『週刊読書人計画』2001

582 2001/12/10

へなちょこ探検隊  屋久島へ行ってきました

銀色夏生

田口ランディの『ひかりのあめふるしま 屋久島(幻冬舎文庫)』に対して、夏生的屋久島の解釈をみたくて読んでみた。結果−、やっぱり銀色夏生はどこまでも夏生のまんまだねー、良い悪いじゃーなくて。世界中にちょこちょこ行っている夏生の視点は、もしかしてもっとも精密なアベレージだったりして。ランディと夏生の屋久島、どちらも正真正銘の屋久島なんだろうきっと。あまりにホイチョイ安楽的紀行に思わず(好意的)笑いが出ちゃうなこれ。 (幻冬舎文庫)
581 2001/11/30

旅で会いましょう。

グレゴリ青山

笑っちゃいけない、真面目な小旅行の記。ウラジオストック行きのアンディーのプロフェショナルな求愛にマルグもたじたじ。漫画に騙されているのは読者ばかり、マルグって本当はいい女?今回はマルグの旅の七つ道具まで大公開。『旅のグ』の滅茶苦茶なボルテージからちょっと落ち着いた「レディーのまるグ」ってことにしておこう。(メディアファクトリー)
580 2001/11/16

ベトナムで見つけた

杉浦さやか

さやか、ひろみのベトナム小物ショッピング道中の記。あの近藤鉱一のこよなく愛し書き尽くそうと燃焼したベトナムの地で、ふつーのふたり連れ女性がベトナム人と値切りながらショッピングにいそしむ。もうとうにベトナム戦争は終わっている筈なのに、こういう乙女チックなイラストに彩られたベトナムのかわいいお店の紹介の羅列に、いまだ驚愕の思いを覚えざるを得ない活字旧人類。 (詳伝社文庫)
577 2001/10/2

ひかりのあめふるしま 屋久島

田口ランディ

仕事、酒と不節制を極め人間関係で鬱屈しかけていたランディーが、自らもっとも似つかわしくない場所と恨み、嫉妬していた「海」。わざわざ湘南に住まいながら、若者どもの嬌声に舌打ちしていた彼女がついに立ち上がる時がきた。その場所は「屋久島」。TVで時々登場する屋久杉と年中雨が降る小さな島、くらいしか想像できない所だが、初めて彼女は訪れてから、完全に魅了されたようだ。最もアウトドアから極北の位置にいると思い込んでいたランディーは、自らの「海」への憧憬から回帰を勝ち得、深い深い森の木霊を全身で受け止めるに至った。清冽な水の粒子が肺腑に流れ込んでくるような、旅本というよりも屋久島そのものの体験記。ランディーの力量や恐るべし。(幻冬舎文庫)
576 2001/9/12

天才アラーキー写真ノ方法

荒木経惟

インスタント・カメラで、ポラロイドで撮って撮って撮りまくるアラーキー。洒落を飛ばしながら、実に情感漂う写真の連射。翻ってぼくもこの夏EOS100から9年ぶりにEOS7に切り替え、さーと意気ごんで速射に挑んだものの、前からEOSに対して疑念といおうか不安を抱えていた、AFが肝心要のときに合焦しないという欠点が、この最新型EOS7も抱えていたとは、これまさにショック。子供のこの瞬間という時、シャッターが降りないこの悲しさ。天を仰ぎ、地団駄を踏んでももう遅い。AUTOに任すとこの有り様なので、視線入力を辛抱強くおこない、AFを自ら鍛えなおすしか方法はないのだろうか、EOS7のユーザーの方、ほんとに問題ないの?もっぱらオリンパスのデジタルカメラに擦り寄ってきたカメラ親父。 EOSD30並みのデジタルカメラが10万円で買えるようになったら、銀塩とおさらばするつもりだ。してアラーキーはどーなったかというと、一度写真展に行ってみっか。 (集英社新書)
575 2001/9/7

スカートの中の秘密の生活

田口ランディ

すかさずランディ第2弾を打ち込むと、それはそれは女傑さまのお通りでーぃであった。いやこれぞまさに愛と性の菩薩さまの赤裸々な御宣託だ。ネットの女王だったとかそんなこたーこちとら知ったこっちゃないけど、とにかく面白い奴が出てきてくれて嬉しいねー。題名もおとなしくしたそうだが、やっぱこれは『淫乱菩薩』のタイトルのまんま出して欲しかったな。本当は三部作を買いにオーロラシティーまで行ったんだけど、そちらはこれからのお楽しみってことできょうのところはこれにてお開き。(幻冬舎文庫)
574 2001/9/2

