番外編その2 パパはMacが好きではMacやパソコン等に関するひとりごと

トップページ ■日記一覧 ▼番外編2:パパはMacが好き  ▼パパのひとりごと2004年2003年2002年2001年 


2001.12.30 クラシック音楽

朝比奈隆が逝った。音楽の世界的な巨匠がひとりいなくなった。朝比奈隆は私が高校時代にクラシック音楽を愛聴し始めたときには既に巨匠だった。しかし朝比奈隆の演奏はあまり聴いたことがない。ミーハーなクラシックファンだったので、大好きなのはカラヤンだった。朝比奈の熱烈なファンではなかったのは、音楽雑誌での評価は高いのに、実際にFMなどで演奏を聴くとオケの下手さが目立って、がっかりしたからだ。そのころ、ブーレーズ指揮のニューヨークフィルの春の祭典(ストラビンスキー)を聴いたあと、N響の春祭をテレビで聴いて、日本のオケはどうしてこんなに下手なんだろうと思った。自他共に日本最高のオケと認めるN響でさえそうだったのに、大フィル? という思いだった。指揮者の解釈ではなく演奏を聴きたかった。クラシックを聴き始めたばかりだったし、メディアを通してしかクラシック音楽を知らなかった。

当時まだ若い小沢征爾がボストンシンフォニーを指揮していたのに、朝比奈隆は大フィルを指揮し続けた。流麗な演奏の小沢の指揮に対して、無骨で造形がしっかりした演奏で、ベートーベンやブラームスに似つかわしいスタイルだと思っていたが、ついに生演奏を聴くことはなかった。当時はレコードも少なくてなかなかその演奏を耳にすることはなかった。レコードを買うときはどうしてもまずカラヤンやベームなど世界的巨匠から買ってしまう(しかも廉価版)。そういう演奏を耳にしてFMラジオから流れる朝比奈隆を聴くと、大フィルではなく海外のオケを振って欲しいとおもった。

小沢のブラームスの一番のレコードを期待して聴いて、透明な小川のようにリズムがなめらかに流れる音楽にがっかりした。やっぱりこういう音楽は朝比奈のように年齢を重ねないと演奏できないのでないかと思った。その小沢が来年のニューイヤーコンサートでウィーンフィルを指揮する。楽しみだ。

93年の暮れに佐渡裕の第九を聴いた。感動した。佐渡は私が求めるとおりの第九を演奏してくれた。背筋がゾクゾクしたのを覚えている。あんなに感動した第九は久しぶりだった。小林研一郎がシンフォニーホールで京響を指揮して初めて演奏した第九以来だった。あのときは京都会館で聴く京響と別物であるかのように思えた。佐渡は大阪センチェリー響だったが、オケもすばらしく上手で、佐渡の解釈もよかった。佐渡裕に惚れ込んでしまった。生演奏を聴くべきだと痛感した。

生演奏で思い出したことがある。高校時代、カール・ベームのNHKホールでの演奏がNHK-FMで生中継されたとき、お粗末な自宅のステレオのチューナーからステレオ放送を示す表示が消えていた。エアチェックしてたのに、どうしてステレオじゃないんだとNHKに抗議の電話をした。生中継の機材がステレオ放送に対応していないからと説明され、後日録音にてステレオ放送いたしますと対応に出た男性職員が言った。たかが高校生の一聴取者に対して、丁寧な対応だったのを覚えている。

浪人2年目のとき、自室のラジカセから流れてきた音質の悪い演奏に、すごく感動したことがある。曲名が思い出せないが、指揮者はオットー・クレンペラーだった。それ以来、クレンペラーのファンになり、名演奏は音質が悪くても十分に感動を伝えることを確信した。

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2001.12.21 strawberrynet.com

愛用してる化粧品のキャンペーン商品があると行って出かけたママだが、店員にいつもご予約されていましたのに、と言われて初めて予約してないと入手できないことに気づいたらしい。意気消沈して帰宅したママに、ネットで買えばいいじゃん、と言って検索すると見つけた海外化粧品の格安販売サイト。ママが欲しかった商品はキャンペーン価格で6500円。しかしネット上では6000円くらいが当たり前。そして見つけたstrawberrynet.com。日本語のページもある。ちょっと怪しいけど、4500円と一番価格が安かったので、ここで早速注文してみた。

すぐに発注確認のメールが届いた。英文だった。発注確認のメールがくるのは一応一安心。あとは2〜3日で発送するというページの記載を信じて待つことに。そして待つこと1週間。香港から航空便で小荷物が届いた。それまで忘れていたが、strawberrynetの名をみて、ママの化粧品と判明。パッケージを開けると、確かに頼んだ商品が。

香港ということで、カードの不正使用が心配な点もあるが、百貨店の半額近くで買えるのはお得。個人輸入に近い形で海外の商品を購入できる時代になったことを痛感した。

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2001.12.02 映画ハリー・ポッターを観た

残念ながら、映画はあまり良く出来た作品ではなかった。がっかりだ。海外での評判もよく、テレビでもハリー・ポッターにかこつけてイギリス紹介番組をいろいろやっていたので、期待は大きかった。しかし、千と千尋ほどの感動はなかった。どうしてだろう。

