『週刊読書人計画』2000
548 | 2000/12/28 |
砂の海 楼蘭・タクマラカン砂漠探検記 椎名誠 |
椎名誠小学時代からの冒険家の夢、いま大願成就。ヘディンの「さまよえる湖」を読んで以来、熱く冒険への思いをたぎらせ、スワン・ヘディンさながらに、朝日新聞・TV隊とともに2000年前の幻の王国・楼蘭をわっしわっしと目指す。旅の途中では、錫くさい弁当に難儀しつつも、伝家の宝刀=醤油をちらつかせビールをあさましくせびる氏でもあったが、出発前に尊敬してやまない井上靖先生との約束を固守し、1グラムでも荷を軽くしたい砂塵の厳しい状況下、重たいワインを背負って楼蘭古城突入に激しく肉体を燃焼させ、けんかとあやしい探検隊で 鍛え抜いた底力を最後の土壇場で見事に発揮。 古城のたもとで、ついに先生から「私の代わりに飲んでくれ」と授かったワインを氏50年来の夢とともに、実に美味そうに飲み干す椎名誠であった。 (新潮文庫) |
547 | 2000/12/20 |
天使の囀り 貴志祐介 |
『黒い家』貴志祐介のバイオ・バイオレンス・ホラー。アマゾンの調査隊のわずかな生還者として奇跡の帰還を果たした北島早苗のフィアンセに変調が。猿を媒介とする謎のウィルスに侵された彼は「天使の囀り」が聞こえてくるというメッセージを最後に、あれほど恐れていた死に魅せられたが如く大量薬剤の嚥下によって急死する。この事件を契機に若者の間に、インターネットを通じて、とある宗教団体めいた幸福へのメッセージが蔓延し、セミナーと称して猿の肉を食わせ、故意に猿のウィルスを若者に感染させていく狂信的メサイアが背後で跋扈していることを、早苗は執念で突き止めていく。 およそぞっとしない感染者のウィルスによってもたらされる擬似的法悦が、貴志の手によって細密画のように描き込まれていく。目を覆うようなカタルシスへのたたみ込むような展開は、さすがに貴志ならではのもの。 (角川ホラー文庫) |
546 | 2000/12/15 |
蒲生邸事件 宮部みゆき |
「タイム・トリップ」「二・二六事件」そして「宮部みゆき」と自分の大好きな三大食材が揃い、大いなる期待をもって読み出したその出来映えとは・・・。本作は日本SF大賞受賞作とあるために、SF好きな私としては多少SF的なるものにバイアスをかけた目で読みすぎたのかもしれない、がしかし、何か一塩足りない気がしてならない。 頼りなげな現代っ子の大学受験浪人生が、宿泊先の都心のホテルで偶然影の薄い、陰気な男と出会い、その晩ホテル火災という大惨事に見舞われたとき、そのタイムトラベラーの男に救われ、第二次大戦の空襲下に降り立ち、さらに二度目の跳躍で現代に戻るはずが二・二六事件勃発寸前の蒲生陸軍大将邸の納屋に失速し、九死に一生を得る、という設定でスタートする。頼りなげな青年も、擬似戦争体験・殺人事件にとさまざまな事件に遭遇し考えさせられることによって逞しく成長する姿も描き出されている。それは「ふき」という同年代の娘に微笑ましい思慕の念を抱くさまや、あるいは蒲生家で起きた事件に乗り出してきたお抱えの医者との会話を通じて、現代史を知るものが時代の非とその迎える結末を如何ともすることが出来ない、未来から来た自分自身に歯軋りする青年の思いが、宮部一流の会話体によって、ともすると「タイム・トラベル」なる凡庸な題材が、ここでは時代の空気感まで再現するという離れ業をもたらしている。 ここまで賞賛しておきながら、その足りない「一塩」とはなんだろうとつらつら思いを巡らせると、多少強引だが、同じ日本SF大賞を受賞した椎名誠氏の『アド・バード』に思い至った。それはすなわち「スピード感」ではないかと私は思う。両者とも大作であり、宮部の『蒲生邸事件』は昭和初期の時代の雰囲気を醸し出すのに腐心し、かたや椎名の『アド・バード』は後の『島田武装倉庫』などに連なるおどろおどろのシーナ世界観の創出に苦心惨憺たる様子がひしひしと伝わってくる。 だが、残念なことにその腐心の足跡が、両者とも丁寧過ぎる書き込みのためか、全体に「もったり」とした印象ともなり、ひとつの山場のあと、次なる展開への踊り場部分が長過ぎ(心情や背景説明が長過ぎるきらいがあるという意味)、ページを捲るたびの驚きや、迫真の緊迫感が若干不足しているかのように思われた。 それは宮部の『火車』や椎名の『雨がやんだら』『水域』を知るものが、もっともっとと無いものねだりをしている様なのかもしれない。両者が日本SF大賞の水準に些かも列後するものではないことは言うまでもあるまい。 (光文社カッパ・ノベルス) |
545 | 2000/12/9 |
鎮魂歌 不夜城U 馳星周 |
復讐の炎を絶やす事無く二年、ふたたび新宿へ帰ってきた劉健一。今回は前作『不夜城』とはかなり展開が変わり、劉は表舞台には立たず駆け引きと、金と、何より大切な「情報網」を携えて、飽くまで黒子として復讐の刃を宿敵台湾のヤンウェイミンに向ける。 罠につぐ罠、裏切りと怒声と呪詛のなか、血の海で最後に笑う奴は誰か。狡猾で度量を増した感じがする劉健一は、ベストセラー作家の名を欲しいままにすする馳星周と歩を同じくするのか。一層凄惨さに磨きのかかったハードロマン・バイオレンス。 (角川文庫) |
544 | 2000/12/3 |
天国までの百マイル 浅田次郎 |
泣かせの浅田が一生懸命泣かせよう泣かせようと奏でているかのごとき印象の作品。落伍者だ、破産者だと悲惨ぶっている主人公「安男」を巡る舞台設定は、ちょっと浅田らしからぬ見え見えの感があり、エンディングもご都合主義の匂いがして、いつもの上等なトロが泡のように溶けゆく浅田ならではの味わいは、残念ながら正直言って希薄だった。 このコラムは読んでから相当日をおいて書いているのだが、作中に出てきた 「神の手、ドクター曽根」なる人物は実在の人物をモチーフにしているのである。興味のある方は『文芸春秋』2001年4月号をご覧になってみては。 (朝日文庫) |
543 | 2000/11/11 |
バリ&モルジブ旅行記 銀色夏生 |
バリは銀色夏生にぴったりの場所だね雰囲気的に。ケチャを見てナシゴレンを山盛り食べてさぞ満足のことだろう。「バリ」と「ベトナム」が、僕にとっていま地名を聞いただけで一番ぴぴっとくる場所だ。 (角川文庫) |
