今週の映画、バックナンバー 2002/05/01 更新





『楢山節考』


5月2日(木)〜5月4日(土) 20:45〜
5月5日(日)           10:00〜
5月6日(月)           20:45〜
 銀座シネパトス (日本映画レトロスペクティヴ1950’s)


1958年、日本、松竹
監督、脚本:木下惠介 原作:深沢七郎
出演:田中絹代、高橋貞二、望月優子
98分、カラー、シネマスコープ


<ストーリー>
昔、信州のある村では、70歳になった老人を楢山に姥捨てする因習があった。まもなく70歳になるおりん(田中絹代)は、息子の辰平(高橋貞二)の嫁に玉やん(望月優子)を世話し、冬の楢山参りの日を待つ・・・。


深沢七郎の原作の映画化で、1983年の今村昌平監督によるリメイク作品はカンヌ映画祭のパルムドールを受賞。この1958年の木下恵介監督版は、監督の遺言でビデオ化はされておらず、テレビ放映も去年CSで初めて放映されただけ、劇場で上映されることも滅多にないという作品なので、『楢山節考』といえば今村昌平版の方を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。
で、どちらの作品が優れているかといえば・・・、今村昌平ならではのエネルギッシュな映像が圧倒的な流石のパルムドール受賞作品も、民話の世界から抜け出して来たような木下作品にははるかに及びません。
この2つの作品の相違点はというと、そもそも今村監督がリメイクをした目的は、木下版が大船撮影所のスタジオ内に築いた信州の山村のセットでほとんどすべて撮影されたのに対し、リアリティを追求するためにオールロケで撮影することと、木下版にはなかったセックスの要素を追加することだったそうです。それ以外の部分は、ほとんど同じと言っても差し支えないほどです。
木下版は、映画のオープニングのタイトルバックが舞台の幕で、それが開いて映画が始まるように、舞台劇の作りになっていて、それは映画のように精密でなく作りもの丸出しの奥行きのないセットにも表われ、カット割りも少なく激しくないカメラワークも劇場中継を見ているようです。さらに音楽はナレーション代わりの長唄や浄瑠璃などの邦楽(全然詳しくないので、間違っているかもしれない)が使われているといった具合です。

では、その木下版のどこが素晴らしいかというと・・・、すみません、実は良くわからないんです。
クライマックスの楢山参りのシーンも、息子が母をおぶって画面を横切って行くだけなのに、何故かこみ上げてくるものを強く感じてしまうのです。
カメラワーク、音楽、さらにそれらが組み合わさった映画のリズムが完璧、と言ったところで、この映画の素晴らしさは全く伝わらないでしょう。
何とかがんばって説明すれば、セットで撮影したことにより悲惨な話の悲惨さが薄れ、映画全体に美しさが漂っているからでしょうか?
だから、いやというほど泣かされるのに、くどさとか安っぽさとかはちっとも感じず、映画の中の人がきっちり生きていることの美しさに涙するように感じられるのです。

これぞ正に、言葉では説明できない映画ならではの素晴らしさで、だまされたと思って観てください・・・と、決まり文句以上のことが何も書けないのが情けないのですが、本当にそんな映画です。


『肉弾』 2001年9月16日(日)


東宝ビデオ


1968年、日本、ATG=肉弾を作る会
監督、脚本:岡本喜八
出演:寺田農、大谷直子、雷門ケン坊、仲代達矢(ナレーター)
116分、白黒、スタンダード


<ストーリー>
1945年8月、21歳の「あいつ」(寺田農)は、本土決戦に備える対戦車特攻隊員になる前日の24時間だけの休暇に女郎屋に行き、そこで女学生の「うさぎ」(大谷直子)と恋に落ちる。そして翌日から海岸の砂丘に掘ったたこつぼの中に爆弾の入った箱といっしょに入り、1人でアメリカ軍の戦車が上陸して来るのを待ち続ける・・・。



