内海光司&other

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97/08〜97/09のデータ



97/10〜97/12のデータ



00/11/04 女の一生
「女の一生」11/1初日 昼の部 芸術座

 内海のせいじゃないってことは、よくわかってるんです。シナリオや演出に彼が関わって無くて、そういうレベルでの文句を彼に向けてもしかたないって、よーく理解してるつもりです。
 でもね、わたしの心がこんなに弾まないままなのは、間違いなくあのお芝居のせいなのよ……。



毎度のことですが、ネタバレしてます。内容を知りたくない方は、以下を読まないでください。


 主人公の「しのぶ」は、何ひとつ自分で解決せず、何も努力せず、何も行動を起こさない人だった。そのくせ、自分は苦労していて不幸で、悲劇のヒロインであると思いこんでいる。そう信じている。ある意味で、とんでもなく幸せな人だった。
 親がかりで結婚して、相手がまっとうな経済観念の持ち主だったからといって「情がない」といって詰る。それでいて、浮気をした夫を許さないと言った舌の根も乾かないうちに、子供が出来ていたという理由だけ(あえて「だけ」というぞ)で、離婚すらしない。ばい菌扱いしたくせに、生まれてからは子供を溺愛し、堕落させる。家が没落しても竹の子生活をするだけで、何ら解決策を見いださず、夫の浮気相手だった幼なじみの使用人に養ってもらう。最後には、子供の相手の女が死んだことをいいことに、孫をひきとってめでたしめでたし。子供のためにいままでの自分から生まれ変わる? ふざけるな。あんた、何もしてないじゃないか。

 ああいう人生が、あの時代の人にはアタリマエだったのか? だからといって、現代のこの日本で上映するからには、「それがアタリマエである」ということを見ているわたしたちに納得させるとか、逆に「ほら、こんなバカな生き方もあったんだよ」と誇示するとか、そういう演出があってしかるべきだ。
 16〜7で嫁に行くのがあたりまえだった江戸時代に、25〜6歳の独身娘が闊歩しているのだ、テレビの時代劇は。それは「現代」のわたしたちを納得させるための「ドラマの嘘」なのではないか? 安易と言えばその通りだが、それゆえに、わたしたちは「現代」の感覚で時代劇を見られるのだ。
 なぜ、そういう演出がないのだろう。何もしてない主人公に感情移入しろというほうが無茶だ。同情もできなかったし、愛着も親近感もわかなかった。
 それとも、あんな生き方をした主人公に、こんなに憤りを感じているのはわたしだけなのか?

 とにかく、内海光司以前に、物語が性にあわないと受け付けないタチのわたしは、今回の芝居はダメだ。「晶子曼陀羅」もダメだったが、今回はもっとダメだ。何もしない、流されるだけの女。うわ〜、いちばん苦手だ。
 せっかく内海なのになあ。相変わらず、足は細いし腰は高いし、見てるだけなら問題ないのになあ。まあ、もうちょっと「悪」を期待していたので、ただの「いいとこのバカ息子」だったのはちょっと不満だけども。いつもと変わらんのだもの。
 いや、「たばこを吸う内海」という、たいへんにめずらしいものが見られただけで良しとしよう。さすが世紀末。相変わらず、妻と子供がいてもラブシーンのひとつもないが、内海光司もとうとう清純派の殻を脱ぎ捨てたのだな。30過ぎて清純派ってのが、良いか悪いかは置いといて。



99/6/1 渡る世間は
渡る世間は鬼ばかり」 6/1 芸術座

 毎度毎度変わりばえのしないいい方で、本当に申し訳ないです。
 でもね、他に言いようがないんです。
 また同じようなことを聞いてしまった場合は申し訳ないが、どうぞご容赦ください。
 要するにね……生はやっぱりイイのよぉ〜〜〜(><)

 以下、ネタバレありますので、まだお芝居をご覧になってない方はご注意ください。

 1年2ヶ月ぶりの生内海。もうそれだけで舞い上がっていたのに、あの人は相変わらず、足が長くてウエスト位置が高くて腰が細くて足も細くて頭小さくて指も綺麗だった。顔の色も白くなって、髪を切って、変なメッシュもなくて、なんか若返ってる? もう三十路を過ぎたというのに、あの可愛さは何なんだ。周囲とデッサンが違うようなスタイルの良さと、キャラクターの性格の情けなさが相まって、「格好いいんだけど格好悪い」微妙な人になっていたね。
 とりあえず、「よっぱらってへべれけ」「ジャージでソファに転がったときの素足」「左手薬指にきらっと光る指輪」なんかが、ビジュアル的には楽しかったです(笑)

 ただ、物語の内容は、我慢ならんくらい嫌〜な話だった。というか、「私、こーゆー人は大嫌い」というタイプのキャラクターがたくさん出てきて、見ていてため息ばかりだったのだ。「人間として、そーゆー考え方は間違ってないか?」とつっこみ入れたくなる箇所多数。正直、内海が出てこなかったら、私は5分で席を立ったと思う。(いや、その前にチケット取らないだろうけども)
 テレビ版をほとんど見ていない私が、割とすんなりキャラクターの相関関係を把握出来たし、それなりにちゃんとみんなに見せ場を作ってあったりして、よくまとまっているシナリオなのだと思う。思うが……おれはあんな人間たち、いやだ〜〜〜!(><)

 テレビ版って、あれと同じようなことを毎週やってるんだよね? そしてそれは、毎回毎回高視聴率なわけだよね?
 ……私はやっぱり、世間一般の感覚とは違うのだろうか。内海光司のファンだし(爆)




99/1/11 私の好きなタレントは
1/11 お誕生日
 このまま一生、「私の好きなタレントは内海光司・無職です」と言い続けるのだろうと、根拠のない確信を持っていた。
 いくら待ってもこない朗報、どんなに気を付けていても見つからないテレビ欄の名前。仕事のないタレントなんて、「タレント」という言葉を冠するのが間違っている。単なるプーだ、それは。そんな男の応援を何故しなければならない。オレはそんなに暇ではないぞ。
 やさぐれて心がすさみ、投げやりになった気持ちがいつのまにかそんな幻想を抱いたのだろう。一生無職のままなら、もうやきもきしなくてすむ、と。