542 | 2000/10/19 |
厄落とし 瀬川ことび |
またまた軽妙な友達会話文体で終始している表題作。『お葬式』ではそのあまりにも普通の親戚縁者の会話ぶりが、現実にすすんでいく父の遺体を食らうという葬式の不気味さと大きなコントラストを為さしめていて、かなりの成功をおさめていたと思う。 が、今度もこの手では些かいただけない。友人と憑きものである風采のあがらない男を押し付けあうという設定だが、すでにして設定が手垢にまみれ過ぎてはいないだろうか。現代調のおどけたトーンでその顛末を面白おかしく描こうとしているが、題材がこれでは始めから限界が見えていようというもの。次なる妙手を見せて欲しい。 (角川ホラー文庫) |
541 | 2000/9/17 |
肉食屋敷 小林泰三 |
『玩具修理者』の一作を未だに忘れ得ない作者のホラー作品。より仕掛けもスケールも大きくなり、古典的なお化け屋敷的怖さ、怪異さはある程度放たれてはいる。が、エンディングはその大仕掛けの球を受け止めるには、なにか少々の物足りなさを感じてならない。これもホラーの落としどころの難しさか。 ただ前作の『人獣細工』のいかにも『玩具修理者』の焼き直し的作品より、一歩踏み出されたものだといえようか。まだまだ小林泰三のポテンシャルはこんなーものじゃないと期待したい。 (角川ホラー文庫) |
540 | 2000/8/31 |
月のしずく 浅田次郎 |
這いずるようにひたすら荷役作業にいそしむ「蟻ン子」の男、辰夫。母も死にひとり人生の半ばを黙々と通過していく辰夫に、奇蹟の夜が訪れる。男とは一生縁が無いと言いきれる映画のワンシーンのような男女の痴話喧嘩から、路上にほっぽりだされたとびきり上等な女とのいびつで不思議な邂逅。この余りにも不釣合いな男と女の始まりは、男の切ない恩返しの思いが裏目に出て、茶番のような結幕が早々に降ろされるかにみえたとき、燦ざける月の夜が、再び気恥ずかしくなるような奇蹟の純愛の再演を許してくれる好短編、『月のしずく』。 昔の恋人への消し去り得ぬ思慕を抱いたままの妻久子。夫はすべてを許しているのか、あるいは諦念か、妻の寄る辺無き不安に、どう対処すべきか道すらもわからないまま夫婦の時をはむ。そんなおり、パリで別れて以来、胸を焦がし続けた恋人に、青山で聖夜の偶然の再会。路上で似顔絵を描き、日銭をものする恋人。突然の出会いに、十数年の思いは奔流となって久子を駈け抜ける。恋人の変わらぬ眼差し、その瞬間に今も消えぬ愛と、しかし終わっているのだという全てを含んだ了解。そしていま、夫の亡羊たる態度の裏に貫かれた真の愛に根ざした包容は、妻の頑なな殻を捨てさせる決心をもたらし惑いを一蹴させる。久子には哀しくも素敵な聖夜の出会いとなった、『聖夜の肖像』。 『ピエタ』、幼いころの娘を捨て男との愛へ走った母と、その娘とのサン・ピエトロ大聖堂での苦渋と愛憎半ば交錯する再会。娘は良い子であれば、 母は帰ってくるものと信じ、必死に生き抜いてきた。そして今日、24となった娘は母の生き様を眼前に、母に、自分に永遠の「祝福」を捧げようとしている。 浅田の描き、説き、魅せてくれる「出会い」を巡るめくるめくコラージュに、映像を超えた余韻に痺れる。 (文春文庫) |
539 | 2000/8/16 |
壇 沢木耕太郎 |
無頼派と謳われた壇一雄の火急の人生を、その伴侶として永く愛人の存在に心を掻き乱してきた妻の語り部を通して描いた文学的心象ルポルタージュ。お互いに再婚の身で人生を同じうした筈の夫婦が、やがて夫壇の「事を起こしたぞ」のひとことで、お妾のいる妻の境遇に耐えがたい屈辱を感じる妻は、恐れていたものの到来と押さえ難い怒りのまま、子供の存在さえ頭を過ぎる間も無く、石神井の家を飛び出していく・・・。 愛人入江とは旧知の間柄だけにその憤怒と嫉妬の炎は遥として消えず、ちぢみだれる心の有り様は、皮肉にも壇の肉体の変調とともに夫婦としての深い絆を取り戻していくかたちとなっていく。 第四章以降は、妻、私の視点とともに、書簡を通じて意外なる壇の心理が明らかにされていく部分には、作者沢木耕太郎の「第四の視点」から、微妙な人間の機微や、その測り得ない心理の解釈への試みを挿入し、壇の火の噴くような人生に見劣りのしないダイナミズムをあたえつつ、一気に終章まで描ききっていく。 書かれるものの反駁しようの無い一方的受身のモデルとしての妻「壇ヨソ子」は、作中の「桂ヨリ子」とはまったく違うのだ、フィクションなのだ、と割り切るよう試みるのだが、氏とのインタビューと再読は、忘れていた、忘れたと思いこもうとした傷に、再び新たな痛みをもたらしてしまったようだ。 (新潮文庫) |
538 | 2000/8/6 |
あやし 〜怪〜 宮部みゆき |
江戸のお店者たちの実直な人生を奈落の底へ突き落とすは鬼や怪(あやし)の者らではなく、実(げ)に恐ろしきは人間なり、と。 『安達家の鬼』においては、老女主人がいつも側に寄り添うように鎮座する鬼とともに人生を歩むが、そこには鬼=悪の化身という姿は微塵も無い。 それより真の邪悪なるもののけは『影牢』の若お内儀にこそ宿っているであろう。大旦那の死後敬愛される女将を疎んずるあまり、座敷牢につなぎ放置し餓死させた仕打ちは、鬼ではなく同じ人間が犯した仕業である。 江戸の庶民を、奉公人を震え上がらせた怪談めいた話は、現実世界の余りの過酷さを慰撫するためのカタルシスであったろうことは想像に難くない。 宮部の『あやし』はその題名から、夏という刊行時期からして時代物のホラーであろうと思い読み始めたが、読み終えたいま「あやし・怪」ではなく、市井の庶民のくらしぶりを照らし暖かく見守る「あい・愛」とキーワードを差し替えることも可能かのように感ぜられてくる。 それは『布団部屋』の若くして絶命した姉の妹を思いやり守る姿と、姉を信じ慕い、遂には鬼の入りこむ隙さえつくらせなかった姉妹の愛の力にもっとも端的に表されている。『時雨鬼』においても、たった今人を殺めた女郎屋あがりの女が、道をはずさんと迷っている奉公人の少女に、鬼の道を説き、甘言に耳を貸さず正面の道を歩むよう諭す場面に、江戸の悪鬼には、まだ一部の良心、或いは人情と言い換えられるものが残っていたのではないだろうかと思えてくる。