8月15日という日付(もちろん1945年の)にこだわり続ける岡本喜八監督の、その集大成といえるこの映画は、ひと言でいえば「狂っている」映画。「あいつ」をはじめとする候補生たちは、食事も満足に与えられず、腹がへるあまり牛のように反すうするようになり、倉庫から食べ物を盗んだ「あいつ」は、豚のように品性下劣だから豚のように福を脱げと言われて、全裸で訓練する日々が続いたら、出動を命じられたとたん「神さま」になって、お供え物を口にする、といった具合で、自分の置かれている状況を真剣に考えたら、理不尽なことの数々に辛くてとても正気ではいられない。だから、そんな中で「あいつ」も狂わされて、疑問を感じることに対しても深く考えずに「たいしたことはない」と流したりする。佐藤勝のほのぼのとした音楽が流れるこの映画は、狂ってしまえば苦しみから逃れられ、いろいろなことが楽しく見えてくるような感じを受ける。「うさぎ」だって、化け物のような女郎しかいない遊廓にあってウソのように可憐なのも、「あいつ」頭がどうかしてしまったのかもしれない。海岸で、漁師の息子たちの竹やり部隊が3人の従軍看護婦たちを強姦しているところが、因 幡の白うさぎを皮を剥がしている鮫の話に当てはめられ、悲惨なはずの場面が神話の1シーンのように見えるのも。もしくは、看護婦たちが襲われているのを楽しんでいるのは、彼女たちも狂っているからか?

主人公がナレーションで「あいつ」と呼ばれているように、この映画には人の名前がほとんど現われない。これは、国などの大きなレベルの狂気によって踏みにじられる名もなき人たちの映画である。「あいつ」は決して清廉潔白な人間ではなく、死ぬ前に女を買い、愛する人を守るためなら国に命を捧げようと思い、空襲で死んだ人たちの仇を討とうと考えるような、普通の感情の持ち主である。でも、その普通の感情というのが、大きな狂気によって狂わされてしまったものである悲しさが、この映画では実に良く描かれている。

それにしても、人間というのはなぜ多くの人々を不幸にするような狂気に走ってしまうのか? 自分の考えが正しいと思ったら、それに反する人をやっつけたいと思い、さらにエスカレートして宗教とか国家理念とか、頭の中で勝手に神聖なイメージを作り出し、それを守るためにあらゆる手段をつくすことこそが聖なる行為だと思い込む。断言するが、そんな神聖なイメージというのは、ごう慢な人間が頭の中で作り出したものでしかなく、そんなものはこの世のどこにも存在しないのである。あるとすれば、それはむしろ人間が生命を授かってこの世に生まれ、ごく普通に暮らす生活の中にこそある。だから、聖戦だとか正義だとか国の誇りだとか威信だとか、殉教だとか英雄だとか英霊だとか、自分たちには神がついているとか我が国は神の国だとか、普通の生活のレベルから大きくはずれたそんな理想などというものは狂気でしかないのである。

最後に、この映画のラストの台詞から。

  うさぎー! じゅうごやー!
  ねずみのばかやろー! うさぎのばかやろー!
  ばかやろー!ばかやろー!ばかやろー!


『緋牡丹博徒 お竜参上』 2001年9月7日(金)


9月9日(日) 16:00〜
10月3日(水)18:30〜
11月1日(木)15:00〜
 フィルムセンター
 (日本映画の発見VI:1960年代(2)


1970年、日本、東映京都
監督:加藤泰
出演:藤純子、菅原文太、安部徹、嵐寛寿郎
100分、カラー、シネスコ


<ストーリー>
明治時代、かつて関わった女賭博師の遺児を訪ねて浅草にやってきたお竜(藤純子)は、そこで鉄砲久(嵐寛寿郎)一家の持つ興行権を悪どい手口で奪い取ろうとしている鮫州政(安部徹)一家と対立していく。



1960年代からの東映任侠映画の中の代表的なシリーズである、藤純子(現在、富司純(すみ)子)演じる緋牡丹のお竜が主人公の「緋牡丹博徒」シリーズの6作目にして、同シリーズの代表作と言われている作品です。

ストーリーは毎度おなじみの、人情に厚い極道の主人公たちが、対抗するやくざの組のひどい仕打ちに耐えに耐え、ついに最後に殴り込みをかけるというもの。この映画でのクライマックスの藤純子と菅原文太の殴り込みの立ち回りは本当に素晴らしく、藤さん本人によれば運動神経が全くないというのが信じられないほど。迫力があるだけでなく、結った髪を乱しながらもドスを構える姿が美しい。