読書によるイマジネーションと映像のギャップが大きかったということもあろう。しかし、本における詳細な描写、とくに人物の性格描写やハリーの心理描写、いろいろなところに散りばめられた伏線などが、一切省略されていたところが映画としての出来映えを極端に悪くしている。2時間半にまとめるには、原作が盛りだくさん過ぎるのだろう。セットはもっとちゃちでもいいからテレビドラマとして作り直して欲しい気がする。「ツインピークス」とか「ロズウェルー星の恋人たち」みたいに。

どこかで読んだが、原作に忠実であることが映画化の条件だったそうだ。だからこの映画は、原作のただの視覚化にすぎず、映画らしい脚本になっていない。それにあの無遠慮なBGM(この映画にジョン・ウイリアムスは似合わなかった)。生徒が集合している広間が出てくるたびに大音響のオーケストラ演奏が鳴り響くのは、かなりうっとおしいものだった。

映画館が悪いのか、映像は暗くて細部が見えにくい。インターネットの映画の予告編では、字幕スーパー版は画質も悪く、映像も暗いが、米国サイトや英国サイトの予告編はとてもキレイだったので、たぶん日本語版のプリントの質がわるいのだと思う。

いずれにしても、よかったのは3人組の子役の演技くらいで、脚本も映像も音楽も、とても大ヒットを生み出すようなものではなかった。これなら千と千尋のほうがもっといい。

3人ともうまかったが、ハーマイオニー役の女の子の演技はよかった。が、原作にあるような優等生のツンとしたような態度や押しつけがましい正義感などをあの脚本のなかから感じ取るには、描写が少なすぎる。彼女が最後にハリーに向かって、「成績がなによ、もっと大切なものがあるのがわかったわ」という言葉の重みが、映画のなかではただのセリフでしかない。たぶん、日本語吹き替えも上手ではない。おそらく原語のまま観たほうが少しはましなようが気がする。

そう思ったは、とくに箒にのる練習の授業だ。何度も予告編を観てたので、フーチ先生が英語で発する号令は緊迫感があり張りつめた感じがあったのに、日本語では間延びした号令でしかなかったのだ。

どうしてこんな映画が英米で大ヒットを続けるのか。英米と日本ではハリーポッターの読まれ方が比較にならないくらい異なるのではないだろうか。原作を呼んだ人しか分かりえないいろいろな映像は、原作のファンの予定調和的映像であって、新たな映像作品としてつくられたのではないように思える。つまり、原作ファンの自己満足的作品でしかない。

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2001.11.25 新車買っちゃった!

今日は、愛車オデッセイの6ヶ月点検。箕面のベルノまで子供たちを連れて小一時間点検時間を過ごす予定だった。ところがママが藤原先生と千里中央で会うというので、ベルノまで同乗して、そこからバスに乗っていくことになった。

ベルノにつくと子供たちは真っ先にキッズコーナーのおもちゃで遊びだした。いつもベルノに来るときは、ここのおもちゃが楽しみなのだ。担当の山口さんが電話中ということでしばし待つあいだに、パパは近くのバス停を調べてこようとしたが、表にでて交差点の向こうにバス停があるのを確認しただけで戻ってきた。ちょうど山口さんが現れたので、千中にいくにはどうすればよいかと尋ねると、しばし思案した揚げ句、試乗車を使ってくださいということになった。そういう手段があったんですねえ、と感心した。

今日は、できたらフィットを試乗したいと思っていたのでちょうどよかった。真っ赤なフィットでママを千里中央まで乗せていく。以前車検のときの代車でロゴに乗ったことがあるが、コンパクトな車で結構使い勝手が良いとの印象だった。フィットはそれに加えて、スポーティな内装と躍動感のある足回りが気に入った。

なによりもママがその車を気に入った。キュートな外観デザインがママ好みだ。以前、発売開始直前の資料を見たとき、ベンツのAクラスをコンパクトにした雰囲気と思ったが、もっとかっこいい。ストリームを小型化したような感じ。試乗した車の色はミラノレッドという赤。フェラーリの赤を思わせる。この系統の赤はパパもお気に入り。オデッセイの赤のようにくすんでいないから。ママはママで、車は赤がいい、と言い続けていたから、なお一層気に入ったようだ。

これいくら?とママが聞く。一番安いので100万円くらいかなあ、グレードによるけどこれ(試乗車)は150万円くらいじゃないか。あとで聞くと試乗車は115万円ということだった。

オデッセイに比べると、排気量・重量ともに3分の2くらいかなあ。軽快な加速感と意外に静かなエンジン音。スピードを出してもあまり高速感を感じないのは、静かなエンジン音のせいだろうか。オデッセイはシートが高いのでちょうと立ったときの目の高さから路面をみるので、高速時の恐怖感が少ない。たまたまセダンに乗ったときに感じたような速度感を今回は感じなかった。千中で車を降りたママが、しきりに気に入ったを連発した。スペックを確かめると、重要1000kg、排気量1300cc。オデッセイが1.6tで2200ccだから思った通り。

