1994年の萬葉旅行


第240回 飛鳥萬葉旅行(5/8)
第241回 吉野宮滝萬葉旅行(6/26)
第242回 山陰萬葉旅行(7/29〜8/1)
第243回 高円山萬葉旅行(10/16)
第244回 近江蒲生野萬葉旅行(11/20)

第244回 近江蒲生野萬葉旅行(11/20)

保田です。

1.前置き

 11月20日(日)、近江蒲生野万葉旅行がありました。参加総数130 名程度、天気は快晴、午前中は汗ばむほどの好天でした。 JR安土駅から町役場まで30分ほど歩き、そこで先生の第一声です。

2.新しく3名がデビュー

 委員の紹介の次に中谷先生や渡辺さん、OB・OGが紹介され、次の方々が 華々しくデビューしました(つまり先生から、名前を挙げて紹介されたという こと)。石橋君・桑原君・海渡さんです(石橋君、海渡さんはウダウダ(?) と最後尾にいてその場に居合わせなかったので、先生から紹介されたことを本 人が知りません)。

3.老蘇(おいそ)の森へ

 町役場からさらに30分ほど歩いて、老蘇の森へ到着。奥石神社という神 社がそれで、うっそうと木々が茂っています。ここで先生の講義が延々1時 間半近く続きました。久しぶりに長い講義でした。その後昼食。

4.蒲生野一帯を通って船岡山(万葉歌碑)へ

 蒲生野一帯を通って、最終目的地の船岡山へと歩きました。何の変哲もな い風景ですが、1300年前に思いを馳せればまた違って見えてきます。途 中の神社で休憩がてら「関所」がありました。

5.あわれに「開発・整備」された船岡山

 船岡山は、以前とうってかわって大きく変貌してしまっていました。以前 は山全体が雑木林に覆われ、麓の神社から細い道を通って歌碑のある所まで 行くのが精いっぱいでした。それより奥にはまともな道はなかったと思いま す。しかし現在、船岡山は、比較的大きな木々を残して雑木林はほとんど伐 採され、以前に比べればハゲ山に近い状態です。山の中央付近の鞍部(もと もと鞍部になっていたのかまたは削ったのか、以前は雑木林で覆われていた のでわかりませんでした)にまで車が入れる道ができており、そこから歩い て歌碑まですぐです。ちょうど山全体が公園のようになっているといえば想 像がつくでしょう。ある人によると、以前は見上げるようだった歌碑が、近 くなったような気がすると言ってました。歌碑の前の地面に土を入れてかさ あげしたのかもしれません。麓も大きな公園になっていて、休息所も設けら れており、万葉植物園もありました。さらにその公園には山を背にして大き な壁画ができていました(縦5m、横15mくらい)。パラボラアンテナの ように内側に湾曲して絵の壁が建てられています。絵の内容はもちろん、額 田王と大海人皇子のあの場面です。

茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に われ恋ひめやも

どこかの大学の日本画家が描いたと説明書きにありました。この絵の前で写 真を撮るのが、けっこう人気でしたね。


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