高倉健の映画を観て映画館を出ると、歩き方が健さんのようになるといったことがよく言われますが、これは観終わって、♪むすめーーざかーりをー♪と主題歌を口ずさみ、ドスを逆手に構えて「死んでもらいますばい。」と言いたくなるような映画です。

なお、シルクハットをかぶった若山富三郎が突然現れるシーンがありますが、シリーズを最初から観てない人には正体不明の男がいきなり現れたようにしか見えなかったとしても、とりあえず気にしないで下さい。

去年の増村保造、今年の鈴木清順と、60年代に活躍した監督の作品が脚光を浴びる中、この映画の加藤泰監督をはじめ、この時期の日本映画には捜せばまだいくらでもお宝がゴロゴロとありそうです。


『バロン』 (The Adventures of Baron Munchausen) 2001年8月25日(土)


8月29日(水)13:30〜15:30 テレビ東京


1989年、英
監督:テリー・ギリアム
出演:ジョン・ネビル、サラ・ポリー
カラー、ビスタサイズ、126分
二か国語、カット


<ストーリー>
18世紀、トルコ軍にまさに攻め落とされようとしているドイツの町の劇場では「ほら吹き男爵の冒険」を上演していた。そこに本物のミュンヒハウゼン男爵(ジョン・ネビル)が現われ、本当の冒険談を舞台で語りだすが、観客はほら話としか思わない。男爵は座長の小さい娘(サラ・ポリー)と共に包囲された町を気球で抜け出し、かつての家来たちを捜して町を救うために帰ってくることを誓う。



一大センセーションを巻き起こした『未来世紀ブラジル』に続いてテリー・ギリアム監督が世に送り出したのは、「ほら吹き男爵の冒険」を原作に、自分の小さな娘にも楽しんでもらえるような、イマジネーションにあふれた超大作。しかし、この映画は興行的に失敗し、作品としても失敗作と言われていました。というのも、この映画の製作費は当時映画史上最高額の5千万ドル(75億円)であったにもかかわらず、この壮大なストーリーを映像化するにはそれでも足りなかったようで、特撮はは雑な感じの仕上がりで、場所を次々と変えていく展開も先走ったような印象で、大作らしいどっしり感に欠けていました。とはいえ、失敗作というのはあくまで「テリー・ギリアムにしては」で、そこいらのちょっとした傑作なんかより、はるかに楽しくて素晴らしい映画です。

『バロン』は大笑いするほどの楽しいシーンと、ウットリするような美しいシーンが数多く現われる映画で、1つ1つ挙げていくのはきりがないのでやめますが、私がこの映画を劇場で観たときに、最初の方で男爵が戦争の原因となった出来事を劇場の舞台で語る場面が一瞬にしてトルコの後宮での回想シーンに変わる鮮やかさにびっくりし、男爵が大砲の弾に掴まって敵陣まで飛んで行き、敵の弾に飛び移って戻ってくるところで、腰が抜けたようなへなへな状態になってしまいました。たまにこういう気分にさせてくれる凄い映画を観ちゃうから、映画を観るのがやめられないんですよね。その後、月の砂漠を船で進んだり、宇宙空間を星座のクジラが泳いでいたり、ボッティチェリのヴィーナスの誕生を実写で動く映像で再現したりなどなど、この発想の豊さには圧倒されっぱなしです。

前作の『未来世紀ブラジル』に続き、「つまらない現実より、楽しい空想」のこの映画は、前作より楽しくなっているので、空想世代の子供たちにも、かつてそうだった大人たちにももってこいの映画。ノーカットでないのは残念だけど、吹き替えなので夏休みの子供たちに特にお薦めです。


ストーカー』 (СТАЛКЕР (Stalker)) 2001年8月18日(土)


8月18日(土)14:30〜
8月21日(火)19:00〜
8月22日(水)14:00〜
 三百人劇場(千石、東京)にて、特集「ロシア映画の全貌2001」



1979年、ソ連、モスフィルム
監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作/脚本:アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー
出演:アレクサンドル・カイダノフスキー、アナトリー・ソロニーツィン、ニコライ・グリニコ
カラー、スタンダード、163分


