1996年の萬葉旅行


第250回記念 飛鳥川萬葉旅行(4/21)
第251回 吉野宮滝萬葉旅行(5/26)
第252回 筑紫萬葉旅行(8/1〜5)
第253回 巨勢真土山萬葉旅行(9/23)
第254回 山背恭仁京萬葉旅行(11/17)

第250回記念 飛鳥川萬葉旅行(4/21)

保田です。

4月21日(日)に第250回飛鳥川万葉旅行がありました。天気は曇り時々晴 れ(先生流に言えば快晴)で参加者は192名でした。たくさんの同窓生も集ま りました。日差しは春なのですが、空気は冬のままでえらく寒かったです。

コースは栢ノ森までバスで行って、何とか言う神社で最初の挨拶、それから南淵 請安の墓・石橋を経て石舞台で昼食、その後すぐ横の廃校になった小学校の体育 館で250回式典です。

桜が満開で、特に南淵請安の墓での桜はすばらしかった。墓の裏手の丘からは桜 に覆い尽くされた南淵請安の墓が眼下に見渡せました。

先生の関所では250回記念テレカをいただきました。明日香川の石橋とそこの 歌碑の写真です。とてもすてきなテレカです。

芋峠へ抜ける集落を縫う道のバイパスが明日香川対岸にできかけていました。

式典では先生ご挨拶・清原先生の祝辞・中谷先生の大高寮歌・扇野さんの挨拶な どがあり、二斗樽の酒「飛鳥路」で鏡割り・乾杯と続きました。場所が元体育館 ということで下はビニール畳敷きで祝典というより宴会になってしまいました。 でも、肩のこらない式典だったのでこんな方が良かったと思います。茂本さんは じめ、委員のみなさん、お疲れさまでした。最後に先生への花束贈呈がありまし た。

祝賀会終了後解散し、すぐとなりの石舞台古墳に有志で行きました。私は遅れて 行ったので古墳には入っていませんが、そのとき「古墳に上るのはやめて下さい」 というアナウンスが聞こえてきました。神田さんと石田さんが昔を懐かしんで上 ってみたそうです。昔は原っぱの真ん中に古墳があって上り放題だったって言っ ても誰も知りませんよね。私も過去の写真で、石舞台に群がって撮った全体写真 を見たきりです。

そのあと横の古墳公園の桜の木の下で、ペットボトルに積めた残り酒で酒盛りを しました。

飛鳥駅までの帰り途中で<偶然にも>亀石があったので、二〇〇回記念の時と同 様、道頓堀の水かけ不動のごとくお酒を思いっきりかけてあげました。みんなで よじ登って亀さんを囲んで記念写真を撮りました。いちおう「上らないでくださ い」という立て札はあったんですけど。でも亀さんも喜んでる。五〇周年記念 (西暦2001年です)がまた楽しみですね。

明日香公民館から飛鳥駅までに先生の歌碑が三つもありました。知らないうちに こんなに増えてるなんて。みんなで朗唱して記念写真を撮りました。


さてさて、祝賀会以降の話です。

祝賀会は、いつもの公民館ではなく、石舞台横の小学校の体育館でした。武道の 稽古に使う、合成の畳が一面ひいてあるので、宴会にはもってこいです。犬養先 生、清原先生のスピーチ、中谷先生の大高寮歌が終わって鏡開きとなりました。

神田氏は、このために「山形のするめ風こんにゃく」と「長野の蜂の子」をわざ わざ差し入れてくれました。蜂の子はポテトチップに載せて食べるとなかなかい けます。しかし、式次第は、鏡開きまでで、そのあとは何もないので、みんな 三々五々車座になって酒を飲むしかないという状態に陥りました。これでは、祝 賀会というよりはただの宴会です。まあ、いっか・・。

お開きになってから、残ったお酒をペットボトルに詰めてもらって、石舞台の横 で有志でお花見をしました。今年は、寒いせいかまだ、満開です。本当は石舞台 の上でしたかったのですが、断られてしまいました。

6時を回って、そろそろ寒くなってきたので、飛鳥駅に向かって歩き始めまし た。もちろん、前回と同じく、亀石に残った酒をかけてやりました。

                               komo

【250】 【251】 【254】

250album-icon.jpg
【第250回記念 飛鳥川萬葉旅行のアルバム】
(画像多数,注意!)


