97/10〜12の内海光司&other
97/12/30 いま
いろいろやさぐれることもたくさんあったが、今年は良い年だったろう。
樹生のライブ行けたし、羽根つきローラー&歯が命ロケットの諸も見たし、寛くんの握手会には通ったし、歌い踊る淳くんに(1日だけだけど)会えたし、晃は当たり年だったし、敦啓は比羅夫だったし、それに何よりも京都の内海があった! あれだけでもお釣りが来るかもと思う上に、菊がさねでスーツの彼をたくさんたくさん見られたのだ。メンバー全員にナマで会えた上、幸せな幸せな8/23の記憶がある。ちょこっとだけだけど、ビデオだって残った。これを幸福な年と言わずして、なんとしようか。
私が彼らのファンになったのは、社会現象とまで言われた狂乱の時期ではなかった。あの頃はあの頃で、たくさんの幸福があったのだろうが、今現在、それらを入手する術はない。ビデオや写真集や切り抜きの形で残っている「記録」だけでは、その時の空気や肌で感じる風、感情などは分からないのだ。それを悔しいと感じることもあるけれど、今この瞬間に彼らを知っていることができているだけでも、ありがたいと思う。
彼らはあそこで終わったわけではなくて、今現在も、生きて動いて活動しているのだから。
たくさんの過去を積み重ねた末にいまの彼らがあって、私が肌で感じ取れなかった時代の彼らの記録ごと、すべてが愛おしいと思うから。
今年の私の幸福な一年も、今までの彼らがあってこそなのだ。
諸ちゃんは解散直後からそうだったけど、春頃から寛くんも変わってきた。最近では敦啓や晃まで、コンサやディナーショウなどで昔の話を出すという。ツーショの写真や映像も、けっこうたくさん見られるようになってきた。
過去にこだわる気持ちはわからなくもない。ましてや「アーティスト」なり「歌手」なりを目指すのならば、「アイドル」だったことには触れられたくないのかもしれない。
しかし、どんなに振り払っても、どんなに嫌だと思っても、過去は過去として歴然と存在するのだ。
それを否定しないで、前を見ていて欲しい。突き進んでいって欲しい。そう、願っている。
頑なだった心を時間が徐々にほどいていくように。
あの人たちの過去へのこだわりが、緩やかになっていく。
自然体で、普通に。ひどく気にすることも、ことさらに無視することもなく。
そんなふうに、活躍していって欲しいと思う。
1998年が、彼らにとっても、これを読んでいてくださるあなたにとっても、良い年でありますように。
またいっぱい楽しもうね!
97/12/25 Merry X'mas
今年の年末の私は寂しい。
去年は諸と晃のディナーショウに浮き浮きと出かけていたから、慌ただしいけど楽しい年末だった。懐が寂しくなっても、楽しかったからいいのだと思っていたのだ。
ところが今年、引っ越しやら何やらで何かと物いりだったので、年末の催しをすべて諦めていた。諸は予定外だった10月の追加ライブがあったし、晃は晃で年明けに宝塚がある。「今年はかなり7人に会えたから、まあいいか」と、チケット取る段階では思っていたのだ、私は。
しかしやっぱり甘かった。晃のディナーショウの様子や樹生のTalking Of Mostの内容を友達が教えてくれるたびに「くくくぅぅ」と地団駄を踏んでいる。諸ちゃんのカウントダウンライブなんて、「チケットありませんか?」という書き込みをあちこちで見るたびに、行きたくてしかたなくなっているのだ。が、いまさらもう遅い。後悔先にたたずとは、まさにこのことだ。
その上、寛くんの新曲がエンディングに流れているという「デラでら早見塾」の最終回はビデオ失敗するし、楽しみにしてた淳くんの「うるるん」は放映が伸びるし、内海光司はラブジュニに復帰しないし、踏んだり蹴ったりである。よけいに寂しさが募り、思わず読書に走る年末だった。いや引っ越ししたら図書館が近くなってね、タダで本が読めるのよ。北村薫の覆面作家シリーズの主人公なんて、内海光司にどうかしら。双子だから、おいしさ2倍よ(笑)
まあ、読書に走っても所詮考えるのはそんなこと。本人たちに会えなくても、今の時代ビデオもあるし、こうしてネットでいろんな方とお話しできる。行けなかったイベントについてもいろいろと教えてもらえるし、それで寂しさが紛らわされているのも事実だ。年明け早々には晶子曼陀羅も始まるし、ね!
少し遅くなっちゃったけど、読んでくださったあなたに、メリークリスマス。
奇天烈なクリスマスツリー型のパンツなんぞまで着こなしてしまった、あの7人にも、メリークリスマス。
彼らはどんなクリスマスを過ごしたのかしら。
(なんてことを書いていたら、いま友達からファックスが来て、晃と敦啓がイブに一緒にヒガシ様のディナーショウに行ったと教えてくれた。しかもワイドショウで映像流れたらしい。あのふたり、相変わらず仲良しさんなのね………………)
(と思ったら、内海光司も一緒だったとか。他にもメリーさんだの植草くんだの長野くんだのもいたらしい。なんだ、よかった←何が?)