 しかし、内海光司は年末ぎりぎり、テレビに出た。ああ、生きてる、タレントだ。内海だ。久しぶりに見たけど、元気そうだね、やっぱり足長くてかっこいいよ。
 そうして少しだけ光が見えた道に、彼のお誕生日の今日、どかんと大きなプレゼントがあった。
 6月、舞台に出るという。芸術座だ。馴染みの宝塚の向かい、日比谷シャンテの隣。ああ、また日比谷に通うのね。チケット取りづらいっていうけど、大丈夫かしら。舞台は高いから、今から「内海舞台貯金」をはじめなきゃね。頑張って働いて、彼の雄姿をいっぱい見たいわ!
 昨日までのやさぐれはどこへやら、手のひらを返したような態度だ。ほんとに我ながら単純である。

 お誕生日なんだから、こっちからプレゼントあげないといけないのに。
 今年はあなたから、大きなプレゼントをもらっちゃったね。
 まだ半年先だけど、いまから貯金してスケジュールあけて、舞台たくさん通えるようにするからね。

 お誕生日、おめでとう。
 「私の好きなタレントは内海光司。6月に舞台があるの」。
 あと半年は、友達に言えるよ。その先も、頑張ってね。


98/10/27 日比谷の跡地
 とりあえず一通りディナーショーチケットの手配が終わったら(ありがとう!>お友達)、なんだか憑き物が落ちたようにすっきりしてしまった。まだ取れるかどうかわかんないけど、とにかく4人はちゃんとファンの前に姿を現すお仕事をするのだ。それだけでいいような気がしてきてしまった。
 寛くんは11月のライブがあるし、樹生は、ナマで会える機会はないけども映画撮ってるって言うし。ちゃんとお仕事してるなら、まあいいか。
 そう、お仕事してるのならいいのだ。お仕事してるなら、ね。

 ここ2〜3週間、仕事(と趣味もちょっと)で日比谷に何回か通った。懐かしの宝塚劇場の横を何度も通ったのだ。今はもう、あの建物はない。白いフェンスが跡地を取り巻いているだけだ。21世紀に新しい劇場としてオープンするという。
 去年の今頃は3日とあけずに通って、この中のあのステージで毎回感動していたのだなあと思うと、なかなかに趣深いものがある。あそこに行けば必ず彼に会えた、あの1ヶ月間。終わった直後も脱力したが、いまこの段になってみると、夢のように幸運な出来事だった気がする。
 道路から見上げるだけだと、フェンスで覆われているからまだ建物があるような感じもするのだが、道路をはさんだ隣の東○本社ビル8階宣伝部会議室からはフェンスの中が見下ろせて、更地になった劇場跡地がよく見えた。工事の機械しかない、まっさらな土地。あそこに、あの夢のステージがあったのだなあと、仕事中に窓外を見ながら感慨に耽ってしまった。いや、遊離していたのは一瞬で、すぐにお仕事モードにちゃんと切り替わったけどもね(^^;)

 立て替えになった建物跡地を見て懐かしむ余裕なんてないくらい、たくさんのお仕事があればいいのに。1年も前のことを思い出さなくてすむくらい、いっぱい見られたらいいのに。
 内海光司。頼むよぉ。

 ああ、久しぶりの更新なのに、やっぱり愚痴になってしまった(^^;) すいませ〜ん(^^;)


98/08/28 タレントの記憶
 今期唯一見ているドラマ・諸ちゃんの「ハッピーマニア」に、上原さくらちゃんが出ていた。さくらちゃんと言えば、前に敦啓のラジオで相手役をつとめていてくれた子だ。そうか、ゴールデンタイムの連ドラに出るくらいにメジャーになったのか。
 どこかの番組で本上まなみちゃんも見た。東海ローカルのドラマで淳くんと共演していたという彼女だ。まなみちゃんも頑張っているのだね。
 いまだに、阿藤海さんを見ると「ワイルドでお隣さんだった人だね」と思うし、黒田福美さん、くわまんなんかもソレだ。結婚前の舞ちゃんも、見かけるたびに「あの時は光が苦労かけたね」と心の中で呟いていたものだ。さすがに最近は「樹生のことをよろしくね」と呟く言葉が変わったが。

 もともと私は、人の顔を覚える能力が皆無に近い。その上、テレビ自体をあまり見ない。タレントの名前はかろうじて見覚えがあっても、じゃあそれがどの人か、と言われると首を傾げてしまう。要するに、芸能人音痴なのだ。
 ところが、彼らがかつて共演したり、彼らによくしてくれたりした人は、かなりの確率で覚えている。森脇健ちゃんなんて、きっと「桜っこ」がなかったら私はいまだによくわかなかったに違いない。あんなに内海によくしてくれて、内海自身がなついているから、私は健ちゃんを認識しているのだ。藤原紀香ちゃんだって、アパガードなかったら覚えてなかったもんね。

 こんな私なので、流行のドラマの主演のなんたらさんとか言われても、さっぱりわからない。普通のオトモダチとテレビの話ができないのだ。たいていは開き直っているが、時々困ることもある。美容院で「夕べのGTO見ましたか? 反町かっこよかったですよね」と言われて「見てません」と答えた後の気まずさったらないのである。

 だから7人、流行りモノのドラマに出てくれ。あるいは、流行の番組で流行の役者さんと共演するんでもいい。そうすれば私もその番組をきっちり見るから、多少はタレントを覚える。あの時彼とこの番組で共演していたタレントだと、後々まで記憶しているだろう。
 君らはメジャー路線に顔を出せる、私は世間の会話に乗れる。一石二鳥じゃないか。

 ああ、でも、メアリーと雪乃さんが同一人物だということに、かなり長い間気づかなかった私だからな。この計画もダメかも知れないなあ……(^^;)
(ちなみに、メアリーは言わずと知れた「HOTEL」のフロント、水野美紀ちゃん。私が大好きなドラマ「踊る大捜査線」に、雪乃さんという役でレギュラーで出ている)


98/06/21 8J
6/17 「8時だJ」出演
 夏のシアター1200の日程はやっぱり発表されず、一般売り発売開始日の日曜日、大方の予想通りにたいへん平和に過ごしてしまった。よかったような悪かったような。これでまた、もし誰か夏に出ることになったら、春の時以上に大騒ぎになるのだなあ。あ〜あ。
 しかも、いくらなんでもこの状況下で、去年のこけら落とし公演のようなミニコンサート形式は望めまい。としたら、よくて持ち歌を一曲披露、悪くすればMCだけ。春のプレビュー公演の恐怖再び。第一、いきなり当日出演が発表されても、行けるわけないじゃんか。