<ストーリー>
あるところに突然、どんな武器をも寄せつけない「ゾーン」と呼ばれる場所が現われる。そこは厳重な立ち入り禁止区域になっているが、ゾーンの中心部に行くと願い事が叶うため、「ストーカー」と呼ばれる案内人に連れられ、警備を突破して危険なゾーンに行く人々がいた。ある日また、ひとりのストーカー(アレクサンドル・カイダノフスキー)が、作家(アナトリー・ソロニーツィン)と物理学者(ニコライ・グリンコ)を連れてゾーンの中心を目指す。



実はこの映画、今週の1本どころか、私にとっては生涯の1本なのです。そんな映画に対し、これから毎回こんな但し書きを付けなければならないことがなんとも心苦しいのですが、ストーカーという言葉はこの10年ぐらいの間に、日本では犯罪者まがいの人をさすものとして、すっかり定着してしまいました。ですから、この映画のことを何も知らない人は、タイトルだけを見てサイコ映画だと勘違いされることが多くなりそうなのが残念でなりません。「Stalker」を英和辞典で調べると「忍び寄る人」となっており、この映画では危険が潜むゾーンへの案内人を指しているのです。発音も、アクセントが「トーカー」にくるのではなく、「トー」にくるのです。

でも、この映画の監督であるアンドレイ・タルコフスキーの名前を知る映画ファンなら、彼の作る映画がどんなものか想像出来るので、たとえ未見でもそんな勘違いをすることはないでしょう。これは、”映像詩人”と呼ばれた彼の手による、まさに詩のような映画なのです。もうこれだけでこの映画の素晴らしさを語るのには十分だと思うのですが、映画を詩的なものとして高めていき、映画表現の頂点に達した彼とその作品は、どんな映画作家も寄せ付けない唯一無二の存在なのです。

はっきり言ってとても難解な映画なのですが、この後に作られるタルコフスキー作品の「ノスタルジア」「サクリファイス」と合わせて、勝手に「祈り三部作」と呼んでいます。

『ストーカー』のおおまかな流れは、妻と口のきけないひとり娘を抱えたひとりのストーカーが、作家と物理学者の二人を連れてゾーンの中心を目指すというもので、3人ともそろって生活に疲れたような中年男たち。そうした重苦しさを感じさせるシーンはモノクロで映し出され、一転それがカラーに変わったとき、カラー映像の暖かさと、さらにそこにストーカーが他の2人に数々の詩を朗読してやることで詩情をかきたてていくところが、この映画の一番の見どころです。映画が始まってしばらくの間モノクロの映像が延々と続くのですが、3人がゾーンに入ったところで初めてカラーになり、ゾーンに着くなりここは自分の場所とばかりにストーカーが草むらに埋もれて横たわるところなど、観ていて身がとろけそうになってしまいます。モノクロとカラーの使い分けの的確さもさることながら、映像的にはタルコフスキーの特徴であるゆっくりとしたカメラワークと、おなじみのアイテムである水や風などの自然現象、特に3人が水辺に横たわるところの水面のゆらぎや、クライマックスで降り注ぐ雨など、心にしみ渡るものばかりです。

もう1つ、タルコフスキー映画に欠かせないアイテムが大型犬で、この映画での黒い犬は特に重要な役割を演じています。それは、この映画を語る上で欠かすことのできない、あまりにも衝撃的なラストを見れば(正確には、聞けば)わかるでしょう。ラストシーンの衝撃度でも、他に類を見ない映画です。


『悲愁物語』 2001年8月5日(日)


8月8日(水)〜8月10日(金) 21:00〜 銀座シネパトスにてレイトショー

1977年、日本
監督:鈴木清順、出演:白木葉子、原田芳雄、江波杏子、他
カラー、シネマスコープ、93分


<ストーリー>
美人プロゴルファーのれい子(白木葉子)は、ゴルフとタレントの両方で成功し、住宅地に弟と住むための新居を建てた。しかし、彼女に嫉妬を抱く近所の主婦らが彼女を陥れていく・・・。