忘れないよ!ベトナム

田口ランディ

ひっさびさの大ホームラン。銀色夏生のつれづれノートに「田口ランディ」なる固有名詞が登場し、さっそくこいつを手に。「うーむ、痛快!」。メコン河を来る日も来る日もベトナム人観光ガイドを乗せて自ら漕ぎまくるなんて、日本人女性いや男性も含めいままでそんな御仁いただろうか。いやはや久々に旅本のフィールドで、これは!という大鉱脈にぶつかって思わず快哉。グレゴリー青山と組んで旅をしたらどーなるんだろうかと、創造は膨らむが。ま、とにかくとことん読んでやるぞい、ランディ。(幻冬舎文庫)
573 2001/8/28

東京下町殺人暮色

宮部みゆき

主人公13歳八木沢順。この中学生がまた本当にいい味出してくれている。下町に刑事の父とお手伝いのハナと越してきた順が、近所でバラバラ死体事件に遭遇する。さっそくクラスの悪友と探偵もかくやの捜査に乗り出していく。黒いターゲットは世間に背を向けたかのような老画家東吾。そんなおりまたもや別の死体が。展開のテンポといい、少年の一途なキャラといい、読んでいて実に気持ちのいい作品だ。おっとりすすんでいるかのようにみえる解決への歩みが、最終局面で俄然アップテンポになり、スリルと緊張感を一気に高めてくれる。いや実にサービス精神旺盛なストーリーをご馳走してくれるものだ。少年と老画家の再生への爽やかな誓いが嬉しい。 (光文社文庫)
572 2001/8/19

我らが隣人の犯罪

宮部みゆき

軽妙な語りくちで始まる『我らが隣人の犯罪』。平凡なタウンハウスでうるさいスピッツを飼う隣人にいっぱい食わせようとしたところから、宮部の素晴らしいストーリーテーリングが始まる。中一の男の子と、共犯の叔父がさながら名探偵もどきの逞しさをも披露する、このどこも血なまぐさい話が、なんとも現代的な良い雰囲気を醸し出している。『この子誰の子』にこれまた出てくる男の子の、突然見ず知らぬの女が家に飛び込んできて、それも赤ん坊を抱えてあれやこれや指図するなんとも奇妙な闖入者とのかけあい。男の子は戸惑いながらも、もしや血の繋がった妹かも、と女の狂言に引っかき回されながらも赤ん坊に限りない親しみを抱いていく。さもありなんと思わせる設定でありながら、物語のシーンにすっかり嵌ってしまっている。妙に切ない思い抱かせるこれまた秀作。全篇とも流血の惨事はみつけることは出来ないけれど、まだ幼き主人公たちが知恵と勇気で、大人の頑迷さを跳ね飛ばす『サボテンの花』にみられるように、ひ弱なだけでは片付けられない現代っ子のしたたかさ、愛情深さも見事に描きだす宮部の手腕に感嘆。 (文春文庫)
571 2001/8/16

スナ−ク狩り

宮部みゆき

恋人に裏切られた女関沼慶子の復讐劇。宮部にしては長編ものではあるが、何かちょっと平板な感じが否めない。いきなり結婚式場にライフルを持って復讐に身をやつす女の姿が映し出され、これはこれはと思うのだがその後の展開があまり私の思うところでは正直なかった。辛うじて慶子を慕う男が最後に溜飲を下げる活躍を見せてくれる場面が、サスペンスのオプションとして用意されているので救われているのだが、どうもいつもの宮部の人物彫琢の凄みがでておらず、いまひとつ物語への肩入れが出来得ないのだろうとひとり合点する。(光文社文庫)
570 2001/8/3

白夜行

東野圭吾

 いつしかわたしは唐沢雪穂と桐原亮司とともに、太陽ともつかぬ虚ろな薄明のもと、いつ果てるとも分らぬ長い長い道のりを、深い嘆息を洩らしながら歩きつづけていた。読後にこれほどの時間の流れをずしりと感じさせる作品に、いままで出会ったことがあったでろうか。質屋の経営者が殺された事件現場に端を発し、老刑事笹垣の執念によって解き起こされていくこのなんとも切ないドラマは、雪穂と亮治の成長とともに、数々の疑惑と謎の行動に読み手は翻弄され幻惑されながら、いよいよふたりの人生の暗渠の迫真へと連なっていく。

