池田屋・六角獄舎跡 | 光縁寺・新徳寺 | 八木邸 | 壬生寺 | 島原 | 高台寺 |
光縁寺・新徳寺
ここから八木邸と壬生寺と 見学はできない前川邸と
この下の新徳寺は ほんま近くやねん。
光縁寺だけ少し・・・400メートルほど離れてるんかな?
ただほんまに まわりは普通の住宅街でさ・・・
道一本間違えたら 私はわからんようになると思う(爆)
人通りも車通りも少ないし・・・(^^;
下校途中の小学生とか ベビーカー押したお母さんが通っただけ・・・
旦那に 京都に引越ししよう!って言うて(笑) 即 却下されたわ(大笑)
だって だって 毎日壬生寺で遊びたいんやも〜ん!(大バカ者)
![]() |
光縁寺の山門 この門のもうちょっと横に新撰組の墓当山って碑が建ってる ねん。で、新撰組の墓参詣は玄関行って 100円払うんよ そこで住職さんのお話を聞くねんけど まず「はじめてですか?」 って・・・・ 何度も通ってくる人がいてるって事やんな?(笑) いやけど 私もリピーターになるかも?!(爆) そんで 住職さん、3人で行ってるのに 何故か私に向かって説明しはるねん・・・なんでわかるんや? お話では当時のままなんは この門と瓦くらいやそう(^^; でや?何か感じるかぁ〜?(笑)いやけどわたしゃ はぁ〜〜〜ここ総ちゃんくぐったん!?って 裏からも表からも 潤んだ瞳で(笑)見つめさせてもろたで(笑) 改修かなんかでさ 工事のおじさんと軽トラが写ったんが(涙) |
![]() |
これが山南さん他のお墓ですじゃ。 これもな 当時はここじゃなかってんて。今は線路に なってもうててな 移動したんやそう。 墓石は昔のまんまやで。 思ってたよりも墓地はこじんまりとしてて もちろん誰も いなくて 静かーーーでしたわ。 ここで ドロンパさんに 「えっ!お墓も写真撮るの?!」と言われました私。(笑) 「もっちろんさ〜〜〜♪」 山南さんと言えば ここのお寺の山門の瓦の紋と 山南さんの家紋が同じだそうで (見えにくいが上の写真 の まるまるって並んでるとこ) 『丸に右離れ三つ葉立葵』 で、その瓦の小さい奴 文鎮?として1000円でした。 いや これは買わなかったけど。 ここでも「えっ 一反さん 買っとかんでええん?」って 聞かれましたわ(大笑) 山南さんファン?(^^)の人は買うんかなぁ〜〜〜? |
![]() |
これは上の三つのお墓の横にある 問題の?(笑) 沖田総司縁者の墓。 (だから写真はよせって?(爆)) いったい誰なんでしょね〜? 最近読んだ本では 子持ちの年上の女性って説も あるんやとか。 でもこれは当時の記録から 昭和51年に光縁寺が供養の ために建立したものやから この前に総ちゃんが来た事はない・・・と。 あっと言う間に(ほんま狭いし 他に見るとこないし(爆)) 墓参詣はすんで あと本堂にも上がってもいいって お話やったから 上がってきました。 んで ノートやら読んで書いてナンバー103番やったわ。 書きながら ああ 私もとうとうここまで逝ってもうてんな〜って 再確認したね(大笑) で、そこに書いてあった100番に貼ってあった 総ちゃんのプリクラ・・・ってのを見て 私達もチェック!(笑) いや〜〜〜なんかこれどこのおっさんやねん!? ってな人やったよな・・・ウケタ ウケタ。 ここにはな 本棚があって 過去の記帳ノートやら 新撰組関係の書物が置いてあって 自由に読んでええように なってるんよー。 1日ず〜っと篭もって 本読んでてもええんかな〜? 私達がそうしてる間に 1人だけお兄ちゃんが入ってきたわ。 リピーターかしら?(^^) |
![]() |
ここが 浪士隊を集めて 清河八郎が演説ぶっこいた 新徳寺 ここは 前川邸と一緒で中には入られへんねん。 けど ものすご〜く趣があってりっぱな山門でした。 これも 当時のまんまなんかなぁ〜? |
池田屋・六角獄舎跡 | 光縁寺・新徳寺 | 八木邸 | 壬生寺 | 島原 | 高台寺 |