今年の上半期に行なわれた鈴木清順監督の2つの特集上映、67年までの日活時代の作品の「鈴木清順レトロスペクティヴ」と、80年以降の荒戸源次郎製作による大正三部作の「DEEP SEIJUN」は、どちらも大盛況だったようで、相変わらずの清順監督の人気の高さを物語るものでした。『悲愁物語』は、この2つの特集のどちらにも取り上げられなかった作品で、この2つの時期の間に作られた唯一の作品です。

「わけのわからない映画を作る」という理由で67年の『殺しの烙印』を最後に日活をクビになった清順は、結果的に10年間映画を撮れなかったのですが、この間清順監督の日活時代の作品が上映されると熱狂的に受け入れられたそうです。(それ以降、清順ブームが現在まで約30年間続いているということか?) そして『悲愁物語』は、前作の『殺しの烙印』がすごくカッコ良くてとてもユニークだっただけに、それに続く新作はどんな映画だろう?と,いやが上にも期待が高まったようですが、出来上がったのはその期待をはぐらかすような、何とも珍妙な映画で、拍子抜けした人も多かったようです。私の感想としては、平凡な人たちの「出る杭は打つ」という行為はかなり恐いし、家の内部のセットやそこで繰り広げられることの見せ方に清順らしさを見ることができます。

観る者の勝手な期待などケロッと裏切ってみせる鈴木清順監督。今年公開予定の『ピストルオペラ』は、オムニバスの1話を監督した93年の『結婚』からは8年ぶり、長編作品としては91年の『夢二』以来10年ぶりになりますが、果たしてどんな映画なのでしょう?


『アルゴ探検隊の大冒険』 (Jason and the Argonauts) 2001年7月30日(月)


8月1日(水) 13:30−15:30 テレビ東京

1963年、英
監督:ドン・チャフィ、特撮監督:レイ・ハリーハウゼン、出演:トッド・アームストロング他
カラー、105分、(放映:2か国語、カット)


<ストーリー>
ギリシャ神話の「アルゴ船の遠征」の映画化。王位を奪われたジェーソン王子(トッド・アームストロング)は、幸運をもたらす黄金の羊の毛皮を求めて旅立つ。



クレイアニメの『チキンラン』と同様に、人形を少しづつ動かしながら1コマづつ撮影し、更にそれを実写と合成する「ダイナメーション」という手法により、有名な人間対ガイコツ軍団の剣闘シーンをはじめとする特撮シーンがふんだんに見られる作品です。特撮を担当しているのは、この道の第一人者のレイ・ハリーハウゼンで、7月30日から1週間にわたって、テレビ東京の同じ時間帯に彼の作品が以下のように放送されます。

ダイナメーションは『ジュラシック・パーク』('93 米)でも使うことが検討されたのですが、実写で動くものを撮影すると、1コマの中でその動きがブレて写るのに対し、コマ撮りでは止まっている人形を撮るのでブレず、その違いのため映像にリアリティに欠けることが問題になって、結局はCGによる特撮が全面的に採用されることになったのでした。

ダイナメーションは現実に存在しない物を本物らしく動かしてみせる技術としては、CGの技術が出てきた今ではもはや過去の技術で、新しい映画の技術がそれまで見たことのない映像を作り、それが人々に驚きを与える。この「驚き」こそ人々の映画に対する期待の中のとても大きなもので、ダイナメーションもデジタル技術もそのための技術としては同等のもの・・・、ということは十分理解できるのですが、手作りの映像の作り手に対するような仕事ぶりを讃える気持を、何故かデジタル技術での映像の作り手たちには持てないんですよね。誰かがある映像を作ると、同じシステムを使って多くの人が一斉に真似をして、あっという間に陳腐になってしまう、というのが原因の1つでしょうけど、やっぱり機械で作ることに対する抵抗を無意識に持ってしまうものなのでしょうか?