 小学生、中学生そして高校卒業後へと時代は流れ、雪穂の美しすぎるマスクには艶然とした凄みと毒が見え隠れするようになり、彼女の近辺に身を潜め、決して太陽とまみえずにドラマと並走する亮治の決意の生き様が、底辺で不気味で哀切に色どられた軋みの調べを穿ち続ける。場面が切り換わるごとに、人物彫琢と、展開の妙に驚かせられるが、ふたりの背負う蹉跌は、小学校時代の雪穂の母親事故死に纏わる疑惑に、そして亮治には父親の、すなわち冒頭の質屋殺しの真相究明に遡らねばなるまい。単なる推理小説でもサスペンスでもない、畢竟東野圭吾による、もう二度と戻ることの出来ない人生の白夜行路を見せつけられた思いだ。 

(集英社)

569 2001/7/30

自由に至る旅

花村萬月

 オートバイの旅ねー。それよりぼくのイメージの花村はつるりと剃り上げたスキンヘッドおやじだったのに、オートバイに跨る長髪の筆者写真に、知られざる顔を垣間見た感じて、こちらの方が本書内容より失礼ながらよほど刺激的だった。自由に至る旅、これがオートバイときたもんだから、なんか却って俗っぽくて身がはいらんかったね。こいつを乗用車、1ボックスじゃー最低ね、なんの変哲もないセダンあたりでふらふら放浪するというのをぜひ読んでみたいねー。そうセダンのなかで2年くらい暮らしながら無闇に走る、うーむこれぞまさしくスノッビズムではないかな。(集英社新書)
568 2001/7/28

OUT

桐野夏生

 直木賞受賞作『柔らかい頬』で、桐生夏生の筆致力の圧倒的力量に戦慄を覚えたが、本作『OUT』では、ラストにむけての凄絶な展開と描写力の凄さにノン・ブレスで臨まざるを得なかった。導入部のべんとう工場に深夜勤務する様々な生活背景を抱えた主婦たち。一見なんの変哲も無い生活描写にもかかわらず、各人各様が抱える問題や考え方が見事に書分けられており、いっきにこの世界に入り込んでしまった。一番ひ弱く若くどじな主婦が、ささいなボタンの掛け違いから惹き起こしてしてしまった夫殺し。その罪を隠蔽することに協力したその瞬間から、その綻びは予想外の展開をみせていく。

死体の隠蔽工作のため、なんと自宅の風呂場で運び込んだ死体を、約束とはいえ実行に移す雅子の不気味な意志力。運命はその瞬間に、次から次へと驚愕の事態をもたらし始める。シーンごとに各人各様を襲う痺れる様な思考と遮蔽の渦の中で、雅子の身辺に悠揚ならざる死の刃が差し向けられてくる。この1ページ1ページに漲る緊張と弛緩の絶妙な掛け合い方は一体なんだろう。そのテンションは増幅するも一切手綱を緩められることなく、遂に本性を剥き出した刺客との、言語を絶する死闘の局面を迎える。

このスピード感、感情の嵐のような咆哮、肉体のエロチックまでのリアリズム、何をとっても息つく暇など読者に与えてはくれはしまい。この衝撃の一作が女性作家のい手になるとき、巷の野郎作家のバイオレンス・クライム・ノベルはちんけなちんぴら暴力私小説として絶命してしまったことだろう。ぜひ壮絶的この作品を手にして欲しい。 (講談社)

567 2001/7/12

チーズはどこへ消えた?

