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2004年12月29日(水) 世界の中心で、愛をさけぶ

「世界の中心で、愛をさけぶ」DVDをママが借りてきたので、さっそく観た。やたらと長い前置きの宣伝に辟易する。日本版DVD業界の悪いくせだ。すぐに本編が観たいのに。

はっきり言って何の前知識も持たずに観た。あれだけ話題になりながら、まったく知らなかった。カセットテープの発見から高校時代にワープする映像。あの高校時代はまさに冬ソナと同じで、自分自身の高校時代を思い出す。

原作も知らないし、先入観もないので、最初は二人の出会いからの会話に疲れた。あとでもう一度見直して思い出したが、自分自身高校時代に女の子からこういう誘われ方をしていたのだ。それが相手からの誘いであるといことを鈍くも気づかない。思い出しても恥ずかしい。

ウォークマン奪取のリクエスト作戦でウソの話を投書したことに女の子が腹をたてた時点で話が見えた。体育館でピアノを弾く過去の女の子に出会った現代の男が、自分自身に思えた。俺もああやって泣くだろうなあ。

空港で男が妻を見つけたとき、涙が溢れ出てきた。泣けて泣けてしかたない。昔話のほうは思春期の恋心として、好きな人が死んでいくことを嘆くだけのもので、それは確かに悲しいことだけど、そこには病気そのものの苦痛に対する救いとか、その人との深い人間関係における愛を感じない。冬ソナでチュンサンが事故死しただけで話が終わったようなものだろう。それだけでは涙は出てこなかったかもしれない。

しかし妻とそれを共有していたという事実をしり、お互いにそれを知らずに、しかし二人ともずっと気になっていたということ(いかにも作り話的だが、そんなことを言い出せば冬ソナで感動することはできない)。だからこそ今の妻への思いが新たになるということだ。

「パリ、テキサス」をもう一度みたくなった。

最後のオーストラリアのシーンは不要だった。あれでは今現在の愛の強さを表しきれていないように思う。過去から解き放たれて新たな愛に生きて行こうとする男を描いてほしかった。

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2004年12月19日(日) タルコフスキーのストーカーDVDは誰も買わない

今朝の病院の帰り、タルコフスキーのストーカーのDVDが半額セールに出ていたので、つい買ってしまった。レジで元値が6000円と知ったがあとのまつり。えっ、そんなに高かったのか。いまどき映画のDVDは新品でもハリーポッターのように2500円程度だったりするので驚いた。

今日はみんな出払って一人だったので、さっそく観た。観て思ったが、ストーカーは、今までまともに観たことがなかったのかもしれない。部分部分の映像しか記憶にないからだ。見終わって、「惑星ソラリス」をもう一度観たくなった。最近ハリウッド映画としてリメイクされたが、観たいのはタルコフスキーのソラリス。「惑星ソラリス」のほうがもう少し分かりやすい。

ゾーンに入ったときのカラーで描かれる自然描写はノスタルジア?
サクリファイスってどんなだったけ?
タルコフスキーの作品を三越劇場で観ていた頃を思いだす。

ストーカーでは哲学的思考の会話と自然描写(特に水と草)と水の音が心地よい眠気を誘う。部屋の前でたじろぐ男たちの会話を聞きながら居眠りしてしまった。ロシア語が理解できれば現実と夢の狭間でもっと心地よい気分になるのかもしれない。

いつのまにかハリウッド系の映画になれてしまってこの手の映画をあまり観なくなっていたが、やっぱりいい映画はいいね。後味がいい。

ところでこのDVDは最悪のデザイン。タルコフスキーの作品とは思えない装丁。さらにB級SF映画でももっとましな装丁をするだろう。最初みつけたとき、別の「ストーカー」かと思ったが、背表紙にはちゃんと「タルコフスキーのストーカー」と書いてある。ジャケット裏の解説をよんで、ほとんど衝動買い。タルコフスキーはほとんどベータで録画していたけど、今はもうデッキが壊れて観れないから。

ところがこれ2枚組で、よくみると1枚目に本編63分、2枚目に本編92分、と分割して収録してある。2枚目に特典映像を集めているわけではないらしい。しかも本編2枚目の始まりには著作権警告が入る。飛ばせないので、映像を連続してみることができないのだ!