97/12/14 Standing on the Rainbow
「3時間前まで日本にいたのがウソみたい!」というCMのような台詞が臆面もなく出てくるほど、グアムの海は美しかった。この師走の忙しいときに1週間ほど、寒い日本を離れ、のんびり南国でバカンスをしてきたのだ。美容院のおばさんがムリヤリ自著の宣伝ホームページのアドレスを教えてくれた他は、コンピュータと関係ない日々を送ってきた。
が、しかし。
バナナボートを見ては虹色の7人を思いだし、潜水艦でダイバーを見ては光のことを、海に張り出した木々を見ては諸ちゃんの「海に咲く花」を、その他いろいろと夏のビデオの彼らを思い浮かべていた。NIFのキノッピーPATIOの企画なんぞも考えていたから(こっちは近々NIFに載せます。NIFに接続出来る方で興味のある方は、えんりまでメールください)、ぼんやり過ごした時間のほとんどは彼らのことを思い出していたと言っても過言ではないだろう。
およそ海外ウエディングで行ったとは思えないエピソード満載。そう、実はそーゆーわけだったの(^^;) ハハハ(^^;)
ちなみに、泊まったホテルも挙式会場も、喜七郎様夢のホテル・オークラ。別にねらった訳じゃあないんだけど。「菊がさね」はほんと、いろんな意味で忘れられない作品になったなあ(笑)
彼ら7人は、夏の子供だった。
デビューも夏、卒業も解散も夏。残されたセルビデオはほとんどが夏の映像だったから、リアルタイムで見ていなかった私の中の彼らはいつも、眩しい太陽の下ではち切れそうな笑顔を浮かべている。当然、春も秋も冬も彼らは活動していて、賞を取ったりもしていたのだが、やっぱりあの子たちには夏が似合う。
きらきら輝く水面、真っ白な砂浜。鮮やかな青に彩られた、7人それぞれの姿。
木製のデッキチェアに身を預け、ヤシの葉音に耳をすませながら目を閉じていたら、夏の子供たちの嬌声が聞こえたような気がした。
グアム最後の朝、スコールの後の空に綺麗な半円形の虹がかかっていた。12階のホテルの部屋からすごく鮮やかに7つの色が見えて、ああ、この島はいつでも夏なのだなあと改めて思った。
「Standing on the Rainbow 七つの舌を出せ!」と歌ったのは今はなきチェッカーズだったが(この歌は今聴いても泣ける!)、夏の子供たちである彼らにも、いつまでもずっと虹の上に立っていて欲しいと思う。
7つの色がばらばらになっても、虹はいつまでも虹だから。
97/11/11 内海光司派(「菊がさね」その10)
電波状況の悪い汚い画像の千葉テレビでカンジャニナイトを見ていたら、何だかよけいに「ナマ内海にはしばらく会えないのだなあ」と寂しくなってきてしまった。1月に次のお芝居がきまっている分だけ保険があっていいのだが、それでも「菊がさね」で毎日でも会えたことを思うと、寂しい。他の子のイベントにどんなに通っても、やっぱりそれとこれとは別だ。
で、ついつい行ってしまった後楽園遊園地。そう、ドン・チャック広場だ。ここがコンサートツアー最終地だと京都で彼が言ったから、何の意味もないのだが思わずデジカメで写真を撮ってきてしまったよ。我ながらバカだなあ(笑) ああ、このステージでもいい、彼が歌って踊る姿が見たいよぉ。贅沢な悩みかしら……。
↓ドン・チャック広場。ステージ上には「昇らないでください」の看板がある。
後ろに営団丸の内線が走っているのが見えるあたりがご愛敬(^^;)

それにしても、11月も10日を過ぎて、ようやく「菊がさね」のない日々にも慣れた気がする。やっぱ舞台のある期間というのは「そこに行けば会える!」って思うだけで幸せだよね。「行ければ会えるのに行けないー!」というジレンマに悩まされることも多々あるけども(笑) 仕事の空きを見つけて、家の用事の隙間を縫って、日比谷のゴジラに微笑みながらシャンテの前を通り抜け、入り口で係りの人にチケットもぎってもらうのがどんなに嬉しかったか。
歌いも踊りもしないお芝居でも、こんなに嬉しかったのだ。これがコンサートだったりしたら、もう天にも昇る気持ちだろう。いいよなあ、コンサートの1ヶ月連続公演。しかも1日2回とかあるの。うっとり。全公演行くのは無理そうだけど。その前に内海自身が持ちそうもないけど。いくら彼がタフでも、ちょっと無理だよね、さすがに(^^;)
