとき、β対VHSの攻防はVHSに軍配が上がった。それからでさえ何年たっているのだろう。15〜6年前のような気がする。 よく世間では、画質のβに対して長時間のVHSが勝ったというが、ビデオデッキの家庭普及と同時代を過ごしてきたものの感想としては、確かにそれもあるが、むしろ圧倒的なソフトの差がVHSの普及に拍車をかけたように思う。なかでも家庭用ビデオの普及に一番貢献したのは「洗濯屋ケンちゃん」に代表される裏ビデオだ。そしてレンタルビデオ時代を迎えるとアダルト作品の量がデッキの売れ行きに差をつけた。 ビクターはそれを知っていながら、パイオニアと争ったビデオディスクのVHDフォーマットではアダルト系ソフトを禁止した。対してパイオニアは、普及の初期にレーザーディスクをビデオレンタルショップに置くことを黙認した。結果は、CD再生と互換性があるレーザーディスクの圧勝だった。 そのレーザーディスクもDVDに取って代わられ、さらにDVDフォーマットが乱立している。むかしレーザーディスクで集めた映画作品が、いまDVDになって半額以下で売られている。 ソニーはハードの売れ行きにはソフトが必要という教訓を得て、コロンビア映画を買収し、ビデオゲームではハードの発売に先行してソフトを作らせた。 ちなみにボクはβの愛用者で、民生用編集機も買って、いまでも使っている。残念ながら1台しか買えなかった。しかし、ソニー製ビデオデッキが2台あれば編集ができた。あれはおもしろかった。のちにCADの会社でプロ用の編集機材を扱ったが、編集のノウハウはほとんど自宅のβで独学したものだ。 βのデッキは新製品が出ていなくて、もう10数年前のモデルが今も販売されているようだ。EDβで約30万円、ハイバンドβで約10万円するらしい。マニア以外の誰が買うだろう。 普通のVHSなら1万円強、SVHSでも2万円程度だ。10万円もだせばDVHSやハードディスクビデオが買える。 |
2002.05.28 東京のJR |
東京のJRの発着案内には「その次」というのもあったと思う。ほんとどういう順番で列車が到着するのか分からなかった。たしか「次」が「次発」のことで、「今度」が「次々発」のことだったと思う。「その次」はたしか「今度」の後にくる電車のこと。 それから構内アナウンスが大和ことばなのに驚いた。「まもなく電車が来ます。危ないですから、白い線の内側に下がってお待ちください」ってな具合。大阪では「まもなく電車が到着します。危険ですから白線の内側に下がってお待ちください」という。 言語は、閉じた地域内で単一の民族によって長年使われることで高度に発達するらしい。京都の話言葉はやわらくて平易なように聞こえるが、京都都心地域の地名は漢字を音読みすることが多い。明治時代に地元住民達によって建設された小学校の名前は音読みが多い(この小学校を核にした地域コミュニティのことを学区と称して明治以降京都都心部のコミュニティの中核をなしてきた)。どうしてわざわざ難しい漢字を音読みするのだろうかと考えた。そういう教養があることが京都人たる証でもあったのだろう。 英語はブリテン島での閉じた文化を背景に、言語として高度に発達したが、大植民地時代になると支配される側の話すブロークン英語が広まり、アメリカに至っては合理的な文法や綴りを再構築し世界共通語としての米語を確立した。独立200年際にエリザベス女王がボストンを訪れてスピーチしたとき、ボストン市民の大半は正統なクィーンズイングリッシュを聞き取れなかったという。本当かどうか知らないが。それほどまでに英語と米語は異なっているという比喩だろう。 東京は、世界的なメトロポリス。国内においてもあらゆる地方から人々があつまるところでは、できるだけ平易なことばを使わないといけないというのが、JRの構内アナウンスの違いになって出てくるのだろう。 大阪と東京で異なるものの似たような例として、書店で書棚を前にして本を探している人の向こう側に行きたいとき。大阪では何となく人の気配を感じると、通路を空けるために大抵前に詰めて背後を通れるようにするものだ。以心伝心というか、周囲の人の行動をなんとなく察して対応するというのが当たり前だった。東京では、そういう人に近づいていっても、まったく動じない。