(角川書店) |
537 | 2000/8/4 |
空の遠くに つれづれノート9 銀色夏生 |
いつにもまして厚みを増し、読みでのあった今回の『つれづれ9』。夫イカ氏との結婚も2年を経て、さくぼうもくりんくりんの愛らしい坊主に。しかし夏生の気分は「冬」ならしい。 新たな展望をみいだすべく「お部屋のレイアウト変更」を決行。イカ氏は外に仕事場を移し、夏生は待望の「自分のお城」の完成へと。最後のページの方では「イカについて、ついに結論がでました」とドキリとするような宣言文までも・・・。 イカちんの覗き見は肯定できないが、こんな夫婦の機微を文章にされ、あげく出版までされちゃうイカ氏の心境を思い測ると、夏生には、「つれづれ10(テン)」ではもっともっと書いちゃって欲しいとサディスティックに望む愛読者なのであーる。今回の9は初めてめるへんより先に読んでしまい、ファンとしてのお株を奪ってしまったかな。 (角川文庫) |
536 | 2000/7/19 |
奇想、天を動かす 島田荘司 |
「本格派」の後を受けて、目指さなければならぬ頂きは「社会派」にこそあるのだろうか。本作は奇妙な小さな老人の登場と、稚拙で不気味なピエロの物語から始められる、余りにも長く苦行に満ちた行脚の末の殺人事件の話である。四話にわたって挿入される、素人くさい短編挿話は、しかし不気味に暗示的で、上司に反対されながらも捜査を続ける刑事に、社会が、日本人そのものが産み落とした大きな歪を抱えた事件として、思はぬ稀有壮大で数奇な運命に彩られた陰惨な影を、取り返しのきかない人生という問題を突き付けて来るのであった。 推理小説の体(てい)を借りて、冤罪や、さらに遡って戦時中の朝鮮人強制連行までをも射程に入れた島田氏の糾弾の切先は、どこまで秩序維持こそ第一義とする社会に届き得たのであろうか。私は奇奇怪怪のトリックや時刻表のマジックにとどまる事を潔しとせず、隠蔽され葬り去られていく社会巨悪に対し、物悲しい老人の姿を借りながら、必死に対峙していこうと決意するかのような氏の筆の揮い方に、御手洗シリーズとはまた趣を異にする、もうひとつの島田が織り成す骨太な感性に大いに魅せられた。(光文社文庫) |
535 | 2000/7/7 |
再生の朝 乃南アサ |
密室と化したバスの中で起きたハイジャック。クスリによる精神異常をきたした犯人は元恋人の運転手を刺し殺し、犯行を食い止めようとしたベテラン運転手も未明の山中で岩に激突し死亡。錯乱した犯人は逃走し、乗客だけが暗闇の極限の状況下に取り残される・・・。極めてシンプルなサバイバル・ストーリーであるにもかかわらず、冒頭からはじまる実に巧みな乗客らの人物描写によって、まさに他人事(フィクションだから当たり前なのだが)ながら、一方ならぬ思い入れを寄せて読み進まされた。個々人のもつ背景・心情を文字通り背に、緊迫した恐怖の進行とともに、乗客らの一瞬一瞬の心の動揺、猜疑心、妬み、被害者意識、弁解、おもねり・・・といった目まぐるしく変わる様々な心理の交錯が巧みに描写され、そして最後には「勇気」なる常套手段をも用いられたにも拘わらず、決してステロタイプに堕す事無く、あたかも乗客と苦難の一夜を過ごしたかのような心地よい疲れを覚えるヒューマンな作品。 (新潮文庫) |
534 | 2000/6/27 |
カープ島サカナ作戦 椎名誠 |
娘と息子は米国留学、妻はチベットへ、独身にもどったシーナは少しずつ枯れて来たか、と思いきや今日も明日も全国津々浦々を、さかなだ、ビールだ!と飛び回るの記。シーナからビールを取り上げたら、いったい人生をやめてしまうかもと思わせる偏愛ぶり。が、微妙に酒量、飲み方が品行正しき方向に向かいつつあるのは寂しい限り。腹を空かしているとき堪える本だ。表題作はジーンズCMで颯爽と水中を泳ぐシーナの舞台裏。(文春文庫) |
533 | 2000/6/9 |
本をつんだ小舟 宮本輝 |
不仲の両親から逃れるように、押入れで貪るように読み耽る少年宮本輝。 早熟にも難解な本を手当たり次第読破していくせまく暗いその場所にこそ、精神の砦があったのだろう。家庭環境としては良好とは言えない、父の愛人生活を、母と共に苦渋に満ちた思いで見続けた宮本輝の、外界から遊離し飛翔し得る体現としての読書体験が、氏のあまりにウェットな、感性の限界とも言える緊張感を、いまにしてもたらせしめているのでは、と思わせものがある。以後大学、社会人となり暫くの間一切の本を手にしなかった、と文中にあるが、かほど少年時代の読書体験は深いものを残すのか、と驚きの思いを覚えた。無論32冊の水先案内としても俊逸だが、それは蛇足というべきか。 (文春文庫) |
532 | 2000/6/4 |
精神と物質 立花隆・利根川進 |
1987年度ノーベル生理学・医学賞は利根川進博士の「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」に贈られた。本書は立花隆のインタビューによる利根川の一見豪放磊落にみえるノーベル科学者の人物像を、わずかな対面時間にもかかわらず一流の技で描いて見せている。難解な原理については、高校生の教科書をスタンダードとして、例の好奇心に満ち満ちた適切な解説で、わかるわからないは棚上げとして、最後まで一気に読み通させてくれる。もとは仏文科の立花氏の類稀なる好奇心と知識欲は、若い時分耽溺したフィクショナルな小説世界に止まっては居られず、そのフレームワークを知識・知能すなわち考える人間の思考の宇宙の最深遠までひろげてきている。その過程は『僕はこんな本を読んできた』に詳しい。 現代社会においてはこれまで地球上に存在しなかった未知の抗原が登場してくるのだが、人間の抗体は、抗原に合わせて作られるというものではなく、とにかくはじめから限りなく多様な産生能力によって多様な抗体が用意されている。それでうまく鍵穴にはまる鍵のように対応するもであれば良し、それがなければそれに近いものが対応する。そういうもので対応しながら、突然変異を起こし、その中からもっとも鍵穴に合うものが出てきたら、それに増殖しろという命令が下る。結局、抗体のほうは、無茶苦茶にランダムな変異を出すことで対応し、その中から何を残し、何を捨てるかは抗原のほうが選択する。抗体遺伝子の研究からいえることは、遺伝子が生命現象の大枠を決めているが、ある程度偶然性が働く余地を残しており、環境は、この偶然性に基づく多様性の範囲内で選択を行うことが出きる。 |
