1993年の萬葉旅行


第235回 山辺道萬葉旅行(4/25)
第236回 吉野宮滝萬葉旅行(6/27)
第237回 瀬戸内海萬葉旅行(7/30〜8/2)
第238回 下津大崎萬葉旅行(10/24)
第239回 山背恭仁京萬葉旅行(11/21)

第238回 下津大崎萬葉旅行(10/24)

万葉ニュース(1993.10.27)第1報

皆様,お元気ですか。万葉ニュースのお時間です。先日,10月23日(土)夕方 ,第238回下津大崎万葉旅行に先立ち,前夜祭を行いました。参加者は,神田さ ん以下5名でした。議題は神田さんの結婚観についてでした。この主題について神 田さんから講演があり,それに基づいてみんなで集団討論を行いました(内容は略 す。詳しくは神田さんに聞いてください)。

翌日24日(日),JR天王寺駅に集合しました。ここでうどんを食べました。う どんやのおばちゃんは,あいかわらず2年前と同じ人です。昼食の鯛寿司(¥80 0)を買おうとしましたが,どこの売店でも売り切れで大変な人気のようです。結 局途中の和歌山で買いました(¥1200)。和歌山のほうが田舎なのに¥400 も高いとはどういうこっちゃ。約120名(?)で下津に到着し,波止場から漁船 3隻に分乗し大崎に向かいました。途中海が荒れていて,みんな頭から波しぶきを かぶって髪の毛パリパリです。ここで山口さん(通称タケちゃん)は上半身びしょ ぬれで微動だにせず,海の男を演じていました(山口さんは前日に東京の聖心女子 大の大学祭にお出かけされたそうで,学祭のパンフレットを見せてもらいました)。 第2報に続く。

万葉ニュース(1993.10.27)第2報

大崎に到着し,山の上に登ると左には大崎の「神の小浜」が,右には海南の名草山 を正面に海南の町が,名草山の左手には和歌の浦から友が島,六甲山系,淡路島と 見えました。海南の港は万葉故地・黒牛潟ですが,博覧会のために埋め立てられる そうです。大阪の花博といい,神戸のポートピア博といい,いったいあとに何が残 ったというのでしょう。和歌山県知事は犬養先生に,よそものは出しゃばらないよ う言ったそうです。こういう人が博覧会でよそものを呼ぼうと言うのですから,あ きれたもんです。

犬養先生はお元気そうで,お話にもかなり時間をかけておられました。そんなに寒 くもなく,いい天候だったこともあるのでしょう。地元の人も10人足らず話を聞 きにきていました。昼食を取ったところには,ネコジャラシとかいう草がたくさん 生えていたので,それを摘んで鼻につっこんだりしてひとしきり遊びました。ふつ うこれで首筋なんかをこそばすのですが,小森さんなんか平気で,全然こそばがら ないので,ちょっと変です。相当慣れているものとお見受けしました。30近い( 過ぎた)おっさんやおばはんがこんなんで遊んで喜んでいるなんて,情けないです。 第3報に続く。

万葉ニュース(1993.10.27)第3報

帰りはやはり船で下津まで戻りました。15人ほどは下津まで海岸線を歩き,1時 間30分ほどかかりました。そのせいで予定の電車より1本早いのに乗り損ねたと ,委員のトップに怒られました。

保田

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第239回 山背恭仁京萬葉旅行(11/21)

万葉ニュース(1993.11.22) 第239回山背恭仁京万葉旅行

保田 和則

みなさん,おひさしぶりです。万葉ニュースのお時間です。万葉旅行当日の様子につ いていつも私が書いていますが,私だけがとくに暇だからではないので念のため申 し添えます。今日も帰宅は22時でした。ああ,忙しい。では,始めましょう。

11月21日(日) 計104名
朝8時20分,大阪駅に集合。大和路快速加茂行きに乗って加茂駅到着。そこから 奈良交通の貸し切りバスで安積皇子の墓に到着。天候悪く,雨がパラパラ。

安積皇子の墓は小高い山の上にあって,まわりは茶畑です。先生のお話が始まる頃に は雨もすっかり上がって,日も射してきました。この日射しがまた強烈に強く,こん なんが今日いっぱい続けば相当日焼けするなと思ったものです。でも,これが本日 最後の太陽でした。墓を下りるとまた雨が降ってきて,とうとう本降りになってし まいました。途中,やんだり降ったりでしたが,昼食も傘をさして食べるしまつで す。

安積皇子の墓を出てから加茂駅に帰りつくまで一軒の店もなかったので,途 中でなにか食料を調達しようと考えていた私は,結局自宅近くのコンビニで買った 1個120円のおにぎり4個というわびしい昼食をとりました(コンビニからすぐ の弁当屋で1個100円でおにぎりを売っていたので,80円損しました)。とな りの女の子からたまごやきをひときれもらいました。

途中,鹿背山と周辺一帯を見渡せる高台で先生のお話。この時も雨はやみましたが ,しばらくするとまた降ってきました。靴はすでに中までぐしょぐしょです。でも 鹿背山とそれを巡るようにして流れる木津川をながめると,とても晴れ晴れした気 分になります。まわりの丘はほとんどが茶畑なので一種異様な見慣れない風景でも あります。茶畑はちょうど短髪のアフリカ人の頭みたいです。加茂のあたりは大阪 のベッドタウンになりつつあると聞いていましたが,ここから見る限りそんなふう には見えませんでした。ここは,奈良市に近いのですが,京都府の南端です。観光 都市・京都からは考えられない静かなところです。

国分寺跡に到着しました。ここはちょっと前まで大極殿跡でしたが,今は調査の結 果国分寺跡になっています。以前あった,大極殿跡と書かれた石碑も取り除かれ, まわりのたんぼがつぶされて史跡公園になっています。でも,いつきても印象的な 大きな柿の木はそのままです(そういえば,浜田君が奥さんと結婚前にここへデー トに来たと結婚式の二次会で話していたように思います)。道をへだてたところが 新しい大極殿跡で,ここも整備されています。先生のお話を聞いていると,突然ざ わざわと音がして落ち葉がたくさんふりそそいできました。風が急に強くなってき たかと思うと,雨足も急に強まり,あっというまに横殴りの雨になってしまいまし た。いままで先生が話されるときはいつも雨が上がっていたのに,この時はその分 をとりかえすようにどしゃぶりの大雨です。

お話しは中断して,みんなあわててすぐ横の木造の小学校に避難しました(田舎の 学校は休みでも出入り自由なんですね)。私はひざから下はずぶぬれで,委員の中 には全身ずぶぬれになってしまった人もいました。このあとは小学校のわたり廊下の 下でのお話でした。

雨が小降りになってから当時の朱雀大路を通って,木津川の河原でこの日最後のお 話でした。恭仁大橋を渡れば加茂駅です。恭仁大橋は,前回(?)の旅行の時は架 け変え工事中でした。いまはすっかり新しくなっています。その新しい橋のたもと に,古い橋のらんかんの一部が保存されていました。私が学生だった頃からみても ,万葉故地もどんどん様変わりしていきますね。

加茂駅でしばらく電車待ち。駅前のスーパーでアイスクリームとサニーレタスを買 いました。夕飯は天王寺の中華料理屋で,二次会は飲み屋で。4人で2合とっくり 5本あけて帰りました。家が近いので便利です。

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