声をかけないと通路を開けてくれない。しかも、大抵後ろに下がるので、すみませんと遠慮しつつも、本探しの邪魔をする格好となってその人の前を通り過ぎなければならない。 そういえば、20年近く前に米国に行ったとき、「Excuse me」と声をかけさせすればとても気持ちいい対応が帰ってくる文化に感心し、すっかり慣れきって帰国したら、無言で道を空ける大阪と対比して文化の違いを感じた。東京では、やはり「すみません」と声を出すと気持ちのいい対応が帰ってくる。 隣近所の住民も分からない都心生活では、人はみな他人なのでお互いに声をかけあって、味方であることを表明しないといけない。大阪のように以心伝心で人の行動が読めるのは、田舎ということなのだ。 ねむたくなった。ネル。 |
2002.03.30 フィット来ました! |
本日、フィットが来ました。
大振りのオデッセイから小柄なフィットへの乗り換えは、おもちゃの車を運転しているような錯覚に陥ります。1300ccという排気量にもかかわらずオデッセイより静かなエンジン音と、1000kgという軽量故の快適な加速感は、忘れていたスポーティな運転感覚を呼び覚まします。 アルミホイール仕様にしましたが、薄っぺらいタイヤに驚きました。これはちょっとタイトな走りになるんじゃないかと思ったら、案の定、路面の凸凹を素直に伝えてくれます。アルミについては、スペックをよく確かめずに発注してしまったんです。ちょっとファミリーカー仕様ではなくなってしまった。 タイヤが新品のせいかもしれないけど、ゴツゴツした走りという印象。それとアクセルオフによる回転数ダウンが著しくて、ブレーキをかけたような感じになる。3ドアのインテクグラ(最初に買った新車)のVTECエンジンがそんな感じだった。 さらに停止直前の減速ものときのシフトダウンも急激な印象。かといって坂道を下るときのエンジンブレーキはそれほど急激に効かない。もう少し車の特性に慣れるとこなれた運転ができるかもしれない。 新しい車を買うたびに思うのですが、安全性と低公害に配慮したテクノロジーの進化に驚きます。パソコンと車は新品に限ると思うのは、そこです。燃費で言うと、仕事の行き帰りに使っただけですが、フィットのに装備された簡易燃費計によると15km/lでした。オデッセイの倍の距離を走っています。安全面では、エアバックは運転席・助手席標準装備で、サイドビームもABSも標準。前のオデッセイを買った6年前は、メーカーの意識としてはオプション品だったもの。標準装備されていないと売れなくなってしまったのでしょうか。 |
2002.02.13 音楽を聴いて感動するということ |
ママがいつもお世話になっている藤原先生から、ゲストブックに大量の書き込みをいだだきました。ありがとうございます。小沢征爾と佐渡裕については、藤原先生もお二人のファンだということです。音楽の感動をことばで表すのはとても難しいと思いまが、藤原先生の感動が伝わってきます。 クラシック音楽ファンの話をし始めるとキリがありませんが、ボクが足を運んだ数少ない演奏会で感動したものを思い出すままにあげてみます。 いちばん最近が93年の佐渡裕指揮大阪センチェリー交響楽団の第九。シンフォニーホール。コバケンの炎の第九を聴いて以来、毎年シンフォニーホールで第九を聴く習慣だった。この年はチケット購入に出遅れて、不本意ながらも佐渡の第九を選んだ。しかし最初の和音から、ぐぐっと引き込まれてしまった。大阪センチェリーってこんなに上手なの? 佐渡裕って誰? その感動は帰宅してからも冷めやらず、シンフォニーホールあてに手紙を書いたのを覚えている。 高校時代のブラスバンドの友人がたまたま電話してきたとき、佐渡裕の話をしたら、彼の弟が大阪センチェリーで働いていた。オケが巧いと誉めたら兄である友人がお礼を言った。ほんとうに上手だった。日本のオケで感動したのは、このときの大阪センチェリーと、小林研一郎/京響の初の「炎の第九」(シンフォニーホール)。 海外では、アバド/ウィーンフィルの田園(シンフォニーホール)がよかった。ウィーンフィルの音はオルガンのように一体となって客席に迫ってきたのを覚えている。音圧を感じるくらいの一体感。ピッチとタッチが見事に一致したときにしか感じることができないオーケストラの響きが、何度も何度も押し寄せて来た。 