531 | 2000/5/24 |
固いおとうふ 中島らも |
らもちゃんの日常的飲酒酩酊エッセイ集。楽しいアル中ばなしはいつものこと、クスリについては咳き止めシロップ「ブロン」のコデインに魅せられ、なかなか止められず、はては行く場所ごとに薬屋マップを頭に叩き込んで、隠れ隠れグビグビやっている氏のらりらり頭は、ついにあの『アマニタ・パンセリナ』をものしたのだ。クスリだって酒だって、そしてユニークなつくりばなしの数々は、一見B級志向に見えても、どれここれも「並」では済まされないのだ。(双葉文庫) |
530 | 2000/5/17 |
みるなの木 椎名誠 |
人類の廃墟のあとの世界なのか、いつ何処とも知れぬ椎名が現出する異形の世界は、われわれの想像力を遥かに超えて、おどろおどろしくも何か物悲しく、失われし現世界を懐かしく思い起こさせるような、ある種の破滅へのノスタルジーを孕んでいるかのようだ。椎名自身が語るが、このような想像の産物の世界=椎名が愛してやまないSFの世界は、形作るのに実に芯が疲れる作業だと。しかしここに住む人間とも化け物とも機械とも判別のつかない住人たち―それは敢えてミュータントなるひとことで表わし得ない―に会いに、ときどき無性に異次元へ帰りたくなるのだとも。 これら荒唐無稽に見える異世界も、椎名の独創のデティ―ル描写によって、そのデザインされた世界が俄然リアリティーを増して迫ってくる。『突進』は職を求めての、入社試験で只管まっすぐのルートを辿るという男たちの奇妙なはなしで、題名は失念したがこれと良く似た椎名氏の作品で、家族揃って歩き通すレースに勝つと家が貰える、という現代サラリーマンに通ずる笑えない悲哀を、独特の緊迫感を交えて描いていたのを思い出した。『対岸の繁栄』は近未来的、地球の局地的死滅を予感させるやるせないはなし。なぜか人々は死に絶え、枯れ木と化していく中で、最愛の妻も遂に最後の時を迎え、安倍公房の『デンドロカカリア』をも彷彿させる、静かに植物となっていく哀しみが後悔の憤怒をもって描かれている。 (早川書房) |
529 | 2000/5/12 |
新しい歌をうたえ 鈴木光司 |
「文壇最強の子育てパパ」を自認する鈴木光司のエッセイというより、熱き子育て・家族へのメッセージ集。『リング』や『楽園』を読んでいる頃は、数多の新進作家のなかで傑出した出来映えを見せてくれる力量派とみなしていたが、こうしてかかる作品達が、おむつを洗い終え濡れたままの指先からキーに叩き出されたものであると思うと、一層奥深い味わいが湧いてこようというもの。二人の娘を臆面も無く、誌上で最高に可愛いと咆えまくり、作家になって本当に気楽で自分にあっていると、ガテン系の顔つき体躯に似合わず茶目っ気たっぷりに語るところが、前向き・フィジカル作家の面目躍如たるところ。 作家になる過程を、こんなに分り易くストレートに表現してくれる御仁がほかにいただろうか。(今読んでいる『本をつんだ小舟』宮本輝との大なるコントラスト)余りにも明快で笑いさえもこみ上げてくるが、かの文体が一朝一夕で出来あがったもの出ないことは、作品群で明々白々。角川映画の出来の悪さで、氏の『リング』『らせん』の資質が貶められたうえ、さらに『らせん』でさえ氏の構想に無いところに、角川的営業施策でセットで無理やり世に産まれせしめられ(しかしこのおかげで素晴らしい作品を2度堪能できたが・・・)、あまつさえ3匹目、4匹目の「どじょう」なる『ループ』『バースデー』、ことここに至ってもう書いている本人も破れかぶれ状態とみた3回転半ひねり、貞子巷あふるる苦肉苦汁の作品に堕してしまった。 鈴木氏も飯を食わねばならない娘のためにも、よってここは出来云々は不問に附して、ぜひここらで貞子はもうノーサンキュー、ポスト『リング』で、本人も言っている有り余る体力を全部ぶつけた、愁眉を開く会心の鈴木光司の作品をぜひどかーんと書店に積んで欲しいものである。 (角川文庫) |
528 | 2000/5/10 |
世ノ介先生 銀色夏生 |
恥ずかしがり屋の童話の先生、それは世ノ介先生。ずーっと独りで歩いてきた先生の前に、清楚で聡明な女性が登場。それからの世ノ介先生、どーみてもおかしいぞ。そんなおり、生徒たちに植物を介して人間心理を研究する、といういたずらをしかけられ先生おおわらわ。世ノ介先生の純な恋心は果たして・・・。ひまわりのような、だけどもとってもチープでファンタスティックな銀色ワールド。 (角川文庫) |
527 | 2000/5/5 |
かまいたち 宮部みゆき |
表題作の『かまいたち』、辻斬り下手人探しでは、読者にまず犯人を与えておき、その周囲で取り巻く事象、人間の強さ、弱さ、猜疑心、そして義憤を巧妙に読者に投げ分け、最期には圧倒的共感でエンディングを向かえる、という宮部の手口は、そんじょそこらの下手人の匕首よりよほど鋭いものだと感心せずにはいられない。江戸の町で懸命に生きていく「およう」に、お見事、幸せになれよ、と幕間から声をかけたくなるだろう。 『師走の客』は、最初はほろりとした人情もので幕が上がるが、すごろくの上がり一歩手前で、舞台は暗転。ちょっとこれ酷過ぎやしないかいみゆきちゃん、というころまたもや痛快な宮部マジックが・・・。宮部ファンならずとも実に気持ち良い終幕。 『迷い鳩』、『騒ぐ刀』は女性の訪れとともに、霊験をも授かってしまった弱冠一六歳の娘お初。時代物のサイキックと言ってしまえばそれまでだが、江戸と言う時代を背に、ここでも異能という重い十字架を課せられた娘がひとり、己が運命を甘受し、ひっそりと町の一隅でその特異能力を行使していく決意をする姿があった。現代だろうが、近未来だろうが、そして時代ものであろうが、宮部の筆にはえも言えぬ温かみがあり、それがこれほど時代物に醸し出されていようとは、改めてストーリー・テーラーとしての素材を選ばない凄さを見せ付けられる思いである。 (新潮文庫) |