ベルノに戻ると営業の山口さんは、さっそく見積書を作成する。定期点検でここにくると恒例のように見積書をつくってくれる。でもこれまでは、それはことごとく無駄な見積書となっていた。しかし、今回は違うかもよ、とパパは山口さんに耳打ちする。ママが乗り気になっていたからだ。こんなことは今だかつてない。

いつものように、その場でカタログを見ながら、カラーやグレードやオプション品を決めていく。そしてセカンドカー購入という方向で見積書を作成。ローンにして月額3万7千円。これは無理だなあ、と感じた。ところが今のオデッセイを査定すると下取りが90万円という。乗り換えなら可能性があるかもしれないな、と思った。フィットは人気車で、今発注をかけると納車は6月になるという。ところが受注を見越して先行発注した分があるから、それと希望車種が合致すれば、はやくて3月納車。それでも4ヶ月待ちだ。

夕方。自宅でママの帰りを待って、夕食をしながら家族会議が始まった。ママが相当気に入ったようだ。車の話しはママから切り出したから。しかし増車はできないということで、乗り換えの方向に急きょ話が展開し始めた。燃費が倍ほど違うので、月々のガソリン代が浮く。それでローンを支払えるなら支出はトントン。オデッセイなら2003年5月の車検だが、それが同じ維持費でさらに2年先延ばしにできる。オデッセイがフル回転している(つまり7人乗せてる)ことは少ないので、むしろフィットに乗り換えてもあまり支障はない。むしろそれでママが運転する気になるなら、そのほうがいいか、ということになっった。

ママがベルノに電話した。フィット1台ください、って。夜8時のこと。すぐに自宅まで飛んできた営業の山口さん。

なんかママにオデッセイを乗っ取られたような気がしないでもない。結構気に入ってた車だけに未練が残る。朝、試乗車にママが乗らなければこういう展開にはならなかった。衝動買いに近い気もするが、燃費の悪いオデッセイをいつ乗り換えるべきかとずっと考え続けてきたパパにとっては、そうでもない。むしろ、グレードを上げ続ける方向でしか考えていなかったのに、ぐっとお安い乗り換えになってしまった展開に、こういう方法もあったんだと納得している。

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2001.11.10 千と千尋の神隠し

「千と千尋の神隠し」を見た。家族で見に行った。午前中、亮佑のレッスン、そのあと皮膚科(なんと2時間待ち)、帰宅して遅い昼食後、突然の判断で梅田スカラ座まで見に行った。

冒頭、千尋が暗闇のなかで両親を見失い、湯屋への橋を渡っていくとこらで晃志がこわいぃと泣き出した。

千と千尋はよかった。

千尋の脚が異様に細いのに驚いた。いままで、人物の描き方でこんなにデフォルメしたのを見たのは初めてだ。しかしアンバランスに感じさせないのがうまい。どうみても細すぎるのに。

帰宅して亮佑と風呂に入って確認したが、過去の宮崎アニメが散りばめられていた。
トトロのまっくろくろすけ。
ラピュタのおばあさん(湯婆婆)とそのダンナ(釜爺)。
もののけ姫の犬(龍になったハクの顔)
坊ネズミとハエドリは、ナウシカのキツネリスや魔女の宅急便のジジと同じ。身体にまとわりついて離れない愛玩動物のように描かれている。
千が階段を下りたり、壊れかけてる配管をかけていくシーンは、宮崎駿お得意の活劇シーンだが、これは未来少年コナン。

ストーリーとは関係ないが、もう一工夫ほしかったのは、手摺りのない木製の階段を下りていくおびえた千尋のようす。一瞬だけ階段を見下ろすアングルが出てくるが、はいつくばってこわごわ脚をおろすシーンはアングルが切り替わってしまった。もう一度、千尋の目のアングルで見下ろしながら脚を出すシーンがあれば、階段を降りる恐怖感が伝わったのに。自分が千尋ならおそらく同じ降り方をしただろうと思うだけに、

それにしても、暗闇にうかぶ電球色の明かりをみごとに表現していたのには驚いた。薄暗くなって飲食店街に明かりが入っていくのは、感動モノ。さらに川向こうからやってくる船の明かり。巨大は湯屋の窓から漏れる明かり。そしてその明かりと同じ黄色系の色ながら、湯屋の内部の装飾に使われている金の色。

亮佑が、千と千尋はテレビの予告編ではじめてみた、と言っていた。私もその予告編だけしかしらなかったが、そのときすでに感じていたのは、トトロでアニメ史上はじめてふつうの日本の風景を描き込んだが、今回の作品は日本の伝統的建築物を見事なまでにアニメーションで表した最初の作品だと思う。暗闇のなかに光り輝く金の装飾は、谷崎の陰翳礼賛を思い起こさせる。華美なまでに原色を使った古伊万里の壷もあの暗い建物のなかにあってはしっとりとした風格を漂わせる。

