『週刊読書人計画』2002

587 2002/4/19

プリズンホテル 冬

浅田次郎

 厳冬のプリズンホテルに、あの浅田氏をして原稿用紙の上でパンツを脱いで踊ったと語る『きんぴか』の救急救命センターの婦長、「血まみれのマリア」こと阿部マリアが登場。二万人の患者と向き合い、血の海の床の上で這いずり闘い五千人の死を見届けたあのマリアがプリズンホテルに。浅田は自ら作り出した最高のキャラクターを、何とやくざだが男気溢れるホテルの面々と真正面から向き合わせてくれるという、願ってもない最高の舞台設定を、シリーズを飛び越えて我々に見せてくれたのである、なんとも粋で贅沢なはからいではないだろうか。小説家先生木戸孝之介も、お清を連れて、殴る蹴るは最後は山中に埋め置き去りにしようという凄まじくも屈折しきった愛を子供の石つぶてのごとくぶつけてくる。

 終末医療で安楽死させ係争中の医師平岡、なんとこの男10年前にマリアに求婚した御仁でもある。さらに従業員の英雄たるアルピニストが少年の命を救い、忽然とホテルに登場。あじさい山岳会の面々にもはや悶絶死手前の熱狂がもたらされるが、あくまで山の男としてシニカルな姿勢をみせ、ラストで己が振るうハーケンの金属音が山あいに深く潔く響き渡るとき、プリズンホテルの客も従業員も皆等しく人間の生と死と、人生の単純と深奥を思い知らされるのであった。この落としては高みに引き上げ、笑わせておいて泪の底に沈ませる、まさに登場人物が、物語が活き活きと躍動する、全篇ノンストップ・ストーリー。とにかく読みさすことが出来ない面白さ、いつまでもこのホテルに投宿していたいと思うのは私だけではないだろう。

(集英社文庫)

586 2002/4/11

ブルキナ・ファソの夜

櫻沢順

 『ブルキナ・ファソの夜』、題名からして期待を持たせてくれるものがあり、私は書店で見るやすぐに飛びついた。どうやら随分旅行業界に通暁しているようだ、きっとビジネスから思いもよらぬモダン・ホラーの世界へ連れ去ってくれるのだろうと急ぎページを捲った。うむ、なかなか経済小説のような前振りから進展しないな、とQなる会社の不思議なツアーが浮かんでくる。神が一瞬だけ垣間見せる人知を超えた世界、それを求め狂奔するうちに、ブルキナ・ファソという北アフリカの空港で、不思議な宝石商との遭遇で、岩間から現出する奇跡の光景と遂に邂逅するのであった。強欲な読者はさらなる刺激と次の展開を期待したが、主人公は神の領域への侵入を人間の横縞な欺瞞とし、あれほど固執した栄達への道を捨て会社を辞める。そして時は彼を再び旅行業者に誘い、小さな旅行会社でいきいきとした自分を見出していく。その社長は久良木といい、頭文字はあの「Q」であったことに気づく。さあこれから、というときに短編は無常にも幕を閉じる。語り口、プロット、どれをとっても破綻がなく、安心して字面を読める力量の作家だとはすぐに判読できるが、惜しむらくは何か突破口が欲しかった。ブルキナ・ファソの夜が蜃気楼であったかのように、せっかくの力がフォーカスし切れなかった恨みが残る。本編がホラー短編大賞ではなく佳作に甘んじたのも残念ながらうなずける。

 『ストーリー・バー』、書き下ろし短編だが、こちらは短編なのなかの劇中劇であるかのような、ショートホラーのアンソロジーで、好感が持てる語り口だ。バーであっても酒場のバーではなく、ストーリーを客に聞かせて酔わせるという風変わりなバーが舞台である。作り話にいつしかのめり込み、現実と虚構の境界はいつしか脆く瓦解し、迷宮のなかに取り込まれ二度とこちらへ帰れなくなった友人。ラストはかなり引き込まれ、ぐいぐいと迷宮に引き込まれそうな感覚に襲われ、あたかもストーリー・バーの客であるように楽しめた。 次を中篇以上のボリュームでみせて欲しい作家である。

(角川ホラー文庫)

585 2002/3/6

ハリーポッター アズガバンの囚人

J.K.ローリングス

 前2作で、すっかりホグワーツの世界に嵌りつつあるわたしは、いよいよポッターの出生とその身辺の数奇な出来事が明らかにされていくストーリーに、今回もいとも簡単にからめ取られた。いっぺんにマグルを13人も殺した凶悪犯シリウス・ブッラク。アズガバンに幽閉され、死よりも苦痛な空虚をもたらす死の監視人ディメンターから逃れ、ブラックがポッターに悠揚迫りくる。2作目の勧善懲悪的対決とは異なる、ポッターの内なる精神世界の凄まじい闘いを見ることとなり、作者ローリングスも言うとおり、だんだん読者にかなりの推測、判断、総合的な読解力が求められるようになってきており、ポッターとともに子供たちの成長も織り込んでいくような、緻密で飽きさせないストーリー・テーリングに子供もも大人も、魅了されているのだろう。