菊がさねの中での疑問点は、「何で一広師匠が死んでから15年以上、家元の座が空白だったのか」ということだ。いったい誰が流派を守ってきたのだろう。スポンサーの大倉お父さんなのかしら。あいにくと私は、そういう芸事の心得が全くない無粋なヤツなので、あの世界ではよくあることなのかどうかわからないのだ。
でも、菊寿に身を引くことを頼む房子の言い方では、いますぐにでも治に襲名させたいような口振りだった。それなのに、実際に2代目を継いだのは15年以上経ってからだ。しかも、つい最近になってやっと治が弟子をとって教えはじめた、というような台詞まであった。どうやって流派を守ってきたのだろうか。
都一広派は、15年後の襲名でも立派に成り立っていた。でも内海光司派は、彼が歌って踊らなければ成り立たない。まあ、舞台のお仕事でも司会のお仕事でも、見るは見ますけどもね(^^;) でもやっぱ、踊って欲しい、歌って欲しい。切実なお願い。
そんなに無茶な願望でもないと思うんだけどなあ。
だからドン・チャック広場でいいからさあ。
97/11/02 道(「菊がさね」その9)
10/30 菊がさね千秋楽観劇
喜七郎が何に影響されてホテル経営をやってみたくなったのか、物語中では言及されていなかった。ただ、利恵冶ら芸者衆とともにつくりあげた第九の合唱と、その成功によって完成した新橋演舞場が、彼に何らかの心境の変化を与えたのは確かだろう。「この年になってやりたいことが出来た」と言っていたから、その前のエゲレス留学はいわゆる「遊学」で、特別の目的はなかったに違いない。彼は、利恵冶(とお葉)との出会いによって、自分の人生を見つけたのだ。
治は一途でけなげだ。恋に生き、それが破れたあとは、ただひたすらに芸の道を突き進んだ。才能と努力によって開花した彼女の芸は、その見事な行き方とともに、見ていた私たちの心を揺さぶる。治のために自らを犠牲とした菊寿の行き方もしかりだ。結婚という選択によって、治と自らの人生を決した房子のやりようも、ひとつの道だろう。最後には治を「姐さん」と慕うお葉もまた、様々な困難の中から自らの目標を見つけた。一広師匠も清元延寿太夫も、大倉喜八郎ですら、みんなみんな、後ろを見ずに自らの道を進んで、現在の地位を得ているのだ。
登場人物がみな前向きで、己の信じる道をひたすらに歩き続けている。
それが、この物語だったのだと思う。
東京宝塚劇場は、この日の公演で最後の幕を引いた。厳密にはまだ12月の歌劇団公演と1月のジャニーズ公演(……)が残っているが、一般芝居はこれが本当に最後だ。最後の最後が、こんな風な前向きな芝居でよかったなあと思う。
私は「恋風」で少し通い、今回ちょっとだけ多く(笑)通っただけだから、歌劇団のファンの方や「引っ越し大名」から見ていた方々に比べれば劇場に対する思い入れはないに等しいと思う。が、それでも私にとって「ひとつのお芝居を何度も見る」という初めての経験(笑)はここだった。「ここに行けば彼に会える」という幸せな何ヶ月かを体験させてもらった、思い出の場所だった。
私事だが、個人的にも今回、身の回りにさまざまな変化があり、劇場への通り道も日常生活の環境も、この1ヶ月の間に少しずつ変わっていった。お芝居を見ながら、私は私の道を選んだんだなあとぼんやりと考えていたこともある。忘れられない様々な思いを、この劇場と内海光司は、私に、くれた。
この小屋の形での「宝塚劇場」はなくなってしまうが、新しい劇場として生まれ変わる。
内海光司が喜七郎を演じた「菊がさね」はもう見ることができないが、私たちの心の中にはちゃんと残っている。
自らの道を見つけ、ひたすらにすすんでいく登場人物たちの前向きさと、このお芝居を取り巻いた様々な事柄を、私は一生忘れないだろう。
97/10/22 アドリブ(「菊がさね」その8)
いや、今日は行ってませんてば(^^;)
19日更新分の私の疑問に、たくさんの方が答えてくださった。教えてくださった方、ありがとうございます。よかった、私の幻聴じゃなくて(笑)
しかし、私の他にも「内海くんがアドリブ言うなんて、初めて聞いた〜」という方はいらっしゃったので、まんざら私の疑問も的外れなわけではなかったらしい。ほら、私、彼の過去の舞台って見てないからさ(^^;) 聞くところによると「引っ越し大名」なども、公演後半はかなりアドリブが出ていたそうだが、型にはまった演技しか記憶にないという友達も多い。やはりあの人はそーゆー人なのだなあと、ちょっとばかり遠くを見てしまった。