それは、高校時代、吹奏楽コンクールに出るための練習をしているときに何度か経験した響きを思い出させた。各楽器のピッチがはまって和音が一体化する瞬間。音圧が倍増したかのように和音が響く。ほんとうに稀にしか体験できないが、一度体験すると、忘れられない感動を覚える。本番が間近に迫った適度な緊張感のなかでの練習中によくあるが、本番中に体験したことはあまりない。 そういう響きが連続して怒濤のように押し寄せてくる。それがウィーンフィルだった。アバドの指揮よりウィーンフィルに感動した。 ベルティーニ指揮ベルリン放送交響楽団のマーラーの第九(フェスティバルホール)は、マーラーの第九を生演奏で聴きたくて行った。カラヤンの演奏を聴き込んでいてそれ以上の演奏はないと思っていた。しかし第四楽章の終盤、すごく感動して涙が出てきた。演奏を聴いただけで涙したのは初めてだった。 |
2002.02.06 Amazon.co.jpからのお知らせ |
Amazon.co.jpすなわち、日本のアマゾンから下記のメールが届きました。なんと、いままで取り扱っていなかった英国版の洋書等を取り扱うとのこと。1500円以上は送料無料。私が購入したハリーポッター4冊セットは送料込みで4450円だったのに、3758円(税込み3946円)で売っていました。なんかくやしい!
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2002.1.28 ハリー・ポッター英語本のトラブル |
ハリー・ポッターの翻訳を3巻とも読み終えると、早く次の話を読みたくなります。原書はすでに第4巻まで発行されているのに、翻訳を待っていると1年待たさせることになります。そこで原書購読に挑戦してみようと思いました。 ハリーポッターの英語本は、英国版と米国版があり、表紙のイラストが異なります。中身もちがうのかとナカバヤシ先生に聞いたら、米語と英語のちがいがハッキリと米語に訳されているということです。 だったら英語版がいいから、どうせならペーパーバック4冊セットを買ってきてください、と英国出張に行くナカバヤシ先生に、おみやげ代わりに頼みました。ところが本人は4巻目のハードカバーを既に持っていて、出張にはかさばって重いので一部コピーして持っていくというのです。本人が重いからといって持っていかない本を、帰りに4冊買ってきてと頼むのはどうか、と思って帰宅したあと、amazon.co.uk を調べると4冊セットで17.5ポンド(30%引き)でした。 amazon.co.jpは米語版しか扱ってません。ペーパーバックで750円くらい。ところが私が読みたい4巻目はハードカバー版しかなくて、2300円もする。紀伊国屋webサイトでは英語版ペーパーバックが1200円。もしこの情報しか知らなければ紀伊国屋で買っていたかもしれない。しかし英語と米語の違いがあるとはいえ、750円の本を1200円で売るのはどうかと思います。amazon.co.jpで仕入れても商売できるくらいの差額です。この価格設定そのものが敢えて紀伊国屋で買うことを拒否する理由です。(amazon.co.ukの英語版は4.2ポンド=800円(1ポンド=190円)) そういえばクリスマス前に調べたとき、UKからだと送料が5.95ポンド(1130円)かかるので、まとめて梱包してもらわないと損するという結論だった。そのときは30%引きもしてなかったと思う。しかし今は30%引き、17.5ポンドなら3325円、送料を入れても4455円、紀伊国屋で4冊買うと5040円(税込み)より安い。 ということで、出発間際になってwebで発注するからおみやげ要らない、とメールしたらしばらくたって返事が返ってきたので、さっそくwebで発注した(1月12日)。 その後、英国についたナカバヤシ先生から、4冊セットが25ポンドであるけど買うか?と国際電話があった。こちらは送料込みで24ポンドで買ったからいいですよ、と返事しました。英国の本屋で25ポンドのをWebで17.5ポンドで売っている。しかも国内送料無料だから、Webでの価格がめちゃくちゃ安い。どうなっているのか英国は。 