526 | 2000/4/25 |
凍える牙 乃南アサ |
女性刑事貴子は男社会の最たる警察機構のなかで、もっとも女性蔑視の匂いを纏わせている中年男滝沢刑事と、ファミリーレストランでの不可思議な出火殺人事件に乗り出す。それはのっけから不協和音の軋みが聞こえてくるような、貴子にとっても滝沢にとっても気苦労と憤懣の塊のような暗鬱な捜査であった。「こんな女なんかと何故俺が手を組まにゃならんのか」という、甚だしき決めつけと、目だって捜査の邪魔になるという理屈にならない不満のつぶてが、「こちらこそ御免」という貴子の疲れた精神の一本一本にささってくる。しかし足取りを追ううちに、孤高の動物「狼犬」の姿が浮かび上がってくる。 殺人を仕向けているのはどんな人物像なのか、捜査線上を渡り歩くうちに、貴子を刑事にあるまじきことと自戒しつつも、人間の愛玩具に成り下がらない透徹したポリシーを抱く「狼犬」へのシンパシーを感じている自分を深く自覚し始める。捜査の終結点に向かって、果たして貴子と滝沢間の軋轢にも理解への雪解けが少なからず訪れようとしているかのように見えるが・・・。ミステリーとしてのプロットも骨太で、ひたすら事件に没入しようとする貴子の姿は痛ましくさえあるが、何よりも女性が男性社会で生きていく、謂われ無き様々な障壁が、いかなる女性の力をスポイルしているかも、側面から描写し続けて止まない作品である。’96年直木賞受賞作。 (新潮文庫) |
525 | 2000/4/20 |
鳩笛草 燔祭/朽ちてゆくまで 宮部みゆき |
『鳩笛草』、女性刑事である貴子はその特異能力であるサイコキネシス=読心術によって、なんとか警察機構という男社会の中で伍してきていた。この道こそ異能を十全に使いうる最も自分の適した道であると。しかしその能力も酷使によるものか、激しい頭痛・眩暈を伴いながら体内から消え去ろうとしている。刑事になってからもひたすら隠しながら使いつづけた能力を、捜査のパートナーであるポンちゃんに打ち明ける時が来たのだった。宮部みゆきのサイキックものには、特異能力をある面では恥じ入り、人と違う自分に悩み、見なくても済むもの、聞かなくてもいいものを、ノイズの洪水として無理やり脳髄に押し込まれる人間の哀しみと苦悩が常に描かれている。それは『龍は眠る』の少年達であり、『クロスファイアー』のパイロキネシス青木淳子にも等しく立ちはだかっている。 とりわけ『クロスファイアー』青木淳子の絶望的疎外感から、人間としての関係性回復を希求して、同じ能力者集団との出会いによって初めて愛することの出来た男性との邂逅は、余りにも純粋で、人と違うということにどれほどの罪があるというのか、人間に度し難く内在している差別と排他へをも鋭く切り込んでいるように思えてならない。『燔祭』ではその青木淳子がひっそりと社会の一隅で、自分の能力を社会に、いや正義の名のもとに悪に対しその能力を全開放する瞬間を待っている、悲哀を纏った孤独な女性の姿で『クロスファイアー』の前哨として描かれている。 宮部の手になると、荒唐無稽な筈の所謂超能力=念力モノも、そのツールに寄りかかる事無く、人間の能力に自分の意思とは別に過剰にもたらされたものと対峙していかなければならない者たちの、精神の砂漠との葛藤と、その心的欠損を如何に克服していくかが、細心の筆致で描き尽くされている。(光文社文庫) |
524 | 2000/4/15 |
浅草偏奇館の殺人 西村京太郎 |
満州建国の熱気と、軍靴の音近づく不穏の時代に、私は最期の自由を求めて浅草は六区、ここ浅草偏奇館の小劇団のライターとして、踊り子らにおにいさんと呼ばれながら住み着いている。時代は求めていたのだ、エロ・グロ・ナンセンスを、ならば大衆にその一瞬の夢を与えんと、日夜頭を捻るライターであった。その浅草偏奇館に踊り子が絞殺されるという事件が起こる。 浅草偏奇館はしかしこの事件を逆手に取った公演を打ち、夢にまで見た大入り満員を果たす。検閲にめげず実際に起こった絞殺シーンを、エロ・グロ・ナンセンスを大衆にぶつけたのであった。 そして第二、第三の踊り子殺人事件。時代の恐怖を一瞬でも紛らわすかのように湧いたこの猟奇的事件は、遂に真犯人をみないまま、皆戦場へと散って行った・・・。やがて50年の時を経て生き残ったかつてのライターは、それまで禁忌としていた浅草に足を踏み入れ、遂に真実の実像に迫ろうとしている。十津川警部とは一味、ふた味違った社会派西村京太郎としてのもうひとつの佇まいがここにはある。 (新潮文庫) |
523 | 2000/4/10 |
初ものがたり 宮部みゆき |
お江戸は本所深川一帯をあずかる岡引の茂七が、子分の糸吉、権三らとともに織り成すなんとも心地よい捕り物帖。宮部の女性としての感性が、ここでは正体不明の屋台の稲荷寿司屋の親父が繰り出す、その美味しそうな品の数々。ミステリーを忘れて、あたかも深川界隈でちょうちんをくぐった気分で、絶品の稲荷寿しに、熱燗の酒、脂の程よくのった秋刀魚に、親父が苦心した品のある羊羹と、さまざまなマジックにつっかかっているだけで、きっと至福の時が訪れるはず。おっと、宮部マジックは料理だけじゃなく、仄々と江戸の人情捕り物帖も忘れずにたっぷりと淀み無く語ってくれる。初めて宮部の時代物を手にしたが、予想以上に楽しませてくれた素敵な六品たち。 (新潮文庫) |
522 | 2000/4/3 |
十三番目の人格 -ISOLA- 貴志祐介 |
相手の感情を読み取る特殊な能力=エンパスを有する由香里。彼女が神戸地震被災地でボランティア活動を続ける中で、異常な精神の多重性をもった女子高生千尋と出会う。彼女こそ多重人格者として、多くの精神分子を具有し、危機の際にひとりまたひとりと、彼女の最終崩壊を救うべくもたらされてきた人格たちであったのだ。由香里が千尋に校内女医とともにカウンセリングを行っていくうちに、症状も落ち着きつつあり不安を抱えながらも、東京へともどる由香里。しかし、千尋に急変が訪れた。 かつて人を殺すことはなかったはずの人格者らに、新たに13番目の人格―ISOLA―が遂に千尋の肉体に、復讐の幽鬼として取り憑いていたのだった。狂える魂と生命を賭けて対峙するエンパス由香里。パートナーは皮肉にも幽鬼と化した女性を死に追いやった共同研究者たる男性であった。一度も人を愛することが出来なかった由香里は、最期に千尋に何をみるのだろうか。『黒い家』の貴志祐介の描くヒューマンは、正統な生への肯定が基調に流れていると思うのだが・・・。(角川ホラー文庫) |