せっかく浜さんがネタ振りしてくれてるのだから、もっと臨機応変に、回転よく、答えられないものか。無理か。それが出来たら苦労はないな。出来ないところが内海光司なんだな、きっと。あ〜あ。でも大好きだけど(笑)
川中さんが「(喜七郎さんは)いぃい男だねぇ」というたびに客席から笑いがおきようとも、かっこいいものはかっこいいのだ。和服もスーツもモーニングも、踊る姿も歌う姿も、司会やってたって「わーい(*^^*)」と思ってしまうのだからしかたない。
どこがどう好きなのか、論理的に説明できないところが終わってるよなあ……(笑)
97/10/19 まぼろし(「菊がさね」その7)
10/19夜観劇。今日も当日券、3階席。
私の幻聴かもしれない。聞き違いかもしれない。勘違いかもしれない。だから、話半分で読んで欲しい。
今日、内海のアドリブを聞いた。芸者衆に第九を教えるシーンのラスト、退場直前。月が出ると犬がフンをしていいんですよねえというような浜さんの問いかけに、去り際の彼が「ダメ」と一言、言ったのだ。声自体はとてもかすかだったのだが、直後に浜さんが「ダメってのはないでしょう」というようなことを返していたので、たぶん彼はそう言ったのだと思う。あまり自信がないのだが。
もしかしたら、私が内海のアドリブを聞くのは初めてかもしれない。浜さんのアドリブに対して思わず素の顔で笑っていたりするのは見たことがあるが、台詞はいつも同じだった。言い方から立ち位置から抑揚まで、すべて。台本さえあれば、私だって同じイントネーションで読み上げられるぞ(笑)
今日はまた、お芝居のテンポがすごくよくなっていて、浜さんの間の取り方や藤岡さんの返し方などが少し以前と変わっていた。暗転の時にいつもよりもかなりうるさかったのはご愛敬だったが、内海の他のシーンがちぃとも変わらないのはよーく目立っていた。
それが、短いとはいえ、アドリブである。ほとんどマイクオフのような声であったが、台本にない台詞である。
やっぱり、幻かもしれない……。
幻のような映像が、鮮明に蘇った例もあった。和服である。いや、残念ながらあのシーンが復活したわけではない。パネル写真が出ていたのだ。
劇場表の当日券売場横の柱に、舞台写真がいくつか飾られていた。浜さんの名シーンばかりを集めたその写真群の中に、和服で正座の喜七郎くんがいたのである。
今日もまた変なラインがついていた髪が、この頃はまだ短かくてきりっとしている。背筋をピンとのばし、しなやかな指をきちんと膝にそろえて正座した姿。少し首を傾け、立っている浜さんを見上げるようにしてる姿がかっこいい。すごくイケてる写真だ。白い着物に濃いベージュのはかまと黒の羽織だったんだね。こんなにも貴重な映像になるとは思わなかったから、ちょっとうろ覚えだったよ。
何度も何度も幕前の廊下のシーンを見て、変更されたパンフレットまでこの目で見て、ようやっとあきらめがつきかけた頃にこの仕打ち。思わず写真の前に呆然と立ちつくし、「この期に及んで……」と呟いていた。通りかかったお嬢さんたちが「こんなシーンなかったよね」「前の舞台のやつじゃないの?」とささやき合っていたので、「いえ、初日にはあったんですよ、このシーン」と説明してしまった。劇場の人に「あのパネルの写真は販売しないのですか?」と詰め寄ったが、案の定、返事はつれない。眺めて眺めて、目に焼き付けるしかないのだろうか。もう二度と見られない幻のようなものだと思っていたから、写真とはいえ再見できたことを喜ぶべきなのだろう。
しかし、パンフレットからも削除されたシーンをパネルで飾るなんて、詐欺だよなあ。ネガがどこかにあるのかと思うと、よけいに悔しいよ(^^;)
劇場前でばったり会った友人(笑)に、私の幻聴かもしれないアドリブのことを確認しようと思っていたのに、パネルのショックですっかり忘れてしまい、そのまま別れてしまった。
この回をご覧になった方、私の耳が正しいかどうか、ぜひ教えてくださいませ。
97/10/15 かけ声(「菊がさね」その6)
本日夜観劇。今日は3階席。
後頭部の上から3分の2くらいのところで、彼の髪が折れていた。ちょうどその位置で、髪の流れが変わっていたのだ。3階から見下ろしていたので、とてもよく目立つ。あれはいったい何だろう、としばらく考えていてひらめいた。キャップだ。かぶっていた帽子を脱いだ直後、よくああいったラインが髪に残る。おそらく彼は、今日もキャップを目深にかぶって楽屋入りしたのだろう。