最初に出てきた飲食店街。これはもう道頓堀の電飾広告なんかと同じ。香港の繁華街と同じ色遣いで、ブレードランナーの冒頭でデッカー(ハリソン・フォード)が食事をした中華街や、捜査に乗り出した後の繁華街を彷彿とさせる。トトロの風景が自然の色しかない田舎風景を描き込んでいるのに対して、都市部の人工的な建造物の派手な日本的色遣いを表現している。そしてそれらが懐かしささえ感じるのは、私が昭和34年生まれだからだろうか。私が育った町にそういう風景があったわけではないが、背の低い商店街が醸し出す独特の風景がある。

組合の宴会のとき塩見さんが、宮崎のCGの使い方がおかしいと指摘していた。トンネルの銅像だと言っていたように思って、眼を凝らしてみていたが、分からなかった。それより、海の水は絶対CGだと感じた。それに、最初に千尋が小川を渡るときの水面。水をリアルに描くのには白と黒を使う。光の反射の陰影を描き込むと透き通ったものがあるように見える。

CGではないと思うが、雲もきれいだった。ラピュタの龍の雲を見たときは感動したが、千尋の雲はよりリアルになっている。雲の描き方が変わっている。

しかし、あとで、パンフレットでCGの使い方のこだわりの部分を読んで、がっかりした。3次元的に描かれたCGをさらに2次元的処理を施したというのだ。塩見さんが指摘し、批判したのはまさにそれである。ジブリはピクサー(PIXER=ToyStoryなどCGアニメ)のような3次元CGを使ってアニメをつくる必要はない。セル手描きアニメこそジブリの持ち味で、だからこそ、トトロでの日本的風景の描画や、千尋での日本的建物の描画に感動する。それをCGで描くというのなら、NHKでもつくれる。

宮崎駿は手塚治虫を評して日本のアニメをダメにしたというが、手塚が築いたアニメ文化の延長線上に宮崎の技術力がある。手塚がTVアニメで簡略化した手法を導入しなければ日本のアニメ界は存在しなかっただろう。そして今や宮崎自身が若手の新しいアニメ技術に追い越されるときがきたのであはないかと実感する。CGを単なる工業生産の手段として位置づけているからだ。

もっともCG技術が、リアルなCGにアニメ的処理を施すという方向を追求していること自体がおかしいような気がする。

闇夜の川に浮かぶ船の豪華な明かりの表現がCGとしってなおさらがっかりした。むかしキャプテンハーロックのオープニングで眩しいほどの逆光に浮かび上がるアルカディア号をみたとき、TVアニメで光をこれほどうまく表現したのは初めてだと感動した。しかし弟から、セル撮影の際に小さな穴を開けて裏から強い光を当てると表現できるときいて、少しがっかりした。描き込まれた光ではなく、光そのものだったからだ。今回のも同様だ。2次元的な映像にこだわるのなら敢えてCGは使わなくてもいいだろう。

ディズニーが最近のアニメで群衆プログラムやパーティクルを用いてよりリアルなシーンをつくるためにCGをつかっているのと、処理方法がちがうように思うからだ。

ところで、坊の部屋、その装飾、それと坊そのもの、あの巨大な赤ん坊のグロテスクさは大友克洋の世界ではないか。レタッチのちがう2種類のアニメが混在している。しかし違和感はない。


内容だが、それはおそらく多くの人が語っているところと変わらない評価だろう。パンフを少し読み始めて、監督がここまで語ってしまっては、それ以外の解釈をするのが難しくなると感じた。監督は映画をつくったあとは余り語る必要がないのではないか。作品について多くを語る作者は伝えたいメッセージが伝わらない作品を作ったにすぎない。

千尋の姿は、本当は一番亮佑に見せたかったのだ。だからどうしても連れて行きたかった。内容をしっていたわけではない。予告編だけでしかしらない内容だ。しかし、冒頭からなかなかよろしい。誰もいない食堂で勝手に食事をする両親が豚になってしまうあたり、とりつくろった外見と人物評価は別であるということを知らしめる。人は外見で判断するものではないと。

残念なのは、車がアウディだったこと。イメージとしてはBMWやベンツよりアウディのドライバーのほうが品性のある人が多いように思うのに。

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2001.09.25 テロには報復ではなく...

米国同時多発テロ事件に関する最近の報道に、武力行使による報復を批判し平和的解決を望む人たちの声が登場し始めている。犠牲者の親でさえ武力行使を反対している人も紹介されていた。ようやく世界が理性を取り戻し始めた。少し安堵。


2001.09.14 同時多発テロ

9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルは大変なことになった。私は事件の当日は疲れて早寝したので、翌朝早起きの晃志がつけたテレビをみたママが慌てて起こしてくれるまで、何も知らなかった。寝ぼけ眼に飛び込んできた映像は、まさに信じられない光景だった。見ているうちに3つ目のビルが倒壊した。

よく考えると時差があるから、すでに過去の映像だったが、はじめて見たものにはリアルタイムのように感じられた。一般人を巻き込んだ無差別殺人に激しい憤りを感じる。が、瞬間的に、戦争になるかもしれないと思った。そういうと、子供たちは心配した。戦争になったらどうなるの?