『戦争のはらわた』 (Cross of Iron) 2001年7月21日(土)


7月21日(土)〜7月23日(月) 新文芸坐(池袋、東京)にて上映(ワールドシネマコレクション 世界の映画作家たち、同時上映:『真珠湾攻撃』(監督;ジョン・フォード))

1977年、西ドイツ=英
監督:サム・ペキンパー、出演:ジェームズ・コバーン、マクシミリアン・シェル
カラー、ビスタサイズ、133分


<ストーリー>
第二次世界大戦、ソ連軍に攻め込まれているドイツ軍の中で、スタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)率いる小隊は、上官のストランスキー(マクシミリアン・シェル)の裏切りで退却を知らされず、ソ連軍の背後に取り残されてしまう。彼らは、味方の陣地を目指して進んで行く・・・。


ペキンパー監督といえば、『ワイルドバンチ』の「死の舞踏」と呼ばれているラストの銃撃戦の壮絶さが有名ですが、この映画での戦闘シーンもそれに負けず劣らずです。血しぶきを飛び散らせながらバタバタと打ち殺されたり、スタイナーが銃を連射して薬きょうが飛び出すところなど、ペキンパーの得意技であるスローモーションを多用して映し出される映像は、壮絶であることこの上なく、弾の1発1発が重く感じられるほどであるのですが、彼のそうした映像は「バイオレンス美学」と言われているように、またこの上なく美しいのです。そして、この映画はあらゆる人々に襲い掛かる戦争の非情さと、そうした状況でも自分の信念を持って生きることの誇り高さを描いています。この映画の最初と最後い流れる唱歌の「ちょうちょ」(元はスペイン民謡)が見終わった後に単なる童謡とは思えなくなってしまうほど強烈な印象を残す映画です。

出演者も、上の2人の他にジェームズ・メイスン、デビッド・ワーナーと、渋い男らしさを発揮している面々ばかり。特に私が密かに注目しているデビッド・ワーナー(この表記、”うぉーなー”のほうが正確だと思うが、ワーナー・ブラザーズという会社がある以上”わーなー”になっちゃうんだろうな)は、ペキンパーの『わらの犬』にも出演していて、他には『オーメン』のカメラマンから、最近では『タイタニック』の執事まで、脇でも何か印象に残る役ばかり。というより、『トロン』の悪のソフトウエア役や、『バンデッドQ』の悪魔メークの悪役など、どんな役でも演じてしまうタイプの人なのですが、『戦争のはらわた』のいつもタバコをふかした副官役は本当にかっこいいです。

(おまけ)同時上映の『真珠湾攻撃』は未見なので内容は触れられませんが、現在公開中の同じ出来事を元にした映画とは別モノなのは確かでしょう。ついでに、真珠湾攻撃を扱った他の映画といえば、
 『ハワイ・マレー沖海戦』(’42 日)
 『地上より永遠に』(’53 米)
 『トラ!トラ!トラ!』(’70 米=日合作)
 『ファイナル・カウントダウン』(’80 米)
などです。


『おとし穴』 2001年7月8日(日)


7月08日(日)〜7月11日(水)、16:15〜
7月12日(木)〜7月14日(土)、18:45〜
7月20日(金/祝)、18:45〜
 ユーロスペース(渋谷、東京)(ニッポンの前衛 勅使河原宏、6/30〜7/20) 
7月25日(水)、18:30〜
 フィルムセンター(京橋、東京)



1962年、日本、勅使河原プロ
監督:勅使河原宏、原作・脚本:安部公房、出演:井川比佐志
白黒、97分
キネマ旬報ベストテン7位


<ストーリー>
炭鉱の村で、男(井川比佐志)は突然殺され幽霊になってしまう。生きている人たちには姿も見えず声も聞こえなくなってしまいながらも、自分が何故殺されたかを探ろうとする。


今年の4月に惜しくも亡くなった勅使河原宏監督による初の長編映画で、ATG初の日本映画。また、安部公房の原作と脚本、武満徹の音楽の組合せによる最初の作品で、この後『砂の女』('64)『他人の顔』('66)『燃えつきた地図』('68)と続く。この頃の勅使河原監督作品には「前衛」という言葉がつきものなのですが、砂丘に掘られた穴の中の家に監禁させられる『砂の女』といい、事故で火傷を顔に負い、整形手術で別な顔の男になる『他人の顔』といい、ストーリーの発想の良さにまず惹きつけられる映画で、決して難しくて面白くない映画ということはありません。そして、『おとし穴』のさびれた炭鉱の風景、『砂の女』の砂だらけの背景、『他人の顔』の都会的な風景(この頃の60年代の都会的な日本映画って、現在の都会が舞台の映画よりはるかにモダンでかっこ良く見えるのは何故なんだろう?)など、いずれも映像がとても印象的です。