まったく興ざめ。 信じられない。

だいたい、今どきのDVDは3時間程度なら片面2層に焼くことができるハズ。しかるに、ストーカーは「ロシア映画評議会が修復デジタル化した」と書いてある。ロシア映画評議会が何者かはわかりません。ゾーンに到着したときの風景はきれいだったから、それなりに修復されているのかもしれない。でもディスク2に移ったらそれほど奇麗とおもわかなった。ディスクの入れ替えのためにテレビに近づいたからかもしれないが。デジタル処理して特別に奇麗になった映像でもなさそうだし、レンタルVHSで充分だったような気もする。

DVD2枚以外には何もはいっていなかった。解説らしきものはジャケットの裏書きだけ。これで6千円は高い。半額セールだったから買ったけど、定価だったら誰も買わない。

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2004年12月18日(土) ハリーポッターとアズカバンの囚人DVD

ハリーポッターとアズカバンの囚人DVDを観た。劇場で観られなかったので、DVDの発売が楽しみだったのだ。

例によって原作を端折って映像化するので仕方がないことだが、話の展開が早くて、観るものに深く考える時間が与えられず、映像が淡々と流れていく。毎回原作を知らない者がどれだけ理解できるかという疑問を抱かざるを得ない。しかし、今回のは前2作と監督が変わったせいか、原作への忠実度が低くなったようだ。その分、映画的ストーリー展開に移行してきており、無理なくストーリーを追いかけることができそうな気がする。説明的会話がないのは全2作同様だが、ストーリー展開に必要な会話が原作とは異なる場面でかわされていたり、映像による表現で行われているからだ。だから、原作をしらなくても楽しめる映像作品になってきたのではないか。ただホグワーツのロケーションが変わったのには違和感がある。

ルーピン先生は思っていたよりもハンサムで若々しい。もっと白髪まじりでくたびれた老け顔を想像していた。ディメンターは想像より細身でかっこいい。もっと醜悪なイメージだったんだが。クルックシャンクスと黒犬の登場シーンが少ないが面白くなかった。しかしハリーが守護霊を呼び出して自分自身を助ける瞬間は見事に想像どおりだった。

不死鳥の騎士団を読んだあとなので、ファッジ、ペチュニア、シリアスなどの見方が変わってしまった。とくにあの占い学の先生。

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2004年10月20日(水) 台風23号トカゲ

今回の台風は超大型という分類で、20日の夕刻に近畿直撃の予測。
学校は7時時点で暴風警報が出ていれば休校。地域としては大阪府の北大阪になるが、7時にはまだ注意報しか出ていなかった。ところが、猪名川一本挟んだお隣の川西市は兵庫県阪神という気象地域では朝7時に暴風警報が発令されていた。北大阪に暴風警報が発令されたのは11時半。この4時間半の時間差はなんなんでしょう。各警報の発令時間を詳細にみる。

     大雨  洪水  暴風  波浪
阪神   11:00 11:00 07:00 07:35
北大阪  11:35 11:35 11:35 なし

北大阪:豊中市、吹田市、摂津市、高槻市、茨木市、箕面市、池田市、豊能町、乗能勢町、島本町
阪 神:神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市、伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、猪名川町

神戸市の明石市よりの地域と摂津市とを比較すると分からんでもないが、猪名川を市境とする川西市と池田市ではこの暴風警報4時間半の差はおおきいなあ。

結局気象地区は便宜上都道府県を行政区別に細分したにすぎない。地区別に詳細な気象情報を出すといっても地形的要素は考慮していないので、地域密着型の詳細情報が得られるという期待が高まる一方、細分化すればするほど区域の境に近いところで情報の差が大きく感じられるということだろう。暴風警報4時間半の差も兵庫県と大阪府という大まかな区分なら、さもありなん、とあきらめるんだけどね。

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2004年9月6日(月) ハリーポッターと不死鳥の騎士団

ハリーポッターと不死鳥の騎士団(日本語訳)を読了。原書は昨年の夏に発売されていて、すぐに買ったけど読み始めたのは今年の春頃から。毎晩少しずつ読んで、なんとか日本語訳の発売までに読み切ろうと思っていたのだが、まったく進まず、5章の手まえ付近で放置していた。9月1日に日本語訳が発売されると、当然日本語訳のほうを読み進んだ。

すでに読んだ部分については内容の確認的な読み進め方。日本語訳では結構なボリュームだったのに我ながら少し驚いた。未読の部分はストーリーを追う読み方。細かい描写は気にせずどんどん読み進んだが、英語版でもそういう読み方ができるといいのだが、英語力不足を嘆く。それにしてもやっぱりこの日本語訳には少しなじめないところがある。