おそらく米国は、断固たる態度でテロに対抗するだろう。この場合、断固たる態度とは報復攻撃を意味する。アサヒ新聞の論調も、事件当日は民主主義への挑戦だとか、テロは撲滅しなければならないとか、感情が先走った記事で、報復を正当化し、扇動しようとするような論調が目立った。NATO諸国も米国に同調している。これは絶対にやばいし、おかしい。

テレビの映像では、喜ぶパレスチナの人々をみた。イラクは罰を受けたと国営放送で報じたそうだ。犠牲者が数千人にも上るという大惨事に対して、哀悼の意を表さず、諸手をあげて喜んでいる。そうした感性を疑問に感じたが、よーく考えると、アメリカの独善的なグローバリゼーションのために、被害を受け犠牲を強いられてきた人たちがいる。そういう事がなければ、イスラムの過激分子は生まれない。決して根も葉もないことではないのだ。彼らから見ると、「悪魔」の超大国なのだ。ベトナム戦争での一般市民への米国軍の仕打ちは、今回のテロの比じゃない。

最近のアメリカは、わがままがすぎる。イスラエルのパレスチナ地区の軍事攻撃に後方で荷担し、ミサイル配備をすすめ、京都議定書から離脱し、国連分担金も払わない。

だからといってテロを容認しているわけではない。人が人を殺傷することは許されない。テロを撲滅するのに、力で対抗しては、同じ憎悪が増幅するだけで、なにも解消しない。

米国内では、真珠湾以来という言い方をしているそうだ。真珠湾は、たしかに日本の過ちだが、それは一部の指導者(軍と政府)の問題であり、市民レベルでは日本国民も被害者だ。そして真珠湾攻撃の後で、米国の日本人は迫害を受けた。今回の事件では、犯人がイスラム原理主義者ということになっている。そして、米国内ではすでにイスラム教徒たちが迫害を受けている。50年前と何も変わっていない。

キリスト教にだって過激分子はいるのに、そういう過激分子が殺傷事件を起こしたからといって、キリスト教徒が迫害されることはない。つまりWASPの理解を超えた文明・文化への無知・無理解が、あらぬ差別と憎悪を産んで、迫害に拍車をかけている。

捜査当局はすでに50名ほどの関連者をリストアップし、犯人の核心に迫ろうとしている。その捜査力には驚くべきものがあるが、捜査内容が曖昧なままイスラム原理主義がどうのこうのと言っていたのは、マスメディアだ。マスコミが大衆を扇動し、イスラムを敵にしようとしている。そこには、このテロ事件を産んだのと同じ憎悪しか形成されない。

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2001.07.07 ちょっと後悔

忙しくなって、育児日記をつけなくなって、しばらくたつといつも後悔する。今回は、4月から更新していないので、なんとまる3ヶ月もつけていない。亮佑が小学校に上がったので、いろいろなことがあったが、いまとなっては詳細がわからなくなってしまった。残念だ。

 


2001.03.04 過去の自分は他人

デザインを変えようと思って、アクアのボタンをどうやって作ったのか忘れてしまった。MACLIFEに載っていたPhotoshopを使った方法よりはるかに簡単につくったことだけは覚えている。Fireworksにライブラリ登録しておいたのだけど。もういちどアップルのアクアのページをよく観察しようと思って調べてたら、以前のリンクが切れていた。新しいのはこちら。(http://www.apple.co.jp/macosx/technologies/aqua.html)technologiesという階層が追加されていた。リンク修正済み。

コンピュータのプログラムもそうだが、半年1年たつとそのときに何を考えて作ったのかすっかり忘れてしまう。過去の自分は他人である。プログラムのときは、できるだけ分かりやすくコメント文をいれるように心がければよいが、デザインの場合そうはいかない。デザインそのものにコメントを埋め込むことはできないから。デザインノートをこまめにつけるほどデザインを本業としていないから。要は面倒くさいだけ。

それにしてもアップルのアクアは良くできている。あの透明感をどうやってつくるんだろう。

クールなサイトは何か。むずかしい。デザイン的に気に入ったサイトのリンク集をつくっておこう。J-PHONE SKY Pavilionのサイトのオープニングムービーはすごい。どうやって作ってるんだろう。そのうちマネしようっと。

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2001.02.11 MIDI

亮佑がTVアニメのワンピースの主題歌「ウィーアー!」という曲を演奏するというので、インターネットでMIDIデータを探してみた。あるところにあるもので、耳コピーしたMIDIデータを見つけた。ところが、もらった楽譜とオリジナルでは調が違うらしい。そこで、MIDIデータを加工して楽譜の調にあわせた。さらに余分な小節を削って、楽譜と同じように繰り返しを追加。これで練習用のヒアリングデータはできた。