 このシリーズの学校・寮生活、とりわけ魔法学に必死に取り組む生徒や、テストや、個性豊か過ぎる先生、さらにはクディッチ戦の見事な活写など、英国エリート校のジョンブル魂の醸造過程はかくあるのかと思わされる確たる基底が、魔法界を舞台とした安手の作りに堕せさせない、作者の構想力と、子供らへの慈愛の目でなる本シリーズは、単なるブームで片付けられない作品へと進化と深化を遂げつつある。 (静山社)

584 2002/2/16

ハリーポッター 秘密の部屋

J.K.ローリングス

 小学6年の娘と、『ハリーポッター』を本牧マイカルで見てきたが、賢者の石で想像していたホグワーツの世界を裏切ることなく、いやそれ以上の素晴らしいこの魔法界の御伽噺に魅了されてしまった。2歳の娘はさすがに映画館に入れられず、ショッピングで時間を潰してもらっていた妻にはすまぬが正直こんなに楽しめるとは思いもよらなかった。小6娘はそれ以来、ますますポッターにはまり、現在出ている3巻を実に4回以上も繰り返し読み込んで、細部にわたり知悉しているようで、いやはや早く読め読めと催促されること、これまた嬉しい悲鳴。読んだら読んだで、いちいち「じゃークイズね」と、デルフォマルコイの子分の名前はだーれだ、だとか、杖の先に灯りを灯す呪文はなどときちんと読んでいるかチェックを受け、筋だけざっと読んでそれだけでご馳走様のわたしは殆ど答えられず、記憶力の低下か、健忘症かといちいち気になるのである。

 ともあれ、ジュブナイルとはいえ500ページ近くの本を何度も読み返し、読後の感想を娘から求められるようになろうとは。ついこの間まで、寝しなに「かさじぞう」だの「おむすびころりん」なんぞを聞かせていた気がするのになー。今娘の部屋はポッター役のダニエル・ラドクリフのポスターやら下敷きやら、さながらポッターの館の様相だ。本書の感想?前作にも増して、いや映画でますますハーマイオニーやらロンのイメージが定着したせいか、あるいは前作で多少魔法界に踏み込んでいたせいか、いともたやすくローリングスマジックに、クライマックスの対決まではまりこんでしまうでしょう。 

(静山社)

583 2002/1/14

コンセント

田口ランディ

 精神病による幻視か、異常な感応力による霊界とのコネクトなのか、兄の不可解な衰弱死が、ユキの身体感覚に異常をもたらす。死臭−、初めは何気ない空気に微細な死の粒子を嗅ぎ取り異常臭覚を危ぶみ、やがて死んだはずの兄が視界の隅に捉えられるようになり分裂症の進行かと恐怖し、かつてのゼミの大学教授の心理カウンセラーを受けようと10年ぶりに研究室を訪れる。そこはユキにとっては恋焦がれ転移し、みごとに関係崩壊していった教授との猥褻に埋め尽くされた甘く懐かしいの禁忌の場所であった。兄のなぞの死を解くキーワードともなってきた「コンセント」。

 コンセントに繋がれた時だけ現実世界と意識通話する少年の映像が、兄のコンセントのなぞのキーコンセプトとして浮上し、偶然キャンパスで出会ったゼミテン、今は講師の律子や山岸によってユキの感覚的ボルテージはいよいよ高まっていく。ユキの身体的異常もいよいよ迫る中、ついにユキは、兄は閉じこもって死を待っていたのではなく、自己解放の愉悦に溺れトラップする術を身につけ、そしてついにこちらの世界へ帰還できなくなったことを知る。めくるめく奔放な展開は、まったくオカルト小説なのか、女流エロ小説なのか、デビュー作の抱える危うい均衡のなかにもかかわらず、あっという間にランディの世界に引き込まれ、現代的シャーマンの化身であるユキとランディが激しく交錯し、ユキの爆発的トラップの終局へと猛スピードで駆け昇っていく。ラスト3ページは果たして蛇足か。終盤読みながら、こういうエンディングも実は予想していた気がしてならない。

 『スカートの秘密』で淫乱菩薩として光臨した女史は、世界と繋がる偉大なるコンセントを具有し、今もなお「究極の世界=振動」を文字通り全身全霊で捕らえ、強く激しく性による救済の恍惚と嗚咽のオーラを発光しているのだろう。世界が見えたと言わしめたコンセントが、次なるステージ『アンテナ』にどうアクセスしていくのか、ユビキタスへのカウントダウンがはじまっている現実世界を遥かに超えた世界を見せてくれるであろうと期待する。

(幻冬舎文庫)

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