それに思い至ったとたん、あのスーツを着たままの彼が野球帽をかぶっている映像が浮かんで、思わず笑ってしまった。と同時に、仮にも役者ならブローくらいしろーと心の中で叫んでいた。前から横から後ろから、上からも下からも人に見られるのが舞台の役者だ。全身どこを見ても隙がないようにしてくれなければ困る。横アリや大阪城ホールやレインボーホールで、全方位の視線にはさんざん慣れているハズなのになあ。芝居も中日を迎えて、ちょっと気が抜けているのだろうか。いかんよ、いかん。もしほんとにそうなら、役者としての自覚が足りないぞ。
舞台が始まってから切りに行ってないのだろう。前髪も長くなってきていて、ちょっとうっとおしい。せっかくスーツの素晴らしい外見なのだから、髪型にも気を配ってくれないものだろうか。まあ、ラブジュニで髪がはねたまま出てきたこともあったから、それよりはずっとマシだが。
そういえばラブジュニは、今週も出番がなかった。このまま彼はフェードアウトしてしまうのだろうか。10月いっぱいはほぼ毎日この舞台があるし、1月にも佐久間良子さんの舞台が待っている。彼の休演日に合わせて収録してくれるほどジュニアくんたちは暇ではないだろうから、司会降板の可能性は高そうだ。今となっては、彼よりもジュニアくんたちの方が仕事多そうだしね(^^;)
いざそうなると、あの番組でも(←あっ(^^;))惜しくなる。毎週顔を見られるってのは、幸せだったんだなあ……。
メインの役者さんが決めるたびに、「浜ー!」「藤岡ー!」「川中ー!」「林ー!」「月岡ー!」とかけ声をかけていたおじさんがいた。初日だか5日だかにもいたが(同じ人なのか?)、今日はまた、かけ声のバリエーションが増えていて、「ブラボー!」「待ってました!」というのもあった。
ただ、内海光司には、かからない。ポスターに写真も載っているから、メインの役者と言っていいはずなのに。彼がひとりで「大変なことになったぞ、利恵冶」と決める箇所でも、おじさんは沈黙していた。
どうせなら、そういうかけ声おじさんが思わず声をかけてしまうような役者に、なって欲しいなあ。せっかく隣の席のおばさんが「まあ、スタイルいいわねえ……」とため息混じりにつぶやいていたのだから、そういう人たちを自分のファンに引き込むくらいの、素晴らしい芝居を見せて欲しいぞ。
「収録ができないから出ない」ではなく、 周囲のタレントや撮影現場が、彼に合わせてくれるような、ね。あ、デビュー当時はそうだったか……(^^;)
まあ、杜けあきさんにも声かかってなかったから、単におじさんは名字が読めなかっただけかもしれないけど(笑) 「杜」「内海」。ほら、他の人に比べて読みづらいでしょ?(笑)
97/10/14 お父さんと一緒(「菊がさね」その5)
10/12昼(「閣下!」が生声で聞けるA席)、10/13夜(劇場のちょうど真ん中あたりのA席)観劇。
13日はすぐ隣の通路をアツくんが歩いていったおまけ付き(笑)
13日、ベストの前あきが、ボタンになっていた。12日までは、ベージュのベストの前あわせから目にも鮮やかなマジックテープの白がのぞいていたのに。
12日は席の関係でよく見えなかったが、ことさらに違いには気づかなかったので、たぶん13日昼からの変更だ。公演一覧を見ると、12日夜の部が休演。和服の変更も、休演があった後だった。やはり舞台はナマモノ。休演の後には要注意だ。なんとなくだが、芝居全体の雰囲気も変わっていたような気もするし。
今日も夜の部が休演だ。明日、何か変更があるのだろうか。
ところで喜七郎くんは、親子でこの物語に関わっている。お父さんの喜八郎さんは、利恵冶の修めた一中節のスポンサーである大富豪だ。「オヤジも呼んでやろう」とか「オヤジに負けないように」とか、喜七郎くんの台詞にはけっこうお父さんが出てくるので、仲が悪いわけではないらしい。第一、どう考えてもエゲレス留学は親の金だろうしね。
ところがこの親子、同じシーンに出てくることがない。唯一、お父さんの米寿のお祝いの時に上手のそでですれ違うが、言葉を交わすわけでもない。加藤センセイとの絡みは、そりゃもうたくさんあるのに。
恋する青少年な喜七郎くんは、お葉さんの前では妙にシャイだ。橋のたもとで待ち伏せして、約束をとりつけてから嬉しそうに去る後ろ姿。振り返る笑顔がまぶしい。
加藤の前では、本人はいっぱしの青年実業家のつもりなのだろう。まだまだ「道楽息子」扱いだが、西洋文化至上主義の加藤に反論する姿は、なかなかに頼もしい。