 これで、今夏に会えるのは寛くんと諸ちゃんだけだという確率が高くなったな。曲がりなりにも全員に会えた去年が懐かしいぞ。内海光司、歌ったし踊ったしバク転したしな(笑)

 バク転といえば、「8時だJ」(強引な引きだ)
 アップもそれなりに多かったし、全開の笑顔は可愛かった。サワヤカ系の格好で、ノリもまあまあ。普段「なんじゃに」などのチャレンジモノ企画の時に「そこで何でおまえもやらんのだ〜!」と怒ってばかりいたので、マット運動したのはハナマルだった。
 だがしかし。やはり内海光司には覇気が足りない。なんで1回しか回らないのだ、ハンドスプレット。昨夏の京都で私たちが見たあの見事な3回転(したよね?)はなんだったのだ。出来るならやれ。全国的に内海光司をアピールする絶好の機会だったのに、なんでそこでギャグに落とすのだ。
 そりゃね、ファンは知ってるよ、ファンは。あなたが3回転出来る人だって。でもね、テレビを見ていた大半の視聴者は知らないのだよ、そんなこと。ジュニアが苦労してようやっとやってることを、苦もなくするっとこなしてしまったら、それだけで「まあカッコイイ」「この人は誰?」ってことになるじゃないか。どーしてそんなことがわからないのだ、キミは。

 まあね、かっこよかったのは事実だけど。だって、他の出演者と、どう見てもデッサン違うんだもん。頭身が、まるで別次元の人のよう。ああ、やっぱこの人、スタイルいいわあ。うっとり。手足長いし頭小さいし背高いし、違う生き物のようだった。ちょっとくらくらしちゃったわあ(笑)

「どうせなら死ぬまで芸能人じゃなきゃね」という名台詞をおっしゃったのは、内海と一緒に出た林寛子さん。その通りだ。だから世間へのアピールは大事。せいぜい精進して欲しい。
 そして、「出演:内海光司」と大書きされて宣伝されて、「公演数が多すぎて全部見れない〜」とか「全国回るんだもん、行ききれないよぉ」とか、私たちに嬉しい悲鳴を上げさせて。


 シアター1200しかコンサートのアテがないなんて、寂しすぎるよ。


98/06/15 チケット
 フランスまで行って、試合が見られない人たちが大勢いるという。もちろん、ワールドカップのことだ。私はスポーツ観戦の趣味は全然ないので、観戦ツアーも何もひとごとだったが、ニュースで見聞きするにつけ、何とも気の毒なことにと思ってしまう。ツアーが中止になって国内に残った人も含めて、泣くに泣けない悔しい思いでいっぱいだろう。

 見たいとなったらどうあってでも見たいと思う気持ちは、それはもう、分かりすぎるほど分かる。この世でただ一度の、その瞬間。映像や伝聞ではなく、その場でその空気を味わいたい。生の迫力を体中で感じたい。何とも引き替えにできないせっぱ詰まった気持ちは、これを読んでいてくださるあなたも、きっと分かるハズだ。何かの事情で行けなかったコンサートのひとつやふたつ必ずあるものね、その時の絶望的な気分を思い返せばいいのだ。

 たとえば、光GENJIの復活コンサートがイースター島であるって言われたら。
 私は、取るものもとりあえず、お金をかき集めて有給をもぎ取り、 なんとしてもチケットを手に入れてかけつけるだろう。南米のチリから船で何日もかかるそうだが、船酔いでへろへろになろうとも、顔はにこにこと笑っているに違いない。そしてモアイの間をローラーで駆け抜ける彼らを想像しながら甲板でうっとりするのよ。いや砂浜だからローラーは無理か。

 チケット販売に関するおよそ非常識な目にはたいていあってきた私たちである。京都シアター夏公演スペシャルデーが、ゲスト出演者未定のままでチケット販売されることくらい、何てことないのかもしれない。フランスに行った人のことを思えば、たかだが京都、新幹線で3時間だ。どうあっても特定の人の公演が見たいというのならば、ヤマをかけて買うくらいのことはしろと、そういうことなのかもしれない。イースター島ほど遠くないのだから、感謝しろとでもいうのか。
 フランスに行けなかった人たちの中には、旅行会社を訴えると言っている人がいるという。ツアーの募集告知に「チケット未入荷の場合は中止になることがあります」と但し書きがあったのかどうか私は知らないが、当日になって中止を告知するというのはどうみても正当な商行為ではない。代金を全額保障すればいいというものではない。見たいという心は、何ものにも代え難いのである。裁判だろうが何だろうが、当然だ。
 見たいというせっぱ詰まった気持ちを踏みにじると、人は簡単にキれる。
 そして、キれた人はとってもコワイのだよ。
 よーく覚えておいてね>J事務所

 まあね、この歳になると徹夜でチケット取りも辛いんだけどね。
 でも徹夜できるだけ賭けられるモノがある方が、人は幸せなのだ。



98/05/21 5月病
 今日も元気なフロントクラーク・ハワイの明くんのもとに、敦啓が遊びに行ったという。あくまで仕事だというが、その割に仕事の報告は何もなく、晃と遊んだことしか言わなかったとか。あのふたり、相変わらず仲がいいなあ。今時、恋人同士でもそこまで仲良くないぞ〜(笑) 「親友」というより「くされ縁」か。いや、それにしちゃあ、宝塚の時のふたりの嬉しそーーーーーな様子は当てはまらないな。ものすごく仲の良いまま育った兄弟。そんなとこか。
 敦啓はビデオクリップも出て、CDの予定もあるとか。晃は晃で「HOTEL」も順調(もう帰国したとか?)、来年の大河ドラマ出演まで決まり、役者稼業が順風満帆だ。

 「晴れたら」のテイストが変わってしまって、最近淳くんが出なくて寂しい〜と思っていたら、かわりに(?)「うるるん」出演だそうだ。もう今週末か。あの番組、よほど淳くんを気に入ってくれたらしい。ありがたいことだ。確かに淳くん、とってもいい実績を残してるからね。