521 | 2000/3/31 |
夕陽が眼にしみる 象が空をT 沢木耕太郎 |
沢木耕太郎の珠玉のエッセイ集、とりわけ『異国への視線』が印象深い。彼のルポルタージュの原典とも言える『深夜特急』の眼差しが、ほんの少しでも垣間見れるのではという期待においてだ。未だ私は読んでいないが小田実の『何でも見てやろう』を沢木は取り上げて、旅先でのほとばしるような現地での人々との交歓が、今もって幸福な旅人としての輝きを失っていない、とする氏。やがてボヘミアンとしての臭気を発するに至ったと気付いた小田は、本来の責任の帰属する世界すなわち日本へと帰って来ることになる。 このくだりはまさに沢木が『深夜特急』の旅の最終章に近づいていく「飛光よ、飛光よ」のなかで繰り返し問うていた、いかに旅の終わりを自身に告げるか、の内面への旅と多くの符牒をみる気がしてならない。どんなに精緻を尽くしたルポルタージュも、時間というフィルターを通しても、なおその輝きを失わないでいられるのは稀有な事なのであろう。 (文春文庫) |
520 | 2000/3/26 |
ヨーロッパ鉄道紀行 宮脇俊三 |
『高速新線の列車』はユーロスター、ICE、ペンドリーノ、AVEとヨーロッパ各国の夢の超特急の揃い踏み。ご年配中心の団体旅行にも拘わらず、宮脇欧州鉄道旅行企画は具沢山ならぬ列車のてんこもり。バスならいかほどリラックスした旅になろうかというものを、乗り換えの階段で汗みずく、特急列車のホームへ一同ダッシュと本当にご苦労様。でもこれだけ高速新線を味わい尽くせば、鉄道ファンなら本望というところなんでしょうね御一行様。 『地中海岸と南アルプスの列車』では、奥さんに列車の旅ということで気を使いながら歩を進めていく氏。奥さんの「感じのいい汽車ね」の一言に一喜一憂する氏がいじましいくらい今回は健気にみえましたぞ。 (新潮文庫) |
519 | 2000/3/14 |
ファイアボール・ブルース 桐野夏生 |
女子プロレスの世界を題材に用いた、ちょっと目新しいサスペンスもの。女子プロレスラー近田はデビュー以来10戦勝ち無し。そんな失意のレスラー生活の中で起きた、外人女子プロレスラーの突然の失踪、それに続く疑惑の残る遺体の発見―。不可思議な事件に犯罪の影をみた先輩天才レスラー火渡は、興行を続けながらも謎を追っていく。後輩である近田も、尊敬して止まない先輩レスラーに続いて行くが、その師弟コンビのスタイルの妙は、戦う者の意地や、後輩に対して強くあれといったエールを内包しながら、巡業日程が深まるごとに真相に迫っていく。乱立するプロレス団体の経営的苦境や選手間の感情的軋轢も描かれていて、女子プロファンなら尚一層楽しめる一作だ。 (文春文庫) |
518 | 2000/3/5 |
ぼっけえ、きょうてえ 岩井志麻子 |
これが新人の作品なのか、と畏怖せずにはおられない本格作品。未だ貧しき岡山の農村地方を舞台に、土俗的な伝奇に色取られた、鬱屈した異形の世界を、すでに散々使い古された筈の恐怖の手法を超えて、人間の生を営む暗部と、貧しさが紡ぎ出した生きる為の容赦の無い選択までをも、単なるホラー小説を超えて、読むものに突き付けてくる。 『ぼっけえ、きょうてえ』は岡山地方の方言「とっても恐ろしい」によるそうだが、遊女が床で囁く様に語り出すこの因襲と怨嗟に満ちた世界を、押さえた筆致でありながら、その切っ先は最も見たくないものを、手垢にまみれていない表現で炙り出しており、岩井独自のホラー感が非凡なものである事を認めざるを得ない。 この作品で第6回日本ホラー小説大賞を受賞。 他では『密告函』の陰惨さ、『あまぞわい』の運命を甘受する女の切なさを、さらには『依って件の如し』では、幾度かお目にかかった件(くだん=頭が牛の人間)の題材をもって、地方の絶望的貧困の中にあたかも存在していたかの如く流し込み、異形への畏怖と奇妙な親近感をもそこから紡ぎ出し、ホラーというより限りなく日本的文学とも言い換えられる出色の出来映えとなっている。 (角川書店) |
517 | 2000/2/16 |
はるさきのへび 椎名誠 |
岳物語のように息子と椎名誠とのほとばしる親子の交流―ときにはプロレスごっこで肋骨を折るほどの―はいろいろと目にし、思わず感嘆がもらしていた。それが故、娘との成長の様を綴ったものがあればぜひ読みたいと願っていたが、本書の『娘と私』で漸くその思いが遂げられた気がする。若き椎名の出発の時の、一見茫洋としたなかにもこれからへの思いと、淡々とした日常の移り変わりのなかで、時には春の陽射しを受けたかのようなほのかな温もりが、題名の「はるさきのへび」そのものの気分としてゆるゆると心地よく伝わってくる。 幼児期からの挿話は、娘が海外生活するにいたるまで綴られており、椎名の期待と信頼とちょっぴり心配な心持が、手に取るように響いてくる早春の薫りに包まれた愛すべき作品。 他『階段の上の海』、『海ちゃん、おはよう』 (集英社文庫) |
516 | 2000/2/7 |
M 馳星周 |
現代の性を炙る四作。子持ちのサラリーマンの『眩暈』、女子大生『人形』に、不倫主婦は『声』、父殺しの青年『M』に、歪(いびつ)で、一途な性愛の炎が吹き出ている。『不夜城』で衝撃を受けて以来久し振りに手にした本書だが、ここでも馳の暴力と性と愛は近親憎悪の激しいスパークを撒き散らしながら、現代都市社会のざらついた闇を、暗く濡れた瞳が虚空を照らしだす。現実解の存在しない快楽と嘔吐の情念は、青い炎をけっして絶やすことなく、刹那的開放の瞬間を狙い続けている。(文藝春秋) |
515 | 2000/2/6 |
女たちのジハード 篠田節子 |