スペンサー・ジョンソン

 ネズミたちの消えてしまったチーズを探す寓話に仮託したビジネスまたは人生の指南書のつもりの書。そういえば野村監督が阪神就任の初めての年の春季キャンプ前に選手全員に読ませたとか。結果は言わずもがなかな。無論本が悪いんじゃない、ペナントはどこへ消えた?を読むべきだっただけのことだ。 

(扶桑社)

566 2001/7/9

鳥葬の山

夢枕獏

『柔らかい家』のぬめぬめずぼずぼとした薄気味悪い掻痒感。ここから始まり『頭の中の湿った土』で、ぐすぐすと時間の経過とともに崩壊していく自分の様、虚無への引導が渡されるころ表題作『鳥葬の山』が肉体の骸を破って骨にまで食い込んでくる。このインドの鳥葬を題材にした寓話形が死者を葬る様の夢枕風アレンジで、この異様な世界に一気に呑み込まれ、その場の目撃者であるかのように立ちすくむ。

いや短編でここまで異形の世界を見せてくれるとは。SFタッチの『超高層ハンティング』もサイバーバイオレンスの原型を楽しませてくれるいかした作品だ。正直いままで夢枕獏氏をやや胡散臭い作家だと決め付けていた自分にビンタ。 (文春文庫)

565 2001/7/6

タッチ、タッチ、ダウン

山際淳司

いまは遺作としてしか読むことが適わなくなった山際順司の作品。アメフトに生きる燃焼感を見出す男達。氏のいつものように明快な文章は、いつどんな気分のときでも不思議とすーっと入っていける稀有な本だ。そんな氏の、ルポとりわけスポーツに焦点を当てたスポーツルポルタージュの新作をねだることが出来ないとは未だに信じ難い。一瞬こそが永遠に連なるのか、永遠はその一瞬のために用意されていたのか、人生の光と影、ひとぎりの栄光と地平に長々と横たわる何の変哲もない日常を、新鮮な驚きと人生のスタンスへの圧倒的パースペクティブをもって、感動と哀切を存分に味あわせてくれた氏。これから先は、一冊一冊を丹念に噛み締めていくしか他はあるまい。

 (角川文庫)

564 2001/7/4

本所深川ふしぎ草紙

宮部みゆき

 江戸の片隅で必死に今を生きていくお店(たな)者たちの、哀切感にあふれた文章を辿るうちに、胸の奥がつんと詰まってくるのは何故だろう。下町で何の名を成さず汗する正直者たちの真摯な生活を脅かす影に、回向院の茂七親分が今夜も一肌脱いで立ち向かう。第三話『置いてけ掘』の妻子を残し逝ってしまった男の哀しみ、第六話『足洗い屋敷』の人殺しの鬼女を本当の母のように慕う娘。鬼のような女でも幼い頃の貧乏の辛さがゆえ、悪夢のような足洗いのお化けに夜毎襲われる。これほどまでに慕い敬う子供を裏切り、お店の金品を根こそぎさらおうとする執念に、永遠に満たされない幼きころの渇望が見え隠れし、居た堪れない話となっている。

 深川七不思議を題材とした全七話とも、一貫して宮部みゆきの勧善懲悪で片付けられない世間の掟に、慈悲と一途な愛情模様が様々につむぎだされ、下町人情に深く向き合える素晴らしい時代小説作品郡。 

(新潮文庫)

563 2001/7/1

春画

椎名誠

椎名のモノローグのようなトーンで占められる、作家椎名の小さな棘が指に刺さったかのような妻との行き違い。作家は仕事場にいつしか籠もり、そこから派生し去来する回想シーンは、いつに無く重いトーンだ。母は形見としてなぜ椎名に春画など遺したのあろうか。少年時代、青年時代が虚構と現実の時空を駆け巡るが、作家の出口はいまだ見えない。 (集英社)
562 2001/6/29

島、登場。 つれづれノート10

銀色夏生

 なんと今回は、島に移り住む計画を着々と実行しているではないか。昨年のつれづれ9はなにかどよよーんとした雰囲気を醸し出し、最後のページで、イカちんについては、もうわかった・・・という最後通告的な言葉で締めくくられていたが、よもや占いに従って、ここまで突き進もうとは、いや、もうその行動力に脱帽。宮古島の海の見える素敵な閉鎖空間。そここそが現在夏生が望む誰の干渉もうけない地上の楽園ということか。かんちゃんを転校させる計画で下見もし、イカちんにはお好きにどうぞと言い渡し、さっさと土地の契約まですませた夏生。来年の『つれづれ11』の春ころ、宮古島からのたよりになっていることだろう。

