練習場日記

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2001-11-25 Sun
2001ドリームフェスタ
(横浜ベイスターズ&横浜Fマリノス合同ファン感謝祭)
 
 Jリーグセカンドステージが終了した翌日、横浜スタジアムで、初の試みとなるベイスターズとの合同イベントが行われました。
 同じ”横浜”をホームタウンとする両チームによる対戦形式のゲームが数多くおこなわれました。

 開始は、11時30分からの予定でしたが、神戸から日帰りで帰って来た私はへとへとでしたので、起きることが出来ずに、開始から1時間くらい遅れてスタジアムに着きました。スタジアムの入り口は、一塁側がベイスターズ、3塁側がマリノスとファンの入り口が別れていて入場券によって違う色の抽選番号付きのプログラムが手渡されました。色は座席を区切って座れる場所を決める為のものでした。

 3塁側に適当な位置に場所を取りイベント内容を見ます。スケジュールはこんな感じになっていました。

11:30   オープニング
11:35   セレモニー
11:50   ベイスターズ対マリノス ソフトボール対決
12:15   ベイスターズ対マリノス フットサル対決
12:50   ベイスターズ表彰式
13:00   ベイスターズ対マリノス 100M競争予選
13:15   ベイスターズ対マリノス 着せ替え障害
13:45   ベイスターズ対マリノス 100M競争決勝
14:00   ラッキー抽選会
14:20   ベイスターズ対マリノス つな引き
14:40   ベイスターズ対マリノス 対抗リレー
15:00   エンディングセレモニー

 時間は、結構いい加減です。予定していた時間より大分おして終了しましたから。

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 で、着いた時にはソフトボール対決が終わって(1−9だったらしい)。フットサル対決が始まっていました。

10分×3本で行われていました。実況がベイスタース関係をやってる人で池田コーチがマリノス側の解説をやって、途中でヤスが解説に乱入して来ていました。

 試合は、平間がGKをやって、キジ、ブリ、ドゥトラ、波戸、ハユ辺りが出ていました。ベイスターズは、TV等でサッカー好きと公言している小宮山さんが嬉しそうにプレイしていたり、谷繁さんや斉藤隆さんが切れのある動きを見せていたりしてました。やっぱ野球選手は身長が高いですね〜。体格も良いから結構負けてるな〜って感じてしまいました。

 試合は、1本目がドゥトラ、波戸、?のゴールで、3−0。2本目がキジ、キジと決めて、斉藤隆さんに1点返されて2−1となった所で、マリノスプライマリーの子供たち9人がベイスターズの助っ人として入ってプレイ。ハユが決め、プライマリーが1点返していて、あまりの人数の多さにサッカーにならないからプライマリーは出ていきましたが、ベイスターズは11人になっていて、マリノスは7人でプレイ。谷繁さんが決め、ブリがボール前にフェイントでかわしつつ最後はヒールキックでマウスに入れる技を見せ会場を盛り上げた所で、2本目が4−3で終わりましたが、延長5分という事で再び始まり。いきなり谷繁さんがキックオフシュートを見せて盛り上げます。その谷繁さんが右サイドからロングゴールを決めます。しかし、一人奮闘しているブリが再び決め返します。ベイスターズは小川さんのロングキックをゴール前で斉藤隆さんがヘッドで触って平間の上を抜いてゴール、その平間もゴールを明けてドリブリでゴール前まで進みましたが不発。最後はサイドからグラウンダーのシュートを斉藤隆が放ってゴールに決まり、延長は、1−3。
 フットサル対決は、トータル8−6でなんとか面目を保ったという感じでした。この試合のMVPは平間が選ばれ、賞金10万円を手にしました。

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 続いて、100メートル競争予選が始まりました。スタジアムを斜めに100メートルのレーンが設けてあって。予選では各チーム12選手、6選手づつ4回のレースを走って上位3選手のタイムで決勝に進む選手を決めます。

 第1レース、第2レースにマリノスが行われました。出た選手と結果は以下の様でした。

 

 第1レースは、ハラディ、佐藤、キジ、エノ、ユタ、モツが走って。キジがかなりダントツだったのですが、ゴール前で後ろを見る余裕をかましていたら、ユタに抜かれました。決勝を走りたくなかったのかな??ユタのタイムは、11秒81でした。
 第2レースは、数馬、後藤、飯田、小原、ハユ、陽一が走って、このレースは接戦でしたが、数馬が鼻差で1着。12秒72のタイムでした。一人うしろの方にいる選手は、スタート直後につまづいて転んでしまいました(苦笑)