この巻ではハリーがイライラしすぎ。思春期の少年ってこんだっけ。しかも、あれほど思慮深く尊敬できる人物として描いてきたハズのダンブルドアなのに、今回の失策はあまりにもお粗末すぎる。そうでもしないと次の巻以降でハリーが自立して活躍することができなくなるからでしょうね。

ところで、毎回用意周到なストーリー展開に驚かされる(第4巻では収集つかなくなって超長編になったらしい)が、今回のおどろきは以前の巻にまき散らされた種がこの巻で拾い上げられるという巧みさには感服。日本語版で上下巻で第4巻よりも長くなっているにもかかわらず、もっと長くてもいいと思ってしまうのはなぜ。

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2004年9月5日(日) 地震

午後7時7分ごろ、 急にめまいがした。身体ゆらゆら揺れだした。全身が揺れていた。次の瞬間、そこにいたみんなが言った。「地震や!」。家が揺れていたのだ。実家で両親と一緒に家族で夕食しているときだった。体感的に震度3だった。すぐに終わるだろうと思って、そのまま箸をすすめたが、いっこうに止まらない。ますます揺れだした 。もっと強くゆれるのではないか、あの時のようにもっと激しいゆれになって家具が転倒し始めるのではないか、30秒ほどしても揺れやまないときにそういう恐怖が襲ってきた。しかし、すぐ隣で母がもっと不安そうな表情でじっと壁にかかった時計をみつめていた。それを見て安心させるつもりで笑顔で「よう揺れるなあ」と言った。向かい側にいた晃志が、この下潜ってもいい? というと、ママとおじいちゃんが「もぐっとき」と言った。晃志は座卓の下にもぐっった。ダイニングのペンダントライトが揺れている。阪神大震災のときほどは揺れていなかった。そのとき気づかなかったが、リビングの中央に置いた座卓の真上のライトもペンダントだった。もしあれが落ちてくるようなことがあったら、座卓の下の晃志だけがけがをしなくてすんだかもしれない。背中の方ではパソコンをのせた机(パパが小学生のときに買ってもらったクロガネの学習机)がカタカタとひっきりなしに音を立てていた。ようやく収まった。

「よう揺れたなあ」と親父。「1分間!」、じっと時計を見ていた母が言った。

母は平静を装っていたもののショック状態だった。心臓がドキドキしていると言っていた。それ以上食事を続けることができなかった。食事の支度をしていたので一番最後に座卓について、食べ始めたばかりだったというのに、揺れが収まったあと一口も食べていない。

しばらく頭がゆらゆらして気分が悪かった。忘れていた恐怖の感覚がよみがえった。あのとき、箕面はそれほど揺れなかった。うちでは食器棚の一番上の食器が落ちてきて割れた。実家では不用意にテーブルに置いていた蜂蜜の瓶がおちて割れた。その程度の揺れでは恐怖としては植え付けられないだろう。母の恐怖感はおそらく、須磨の次男夫婦の家が全壊してその日の午後3時まで連絡が取れなかったり、神戸の親類が死んだことによるものだ。おそらく程度の違いこそあれ、そこにいた大人(両親とママとパパ)はみな、それなりの恐怖感がよみがえった。30分くらいはアタマの中で今の揺れが続いていた。

ママはひっきりなしに余震を恐れた。余震というよりもっと大きな第二波がくるかもしれないとおびえていた。深夜、実際に第二波が来た。子供が寝ている二段ベッドの傍らに夫婦でたたずみ、万が一のときのことを考えた。ママは揺れている最中に下の段で寝ている晃志を引きずり出そうか、とさえ言った。さっきのと同じくらい長く感じたが、あきらかに揺れは少なかった。揺れが収まるとすぐにテレビをつけた。NHKの反応は速かった。さっきのと近くだけど違う震源。もう大丈夫のような気がした。

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2004年8月20日(金) 感動の塚田、鈴木の金メダル

それにしてもうちの家族はオリンピックになんら興味をしめさないのが不思議だ。今日は、柔道最終日、塚田真希の決勝は感動的だった。
塚田が投げられて技ありをとられ、そのまま押さえ込みの体勢にもちこまれたときは本当にダメかとおもった。アナウンサも解説者もあきらめかけていたとき、後ろ袈裟固めに持ち込んだとき、解説者が押さえにいっていますと絶叫、そのまま25秒たってくれという祈り。1本とったときは思わず両手でガッツポーツをしてしまった。と同時に涙が溢れ出た。