 母しげちゃんの100円焼き芋、なかなか安くて美味そう、納税できるようになるといいのだが。毎度破天荒な銀色一家。さくぼうにかかわる文章は、うちも天音が産まれ、リアリティーあふるる描写に、思わずニンマリ。その天音も1歳半、モニャモニャ、ムニュムニュ盛んにはなし、訴えかけてくる今日このごろ。休みの日、あやなとあまねを連れて、いつもの何の変哲も無い公園で、シャボン玉をひと吹きすればたちまち風景も一転。木々の緑は冴え渡り、風さえもやさしげに通りすぎる、じつにチープな楽園が現出する。そう、楽園はそこここにあるのだ。 

(角川文庫) 

561 2001/5/10

羊たちの沈黙

トマス・ハリス

レトリックを敢えて呈すれば、『ハンニバル』と相前後して通しで読めたのは幸運だったと。なにしろ『羊たちの沈黙』から11年を経て、ようやく次作とはいかに寡作な作家の作品とはいえ、辛抱しきれるものではなかったろうから。 クラリスとハンニバル・レクターとの奇妙な精神の懊悩を横切る交流の始まり。そうだったのか、と逆さまに読み出した私は膝を打つ、「羊たちの沈黙」 の由来を知り。遥か前にTVでオンエア―されたときは、単なるホラーサスペンスものとして、暗視ゴーグルで暗渠のなか追い詰められていくスターリングの姿だけが衝撃のエンディングとして頭に残っていた。が、こうして文字を追うことで、その凄みがさらに増幅し甦ってくる。

連続婦女誘拐殺人者バッファロウ・ビルの毒牙にかかったのは、上院議員マーティンの娘キャザリン。すでに6人を殺し、女性のスキンを着る事に、いよいよ偏執的執念と熟達をみせてきた犯人は、随喜の涙を流しながらいよいよ「理想のスキンの女性」の仕上げに取り掛かろうとする。一方、記憶の宮殿に閉じこもり永き自己満足の眠りを覚えていた最大警戒監視下のハンニバル博士の精神を覚醒したのは、他ならぬクラリス・スターリングであった。ハンニバルはチルトン博士、上院議員、FBIら秩序そのものを嘲笑うかのように、捜査線を混乱せしめ、遂には宿願の脱走、自由なる世界まで掌中にするのであった。

映画のシーンがフラッシュバックされるとはいえ、迫真の描写にブレスも忘れようといもの。そのハンニバルから天啓のごときヒントを得たクラリスは、もうタイムアウト寸前のなか、努力と不屈の精神で、ついにバッファロウ・ビルの魔窟の土牢を探し当てていく。
遺体から発見された蛾の精緻を究めた科学分析、専門的心理学用語の濫逸、FBI訓練生の厳しい日課までが事件の究明とともに錯綜し、、どの文節で区切っても、緻密で溢れる臨場感を伴なって、捜査線上にわれわれをクラリスとともに否応無く駆り出していく。もし本書を200頁まで読んで、敢えて読みさす忍耐力をもった読者がいたら、ぜひお目にかかりたい。(新潮文庫)

560 2001/4/16

ハンニバル  下

トマス・ハリス

果たして上巻の第二部フィレンツェで心胆寒からしめた怪物ハンニバルは、しかし後半は一転してFBIでの一層の窮地に陥っていくクラリスに恋慕する、貴族趣味の一途な初老の男の様相を帯び出していくのには驚かされる。繰り返しフラッシュバックされる、レクターの幼き妹ミーシャの糞溜めに転がっていた乳歯の悪夢。どんな責め苦にも微動だにしない記憶の壮大な宮殿を保持するハンニバルにあって、彼をして悲鳴をあげさせる、唯一拭い去ることの出来ない深い深い哀しみの傷。その傷を、ミーシャに取って代われる場所をクラリスに希求し、彼女の誕生祝いのワインを贈らんとするレクター・ハンニバルはマーケット駐車場でメイスンの罠に陥る。

金に飽かせ偏執的執念深さでレクターを追いつづけた異形のメイスン。豚に手足を、肺腑を食われんとするレクター最後の視界に飛び込んできたのは、その愛して止まないクラリス・スターリングが45口径を打ち放つ光景であった。第4章以降は、凄惨な連続殺人犯というより、宇宙の始源を思索しバロック音楽に通暁する哲学者の横顔としての、ハンニバルが浮き上がり、おどろおどろしい血の惨劇はすっかり影をひそめ、わが掌中に落ちようとする天使クラリスを慈しみ、亡き父への愛憎半ばするカルマからの離脱を導く導師のような振る舞いにトーンは染め抜かれ、エンディングを迎える。