 第3、第4レースでベイスターズの選手が走ったんですが、やっぱ早いですね〜。11秒94、12秒13というタイムが出ていましたから。

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 続けて、100メートル競争決勝は体力的にキツイので、着せ替え障害が行われました。サッカーボールを棒でつつきながらトラックを半周する間に、女装して、カツラを被って、フェイスペイントして競うというもので、1着2着というより、どれだけ場内を盛り上げるかといった所に焦点を置いたゲームでした。

 出場したのは、1レースが、マルと勇樹。2レースがハラディと数馬。3レースが佐藤と小原。4レースが下川と飯田。ペイントする役で、誠史とエノ。モツと陽一。がやりました。

 面白かったのは、佐藤で、女装する時にジャージを脱いで水着を着て、腰を振って客席を盛り上げていました。他のの選手は、フェイスペイントで時間かけていましたが、あんまりスタンドからは良く見えないから、佐藤のパフォーマンスが目立っていました。このゲームのMVPを取りました。

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 続いて、先ほどの100メートル競争決勝が行われました。両チームから上位3選手が選ばれたのですが、タイム順でいけば、1位から6位まですべてベイスターズの選手が占めていました。まあマリノスは試合明けで主力選手は出さなかったから仕方ないのかな〜って思いました。波戸、平間、怪我のナオあたりが出ていればもう少し違った結果になったのかな〜って思って見ていました。

 で、100メートル決勝出場の選手は、マリノスから数馬、ハユ、飯田になりました。ユタは入れず、手抜いたキジも入れずでした。(キジが走っていればもう少し違った結果になったかな〜)
 結果は、予想通り惨敗でした。ベイスターズから出た、田中一さん、多村さん、村西さんが早かったです。

 この後に、抽選会が行われていましたが、俊輔が一塁側ベイスターズファンの子供たちにネットごしにサインをする姿を見ていいな〜って思いました。やっぱ、ベイスターズファンも俊輔の事は知っているようでした。

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 ファン対抗の綱引きが行われました。事前に申し込みを行って、ファンの人が対抗する形で、3本勝負。子供たち対決、女性のみ対決、大人対決という3本勝負でした。

 1本目、ベースターズ勝利。2本目、女性のみなのですが、ちゃっかりマリノス選手が加勢して勝利。3本目ベイスターズの選手がクレームを入れますが、それにもめげずに再び加勢して勝利(笑)。綱引き対決は、2−1でマリノスの勝ちに終わりました。

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 最後の対決で、リレーが行われました。各チーム2組6選手がトラックを半周づつ走って競いました。

  マリノス ベイスターズ
走者
第1走者 マル キジ    
第2走者 原田 ユタ    
第3走者 ハユ モツ    
第4走者 勇樹 飯田    
第5走者 小原 陽一    
第6走者 数馬 後藤    

 この発表でしたが、オムが白チームの5番目に走っていました。あれって思ったのですが…。キャプテンとしてのでしょうかね。結果は、第1走者のキジとマルは頑張って走って、キジはベイスターズの田中一さんと一緒に走ったのですが、たしか1着か2着でバトンを渡していました。しかし、その後は差は少しづつ開く一方で、結局、3着4着でリレーは終了しました。

 しかし、バトンを持って走る姿とかは今まで見た事あったかな〜。ファン感とかでもボールをドリブルしてとかが多いから、トラックをしっかり走るってのは見た事ないような気がしました。たまにはこんな競技もいいな〜って思いました。

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 全ての競技が終わって、エンディングに入っていきます。勝利チーム賞としてベイスターズが表彰されて、両チームからMVPが選出されます。これは監督が自ら決めるもので、ベイスターズは田中一さん、マリノスはラザロニ監督が、日本語で”サトーサン”と言って、佐藤が選出されました。着せ替え競争のが効きましたね。続いて両チームのキャプテンが前に呼ばれ、横浜プロスポーツ宣言を二人で読み上げました。ベイスターズ谷繁、マリノス小村。

 最後に、両チームの選手がスタンドの近くまで来て場内一周をしてベンチ奥に引き上げてイベントは幕を閉じました。

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 初の試みだったプロ野球とプロサッカーの合同イベントは、一応の成功を見たと思います。ベイスターズは、シーズンが終了して、秋季キャンプで身体を休めながらの参加。マリノスはリーグ戦終了翌日というコンディションの差があって、十分な力は出せなかったのは有りますが、この実施時期というのは難しいですね。あと支配下選手の数で言うと、野球の方がサッカーの倍以上の人数がいますから、そういった差もあったのかなって思っています。

 まあ、それも含めてのイベントでしたので、あんまり難しい事は考えずに楽しんできました。マリノスで欠席していた選手は、直樹とアキが前日の試合後から体調を崩して休んでいて、ナオもリハビリ中という事でいなかったようです。

 
 
 

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