「止めろ止めろ止めろ!」と利恵冶たち芸者衆を一喝する様は、かっこよかった。オヤジの七光りではあっても、芸者衆のスポンサーとしてのえばりんぼさんな姿が好きだ。育ちの良さゆえの一本気な性格がよく出ていたと思う。
お父さんと一緒の喜七郎くんがあったなら、どんなだったのだろう。なかなかに趣味人なオヤジであるからけっこう放任主義で、ちょっとよそよそしい感じの喜七郎くんが見られたのかもしれない。それとも、理解あふれる親ばかオヤジで、めちゃくちゃ甘えんぼな喜七郎くんだったかな? 麻布のカツブシ屋での奉公から始まる立身出世物語を延々と語り続けるお父さんと、「耳にタコだよ」かなんか言いながら、それでも嬉しそうな喜七郎くんてのも、いいなあ。
松田さんの喜八郎はなかなか味のある役だったので、ぜひお父さんと一緒の掛け合いも見てみたかったなあと思う。
それにしても13日、敦啓くんが見に来ていたのはラッキーだった。一度で二倍おいしかったかも(笑) 芸者衆の道中がすぐ横を通る通路際の席だったので、生敦啓も至近距離を歩いていったのだ。
終演後彼は、お兄ちゃんと一緒に遊んでくれたのだろうか(笑)
97/10/10 アンダーウェア(「菊がさね」その4)
本日昼の部で「水を一杯」の台詞はちゃんとあった。とすると、たまたま8日夜の部で、浜さんが台詞をとばしただけなのかもしれない。なんだ、そうなのか。ちぇっ(笑)
そんなわけで、8日の更新の内容は忘れてください(笑)
ところで、5日に見たときから気になっていた点がひとつ。例のなくなった和服(こだわるな、私も)の代わりの、料亭廊下シーン。喜七郎くんはベスト姿でいるのだが、白いシャツ越しに肩にくっきりとアンダーシャツのラインが見える。これはTシャツなのか、それとも下着なのか。私物なのか、衣装なのか。4回見た4回ともがまるっきり同じラインなので、あまりにも気になる。どーでもいいっちゃ、いいことなんだが。
女性陣はみんな和服なので、おそらくアンダーウェアにも衣装さんのチェックが入っているだろう。着物の後ろ姿に下着のラインがくっきりと出たら、みっともないからね。少なくとも、表に響かない類のアンダーウェアにしているのだと思う。
あの時代の男性が、どんな下着をつけていたのか、寡聞にして私は知らない。また、ああいったお芝居の場合、どの程度まで当時のままの服を身につけているのかも分からない。どうせ見えないんだからどうでもいいと、普段のままに衣装をつけているだけなのかもしれない。
しかし、だとしても内海光司がいつも同じようなTシャツを着て楽屋入りしているはずはない。とすると、あれは彼個人が用意した、それ用の衣装なのだろうか。他のメンバーがみんな前をはだけて衣装を着ていた時にも、かたくななまでにボタンをきっちり留めていた彼のことだ。楽屋で衣装替えの時に誰にも素肌を見せないための防御服なのかもしれない。スーツは替わっても下はずっとウイングカラーの白のシャツだったから、別にそんなの着なくても誰にも素肌は見られないと思うが。
それともやはり、衣装さんがちゃんと時代考証をし、「Yシャツの下にはこれよ!」と、彼に用意してくれている品なのだろうか。その方がいいなあ。あれが私服で、しかもアンダーシャツだったりすると、あまりにもオヤジテイストが漂いすぎるよ(^^;) かつてホワイトシアターのジョイコンの時、ばっと前をはだけた素晴らしい映像の中から現れたのが、オヤジランニングだったときのような脱力感があるもんなあ。あれは間違いなく私服だったのだろうが、今回はどうなのだろう。真相は闇の中だ。
そういえば、カーテンコールの時に投げる手ぬぐい。今日しみじみと見たら、3階に投げ入れている分は上着のポケットから1個だけ出していた。1階に投げていたのは手に持って出てきていたので、やはり遠投用の何かしらの工夫がされているらしい。もしや石でも包み込まれていたらどうしよう。何の関係もないおばさまとかにぶちあたって訴訟沙汰にでもなったらと、心配でならない。3階の分を受け取った方、どうか私に真相を教えてください(笑)
追伸:今日の夜の部、晃が見に来たそうだ。よりにもよって、私がBLITZで諸ちゃんと踊っていた時に。もう晃ってば気が利かない。どうして私がさんざん通ってるときに来てくれないのかしら(笑) まあ、諸ちゃんは超ハイテンションですごい楽しかったから、いいんだけどさあ。諸のライブについては、明日か明後日に感想アップしまーす!