しかし練習用にはやっぱり楽譜どおりのほうが良いだろうと思って、結局楽譜をコツコツを入力した。もらった楽譜自体がなにかのデータを印刷したものだから、それがあればこんな苦労をすることはないのに、と思いつつXG-Worksにデータ入力していった。もらった楽譜にはドラムパートがなかったので、これは先ほどの耳コピーMIDIデータから拝借。

ところでこのXG-Worksというソフトは、Windows版の焼き直しだけあってインターフェースがまるっきりWindows流儀なのだ! なんて使いにくいソフトか。他のMacのソフトの使い方から推察する使い方が、このソフトには当てはまらないばかりか、動作がきわめて鈍い。明らかにWin用のソースをそのままMac用にコンパイルしなおしただけ、という感じ。Microsoftのソフトもそうだが、それはWindows本家本元だから許そう。しかし、YAMAHAのMac軽視は許し難い。もともとMIDIの世界ではRolandが主流ということだろう。MIDIデータの対応音源をみてもローランド製のほうが多いし、雑誌の記事もローランドのことが多い。それになんといっても、アップルのQuickTimeが内蔵する音源(ソフトウエアシンセサイザー)はローランドに対応しているのだ。

ソフトでは、はじめて買ったハローミュージック(音源はMU10、当時のQuickTime内蔵の音源とさほど変わらなかったのでがっかり)は、もう少しまともなMacソフトだったように思う。ただあれはスタンダードMIDIファイルをそのまま読み込めなかった。

MIDIデータを打ち込んで、音色を決めていると、なんとなく音源とシンセサイザーの違いが分からなくなってきた。要はあらかじめ用意されたデータしか使えないか、自分で作るかということだろうが、シンセサイザーだっていくつかのライブラリーが用意されているだろうから、最終的にはシンセサイザーのほうが使いやすいのでは? とにかく音源(MU500)の管楽器の音は、管の音がしない(とくに高音部)のが不満。どうやったらまともな管(とくに金管、なかでもトランペット)を出せるのか。もすこしMIDIのことも勉強しないといけないか。

打ち込んだデータは亮佑たちがエレクトーンで演奏するのだが、つきつめるとエレクトーンの音もMIDIと一緒じゃないか? エレクトーンとDTMのちがいってなんだ? など疑問続出。

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2001.01.02 ケータイ

うちもそろそろ携帯電話がいるかなと思い始めた。きっかけは、やっぱり街の公衆電話がなくなってきたことかな。昨年末の発表会のあとの夕食会場を予約しに言ったとき、予定してたレストランが予約で一杯だったのでママに電話しようと思っても、公衆電話が見つからないのだ。あいにく小銭を切らしていたし、テレカもICカードしか持っていなかったので、その電話を探し回る羽目になった。

で、年明け早々に携帯電話売り場で物色してみたが、各社の料金体系やサービス内容がまったくわからない。情報教育を担当し、モバイル端末としてのケータイの意義をわかっていながら、自分自身がその必要性を感じなかったので、まったく無頓着だったが、これではいけないと思った。

帰宅してから、インターネットでケータイ各社のサービス内容と料金体系を調べまくった。メインはJ-PONEとツーカー。どうしてツーカーかというとV3という超割引をしていたからだ。本当に安いのかどうか。

NTTは、iモードで一人勝ちであるのと、DSL回線での他業者への営業妨害などから、絶対使わないと決めている。もともと電電公社に勤める父を持つ友人から社員の電話料金が無料とかいう話を中学時代にきいて、電電公社時代から嫌いだった。それがインターネット時代を迎えて、安価で高速な回線を提供できるADSLを否定して、ISDNの普及にばかり力を注いでいるので、ますます嫌いになった。挙げ句の果てには他社のADSL参入を妨害し、自社で安価に提供始めると発表したばかりか、ISDNも値下げするというありさま。NTT批判は言い出したらきりがない。どうもボクには体勢側に立つのが嫌いな傾向がある。

それはさておき、ケータイだが、基本料金体系には各社ほとんど差がないことが分かった。しかし割引サービスが大きく違う。要点は、どういう使い方をするかによって、選ぶべき割引サービスが決まってくると言うこと。たとえば、ツーカーでは1円メールのサービスの一番安価な基本料金のタイプを選ぶと、通常の通話料はめちゃくちゃ高くなる。しかし完全にメール用のケータイと割り切ればすごく安価。月に2時間以上の通話をするのなら、通話料が徹底的に安いタイプの割引サービスを選んだ方が得。などなど。インターネットのプロバイダを料金体系だけで選ぶときより複雑なのだ。

さらに調べていくと、インターネット上では各社のサービス内容よりも、最新の携帯端末の機能を比較・評価するページが多いことに気づいた。つまり、ユーザの関心は、パソコンの性能を比較するかのようになってきていて、電話会社がどこかはあまり問題ではないようだ。iモードは格別だが、他社もインターネット接続できないわけではないからだ。