15日になって、ロイヤルメールで送った、と通知があったので楽しみにしていたら、19日の留守中に郵便局から局で預かっているとの通知が入っていた。郵便局は宅配ボックスを使わないから嫌いだ。再配達を頼むしかない。 21日帰宅すると21日に再配達がありました。仕事を終えて帰宅して、郵便を見てみると4冊セットにしては薄いなあと感じました。封を切ってみると、案の定、第4巻目が1冊入っているだけでした。 すぐに抗議のメールを書こうと思いましたが、はずかしい英語を書いて誤解されてはこまるので、英語のヤマザキ先生にメールしてクレームの仕方を教わろうとおもったら、抗議文案を作っておくってくれました(訳文はエキサイト翻訳)。
4分の1の幸せってのが良いですね。残りの3冊はどうなっているのか、という意味もありますしね。こういう表現ができるのは英語だからでしょうか。日本語ではこんな言い方絶対にしませんよね。それにメールの主は辺境の地の日本人です。半分脅しが入っているような気もしますが。教えてもらったとおりにそのまま送信しました。22日午前1時(日本時間)のことです。 するとすぐに返信がきました。「正しい商品をすぐに送る。もちろん無料。発送はメールで知らせる。送った本は、返送コストがかかるので、そのまま取っておくか図書館に寄付して。」とありました。英国時間21日午後5時でした。
実は最初に誤配があったときはとても立腹してたのですが、トラブルに対する素早い対応と賢明なコスト意識による思いもよらない対応に、感動さえ覚えました。次の配送までまた1週間かかりますが、それがまた楽しみにさえ思えるのです。 送られてきた本は4.89ポンド。送料は5.95ポンド。これを送り返すと日本から英国までの送料分をamazon.co.ukが負担することになる分だけ、損失が増えるということです。そのまま放置するほうが損失が少ないわけです。11.94ポンドの損失だけにとどめるという判断と、顧客へのお詫びの印としてそのまま取っておけという判断。感心しました。 海外サイトでの買い物で、まさか発送ミスがあるなんて予期していませんでしたから、当初はどうすれば良いか分かりませんでしたが、紳士的な態度で望めば、紳士的に対応してくれるということでしょうか。英語力が未熟なことを痛感し、せめてこのくらいの英作文はできるようになっておきたいと思いました。 その後、21日午後10時(英国時間)に新しい注文が通っていました。そして23日午後5時(英国時間)に発送したとのメールが入り、28日(日本時間)には無事4冊セットを手にすることができました。すでにアダルト版で少しずつ読み始めた第4巻ですが、翻訳がでるまでに読み終えることができるかどうか。 ![]() |
2002.01.27 マスダ父 |
マスダ父が26日に亡くなった。直樹(パパの弟)の妻のお父さんだ。あまり頻繁に会っていたわけではないが、あの暖かみのある声がもう聞けないのが、とてもさびしい。 マスダ父とは、直樹が結婚する前に、家族で松尾家を訪ねてこられたときに出会った。背が高いが見下ろす風でもなく、いつも穏和で、ゆっくりと諭すように喋る姿に風格があった。夫婦でキリスト教を信望し、日曜日には教会に出かけるよき信者で、合唱の練習もするなど音楽好きだった。技術畑出身だった。物静かで上品だが、どこか純朴で、一途な雰囲気のする方だった。一緒にいるだけで、何かに守られているようなあたたかい感じがした。 直樹の結婚式の打ち合わせで六甲山に登った。安藤忠雄の六甲の教会で式をするためだった。マスダ家の車は、エメラルドグリーンのジェミニ、しかもディーゼルだった。今はもう乗用車を生産していない、いすゞ自動車の名車である。しかもディーゼルというところが堅実な技術者の趣味を表しているようで、感激した。(ちなみにそのときの松尾家の車は、パパが初めて買った中古のシビック・カントリー(紺)) 直樹の結婚パーティは、神戸の異人館うろこの館だった(と思う)が、マスダ父が心臓が悪いので上まで上がれないからここで休んでいる、というのをせっかくだからといいながらと諭して、ゆっくり一緒に上った。うろこの館は異人館のなかでも一番高いところに建っている(と思う)からだった。家族はマスダ父をおいてけぼりにするのに慣れているし、本人もそういうものだと思っているのが不思議だった。 直樹が結婚した年の大晦日、年が明けたらすぐに電話を掛けてこられた。新年のあいさつだ。弟の妻の両親だが、家族が増えたと感じた。 ずっと病床にあったが、年末に直樹から容態が悪いと聞いていた。ママの花子おばあちゃんがなくなる前と同じような症状だった。花子おばあちゃんは入院して1ヶ月くらいでなくなった。悪い予感が的中してしまった。 葬式は28日。自宅で密葬。