そのあとの、鈴木。あぶないシーンがあったものの、あれ?と思うほど簡単にこけていた相手。審判の顔をみあげたあとに両手をあげてカニ歩きしながら飛び跳ねる鈴木に、やはり涙、涙、なみだ。

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2004年8月19日(木) バタンキュー

昨日は疲れて風呂も入らずに寝てしまった。10時くらいに帰宅して食事、そのあとメールチェックしてたら眠たくなって寝てしまった。半身浴もしてないし、食後すぐに寝てるので、太るパタン。案の定、昨日より400gも増えている。

しかしそれにもまして悔しいのは、北島の200mを見れなかったこと、愛ちゃんの卓球を見れなかったこと。

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2004年8月14日(土) アテネオリンピック開会式

ギリシャ、アテネでのオリンピック。4年に一度のスポーツの祭典の開会式はリアルタイムで見ることはできず、再放送を途中から見たが感動的だった。バロセロナやシドニーでもそうだったが、人類の歴史と開催国の歴史を織り交ぜながらスポーツの祭典の意義を演出するオープニングイベントは、毎回印象的だった。オリンピック開催地のギリシャがそれをどのように演出するのか楽しみだったが、古い題材を最新のテクノロジーを織り交ぜて演出していたのはギリシャらしくてよかった。このスポーツの祭典が未来永劫平和の祭典として継続しますように、そういう思いを皆が感じ取ったことだろう。史上最大の参加国の入場行進も、知らない国がこんなにも多いということをあらためて感じ、自分の無知を恥じる。

オリンピック開催は、どんどん巨大化し、華やかに演出され、多額の費用がかかるようになってきているが、どんなに娯楽的になってもこうして平和のメッセージを伝達しようとしているところに大きな意義がある。多少商業主義的になっても華やかさをもったこの開会式のイベントは重要だろう。

ところで、こうした感動は4年に一度しか味わえないのに、それは早朝のダイジェスト版だけを見ただけにして、先日テレビで再放映されたドラマ「さとうきび畑」の録画を子供たちと一緒に見ていたママは、なんか変。とくに開会式のイベントは子供心にも印象に残るのに。どうしていつでも見れる録画をこの時間帯にわざわざ見る必要があるのだろう。

パパはスポーツは得意なほうではないし、野球観戦はきらいので高校野球も観ない。だが、阪神戦は時々観るし、サッカーの日本代表戦についてはよく観る。最近は佐藤琢磨のおかげでF1も観る。ところが子供たちはパパがテレビを観ていても観戦の邪魔をするだけ。

つまり我が子らはスポーツ観戦にほとんど興味をもたない。スポーツ観戦に興味がなければ当然自分がスポーツすることにも興味がない。しかし、スポーツに興味をもたない我が子について「集中力がないのはスポーツやってないせいかな」と嘆くママ。さらに身体能力(いわゆる運動神経)の低さも嘆いているが、それは自らが蒔いた種。それに気づいていないで、子供を非難する姿勢がおかしい。

もちろん、ママがどうであれ、パパがスポーツ好きなら子供もスポーツ好きだろう。パパが休みのときに子供たちと一緒にスポーツしてれいば、子供がスポーツぎらいになることはないだろう。しかし子供がスポーツ嫌いなのをパパは別に嘆いていない。

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2004年8月7日(土) 佐渡裕の演奏会

久々のシンフォニーホール、子連れで行くのは初めて。佐渡裕と京響、及川浩治のピアノ。期待しないわけがない。
ホールにつくとホアイエの2階では楽団員によるクリニックが行われていた。そのなかには佐渡裕の姿もあった。間近でみる佐渡裕は大柄なわりに細い脚という感じ。フリードリンクを飲んでいると、階段のところで簡単な指揮指導が行われていた。会場から子供を選んで、弦楽四重奏を指揮させるもの。アイネクライネナハトムジークを指揮させてクリニック。最初でたらめに振っていた子供がちょっと一言そえるだけで見事な指揮者に早変わり。たとえ話が上手だとすぐに効果がでるといういい事例だ。見習いたい。たとえば振り始めに怖じ気づく子供に対して、じゃんけんの要領で振ればよいと教えて、実際にじゃんけんさせてみる。当然じゃんけんはちゃんとできる。すると指揮もちゃんと振り始めることができる。