つまり、カメラ内蔵の端末か、メモリースティックでウォークマン代わりになるとか、そういう機能のほうが重視されるということ。

でも我が家のレベルはそこまで到達していないので、とりあえず携帯端末が欲しい。しかももっとも安価で。夜を徹して調べて、公衆電話代わりというこことで、月に30分程度しか通話しないと考えるとツーカーのV3という割引が一番安いと思った。

ところが翌日ママ方のおばあちゃんにそのことをママが報告すると、おばあちゃんは、受信専用として考えるとプリケイのほうが安いというのだ。プリケイのことも一応しらべたけど調べ切れていなかった。結局ショップで聞くのが一番いいということになって、自力調査はうち切った。

個人的には、手軽に写真がとれるJ-PHONのカメラ付の機種がほしいけど、画像をそのままメールするわけではないので、デジカメを別途持ってる方がいいかもしない。

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2001年1月1日(月)

新年、新世紀、おめでとうこざいます。今年は年賀状を旧年中に書き終えることができました。ほっとしてます。

毎年12月は忙しくて、休みになってから年賀状作成にとりかかるので、どうしても年が明けてしまってから差し出すことが多かった。最近特に忙しいので、どうしてみんなは年内、しかも元旦配達に間に合うように年賀状作成できるのか不思議だ。けど考えてみると、昔からギリギリになってから作成しはじめていたように思う。忙しいのは言い訳で、物事を始めるのに腰が重いということかもしれない。

それでも今年の年賀状は、年内に投函できてよかった。できればWebの更新も間に合わせたかった。

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2000年9月1日(金)

今回のWEBページのデザイン変更では、メニューの部分でアップルのデザインを盗用した。盗用とは語弊が悪いので、模倣とでもいいましょうか。いずれにしても自分で考えたデザインではない。しかしMacユーザーのサイトでは、結構あのクリアなボタン(アクア)を使っている。なかなか美しいよね。で、自分も使いたいから、どうやったらあのボタンが作れるのかを研究した。

そもそも、今までずっとPhotoshopという画像ソフトでいろいろなパーツをつくって、PageMillというホームページエディッタでページをつくってきたけど、それは時代遅れだったのだ。今年の春に Fireworksの講習会を受けてみてカルチャーショックを受けた。WEB用のデザインツールがここまで進歩しているんだ。それまでいろんなWEBサイトを見ながら、どんなオーサリングソフトを使っているのかと思っていたら、ホームページエディッタではなく、グラフィックツールがWEB用のデータを吐き出すというわけだ。

今年の夏はそのFireworksを使えるようにと時間を割いた。「ボタン」をグラフィック部品として作成する程度の事ならPhotoshopでもできる。問題はその先だ。ボタンをWEBページの重要な要素として扱っているので、それに関する機能がいっぱいある。グラフィックの加工も、何度も元に戻せる。それがすごい。ベクトルデータと扱いながら、最終的にラスターとして出力できるということだ。写真加工に主眼をおいて紙媒体への印刷を前提にしてきたPhotoshopとWEBページへターゲットを絞ったFireworksとの世代交代の時期なのだ。

しかし使い方で分からないことがいっぱい出てきた。あたらしいソフトを使いこなそうにも、頭が昔のやり方になじんでしまっている。しかし、昔のやり方のほうが圧倒的に手間で不便なのだ。それが分かっていながら、新しいやり方が分かりづらいものだから、つい後戻りしてしまうのだろう。ややこしいことに、ベクター系のデータはCADで作成しているので、CADの操作性をFireworksに望んでしまう。しかしこれは2次元のグラフィックツール。

つい今までやってきたやり方に戻ろうとしてしまう自分が情けない。面倒だけど、旧来のやり方のほうが楽だからだ。これが老化の始まりかな。やっぱり気を取り直して、いろいろ挑戦してみた。

Fireworksの最大の利点はjava scriptの自動記述かな。ロールオーバーなんてめんどくさくてやってこなかった(実際にはJavaをコピーして差し替えようのファイル名を返るだけで自分用のが作れるんだろうけど)。それが、いとも簡単にできてしまう。複雑なグラフィックの変化にも対応しているので、いろんなことができる。GIFアニメーションもそのひとつ。

さて、アップルのアクアのボタン。いろんなサイトでも使っているけど、アップルのボタンと同じモノのような気がする。たぶん、あれを作るツールがあるんだろう。いろんなサイトがFireworksでいとも簡単にデザインされていたのと同じように、なにかプラグインを入れると簡単にアクアのボタンができるツールがあるのかもしれない。

しかし、Fireworksでなら手作業でつくることが出来るはず、と思って挑戦した。なかなか水滴またはガラスのような透明感が出せない。CADでつくってテクスチャを張るとすぐ出来るのだがと思ってしまう。WEBデザインの部品として使うとことになると、CADのデータでは意味がない。どうしてもFireworksでつくらなければならないのだ。