97/10/08 水を一杯(「菊がさね」その3)
物語の途中で出てきた細かい小物や何気ない台詞が、最後になって重要な意味を持ってくるような演出が、私は好きだ。いわゆる伏線というやつだ。あからさまに形にすらなってなかったようななんでもない動作が、後になって重要な小道具として使われたりすると、思わず喝采を送りたくなる。
映画「ダイハード」の1作目、ブルース・ウィリスの奥さんがため息混じりに倒した写真立てが後で話の展開に関わってくるエピソードなど、「やられたー!」と思ってしまった。
「菊がさね」では、治と菊寿の夫婦扇子(今日の昼の部で藤岡さんは「オトメセンス」とおっしゃった(笑))がいい例だろう。夫婦の証として菊寿が贈った扇子を、別れてから後にも大切に持っているふたり。このエピソードだけで、ふたりが好きあったままでいたことが如実に分かる。菊寿の臨終のシーンももちろんだが、スポンサーである大倉の園遊会での舞いの時も、治はこの扇子を使っているのだ。何気ないことだが、治の心うちを綺麗に表しているエピソードだろう。
また、まだ子供子供した治が房子に借りた菊のかんざし。最後の最後でふたりの友情を託す小道具として使われ、実に効果的だった。
ほかにも「タコイカタマゴ」や、「明日もお天道様は昇るよね」といった台詞も、要所要所でぴりっと効いていてよいよい。治と菊寿の激しくも悲しい恋と、喜七郎とお葉のほのかな思いが、同じ「思い出をありがとう」という台詞で終わっているのも、心憎い演出だ。
こういうところが、私がこのお芝居を気に入った理由のひとつになっている。
ところで、初日に見たときから疑問だったシーンが、今日はひとつ解決していた。
第2幕第8場、最後の新橋演舞場の楽屋のシーン。治がお葉に向かって「舞台の前にはいつものように水を一杯ちょうだいね」というシーンがあったのだが、これ、結局何の意味のない台詞だった。お葉は水を持ってこないし、治はそれを催促せず、そのまま最後のステージになる。意味ありげだっただけに、???だったのだ。
この台詞が、今日はなかった。「タコイカタマゴ」のすし桶の話の後、すぐにかんざしの話になり、房子が出てきていた。この方がずっとすっきりする。
なまじ他の演出がきりっと効いているだけに、ほんのちょっとしたこんな台詞も気になるモノだ。
芝居のひとつひとつ、台詞のひとつひとつを、脚本家も演出家も役者も、おろそかにしてはいけないのだ。観客は、見るトコは見てるからね。
で、本日の僕ちゃんであるが、足が長かった(笑) いや、前の2回はA席の前の方で見たので見上げる形だったから長く見えて当然だと思ったのだが、今日は2回とも3階席だったのだ。
それなのに、とんでもなく長い。後ろに座っていたおばさんが「あら足が長いわね」と思わず呟いたくらい、長い。普通、俯瞰になれば少しは短く見えるモノだと思うのだが。ぴしっとプレスの効いたパンツが、タテのラインを強調してていいのだな。さすがエゲレス帰り。ロンドンのホテルには標準装備でズボンプレッサーがついていて驚いたものだが、紳士の国で鍛えられたおぼっちゃまは、やはり違う。毎夜加藤と一緒に遊び歩いていたときもああだったのだろうか。
改めてスーツの威力を認識したところで、舞台のありがたさをしみじみと感じた。普段の彼は、ああいう格好をしてくれないからね(^^;) まあ、ラブジュニでアレだったら、かなり浮くけどさ。
スーツで現れ、スーツで通し、スーツで去った喜七郎くん。これはこれで、彼の育ちと性格を表す的確な演出なのかもしれない。……和服は諦めきれないけどもね(^^;)
97/10/05 和服(「菊がさね」その2)
わーふーくー、はーかーまー、おーしゃーくー、てーくーびー……(涙)
初日からたった3日。それなのに、演出が大幅に変わってしまっていた。1場まるまる設定ごと変わるってのは、尋常じゃない。しかも、内海の見せ所のひとつがなくなってしまった。なんたることだ。
第2幕第5場。着物にはかま、羽織を羽織って料亭(割烹?)の窓辺に腰掛ける喜七郎。遅れてきた加藤の前に正座し、演舞場の建設について陳情しながら、お酌をする。はかまの裾捌きが、所作のいろいろが、ヅラなしの和服がステキステキステキーーー!と盛り上がった、あの場面。あれが、料亭の廊下での立ち話に変わっていたのだ。
廊下だから、もちろん和服でくつろいでなんかない。上着脱いでベストだったのはOKなのだが、足下スリッパで間抜けだ。お父さんが家元や師匠と一緒に飲んでいたお座敷のセットはなし、廊下という設定の幕前で加藤と立ち話。「忙しいからここで」じゃねーよ、加藤ぉぉぉ(涙)
それまでは、園遊会のシーンで、ひらひらと舞い落ちる桜が内海の左の肩口にひとひらとどまったのを見て、まあなんて風情があるの(*^^*)と思ったりして、ご機嫌だったのだ、私は。初日はもう、どっから出てくるかわからないのでわたわたしていたが、今日はちゃんと「下手のそでよ」と心していて、初っぱなから見られたのも嬉しかったのだ、私は。
それなのに、ああ、それなのに。
さりげなくはかまをさばく動作が見たかった。背筋を伸ばしてお酌をするしなやかな手首が見たかった。あれは初日(とその後ちょっと)だけの期間限定商品だったのね……。
しかし、芝居全体の出来としては、今日の方が断然テンポがよかった。他にも細かい変更がいくつかあったのだが、それが全部刈り込んだだけの効果をあげていて、見やすく、わかりやすくなっていた。
その問題の廊下シーンも、ステージ最前中央にひとりで立ち、「大変なことになったぞ、利恵冶」と見得を切るという、まるで主役のようなラストなのだ。この瞬間、川中美幸のシーンでひとり盛大に拍手をしていた斜め前のおばさんも、やたらかけ声をかけていた男の人も、遠足のように蜜柑のアミを抱えてた最前列のおじさんも、幕間でお弁当かっこんでた団体さんも、宝塚劇場にいた観客のすべてが内海ひとりを見ていたのだ。嬉しい。とても嬉しい。はかまで和服の所作をした後だったら、もっと嬉しかったなあ(^^;)
この調子では、楽日までにどんなに変わるのかわかったもんじゃない。やはりここは、通える限り通うしかないだろう。よかった、宝塚には1200円の席があって。これがニッセイだったりしたら、私は間違いなく破産していた。しかし、1月は帝劇。1200円はない。ああ、どうしてなくなってしまうの、宝塚劇場。ジャニーズ祭りなんてやってる場合じゃないってば。
「菊がさね」に関しては、他にもいろいろつっこみたい点はあったが、今日は和服消滅ショックで頭がいっぱいだ。また水曜に行くので、その時に思い出したことを書くこととしよう。
というわけで、『「菊がさね」その○』は、続くのだった(笑)
97/10/02 菊がさね初日
「神様、あの足の長い素敵な方はどなたなのかしら」「あれはね、君たちの大好きな内海光司くんだよ」「ああ、神様ありがとう! あの時代にダボダボなパンツを流行らせないでくれて!」
というわけで、本日は「菊がさね」初日の感想である。ネタバレアリ。これから感激……じゃない(笑)、観劇なさる方は、この先は読まないでくださいね!