 6/1にシングル「降水確率30%」、7/1にアルバムをリリースすることが発表になった寛くん。山野楽器でアルバム発売日に予約者限定イベントがあるのだが、その告知のポップが山野に飾ってある。A4横くらいの小さなポップだが、そこに使われてる寛くんの写真がなかなかスバラシイ。わざわざ見に行った甲斐があった!と思ったちょっとビジュアル系の寛くんである(笑) 彼はもともと撮り方によっていろんなニュアンスが見える人だったが、今回はうるわし系であった(笑)
 新宿のHMVでトークイベントもあるというし、毎年春は生寛くんの季節だな。

 諸ちゃんはなんといっても「生ダラ」。もうもうもう、踊ってる彼のおステキなこと!(*^^*) 教えてくれてる先生と一緒に踊って遜色ないんだもんねー。毎回エアロビの回はうっとりしながら見てます(笑) 今週放映分では、「親不知抜いて顔が腫れてる」という珍しい状態も見られたし、歯を床にぶつけて「芸能人は歯が命なんだから」などど言ってる様も流れた。ああ、なんてかわいいの(笑) サンギさん、そんなわけだからまたいっぱいCM流してくださいよ〜。

 最近顔見ない樹生。いったいどーしているのーと思っていたら、夫婦で映画出演の予定があるそーな。ただ、あんまりメインな役じゃないらしく、いったい零次のミルク代は誰が稼いでいるのだろうなどと人ごとながら心配になる(^^;) みきちゃん、少しはテレビにも出てね。でも2時間ドラマの殺されちゃう役はちょっと……・。贅沢は言ってられないが(^^;)

 そしてそして、内海光司。「走れ!ガリバー君」の出演が決まったそうだ。目出度い! が、また関西オンリーなので、生まれも育ちも関東者の私には見ることがかなわない。現在唯一のレギュラー番組である「なんじゃに」も大阪の番組で、まるで彼は大阪ローカルタレントになったかのような仕事ぶりである。まあ、「ラブジュニ」の時も東京ローカルタレントだったようなものだが(^^;)
 ちょっとは顔みたいものだと思うが、遠い空の下ででも元気で頑張ってくれてるなら、まあ少しはマシだなと諦める今日この頃だった。

 と、7人の現況をつらつらと書き連ねてみると、けっこういろいろあって、それなりに毎日何かしらの「彼らネタ」がある。贅沢を言ってはキリがない、それなりの状態で落ち着くならそれなりに満足しないといけないのかなと、ぼんやりと思った。そうだよ、欲を言ったらたいへんだよ、みんなが元気で何かしら活動してるんだし、オッケーつーことに……。
 ハッ! しかし考えたら、音楽関係の仕事は敦啓と寛くんだけじゃないか! 諸も、まあ音楽関係と言えなくもないが、あくまでバラエティ番組の一環であり、彼個人のCDが出るわけではない。こんなことではいけないわ。もっともっと、みんな頑張ってもらわなきゃ!

 気弱になっていたのは、きっと太陽のせい。あんまりいい天気だったので、つい気が緩んでしまったのだ。まるで初夏のようないい陽気。鮮やかな新緑の葉づれの音。さざめく鳥の声。
 これも一種の5月病か。今年は平和な5月病だなあ。




98/05/13 歌の大辞テン
5/13 速報!歌の大辞テン
 光GENJIの映像が、リアルタイムで放映になった。任意の過去のある時期のベストテンと、今週のベストテンを比較して紹介する「速報!歌の大辞テン」という番組だ。今となっては、ビデオをかける以外でテレビモニターに光GENJIが映ることはめったにないので、たいへんに嬉しい。新しい映像ではないことは百も承知で、浮き浮きしながら番組を見てしまった。

 最初にこの番組を見たとき、これは企画の勝利だなあと思った。事実、けっこう長いことゴールデンタイムで放映してるらしいので、それなりに人気のある番組なのだろう。
 特殊な読み方揃いの昨今の人気歌手名やタイトルがルビ入りの字幕で出るし、○人組だどこ出身だと初心者向けの解説付きなので、おじさんおばさんも安心して見られる。子供と流行歌の話なんかもできちゃうし、「ママの若い頃はこれが流行って……」なんて懐かし話もOKだ。昔バージョンのランク付けに多少恣意があるかなあとも思うが、まあそれは根拠のない身びいきかもしれないので、この際置いておこう。
 歌番組不況の折り、ベストテン形式のゴールデンタイムの番組はこれだけ(だよね)だから、既存の映像とはいえ、光GENJIが登場したのは喜ばしいことだと思う。

 だが、たくさんの人が見る番組で、またもや不自然な小細工がなされていた。前回はひとつの映像からむりやり特定個人のアップを差し替えてたから、一目瞭然にヘンだったが、今回は少し学習したのだろう、いろんな場面の映像をいれこにしているふりをして、その実、たくみに事務所抜けた組のアップをはずしていた。よくまあ考えるものだなあ。
 誰の指示でそうなったのかは知らない。局側の配慮なのか、事務所側の要請なのか。そこまでする意味が、果たしてあるのか。光GENJIが7人組だったのは、ここ10年の間日本に住んでいた人なら、誰でも知っているではないか(いや、そんなことはないか)

 あの頃一時代を築いた光GENJIは、あの7人だった。それはもう、どうあがいたって、変えられない事実だ。ならば、ありものの映像くらい、素直にそのまま流したって罰はあたらないと思う。
 それとも、そういうものではないのか芸能界。素人の考えなど及ばない深い深い思惑があるのかテレビ番組。
 真相は闇の中だ。

 それにしても、あのVTRの編集をした人は絶対晃ファンだね。だって、晃ではじまるアップばかり目立ったもの。敦啓はまだ2回くらいあったが、淳くんは1回だけ、内海なんか0だ。かすりもしなかった。同じ条件でこれだけ違うのだから、編集人の私見としか思えない。
「どうして赤坂君はうちの局に出てくれないんだろう。隣ではレギュラー持ってるし、今度NHK大河にも出るっていうのに。いつか一緒に仕事したいなあ。えーい、いっそシュミで編集しちゃえ。ここがかっこいいなあ、あ、この頃はこの角度が可愛いぞ。よしよし。これがファンレター代わりなんだ、オレの」……って、「オレ」はやばいな「オレ」は(^^;)
 ともかく、名前も知らない編集さん、これからも晃をよろしくお願いしまーす(笑) ついでに、いまお宅の局には諸ちゃんが出てますんで、こちらもひとつ、よしなに(笑)
 でも、あのアニメはいらんかったです、アニメは。