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2002.01.26 吉田秀和 |
朝日新聞に掲載の音楽評論で吉田秀和が小沢征爾をべた褒めしていた。吉田が小沢を誉めていたことがうれしかった。しかもあの感動は、久々に聴いたクラシックだからではなく、本当に良い演奏だったのだと納得した。 ![]() |
2002.01.04 ニューイヤーコンサート |
1月1日の両実家への年始の帰り、車の中で小沢征爾指揮のニューイヤーコンサートの生中継を聴いた。アンコールの美しき青きドナウとラデツキー行進曲しか聴けなかったが、美しき青きドナウがとても良かった。背筋がゾクゾクじた。久々に聴いた感動のドナウだ。もっともここ数年、クラシックを聴く時間がなかった。車の中とはいえ、ゆっくりと耳を傾けることができた。このとき晃志はすでに寝ていたが、子供たちも曲を聴く耳を持ってきた。 走行中に画面は見えないので、指揮の様子は分からなかったが、曲の始まりから終わりまで細部にわたって完璧な演奏だった。カラヤンのときも感動したが、それ以上の感動を小沢の指揮から感じた。カーオーディオのテレビ音声という音質的には芳しくない環境なのに、こんなに感動するとは。 そういえば近年のニューイヤーコンサートは録画さえしていない。最後に聴いたのはいつだったろう。カラヤン以降では、マゼール、アバド、クライバーなどは見た覚えがある。でもドナウで感動したのはカラヤンだけだった。 この曲は、なぜか特別の思い入れがある。小学校のときに自宅にあった名曲集レコードのなかに入っていたからかもしれない。2001年宇宙の旅に使われた曲だからかもしれない。曲を聴いて映画のシーンを思い出すわけではない。冒頭のバイオリンの高音のさざ波の響きに浮かぶように聞こえるホルン、その後だんだんと軽やかなリズムに変化していったあとに再びホルンによって主題が提示される直前のリタルダンドと一瞬の間合い、そのしばらくあとまでの1分ちょっとくらいの緊張感がとても好きだ。 今日(4日)は、子供が冬休みの宿題のカルタづくりをしている間、BGM代わりに録画したテープをかけていた。小沢征爾の指揮は、相変わらずすばらしい。観ているだけで音楽に引き込まれていく。久々にみる小沢征爾。今後は歌劇で大活躍するだろう。 思えば私のクラシック音楽の歴史は小沢征爾に支えられていたように思う。ベームやカラヤンなどの巨匠が活躍する時代に若きホープとしての小沢にあこがれた。高校時代、レコパルというFM雑誌に有名アーティストの伝記マンガが載っていた。小沢の半生はそれで知った。レーザーディスクで出た小沢のドキュメンタリーは、プレーヤーを持っていないのにディスクを先に買った。知り合いにビデオテープに落としてもらって何度も観た。マーラーの復活はそれで大好きな曲になった。 サイトウキネンオーケストラの最初の公演以降、忙しくてクラシックそのものを聴けなくなった。最初のCDはブラームスだったけ? それだけは買った。グラムフォンから初めて出したボストンシンフォニーとのブラームス第一番とは比較ならないほど感動した演奏だったように思う。でもそれ以降、ほとんどクラシックを聴く機会を失った。演奏会にも行かなくなった。 久々に聴いたニューイヤーコンサートだが、小沢の指揮でなければ聴いていなかったかもしれない。 ところで、しばらくクラシックCDを買わない間に、レーベルと国内販売レコード会社の関係が大幅に変わっている。昔は、グラムフォンはポリドール、デッカはキングレコード、EMIは東芝、フィリップスは日本フォノグラム、だった。この4つのレーベルはいつも名演奏の廉価版を限定販売してくれて、それでレコードを集めたものだ。いまもレーベルはこの4つが主流には変わりないようだ。 ![]() |