浜さんの舞台は、初めて拝見した。そう、私は新参ファン。「たそや」も「引っ越し大名」も見ていない、内海光司の初生舞台は「恋風」だった女だ。あの時も、学生服にボーイさんの衣装で「うっきー(*^^*)」とお猿さんになっていたが、今回はもう、鼻血ふくかと思った(笑) 彼の衣装、どれもこれも大変に素晴らしかったのだ。洋行帰りのインバネスしかり、モーニングしかり、スーツも羽織袴もすべて、彼のスタイルの良さと足の長さをきっちりと分からせてくれる。これほど彼がカッコイイと思ったことはあっただろうか。あったな。踊ってるときだ(笑)
まあ、それはおいといても(笑)、髪を短くそろえ、いいトコのボンボン役の彼は、カッコイイ。すらっと高い背、長い足。仕草のひとつひとつがいかにも「お金持ちのおぼっちゃん」という感じで、上品系の男に弱い私はすっかりぼうっとしてしまった。猫背のあの人が背筋をぴんと伸ばして、お偉い政治家のセンセイとしゃべってる様なんて、くらくらしてしまったよん(笑)
それになんといっても、周囲の人と違うデッサンで描かれたようなスタイルの良さ。杜けあきさんとあの人だけ、本気で頭身が違うんだもん。舞台だと、テレビと違って遠目だからよけいにスタイルって目立つのね。いやー、びっくりしたびっくりした(笑)
しかし、良くも悪くも、あの人はあの人だった。ところどころに素のままの彼がかいま見える。テレビやコンサートでよく見るあの人の仕草やせりふ回しが透けて見えて、けっこう笑ったなあ。「ああ、内海さんだ!」と嬉しく思うと同時に、演技者としての彼には悪役とか汚れ役もやって欲しいと思っている私としては、ちょっとだけ物足りなかった。お葉ちゃんと別れるシーン、「結婚しよう!」と言わなくてよかったよ(^^;)
それにしても、浜さんの演じた治(はる)さんは、とても気持ちのいい女性だった。年の差をものともせずにひとつの恋を貫いて、それを失ってからは芸に生き、それでも相手のことを一途に思い、それをプラスにして生きている。いじらしくて健気で、思わずもらい泣きをしてしまった。せりふの間やギャグのテンポも素晴らしく、何でもない仕草でも会場の笑いを誘う。やっぱベテランは違う! どーせなら内海光司も、こういうセンスを学んできて欲しいモノだ。
相手役の藤岡琢也さんも素晴らしくお上手で、「背中で哀愁」を地でいっていた。特に最後のシーン、ずっと大事に持っていた夫婦扇を取り出したときは、よっしゃー!って感じだった。私、こういう小物の使い方の演出、弱いのよ(^^;)
杜さんは綺麗だし、川中美幸さんは元気で鉄火なおねーさんだし、月岡さんはさすが貫禄のお芝居だったし、ストーリー自体もおもしろかった。
内海光司はカッコイイしね!(笑)
このために会社の勤務形態変えて昼間にフリー時間作ったんだし(もちろん他にも理由はあるのだが(笑))、さあ、これから1ヶ月、私は何回日比谷に通うでしょうか?(笑)
そうだ、カーテンコールで内海光司が投げたおひねり(中身は手ぬぐいだとか)、私思い切りアタックして、前の席にはじいてしまった。彼がそこまで見てたとしたら、欲しくなかったと思われただろうか。また傷ついて、日記に書かれてしまったかもしれない。
単に私の運動神経が足りなかっただけなのだと、ここで言い訳しておこう。本人、見るわけないけどね(見てたらイヤだよ(^^;))