ハンニバルを凌駕する巨悪は存在する、などという単純な図式を持ち出されたのでは余りにも悲しい。これをもって肩透かしとみるのか、T・ハリスが望んだ幕引きそのものなのかは、またまた『羊たちの沈黙』、『レッド・ドラゴン』に遡って読み解いていくしかあるまい。なんと楽しい宿題を与えてくれたことか。映画では、仰臥したまま人工呼吸ごしにラヂオのような音声を繰り出していたメイスン・バージャーが、車椅子で動き回っているそうな、こちらももうひとつの大きな楽しみでもある。 

(新潮文庫)

559 2001/4/7

ハンニバル 上

トマス・ハリス

ワシントンDCで完膚なきまでにFBI捜査官としての名を貶められたクラリス・スターリング。失意のどん底に喘いでいるとき、ハンニバル・レクター博士から突然の手紙がもたらされる。皮をはがされ、人間の容貌を垣間見ることすら不可能なほど不気味な姿に成り果て、人工呼吸器でようやく生命を維持しているメイスン・バージャー。巨万の富を背景に、執拗にハンニバル生け捕りの復讐を企てる。FBIならずとも世界中が注視するその第一級警戒下の連続殺人犯ハンニバル・レクターは、フェル博士として、深く静かにフィレンツェに沈着しようとしていた。

だが世界中に復讐のネットワークを張り巡らせているメイスンの警戒線に、ついにハンニバルの所在が浮かび上がってくる。フィレンツェを舞台に、フィレンツェ警察主任パッツイー、誘拐のプロカルロの手がもう少しでハンニバルの喉元まで指がかかろうかという時、ハンニバル・レクターの哄笑がヴェッキオ宮殿に木魂する。15世紀の祖先とまったく同じ道を辿らされたリナルド・パッツイーの骸は、バルコニーから首吊り状態のまま臓物を垂れ下げ、観光客のビデオに納まっていく。メイスン・バージャーの復讐への怒りは沸点に達し、弟をなぶり殺された誘拐屋カルロもまた、メイスン同様、悪魔ハンニバルへの真っ黒な復讐心で全身を焦がしていくのであった。


スプラッター的安直な描写はなにひとつ無く、痩身のハンニバルの鬼気迫る恐ろしさがページを繰るごとに浸潤してくるかのようだ。下巻にこれほど期待を寄せる作品も稀だ。 

(新潮文庫)

558 2001/3/10

黄金を抱いて翔べ

高村薫

高村薫、事実上のデビュー作。何がどう事実上なのかは高村ファンにお任せするとして、この初期の作品にも、これから狙う銀行周辺の景観を捕らえるDetail描写から入っていく「緻密さへのこだわり」が早くも感ぜられる。『地を這う虫』をすでにして髣髴させる、曖昧さを極力排し、硬質なセンテンスながらも男たちの不毛ともいえる強奪行為に纏わる人間くさい機微をもあぶり出すのにも成功している。

女性作家にもかかわらず、銀行金庫突破のためのテクノロジー描写も恐れ入る緻密さで、思えば単純至極なこのストーリーに重みを与える効果を如何なくもたらしている。多少「北」だの「青銅社」だの政治的メッセージがことさらに登場し、多少「ゲバ棒」の振り回し過ぎでは、とも思えたのだが、この作品を読んでいて、大学時代はすでに全共闘はグラフィティーの彼方に保存されてしまったわれわれの世代とは違い、いつまでも生なましく、作家にとっては現実界であった避け得ないテーゼなのだとも感じられた。

 この感覚をついに自分らのものとして味わうことの出来なかった、或いは神田カルチェ・ラタンから遥か遠き丘陵の地に移転し、「祝祭空間知らず」の管理された清潔な白亜のキャンパスしか知り得なかった自分を少なからず苦々しくも思いつつ読了したのであった。

(新潮文庫)

557 2001/2/20

地を這う虫

高村薫

話題作であったものを文庫化を機に漸く手にした。飽くまでも硬質な文章に一瞬の戸惑いを覚えた後、衝撃が走る。粟立つ皮膚感覚に震えながら読み進めるうちに、硬い皮がむけ、短編でありながら豊穣の果実をふんだんに味あわせてくれる。高村薫、この一読で絶対に忘れられない作家の一人として胸に深く刻み込まれた。