98/04/05 プレビュー公演
4/3,4 kyo to kyoプレビュ ー 観劇
 出演がわかったのが当日、公演期間はたった6日間。踊らない、歌わないとネット等で教えていただいたが、生の内海光司に次いつ会えるのかは謎。行かずに後悔するよりも行って後悔しよう!と、仕事も家庭もぶっちぎって週末の京都旅行を決めた。
 シアターに問い合わせたら「全公演出演と聞いております」との返事だったので、ぴあで4/3 13:00の回の立ち見席を入手。だが直後、31日の13:00公演には出演しなかったと聞いて大パニックに陥る。他の日程のチケットを、とぴあとセゾンを奔走するも全滅。「私たちは円山公園の夜桜を見に行くのよね」と心に言い聞かせて、金曜ののぞみに乗った。朝イチの回には出ない等の情報もあり、この段階では、五分五分の確率で諦めていたのだ。
 だから、ジュニアくんたちのコンサートが始まり、中盤、原くん(だと思う)が「僕らの大先輩です!」と言った瞬間、私は半分以上、満足してしまっていた。よって、以下の文章はずいぶんと内海を甘やかしていると思う。でもしょーがないのだ。そこにいたる課程の如何によって、満足度って変わってくるもんね。

 髪をきっちり切っていた。邪魔な襟足のバサバサがなくなっている。きっちりブローしているとはお世辞にも言えないが、思ったほど茶色くもないし、夏に比べたら断然良い。肌色もそれほど濃くなかったし、コンディションも酷くはない。水色銀縁のグラサンをかけたままなのがちょっとばかりおっさんくさいが、まあそれもいいだろう。服はいつものジャージ、上にジュニアのオープニングの衣装(襟元かっちりしててウエストから下が広がってるコートみたいなヤツ)。途中から上着は「Jr」と大書きしてあるTシャツになる。バカみたいな格好だが、それもまた愛嬌と思えるほど、私は上機嫌。4日はともかく、3日は彼、機嫌良かったしねえ(*^^*)
 ジュニアたちもなかなかに慕ってくれてるようで、浜田くんなどは「内海くん、ひげは取りましょうね」「内海くん、こっちに戻ってきた方がいいですよ」などと、かまってくれていた。田中じゅんやくんとか北山くんとかも一緒に遊んでくれてたし、4日に出てきた関西ジュニアのニシキノくん(漢字わからん)なんか、内海にぺったりとはりついてみたりしていた。
 まあね、トークの内容は相変わらずの彼で、かなり寒かったりするシーンもあったのだが、そこはそれ。いつものことさ!(爆)

 なんにせよ、円山公園で夜桜相手にやけ酒飲むことにならなくてよかったよかった。とても穏やかな気持ちで、夕方と夜と朝の桜を見てこれた。
 公園内の「歌舞音曲」担当の厳島社というお社に2回お参りしたし、八坂神社には3回もお参りして、内海光司のお仕事のことをお願いしてきたので、この先は少しはましになるかも。少なくとも今回みたいに当日いきなりの発表だけは止めて欲しいモノだ。行けない確率、かなり高いもんね(^^;)
 そう、今回は状況が状況なだけに、行けない方も多かったでしょう。無事に見られた者の義務として(笑)、おいおいもうちょっと詳しいレポートを作るつもり。待っててね。

 私事だが、4日は私の誕生日だった。ジュニアくんたちの中にも同じ誕生日の子がいたらしく、4日、メンバー紹介のダンスの時に、「ハッピーバースディトゥユウ!」と内海は叫んだ。
 ジャスト自分の誕生日に、生で、目の前で、内海光司が。
 こんなこと、もう一生あるまいて。
 ありがとう、同じ誕生日のナントカくん。キミのおかげだ。名前聞き取れなかったけど、感謝してるよ。でも、女の私でも言われたんだから、男のキミはもっと苦労しただろうね。4/4、俗に言う「オカマの日」。
 私がいくつになったのかは聞かないでね(^^;)


kyo to kyoプレビュー公演内海サイドレポートはこちらへ。
京都に至るまでの顛末記は、こちらへ。




98/03/16 転がる石
 ミック・ジャガーとキース・リチャーズの名前くらいは知っていたが、「それで歌ってる人は誰なの?」とツレに聞くくらい洋楽音痴な私。そんな私が、なんとももったいないことに、東京ドームのローリング・ストーンズコンサートに行って来た。
 アルバムも予習しなかった不届きなヤツに知ってる曲などあるわきゃないと思っていたが、さすがローリング・ストーンズ、耳慣れたフレーズの曲がいくつもある。スタンダードナンバーとして、意識して聞かなくてもいつの間にか耳に入ってきているのだ。さすが、30年(!)のキャリアは伊達ではないと思った。
 セットも照明もかっこいいし、曲もかっこいい。演出も構成もかっこいい。歌ってる人たちももちろん。最新技術を駆使しただろう金のかかってるステージに酔いしれて帰ってきたのだった。

 ミック・ジャガーとキース・リチャーズは54歳。パワフルでかっこよくて、2時間強のステージ、ちっとも疲れたように見えない。とてもそんな歳には思えなかった。A&Aの2倍以上。諸ちゃん寛くんでやっと2倍、内海光司からですら、1.8倍。なんともスゴイ人たちである。
 でも、彼らのスゴサを実感したのは、ミック・ジャガーが日本語でガイドしたときだった。「コンバンハ、ニホンニ カエッテコレテ、ウレシイ デス」「ツギハ、シンキョク デス」「イッショニ ウタッテ クダサイ」と、要所要所で言う。
 日本の観客を楽しませるための最低限の配慮。見てくれる人がわかりやすいようにと、きっと彼は前日のホテルでカンペ片手に一生懸命覚えてくれたに違いない。
 決して「世界的に有名なアーティスト」という肩書きに左右されないサービス精神。
 プロだなあと思った。

 「転がる石には苔が生えない」ということわざがある。聞くところによると、ローリング・ストーンズというグループ名は、そこから来たという。なるほど、転がり続ける彼らは色あせることがない。