作中の人物がこれほど活写されている作品を多くは知らない。現代を生きる都会のOL、ここでOLという言葉を使うと、彼女らに「わたしたちはオフィスの女」ではない、と叱責されそうだが、そうした彼女らの結婚・仕事・自立をめぐる心情的機微を、さりげない会話や、巧みな人物造形、女性作家しか書き得ないシチュエーション設定とあいまって、作品のなかで悩み、笑い、怒り、健康なお色気を発散させながら躍動していく。いっけん4人のOL仲間の生き方は、どこにでもいるようなOLの最大公約数にみえる。しかしその実、「一般のOL」や「普通の結婚」、ましてや「ふつうの人生」などはありえず、何気ない日常の一瞬一瞬にも転機は訪れており、それを掴むも看過するも、自身の心がけ、心意気にかかっているのだと、篠田の同胞の女性らへの熱いエールが随所に脈打っている。 年長者の康子のマンション購入から始まる、「女性の聖戦」は、紀子、リサ、沙織と次々にバトンが渡され、とりわけ最も焦燥感を担っていたと思える沙織の、米国留学で掴んでいく生きる目標に辿り着く過程、あるいは康子のトマト栽培青年との邂逅が単なる茫洋とした結婚=最終ゴールを突き抜け、社会そのもに打って出て行く男女差なんてものをとうに飛び越えた、凛とした人間の気概と「かけるべき何かをついに見出した」清清しい歓喜が、読むものをして勇気を与えてくれる。文庫となったいま、時代背景とのミスマッチは些かも無く、作品の輝きはいよいよ増しているかのようだ。浅田次郎『鉄道員−ぽっぽや−』と同時受賞の第117回直木賞作品。 (集英社文庫) |
514 | 2000/2/3 |
「現代デフレ」の経済学 斎藤精一郎 |
日本経済の謎の構造疾患による緩慢な死。それは忍び寄る「ソフトなデフレーション」によってもたらされつつあると筆者は警告する。戦前の29年のブラックマンデーの余りにも生なましく凄惨な世界恐慌時代の亡霊が、もう10年の長きにわたる日本経済の不振・低迷を経済当局(白書)をしてあくまで「ディスインフレ」と言わせ(誤診せ)しめ、ケインズ流有効需要の創出の呪縛に捕らわれ、膨大な財政出動を余なくされている。しかしながら、数度にわたる大型財政発動も内需拡大、消費性向の復旧にはいまだ遠く、経済の下方シフト=物価下落傾向=デフレ・スパイラルに歯止めがかかる様子はない。まさにソフトな仮面を被った「現代デフレ」の陥穽が、日本経済に穿たれている。 世界に転ずると、香港の中国への返還翌日の97・7・2、タイ中央銀行のバーツ変動移行制の発表によって引き起こされたローカル市場の暴落の余波は、見る間にマレーシア、インドネシア、フィリピンに波及し、韓国、香港、さらには中国元の切り下げが観測されるまで、世界を震撼させた。第二波は98・6の日本の長銀経営不安説をもとに株式・円の急落を招来し、さらにはルーブルが暴落しモラトリアムが発せられるにまで至り、世界規模での「負の連鎖構造」=グローバル・デフレの過程が白日の元に晒されたとすることが出来よう。 日本のテイクオフを引っ張り続けるその最たる元凶は、「80兆円」に上るとみられる不良債権だとみる筆者は、マクロの国家的財政政策と、ミクロの企業・家計行動の両面から、「資産デフレ」とも換言できる「現代デフレ」の超克に向けて提言を行っている。一億総中流という所得厚生的平等を20世紀末に成し遂げた日本は、しかしこの先「資産デフレ」の波に洗われ、徐々にではあるが、歩みを止めることなく、上・中・下層と三極分化が進行していくとみらている。アンチデフレに妙薬はなく、ミクロとして消費者にあってはとりわけ借金によるいっそうの資産目減りを戒め、「賢い消費者・労働者・投資家」としてのビヘビアーが求められ、企業にあっては21世紀の「大競争時代」を勝ち抜くためには、よりいっそうの創造的な企業経営の在り方を模索することがミクロ戦略の要だとする。 |
513 | 2000/1/31 |
シェエラザード 下 浅田次郎 |
律子が偶然に出会った救世軍の老人は、シンガポールで陸軍少佐として赴き、己が過ちを深く悔いている土屋であった。老人の重い心の扉が50年ぶりに抉じ開けられ、その全貌が遂に語られはじめた。 厳しい戦局を乗り越え、看護婦として土屋をシンガポールまでやってきた婚約者の島崎百合子。ソフィアの丘で崇高な使命感をもって異国のこどもたちの世話に全霊を傾ける。安導権を携え、南方物資援助の任務を終え、いよいよ密命完遂の為にシンガポールに入港してきた弥勒丸。再び舞台は現代の雑踏渦巻く街頭から、抗日運動の炎の手が今にもあがらんばかりのラッフルズホテル周辺へと急展開する。 狂気の任務とは、帰路民間邦人二千人の人柱を盾に、シンガポールで満載した欺瞞に満ちた金塊を船体が傾くほど満載し、中国侵略の経営破綻を招きつつある金の払底を阻止するため安導権の航路を大きく逸脱し、上海へ向けて舳先を向ける事であったのだ。 婚約者の搭乗を最期まで止めることが出来なかった土屋、悲劇は婚約者に止まらず南方陸軍のシンガポール決戦吹聴の大策謀に踊らされ、血と汗で贖った現地商人の金を、兌換することは二度とありえない金を掻き集めるのに狂奔する日銀支店の裏切り行為と軍部全体の欺瞞。さらにはその血塗られた金の護衛のため、一機の友軍機さへも来ない敵の潜水艦の巣窟に、人柱として差出された人の命。 (講談社) |
512 | 2000/1/29 |
シェエラザード 上 浅田次郎 |
第二次世界大戦の緒端が切られると同時に、軍部に徴用船として取り上げられてしまった弥勒丸。1万7千トンの排水量を誇るその華麗な姿は太平洋航路のエースとして勇躍就航するはずであった。戦局の混迷を深めるにつれ病院船としての運命は翻弄され続け、フィリピンはマニラ陥落の報を受けるや、謎の密命を帯びて出航し台湾沖に二千名の民間人もろとも海に没した弥勒丸。 物語の始まりは謎多き老人宋英明からの唐突な弥勒丸引き上げの資金援助の依頼、否命令により、50年余の時を遡って、弥勒丸に関わった忘れようにも忘れ得ない深い傷と悔恨にさいなまれる様々な人間を、強い磁力のように惹きつけ、いま新たな引き上げを巡っての胎動が聞こえはじめる。 『日輪の遺産』にも似た、現在と戦局の最中を自在に疾駆させながら、誇りたかく悲劇的な弥勒丸の謎をめぐって、時空の彼方で当時者たちが躍動する。 現代のキャスティングボードをつかさどるのは、律子。弥勒丸に自分の生命の在り処を見出し、大手新聞社を辞して、かつて恋焦がれた男と、数奇な運命の糸を手繰り寄せるのに奔走する。かたや戦時の帝国郵船船長や社員の弥勒丸搭乗員らの、戦局の行方すら吹き飛ばす凛とした立ち居振舞い。 対極的に描かれる陸軍大本営の若き参謀と、揺れ動く士官のジュネーブ協定安導権に基づく捕虜への食料物資運搬任務への懐疑。南洋を巡ったのち何の使命をおびているのか。船上での緊迫した臨場感が舞台の中央にせり立ち、病院船に身をやつしても、隠しようも無く漂う弥勒丸の「美貌なる昭和」の高貴なる浪漫の夢のはざまで、いま死出の航路に旅立つ。(講談社) |