表題作『地を這う虫』の執拗なまでの細部の描写はなんであろう。刑事を辞して守衛として卒卒とした時を食む中年男の、何の変哲もない日常の戒律とも言える観察記録の習癖は、やがてある事件の山場へとフォーカスされていく。地図に刻み込まれていくひとつひとつの日常は、周囲の目から日常を脅かす非日常=異物者としての視線をも容赦なく投げかけられてくる。 ここまで執念をみせた事件解決の集大成の大山場で、しかし男はしくじる。 人生の半ばを折り返し、未だ無明の向こうに人生そのものの不可解さを解決し得ない苦い味わいを共にするような酩酊感覚の後に、喫茶店で交わされた男と妻の夫婦の何気ない会話に、大きな安堵を感じている自分があった。

(文春文庫)

556 2001/2/16

アジア食べまくり一人旅

長崎快宏

屋台料理の食いまくりの記。バックパカーものの感傷、感情、ひとり相撲的哲学一切抜きに、ただただどこでなにそれが食えるというガイド本。

たびたび著者が現地の若き女性らと腹を突き出し写真におさまっているのも気に入らないが、読み物として余りにも平板なのはもっと気に食わない。あっ、これガイド本ね。

(PHP文庫)

555 2001/2/10

真犯人

P.コーンウェル

政治的策略か、スカーペッタが証人台に立たされ、検死局長の地位ばかりではなく、人生の危機に晒されようとしている。事の発端は、死刑反対者の怒号のなか執行された死刑囚ワデルの不審な遺体。一片のズボンに潜んでいた紙切れは、何を意味し訴えているのだろうか。死刑囚は本当にワデル本人であったのか・・・。

事件解明に一役買う姪のルーシーはハイスクールに通いUNIXに精通するまでに成長していた。PCしか信じないような彼女の頑なな心を、相棒ピート・マリーノが悪口をたたきながら心を通わせていく。事件とは別にこういった私生活の描き方にも、コーンウェルの非凡な構成が伺え、事件を通しての人生観までもが滲み出ており、なんとも言えぬ魅力を湛えた作品群となっている一因かとも思う。

さて窮地に立たされるも、明晰かつ沈着冷静で、巨悪に対峙しても怯まぬ意志を貫くスカーペッタの前では、肩書きだけ大層に並べ立てた烏合の衆のごとき男どもの陰謀は、あわれ木っ端微塵に粉砕され、ファンとしては胸の梳く思いを味わうことが出来た。シリーズ4作目で、ピンチを脱したスカーペッタの次なる『死体農場』での辣腕発揮に大いに期待を寄せることとしよう。

(講談社文庫)

554 2001/2/6

錆びる心

桐野夏生

渾身の大作『柔らかな頬』以来久々に手に取る桐野夏生の、全六編からなるの短編集。どのプロットも一切の妥協を許さぬ迫真の人生描写。作家とは桐野とはかくも短い紙数でよくもここまで読者を架空の世界、作家の世界へ引きずり込めるものかと、思わず感嘆符を洩らさざるを得まい。

冒頭の『虫卵の配列』から衝撃が走る。劇団の主催者に恋心を寄せる瑞恵という女性のあたかも生物学の厳粛な授業が行なわれているかのような、精緻を究めた妄想が深く静かに進行していくさまの狂気。理知と狂気の境界が危うくなる。

『羊歯の庭』の妻の書店を継ぎ現状に飽き足らず煮え切らない男順平と、離婚後の設計を弛まぬ活力で構築しようとするかつて大学同級生だった女秋子。秋子は妻との離婚を持ち出し、日本画を描きながら優雅に暮らす夢のような提案を持ちかけ、新生活への踏ん切りを迫る。が、男はここでもまただらしのない結論の先延ばしを看破されかつての女に痛罵を浴び、次なる新生活が視界から遠ざかっていく。現代の自立する女性と社会の牧羊と成り果て観念だけ肥大化した男の図式の象徴か。