 7人には、まず転がることをお願いしないとね。少しは誰か、コンサートやってよ(^^;)




98/02/26 ただひとたびの
 オリンピックのフィギュアスケートを見ていて、家人が言った。
「たった1回だけの競技で点数をつけるなんて酷いよな、その人の普段の力がわかんないじゃん」
 思い切った新技も出来ないし、何かの弾みで普段出来てたことがダメだったりしたらかわいそうだ、と。なるほど一理ある。
 記録だけを重視して、選手ひとりひとりの本来の実力を見るのなら、オリンピックはおろか、競技会という形式すら不必要だ。日々の練習の中での最高点なり最高記録なりをしかるべき筋に申請して、承認していく形にすればいい。もちろん、リンクの広さだとかジャンプ台に高さだとかの一定の基準をクリアした上での記録のみだ。
 それならば、競技会当日にたまたま調子が出なくて本来の力が発揮できなかった、などということもない。何度もチャンスがあるのなら、天候によって不利になったり有利になったりすることもない。失敗してもすぐ次にチャンスがあるのなら、思い切った技にもチャレンジできるし、たとえ怪我をしても治るまで待つことができる。まことにもって、公平であろう。

 だが、現実は違う。オリンピックや種々の競技会という形式で、その1回限りの演技なりジャンプなりで記録を競う。風邪をひいていようが怪我をしていようがハンデはなしだ。ただ一度、その一瞬だけが勝負。ある意味で、不公平きわまりない。

 たった一度の本番。本人の実力や普段の練習は関係ない。本番の大舞台がいかにうまくいくか、うまく出来るか。やり直しがきかない1回限りの機会を重要視するのは、大切なのが記録だけではないからだろう。
 ただひとたびのチャンスをどう活かすか。
 その一瞬の緊張を乗り越えられるか。
 それが大きなポイントになっているからこそ、競技会という形式があるのだと思う。
 その時だけ、その場だけ。たった一度の「瞬間」の貴重さ。
 改めてその重みを考えてしまったオリンピック中継だった。

 ……なーんて言いながら私が思いだしていたのは、ジョイコン名古屋オーラス台風で行けなかった事件だったりしたんだけど(笑) コンサートってのは究極の「その場限り」レアモノだから、何よりも瞬間の尊さを感じてしまうのだ。
 ただひとたびの一瞬を、大好きな「彼」と共有できる。これほどの幸福はない。
 もっと頻繁に「その一瞬」のチャンスがあるといいんだけどね(^^;)



98/02/16 記録
 普通の子供の成長記録は、親か、せいぜいが親戚が持っているだけのものだろう。法事なんかの際に引っぱり出され、「おばさんおしめも替えてあげたのよ、覚えてる?」なんてどう考えても無理なことを言われるくらいだ。お愛想笑いのひとつもすればしのげる。気に入らない写真はネガごと焼き捨ててしまえばよいし、ビデオだったら上から別番組でも重ね撮りしてしまえばすむ。意に添わないものに関しては、この世の中から抹殺することができるわけだ。

 ところが、これが小さな頃から芸能界にいたりすると、そういうわけにはいかない。テレビ局にも雑誌社にも事務所にも、もちろん全国津々浦々のファンの元にも、すべての記録が残るのだ。テレビ番組もセルビデオも写真集もCDもブロマイドもすべて。リアルタイムで見ていたファンはもとより、後からファンになった人だってあらゆる手をつくしてそれらを入手しようとする。
 かくして、楽しい顔も悲しい顔も怒った姿も出来の悪い衣装もすべて、かぞえきれないくらいのファンの手元に残るのだ。
 そして「やーだーこの頃の○○ってば、ダサーい」とか「すごいね、ひしゃげてるよ、顔」とか「うっわーヒドイ髪型」とか勝手なことを言われるのである。
 思えば気の毒な職業だ。いやまあ、気の毒にしてるのは我々ファンなんだけど(笑)

 そんなことを考えたのは、最近ちょっとわけあって昔の会報やらパンフレットやらを見直す機会があったから。いやもう、昔の会報なんてすごいよね、みんな顔が違うもん(笑) そーか晃、ソロバン頑張ったのか。野球大会なんてのもサッカー大会なんてのもあったのだな。スキューバダイビングのライセンスを取るだの言ってる人もいるし、南の海でバナナ抱えてる人もいるし、楽屋でカッコつけてたり、正真正銘にかっこいいコンサートシーンの写真があったり。まるで彼らの8年間を早送りで見たようだった。
 竹でスキー作って運動神経が抜群なところを見せてくれた「晴れたら」の淳くんとか、30歳になったことを恵ちゃんにことあるごとにつっこまれて暴れてる内海なんかが最近の彼らの様子なのだが、それと比べると、隔世の感がある。思えば遠くに来たものだ。歳月というものは、否応なく流れていくものなのね。

 でもやっぱり、脱退の頃のからは冷静に見られなくなってくる。最後の方はもう、開くの辛かった。だって会報の彼ら、すごい辛そうな顔をしてるんだもん。
 実際に、あの頃の彼らが何を考えていたのか、それは私たちにはわからない。もしかしたら、本人たちにもはっきりと形にして表すことはできないかもしれない。言葉が不自由なのは、いざという時にきちんと伝わらないことがあるところだ。
 だけど、写真は残る。記録として、ビデオになる。
 その時の、その一瞬の、「彼」の顔。
 それは百万語を費やすよりも、雄弁に語る。
 脱退や解散の時に限らず、彼らの今まではきっちりと記録され、私たちに「その時」の様子を見せてくれる。本人たちはどうだか知らないが、ファンにとってはそれが何よりも嬉しいのだ。

 一生が記録に残る。辛いことや幸せなことを、親や親戚だけでなく、全国にさらけ出していく。
 それがタレントという仕事なのかもしれない。



98/01/31 晶子曼陀羅千秋楽
1/29 「晶子曼陀羅」千秋楽 A席で観劇
 世の中に、純粋な客観性というものは存在しない。「人間」が評する以上、その人の主観が多かれ少なかれ入るのは否めない。だから、どんなに客観的に見える論評でも、その著者の「目」というフィルターを通す段階で、必ず主観的なものになっているのだ。
 だから当然、私の感じたことがこの芝居のすべてではないし、まったく違う感想を持った人もたくさんいるだろう。楽日の内海光司が輝いて(笑)見えたのは、「これで最後!」というこちらの思い入れがあったからかもしれない。
 終わってしまった芝居についてどうこう言ってもいまさらどうにもならないが、どうしても気になった点だけ書いておこう。