第251回 吉野宮滝萬葉旅行(5/26)

保田です。

26日に恒例の吉野宮滝旅行がありました。 たいへん暑い一日でした。参加者は100名。 修験道の時期なのか、たくさん修験者がいました。

その前日に田原でヘリポート計画反対集会があったようで、それに先生も出席 されたらしく、ちょっとお疲れのご様子でした。 計画敷地内に反対地主がいるらしく、そこに歌碑を建ててしまおうというラジ カルでアナーキーな計画があるとも聞きました。 --> ほんまかな。

#沖縄の普天間基地のヘリポートが来るのかもネ。:-)

吉野駅で先生のお話を聞いてから有志で谷あいの吉野温泉に直行し、ひと風呂 浴びてさっぱりしたあと(500円)、吉水神社裏まで急登を登って汗でべたべたに なりました。 --> 宿泊は13000円です。

奴(やっこ)寿司で柿の葉寿司を買い、桜本坊(さくらもとぼう)で昼食をとりま した。

例年の吉野は初夏なので、かんぞう(だったかな、なんきん色の百合)がたくさん 咲いているのですが、今回はその時期には早く、かわりに白い花がたくさん咲いて いました。

#大馬場さんに染料の材料の茜(あかね)を教えてもらいました。根っこが赤いん
#です。人参も根っこだから、それを考えると珍しくもないか。

桜木社の横のぼろかった公衆便所が建て直されていました。和風仕立てで入口には 縄のれんがかけられ、まだ木の香りが漂っていました。

宮滝の茶店でおやつのかき氷を受け取って(来年はジャイアントコーンにしてくだ さい)、末吉さんの親戚の「宮滝醤油」へ行きました。

【250】 【251】 【254】

251album-icon.jpg
【第251回記念 吉野宮滝萬葉旅行のアルバム】
(画像多数,注意!)


第254回 山背恭仁京萬葉旅行(11/17)

保田@自称・萬葉風俗研究家です。

昨日11月17日(日)第254回山背恭仁京萬葉旅行がありました。風がなかっ たのでまだましでしたが、とても肌寒い一日でした。

参加者は84名。東京からは真幸・祐司・康暁ら各氏、近畿からは吉久・英明・ 敦彦・喜徳夫妻・哲ら各氏が参加していました。

JR加茂駅から和束の安積皇子墓までバスで行きました。茶畑に囲まれた墓は以前 のままでしたが、ふもとでは工事用フェンスが張られ、何らかの土木工事が行われ ていました。先生はこの日調子が良ろしかったせいでしょうか、話も長い時間にわ たりました。

昼食を和束小学校跡で済ませ、しばらく歩いて鹿背山を正面に見据える高台の茶 畑の中で先生のお話がありました。

大極殿跡・山背国分寺跡では、例年通り柿の木がたくさんの実を付けていましたが、 今年はまだまだ葉もたくさん残っていて、秋の深まりが遅いことを感じさせました。 従来「大極殿跡」と刻まれていた、柿の木の下の碑は「国分寺跡」と訂正されてい ました。

恭仁大橋のたもとに今年夏にできた、東大寺だったかの坊さん揮毫の萬葉 歌碑が建っていました。歌は家持の「今造る...」という知らない歌で、旅行会のパ ンフには載っていない歌です。

【250】 【251】 【254】


【1993年】 【1994年】 【1995年】 【1996年】
萬葉旅行日記のページに戻る
萬葉旅行の記録のページに戻る

 大阪大学萬葉旅行之会のホームページに戻る

萬葉旅行についてのお問い合わせは
shige(at mark)ceres.dti.ne.jp