これらの中で『おとし穴』を選んだのは、現在上映中の『みんなのいえ』の出演も注目されている田中邦衛が、全身白づくめのクールな殺し屋で、確か台詞もなしの異色の役どころで出演しているから。五郎や青大将やモノマネでの彼しか知らないとしたら、この映画で彼の幅の広さを知ることになるでしょう。


アスパラガス』 (Asparagus) 2001年7月2日(月)


6月30日(土)〜、シアター・イメージフォーラム(渋谷、東京)にてレイトショー(21:00〜22:15)上映、併映:他2本のスーザン。ピットによる短編アニメ

1979年、アメリカ
監督・作画・撮影:スーザン・ピット
カラー、18分
ASIFAニューヨーク1987年度最優秀作品賞

<ストーリー>
アスパラガスのうんこをする女の家の窓の外には、巨大なアスパラガスが生えている。その家の一室には、その家そのままのドールハウスがあり、その中のその部屋の中には、さらに小さいドールハウスがある。女は劇場へ行き、舞台裏で持って来たかばんを開けると、もやもやした物が劇場いっぱいに飛び交う。女は家に戻って、アスパラガスを口にくわえる。


なんでもこの映画、デビッド・リンチの『イレイザーヘッド』との2本立てでニューヨークで公開されたそうです。

上のストーリーを読んでもピンと来ないでしょうが、この映画はいわゆるアートアニメなので、ストーリーは無いと言ってもいいです。で、アートと言うと引いてしまう方もいるかもしれませんが、これはつまり何も考えずに画面を見ていればいい映画ということです。ついでに台詞もないです。

ファンタジックでエロティック、悪魔のように繊細で天使のように大胆な((C)黒澤明)その映像は、1度観たら忘れない、くせになりそうな映画です。


『拳銃は俺のパスポート』 2001年6月23日(土)


6月28日(木)〜29日(金) 新文芸坐(池袋、東京)にて上映

1967年、日本、日活
監督:野村孝、出演:宍戸錠、ジェリー藤尾、小林千登勢
シネスコ、白黒、84分

<ストーリー>
殺し屋の上村(宍戸錠)は、依頼された親分の狙撃に成功し、弟分の塩崎(ジェリ−藤尾)と共に飛行機で海外に逃げようとするが、空港には既に追っ手がいた。彼らは船で逃げようと、横浜の港のそばの船員相手の小さいレストランに身を潜めるが、やがてそこにも追っ手が迫り・・・。


この映画のタイトルは、「拳銃」と書いて「コルトはおれのパスポート」と読みます。

ジリジリと追っ手が迫る中、ジェリー藤尾が焦りの表情を見せるのとは対照的に、宍戸錠はどこまでも冷静沈着でとにかく渋い! へたな役者が演じたらたちまち嘘っぽくなってしまいそうなキャラクターなのですが、それを宍戸錠が貫禄十分の演技で魅せてくれます。

そして、この映画の見どころは、何といってもラストの広大で見渡す限り何もない埋立地でくりひげられる対決シーン。走りながら、そして転がりながらショットガンや拳銃を撃つ宍戸錠のかっこよさといったら! そして、敵の一味が乗っている1台の防弾仕様の車。助手席には銃の腕前が宍戸錠と並ぶ程の男。その車が宍戸錠に向かって突っ走り、助手席からは銃弾が発せられる。それを仁王立ちで銃を構え迎え撃つ錠。彼はこのまま車にひかれてしまうのか・・・と、あとは見てのお楽しみですが、これは映画史上最高のアクションシーンの1つと言っていいでしょう。

ところで、1人と1台の車の対決といえば、三池崇史監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』('99 日本)のラストもそうで、あれも場所は埋立地のような所でした。あの映画のラストはご存じの方も多いでしょうが、脚本では完成品と違って普通の撃ち合いだったそうで、ひょっとしたらこの映画のラストのようになるはずだったのかも。確かにあのラストも良かったのですが、『拳銃は俺のパスポート』を観てしまうと、本当にかっこいいものをパロディがしのぐなんてことはまずない、と思ってしまいます。


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