 波止場のシーンの演出が、ちょっとだけ変更になっていた。セットが移動して駅舎の外に走り出るシーンだ。15日に見たときは移動中は暗転扱いで役者は静止していたのだが、楽日はステージ前側で晶子と籌さんのやりとりが展開されたまま奥側でセット移動していたのだ。物語が変なとぎれ方をしないから見ている方の感情がそのまま移行されて、展開がスムーズになっていた。
 24日の段階では、変わっていなかったという。とすると、楽日を前にした数日中の変更か。こんなギリギリにでも変えたと言うことは、もとのままでは展開がよくなかったと判断されたからだろう。とすると、対応が遅い。遅すぎる。最初に見た段階で分からなかったのだろうか。

 晶子が初めての子供を産むシーンの演出も、釈然としない。ステージで展開されているのは登美子が鉄幹をくどくシーンで、鉄幹がなびいたその瞬間、晶子が出産したという意味の赤ん坊の泣き声が流れるのだが、会場からは笑いが漏れるのだ。ここは笑いをとっていいシーンではない。断じてないと思う。少なくとも、私が演出家だったら、そうはしない。鉄幹がなびく=晶子を裏切るわけなのだから、劇的にショッキングな演出をしなければならないハズなのだ。なのに客は笑う。晶子に感情移入ができるわけがない。
 もしも、不倫が成立したまさにその瞬間、子供が産まれたという皮肉な運命を描こうとしたのなら(たぶんそうなのだろう)、もっとやりようがあったのではないか。

 登場人物に対しても、言いたいことがたくさんある。特に鉄幹。芸術家にたくさんの恋人がつきものだという言いぐさは百歩譲って許しても、波止場での態度はまったくもって噴飯物だ。どう見ても私には、身勝手な男の理不尽なわがままとしかうつらない。登美子のもとに行くからフランスに行かないだと? ふざけるな! このシーンの鉄幹が嫌いなあまり、せっかく内海光司が出て来るというのに、波止場シーンになると気が重くなったのだった。
 私にここまで思わせるなんて、宅間伸てもしかしてものすごい演技派なのかもしれない……(笑)

 どんなに役者が頑張っても、土台となる脚本と演出がハマらないと物語はぶちこわしだ。題材としてはたいそうドラマチックなストーリーだし、本当だったら見ていてハラハラするような変化に富んだドラマになるハズなのに、どうもいまひとつ盛り上がらないのはそのせいかと思う。
 籌三郎との別れのシーンで本物の涙を見せる等、佐久間さんが力演していただけに、もったいない気がしてならない。

 さて、お目当ての内海である。
 彼の役は、オイシイ役だった。自分のことしか考えてない自己中心的な登場人物ばかりの中で、唯ひとり、姉である晶子を思い、純粋に慕っている弟。ポジション的にも好感が持てるし、彼の演技もハマっている。初日はどうもぎこちなかったように感じたが、楽日はかなり感情移入できた気がする。
 雅子とのほのかな恋心を抱いた上での会話、晶子との別れのシーンのせつなげで心配そうな様子、波止場で晶子を励ますシーン。どれも初日よりも印象的だった。それだけ内海光司が上手くなっていったということか。そうだといいなと思う。ファンの欲目なのだろうか(^^;)
 しかし、衣装に関しては、私はあまり盛り上がらなかった。
 コスプレ衣装はあったが、他はほとんど代わり映えしない袴姿ばかり。私はどうもナマで見る彼に対しては「いかにスタイルがよく見えるか」という点にこだわっているようで、羽織袴よりもスーツの方が好きらしい。しかも今回は腰の位置を低くした書生さん系統の袴ばかりで、菊がさねの幻の和服のようにフォーマル系ではない。せっかく足長いんだからちゃんと見せろよ!というのが、意識下にあるらしく、衣装の面では今回はあんまり嬉しくなかったようだ。
 ……と、伝聞形式で書いているのは、いままであんまり考えたことがなかったから。晶子曼陀羅の衣装で盛り上がらない自分の気持ちを分析して、どうもそうらしいと思い始めたところなので、まだほんとにそうなのか自信がないのだ。やだなあ、自分の気持ちもよくわかないなんて。十代の乙女のようじゃないか(笑)

 まあ何にせよ、何事もなく無事に1ヶ月間終わってよかった、よかった。
 正直、登場人物の性格についていけなくて見るの辛いシーンもあったが、やはり一ファンとしてはナマ内海に会えるのは嬉しい。少なくとも1ヶ月間は「今頃あの人はスノボーでまた色黒になってるのかしら……」などといらぬ心配をしなくてよかったのは儲け物だった。ファンというのは、タレントがどこで何をしてるのかだけでも分かると、意味もなく安心するものなのだね。
 ああ、でも本当に終わってしまったよ。
 次に彼に会えるのは何時なのだ?(^^;)



98/01/12 Little Happy Birthday
1/11 内海光司三十路最初のお誕生日
 誕生日を迎えたことによって、人間が何かしら自動的に変わるというものではない。それをきっかけにして決意を新たにしたり、目標を掲げたりすれば別だが、性格や心うちや外見がその日を境にがらっと変化するほど、人間は単純にはできていない。
 だから、29歳の最後の日の彼も30歳の最初の日の彼も見たが、何か変化があったのかといわれれば、何もなかったと答えるしかない。昨日の彼もおとといの彼も、おそらくは今日の彼も、あの暗いストーリー中唯一のオアシス・籌三郎を健気に演じていただろう。別に彼が30になったからといって、世界が変わるわけではないのだ。そんなことで変わるような世界だったら、光GENJIがなくなったときにとっくにひっくり返っていたに違いない。

 でも、それでも。
 30年前(!)に彼の生まれたその日、帝劇で直接彼に会えたのは、私にとって、とても嬉しいことだった。
 聞くところによると、彼の長い芸能生活において、お誕生日にファンの前で何かをしているというのは、今年が初めてだという。しかも今年は、「20代最後の彼」と「30代最初の彼」。単なる毎年の誕生日よりも、三十路の意味は重い。世間一般の評価も変わるだろう。どんなに足掻いても、年齢を重ねるというのはそういうことだ。
 外見や性格が変わらなくても、確実に変わる何かがある。私を嬉しい気持ちにさせたのは、そういうものに違いない。