どうにかしてアクアらしさが出せるようになるまで3日くらいかかったろうか。とにかく、似たようなアクアのボタンをつくことに成功した。でも不満だらけ。2つの部品を組み合わせてあるので、色を変えるときに手間。なんとかならないかな。

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2000年1月16日(日)阪神大震災の記憶

今日、各放送局で阪神大震災後5年を振り返る番組が放映されている。
なかでもNHKの3500人のアンケートを元につくられた番組は、被災者一人ひとりの声をそのまま伝えており、心に訴えるものがある。

その一部分だけだが、見ていて思った。
多くの人が生命を失ったなか、弟夫婦が家屋全壊にも関わらず、無傷でいたられたのが不思議だ。本当に不思議だ。
当日は、自分の家が一番揺れたのではないか、とさえ思った。食器棚のガラス食器が崩れ落ち、床で割れたからだ。いままでこんなにひどい揺れは体験したことがなかった。幸い電気は来ていたので、明かりもテレビもついた。ガラスの破片を掃除しながらテレビをみていると、しばらくしてNHKは東海地方で地震があったと伝えている。後日分かったことだが、神戸が壊滅的だったので、情報がすぐにつたわらなかったからだ。しかし、テレビを見続けているうちに神戸がえらいことになったということがわかった。確認するまでもなく、この状態では仕事は休みだ。布団に入ったままテレビを見続けていた。この時点では完全に傍観者だった。
実家から電話があったが、実家はなんともなかった。弟に電話したのは何時頃だったろうか、呼出音はなるが、出ない。テレビでは火事が広がっていく様子を映し出している。母が弟のことを心配しているが、その様子が尋常でない。気も狂わんばかり。弟に電話してもこんどは回線が混雑して通じない。NHKが流し続けている尋ね人に、ファックスを送ろうと思うが、通話中で通じない。
そのころ弟夫婦は、倒壊した家屋から何とか抜け出し、近くの広場に出てしばし呆然としていたが、ふたたび家に戻って車のキーをとってきて、まだ混雑していなかった道路を走り垂水区の弟のカミさんの実家に向かっていた。
弟から箕面の実家に電話があったのは、午後3時頃だった。地震発生から約9時間。その時間の長かったこと。長田区で発生した火の手がどんどんと弟たちの家のあった地区にちかづいていく様子が放映されていたからだ。

2000/01/16 インフルエンザ

金曜日からずっと具合がおかしい。土曜日には一日中吐き気が続き、予定していた外出をとりやめ、寝込むことにした。昼間から寝込むのは、先週につづき、今年に入って2回目だ。週末に具合が悪くなるようだ。しかしおかげでひどくならずに済んだようだ。日曜日の今日は、頭痛がして気分は悪いが、吐き気は薄らいだ。本当は昨日行く予定だった厄除けの祈祷のため、近くの尊鉢さんまで出かけた。

2000/01/10 誕生日

今日は誕生日。41歳になった。ええおっさんになったものだ。先日実家で弟と会ったとき、弟は自分の歳を27歳と言って、10歳若く間違えていたが、間違えていることに弟自身がなかなか気づかなかった。自分の年齢がときどき分からなくなる年齢なんだろう。それだけ充実した生活なのかもしれない。弟とは3歳違いだが、こちらは40代。30代と比較して字面や語感から受ける印象は大きく異なる。

えべっさんのことを書いていて、去年も書いたなあと思いつつ過去の日記を見てみる。去年は池田の生活が定着し始めた頃だった。亮佑と晃志がそれぞれ成長しているのに、パパは相変わらずのような気がする。

日付の表記方法に悩む。年月日をそれぞれ2桁で表記するのは、大学くらいから続けている。ところが、991231はしっくりくるが、000101というのはどうもしっくりこない。00が何を示しているのかピンと来ないからだろう。どうしたものか。とりあえず、こちらは2000年を示しながら表記していこう。

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2000/01/03 なにはともあれバックアップ

年末にわが家のiMacのハードディスクがクラッシュしました。年末の大掃除はHDから、と思って始めたSpeedDiskによるお掃除が命とりでした。どうやらノートン先生の診断では分からない不具合があったらしく、掃除の途中でハングアップしてしまいました。

その後、いろいろあって、あの手この手で蘇生を試みましたが、焦ってしまって、余計に症状を重くしたようです。4〜5時間たったころ、やっと冷静になってノートン先生のディスクエディタで覗いてみると、見るも無惨な状態。インデックス部分が壊れたのでは、手の施しようがなく、6時間におよぶ手当の甲斐なく、ご臨終でした。

しばらくショックから立ち直れなかったのですが、気を取り直して、翌日になってバックアップしてあるはずのMOを探しますが、最後に保存したのが10月ごろ。そう、この日記の更新を怠っていた期間は、ほとんどバックアップをとっておらず、その間のデータは完全消失でした。

日頃からバックアップの重要性は認識しているものの、実際データが消失しないとその重みを実感しないものです。こつこつと入力していた更新用の日記データが消失してしまいましたので、10月から一気に新年ということになってしまいました。

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