妻絹子の家出による国立大学講師の夫への復讐のさまを描いた表題作『錆びる心』。十年をかけて計画的家出を画策し、娘葵にだけ打ち明けたのち夫の誕生日三月二十三日に遂に決行する。女ひとり生活のため、人のために役立ちたいという思いから、老姉妹と病者と知能に欠陥のある女性の家庭に住み込みのお手伝いとして、家出後の生活をきるのであった。ここに至るまでの妻の心理描写や、なぜ家出に思い至ったかの最後の解明のくだりは、桐野の力量が如何無く発揮されており圧巻。わずか50頁足らずの短編にもかかわらず、深い人生の一端を主人公の女性とともにみてきたような感覚に捕われ、大きな余韻と疲労感を感じざるを得ない。

『月下の楽園』も通常の生活人が、日常のふとした陥穽から予想もし得なかった狂気の世界に隣接し踏み迷いこんでいく危うさを描きつくしており印象深かった。ほか『ジェイソン』『ネオン』。

(文春文庫)

553 2001/2/2

弟切草

長坂秀佳

一ページ目からなにこれ?という違和感が最終ページまで。違和感なんて上等な言葉を使ったがひとことでいえば「稚拙」。解説読むまでこの本が「ゲームの王道」をいく大ベストセラーであることを知らなかった。あー、世代格差か、アナクロニズム丸出し。さぞかし映画は上等にしつらえていることでしょ。 

(角川ホラー文庫)

552 2001/1/28

黄金時代

椎名誠

椎名の青春時代の物語はもうあらかた語られ、読み尽くしてきた気になっていた。しかしここでまた本書『黄金時代』なる椎名一流の掛け値無しの語り口で、新たな青春の記がじりじりと熱く焦げるような濃縮感をともなって繰り広げられている。しゅーしゅーというたぎるような血中のアドレナリンの高まりが伝播してくるような喧嘩修行の場面や、学年があがるといよいよ番長連中から目をつけられ呼び出しがかかり、実践へ臨んださまが各章のひとつの山場として配され、それこそシーナに成代わり固唾を飲んで展開を見守る自分であった。人生とがしがしと格闘してきた若きシーナの世界がストレートに表現され、『はるさきのへび』『麦の道』やもっと幼いころの描写であった『犬の系譜』とはまた別の照射でもって表現された、たぎるように熱く、何かに渇望し向かっていく青年椎名の、かけがえの無い黄金の日々がそこここに息づいている。

(文春文庫)

551 2001/1/20

ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火

小林紀晴

写真と明晰な文章で綴られた、心象的アジア彷徨の記。けれん味を感じさせない文章でアジア・インドの熱量をほどよく伝えてくれる。彼はかの地での人との約束、関係にこだわる、カメラのズーミング同様に。新聞社を辞め、ニホンでの見果てぬ夢の崩壊を待たずに、あらたな世界へ一歩ふみだしたとき、彼もまたインドを目指しあゆみ出す。 

(幻冬舎文庫)

550 2001/1/15

漂流街

馳星周

 第三国人らが芥子粒のように銃弾に砕かれていく。新宿を 舞台に日系ブラジルマーリオが、陰謀渦巻く暗黒街で、中国マフィア、ペルー人、関西ヤクザを敵に回し、憤怒の坂を駆け上る壮絶なバイオレンス小説。そのマーリオなる半々の、狡猾で強暴なることこのうえない。これほど殺伐とした何の救いも無い作品が産み落とせるのは、馳星周をおいて他にないだろう。

 この虚しき寂寥感は『不夜城』の比では無い。なんのためにこれだけの殺戮をやらかすのか、マーリオとともに読みながら袋小路に追い込まれていく気分だ。大藪春彦のそれが牧歌的なロマンス作品に感ぜられる。

(徳間文庫)

549 2001/1/8

ハリーポッター 賢者の石

J.K.ローリングス

 きわめて「映像的」。百頁まではどうかイギリス的慣習に忍耐をお与えください。その我慢を貫いたさきに、いきなり「ホグワーツ」の魔法界が現れ、もう後戻りできない「魔法学校の宿舎生活」の只中に放りだされることうけあい。 クディッチに狂奔するもよし、魔法の禁じられた森に踏み込むもよし。

 ただし「あの人」ヴォルデモードの逆鱗にだけは触れないよう忠告しておこう。ではハリー・ポッターとともにロンドンの夜空の彼方へいますぐ旅立たれんことを、後から入学する読者の皆々様へ。 

(静山社)

  2002  2000  1999  1998