511 | 2000/1/26 |
お葬式 瀬川ことび |
表題作『お葬式』の語り口のなんともホラーらしからぬこと。所謂軽佻浮薄の文法を踏襲したような「かろみ」と「おちょくり」がない交ぜになったこの女高生風文体が、これから始まる父の弔いの異様さと対比されて、独特のおぞましくも逞しいユーモアを創出している。 それは見も知らぬ親戚・縁者の大円団が所狭しと我が家におしかけてくるところから異世界にいざなわれていく。「腹が減った」と故人の死を超越してわめきちらす叔父叔母、「うまい肉が食える」と破顔する老人らに、母なる未亡人は、鬼気迫る勢いで肉を切り刻み、臓物を調理し山のように盛り付けていく。この肉はいったい・・・! 筒井流のスラスプティックと言えないこともないが、「今」の雰囲気をまといながら、はるか昔から存在する伝承的なるもののありかを、街の片隅でぽっかりと繰り広げてみせる、すなわちこれ瀬川ことび流の所産とも。 他『ホテルエクセレントの怪談』、『十二月のゾンビ』、『萩の寺』、『心地よくざわめくところ』。 (角川ホラー文庫) |
510 | 2000/1/20 |
旅をする木 星野道夫 |
すがすがしい文体からは、アラスカの短かくも可憐な花の薫りが立ち昇ってくるかのようで、星野道夫の至福の時間がこちらにストレートに伝わってくる。アラスカに魅せられていく過程と、念願を果たしアラスカの真っ只中に身を置き大自然に溶け込んでいる星野の笑みが向こうにみえる。妻をそして自分の子をなそうとしている星野の峻厳で宇宙的な舞台アラスカのなかで、密かにしかし気負いのない決意が胸に迫る。 このエッセイ集の放つ香気と気高さは星野自身の資質か、アラスカを愛し続けるすべてのモノに宿るのか、羨望と早過ぎる死に慙愧を感じる。冒頭にあった、東京の満員電車のなかで北海道のヒグマの息遣いを感じていた星野、最期もクマによってもたらされてしまったが、いまはただ遠くはるかな電離層の競演、オーロラに思いをはせていたい。(文藝春秋) |
509 | 2000/1/10 |
遺留品 P.コーンウェル |
検屍官シリーズ第3弾。今回のスカーペッタはなんとも歯切れが悪い。捜査の行く手は必ず先んずる何者かに手を入れられ、今では格好のコンビとしてなくてはならない存在となったマリーノ刑事との密かな再現場検証も、監視の手の中で転がされる。 本作は政治的領土まで踏み込んだ、陰謀とマスコミとの虚虚実実の駆け引きに焦点を合わせた作品で、これはこれで新しいステージを問うたものなのであろうが、やはり私としては、スカーペッタ自身が全身で犯人あるいは犯行に立ち向かい、精緻に力強くも繊細にほづれた糸を解きほぐしていく姿に大きな魅力を感ぜずにはいられない。 よって本作品は事件解明としてのストーリーそのものより、妻の離別への行動に苦悩し煩悶するマリーノ刑事や、別れ、ふっきれたはずのスカーペッタの元恋人マークとの、愛しさが募るほどそのすれ違う距離がいよいよ狭め難くなりつつあることへの焦燥と己がプライドとの葛藤といった、事件と並走する捜査陣側のメンタルな部分が、1,2作目ほどサスペンスとしては迫真感が得られない部分を補って余りある。紛う事無く検屍官スカーペッタの世界を見せてくれている。(講談社文庫) |
508 | 2000/1/7 |
インドの大道商人 山田和 |
インドもの数多あれど、悠久のインドの生き証人である「路上の大道商人」をこれほど情熱をこめて追いつづけた作品に出会ったのは初めてのこと。インドものと言えば、かの蔵前氏に代表される「バックパッカ−」ものは、作者が失敗すればするほど、或いは悲惨な目に会えば会うほどカタルシスの浄化として、笑い転げていれば幸せ、というものがある。これはこれで僕にとって無くてはならない清涼剤だ。一方、本書のように学究書では無くとも、十数年に渡り何度もインドに降り立ち、同じ路上、見知った顔顔顔、陽炎ゆらめく地べたにしゃがみ、現地の言葉で話しかけ、真摯に彼ら彼女らのかの地の贖い(あがない)を見つめる渾身の作品には、亜大陸インドに果敢に挑む姿―単なる行程の厳しさだけではなく―として目の眩む思いと、その臨場感に心地よく浸り続けていたい思いに駆られる。 野菜売り、チャイ売り、揚げ物屋、銀細工売り、仕立て屋、体重測定屋、オウム売り、時計の防水加工屋から、はては歯医者までありとあらゆる営みが路上でなされる。、それこそ親、祖父は勿論、おそらくは千年の時を遡って、同じ営みをつづけてきたであろうこの圧倒的インドの時間と量感に畏怖しながらも、氏の眼差しで切り取られた写真の彼らは明るく優しい。 (講談社文庫) |
507 | 2000/1/4 |
生贄 佐藤亜有子 |
7つの鍵。森をさまよい怯え逃げ惑う少女で始まる寓話的心理劇。訪れる部屋には何者が潜んでいるのか、恐怖と甘美の世界が、また次の部屋に少女を招き入れていく。現代の性の象徴としての少女らの刹那的行動を、この魔が魔がしいヒステリックな作品を通して、佐藤亜有子は逃げられるのに逃げようとしない、いや逃げたくないかにみえる混迷する彼女らの状況・心情をシンボリックに描かれている。 少女の窮地を救おうとする青年との、ストイックなメール交換。抱かれては怯え、怯えてはまた抱かれる少女の行く先には、鬼畜の足長おじさんが待ち構えているのだろうか。 翻ってはたちの成人式で、皆一様に「まっとうな大人になる」、と宣言するガングロくんら。時代の徒花か、クシュクシュ世代にはや後を襲われるおばさん予備軍なのか、そのアップテンポぶりに驚愕の思い。 (河出文庫) |
2002 2001 1999 1998