開演20分前になるとあとは会場でお会いしましょうといって去っていった。

さて演奏。圧巻は、ショスタコの5番最終楽章。当初ソドレミ♭の音が曲の最後で♭がとれるというのを比較してくれる。明るく開ける未来に向かって響くしくみはここにあった。
京響のショスタコ5番の響きがすばらしい。解釈はバーンスタインのソニーのレコードそのもの。聞き慣れたテンポ設定にまったく違和感なく、ニューヨークフィルよりもきれいな弦が響く。中間部のきれいなフレーズの部分が省略されていたのが残念だったが、子供相手にはこうするしかなかったのかもしれない。しかし、最後の響きは、亮佑でさえ弦楽器の人は腕が疲れるやろな、と感想を漏らしたくらい、圧倒的な音圧が押し寄せてくる。弦よりも管楽器のほうが息絶え絶えになるんや、と教えてあげたが、ラッパの音に少しとぎれがあったものの、息苦しさを感じさせない演奏に、さすがプロと思った。

しかしまあ、ここまで圧倒的な演奏をされると、ショスタコの5番の終楽章は、迫力で押しまくるだけの音楽か、という印象さえ持ってしまいそう。鳴り響き続ける大音響に少々辟易した。むしろ静寂部をカットせずに弱音の美との比較のうえでの迫力というのがほしかった。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。ワイセンベルクとカラヤンでこの聞き慣れた曲でさえ、及川の熱演に感動した。シンフォニックなオケの響きと及川のピアノの掛け合いは絶妙だった。ただ、ソドレミを逆に弾いて下降すると、そのままチャイコのピ協になるという説明のところ、もうすこし解説的な会話が欲しかった。大人は知っているけど、子供たちにそれほどなじみ深い曲ではないように思うから。

ウエストサイドストーリーのマンボは、バーンスタインも佐渡を弟子にしてよかったね、という感じ。師匠が作曲した曲を見事に演奏する弟子。佐渡の面影もなんとなくバーンスタインが乗り移ったんじゃないの?と思わせる。師弟関係はこうありたい。

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2004年7月20日(火) カルロス・クライバー

カルロス・クライバーが死んだ。幻の伝説的指揮者。録音が少ない。

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2004年7月17日(土) 明治館シンポジウム

シンポジウムで久々にリッタさんに会った。またヘルシンキに行きたくなった。

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2004年6月24日(木) 塾に行くとはどういうことか

亮佑がいうには、塾の授業は楽しいそうだ。けど宿題はいやや、やりたくないらしい。

つまり塾の授業そのものを楽しんでいるが、勉強自体が面白いというレベルにはまだ達していないということだ。

塾の授業がおもしろいということは、ひょっとして寄席と勘違いしているのではないだろうか。たしかに塾の講師たちは面白い授業をするらしい。ママが説明会などに行ったときの報告をきくと教え方が巧いそうだ。パパ自身、入塾テストか何かにつきあったときの塾長の説明をきいて教え方が巧いとおもった。しかしそれは亮佑がやっていた通信教育の実演版という印象をうけた。

つまり塾の教育カリキュラムがしっかりしていて、塾の講師たちもそれをしっかり把握して教育しているということかもしれない。いわゆる名物教師がいて、その人だけの授業がおもしろいというわけではない。国語算数理科社会すべてにわたってすべての授業が楽しいということだ。

聞くところによると塾では講師にたいする研修も頻繁におこなわれていて、教育法も徹底されている。授業中どんなギャグが受けたかの報告もあるそうだ。組織的に教育法を共有することによって講師個人による教育内容の差を極力なくそうとしていると考えられる。

しかし、それこそ公教育がやらなければならないことではないだろうか。どうして小学校ではそういうことをしないのか? 学習指導要領とはなんなんだ?

不幸にも亮佑は小学校での担任に恵まれなかった。いまでも腹立たしく思い出すが、国語の教科書を先生が配ったプリントに先生のお手本と全く同じように一字一句間違わずに写すという無益な宿題が出され、字数のずれが生じようものなら間違ったところ以降は消しゴムでけされて書き直しを命じられた。きれいな字の練習をするわけでもなく、漢字の練習をするわけでもない。それが亮佑をして宿題ぎらいさせたのではないかと思われるふしもある。小学校では同じ小学校にいてもどの先生が担任になるかで児童の受ける教育内容が異なるのが現状だ。