 私の大好きな小説の、大好きなキャラクターの台詞に「私が30歳になったって誰が幸福になるわけでもないだろう。祝う必要なんかない」というのがある。彼は30歳になるということをとても嫌がり、その誕生日一日を、憮然とした面もちで過ごした。
 内海光司はどうだろう。「いつまでも少年のままで」などというふざけたことをほざくいつもの彼の言からすると、かなり気にはしている気はする。でもTVガイド(関西版)のコメントを見ると、けっこう淡々としてるのかな。お誕生日を迎えたその瞬間、彼はどうやって過ごしていたのだろうか。

 内海さん、30歳のお誕生日、おめでとう。
 あなたにとって三十路になったことが目出度いかどうかはわからないけど、少なくとも、雪の残る町で「Little Birthday」を聞いていた私は、20代の最後と30歳の最初のあなたに会えて、かなり幸福だったよ。
 ひとつの通過点に過ぎないことではあるけれど、それでもひとつのきっかけとして「おめでとう」と言わせてもらいましょう。これからも、いろいろな幸せを分けてくださいね。
 コンサートなんかが、いちばんいいんだけども。




98/01/04 晶子曼陀羅初日
1/2 晶子曼陀羅初日観劇。C席
 毎度のコトながら、ネタバレあります。お芝居の内容を知りたくない方はご注意ください。



 私には弟が2人いる。ヤツらはいつの頃からか、私のことを「姉ちゃん」と呼ぶようになった。しかも上の弟は大阪在住。10年近い歳月がヤツの言葉をすっかり関西弁に変え、今や立派な大阪人だ。
 籌三郎は関西弁だ。晶子のことを「姉ちゃん」と呼ぶ。兄姉がおらず、普段内海のことを「お兄ちゃん」なぞと呼ぶこともある私が、妙にこそばゆい思いをしながら見ていたことはおわかりいただけると思う。
 そもそも、関西弁の役も兄姉がいる役も、見たことがない。少なくとも私の記憶にはない。新鮮だ。それだけでも価値がある。いまひとつ彼の演技が自信なげだったのも、慣れない関西弁のせいかもと思うとそれも初々しい。数日を待たずして30歳になる男に、「初々しい」が誉め言葉になるかどうかは置いといて。

 今回の衣装は、全編はかまだった。「足長い!」と感嘆する衣装はなかったが、それでもそのはかまの丈が短く、足首が露出していた。やはりこの人の足は既成サイズじゃないのねと、変なところで感心したりして。まだちょっと長いが、髪も少し切っている。うむ、良しとしよう。1幕から出番があったし、役回りも印象的なものだったしね。
 何せ、「不倫に走って家族から見放された晶子のたったひとりの味方」なのだ、籌さんは。大きなお腹を抱えているにも関わらず婚家でも邪険にされ、頼りになるはずの夫もなんだか今ひとつの感触。そんな晶子を複雑に思いながらも、それでも手助けしてしまう姉思いの弟。ああ可愛い。なんてオイシイ役なのだろう。どこかぎこちない内海の演技が、またハマッテいたのだ、この役に。
 うちの弟たちもこんなだったらよかったのに。別に私は不倫に走ることもないし、天才的な歌人の才能があるわけじゃないけどね。もちろん、内海が弟に欲しいわけでもないよーん(笑)

 ただ、舞台全体の構成は、今ひとつだった気がする。なんとなーく始まって、なんとなーく終わってしまったという印象が強い。盛り上がる箇所が盛り上がらない、登場人物に感情移入できない、そんな印象があった。だって最後のとこ、さんざ苦労してダンナとうまくいったのに、最終的にダンナを捨てて子供を取るみたいに見えるじゃないか。どーも納得できないよなあ……ぶつぶつ。
 なにより、場面転換の暗転が長い長い。せっかくドラマとして見ていても、暗転したとたん、あまりの長さに時計を見てしまったりする。セットがしっかり作ってあったから場の入れ替えに時間がかかるのは仕方ないのかもしれないが、芝居あってこその大道具。もう少し何とかならないものか。暗幕に前の場で使った歌を映し出すとかさあ。あの時代、歌は文字で読むことを前提として作られているハズだから、台詞で聞くだけでなく文字として見たらまた意味合いが違ってきたりするだろう。それで場つなぎになるなら一石二鳥だ。少なくとも、観客を素に戻してしまうような間は何とかすべきであると思う。

 しかしまあ、「姉ちゃん」のすさまじいまでのドラマチックな人生はよくわかった気がする。私にはとても考えられないような激しい人生だったのだな、うむ。鉄幹という男はあんまりタチが良くないと思うが、まあ籌さんが見守るなら、私も「姉ちゃん」の人生を見守ってやろう、という気になった。籌さんは籌さんで、また安全パイな女の子ととっととくっついてしまうのがまた、とてもウチウミコウジだったなあ(笑)

 「姉ちゃん」か。なかなかいい響きじゃないか。
 今度弟に会ったら、「せめて『お姉ちゃん』と呼びなさい」とは言わずにいてやろう。


98/01/01 あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
昨年はたくさんのご訪問をいただき、ありがとうございました。
今年も彼らの動向に注目しつつ、頑張って更新していきたいと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします。



 というわけで、年があけた。明日はもう、内海光司の舞台の初日だ。楽しみな反面、出番は多いのだろうかとか、いいシーンがあるのだろうかとか、衣装はどんなんだろうとか、心配ごともたくさんある。しかしまあ、それは毎度のこと。全然期待してなかった「菊がさね」がけっこうオイシカッタという例もあるし、今日の所は「期待に胸をふくらませて」いることとしよう。
 年末年始は誰もテレビに出ないとやさぐれていたのに、諸ちゃんがポッとたけしの番組に出てくれたしね。とってもおーばかちゃんで可愛かったわ〜(笑)

 明日私に更新する元気があるかどうか。それは「晶子曼陀羅」に出来による。
 とりあえず、のぞきに来てくださると嬉しいです(^^;)



97/08〜97/09のデータ



97/10〜97/12のデータ



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