かといって塾に行かせるのが公教育の代わりになるかというと、そうではない。塾とは一般に進学塾であり、それは決して公教育の補完をしているわけではなく、あくまでも有名私学に進学することを目的としている。最終的には受講生のなかから最大限の合格者を出すことが目的であり、試験対策を徹底的におこなう。だからこそ経営が成り立つ。親は有名私学に合格することを願って塾に行かせているのが大半だろう。公的補助金を受けない塾はあくまでも営利企業であることを忘れてはならない。最終的には受験戦争に勝ち抜く方法を教えるのが塾である。

このまま今の塾に行っていたら受験しなければならなくなる。だから受験させない(受験させるだけのお金がない)のなら今の塾はやめさせるほうがよいとママは言っている。私立中学受験対策の塾ではなく、いまから高校受験に的をしぼった塾があるというのだ。そうすると今よりゆったりしたカリキュラムなのでいまほどきりきりしなくてすむという。

そうかな、どんな塾であれ、学校の勉強以外に勉強しなければいけないとしたら、時間的ゆとりがないのは一緒だと思うのだが。それに、少なくとも今の教材をみるかぎり、読み書き計算の反復練習と物事の基本的考え方を学ぶには効果的な教材だ。小学校では教えてくれなかった勉強法を教えてくれているというだけでも十分ではないかとパパは思う。受験一色の時期になったら辞めればいい。その頃には亮佑的勉強法も身に付いているだろう。

というとママは、それは親の勝手で、亮佑がかわいそうだという。今の塾に行かせるなら受験させてあげないと、子供に対する裏切りだというのだ。

ほなやめたらいいやん。もしくはほかの塾にいかせたらいいやん

なんでいまごろいうの? いまさらやめさすのはかわいそうやん。

ン? わけわからん。ママ的には、やっぱり、塾に行かせる=有名私立に進学させる、ということらしい。

結局ママの言いたいことをまとめると、「今の塾に行かせておいて亮佑がどこか私学に合格したら、行かせるだけの財政的ゆとりある? ないの? 甲斐性なし!」と言っているにすぎない。

行かせてやりたいのはやまやまだが現実はきびしい。それよりなにより、教育に関する考え方が根本的に異なる。

いずれにしても、少なくとも亮佑は自ら進んで塾にいきたいといいだした。そういう亮佑に身につけてもらいたいのは、勉学の姿勢だ。パパはかならずしも私学進学を望んでいる訳ではない。公教育が忘れてしまった基本的学習方法や学習態度の習得ができればそれでよいとおもっている。宿題はやりたくない、と言っている限り塾へ行かせている効果はまだないとみている。寄席的にでもいいから塾の授業を楽しんでいるなら、いずれ宿題も好きになるときがくるだろうと思っている。

ほんとは、子供の勉強にしっかりつきあってやれる時間があれば一番いいのだが。

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2004年4月29日(木) 国民年金

年金未納問題で大騒ぎしているけど、結局それだけ制度がややこしいということでしょう。いっそのこと一本化して税金として徴収するようにすると不払いとか未納とかなくなるだろうに。弁明や弁解聞くよりわかりやすい制度改革案を示してくれるほうがいいな。

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2004年2月1日(日) 大阪府知事選挙

大阪府知事選挙投票日。穏やかな日。しかし選挙自体は盛り上がりに欠け、投票率は40%。前回の44.5よりも低い、過去最低。結果は圧倒的多数で太田知事再選。しかも前回得票数を上回った。前回の選挙は自民党が党本部と府連とで候補者が二人でて、票が割れたが、今回は統一候補のためその差がでたのだろう。今回の選挙結果は組織票の結果として受け止められる。

それにしても、投票率の低さが嘆かわしい。有権者約700万人。そのうち280万人しか投票していない。太田知事の得票数は156万人。投票しなかった人たちの支持率がどれだけかわからないが、156万人という数字事態は、有権者の22%程度しかない。投票率が50%だとしたら、約70万人分の票が分配される。今回は盛り上がりに欠けて、江本氏(67万票)との得票差にも満たないから、当選結果には影響しないだろうが、60%の投票率だったら140万票となって結果は変わったかもしれない。

ノック知事が当選した選挙のときは、投票率は50%を超えていた。府民に政治的関心を呼び起こすという意味ではノック知事の存在感はあった。

そういう意味では、太田知事は今回の選挙に対して府民をかろんじているといえるかもしれない。府民の政治的関心をもっと引き寄せることができないと知事の資格はない。府民の政治的無関心がつづく状況のなかで江本氏の立候補は、無風で選挙を切り抜けようとした太田陣営をあわてさせた。それだけでも意味があっただろう。

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