映画の中のエドガー・アラン・ポー

 アメリカを代表する幻想と怪奇の詩と短編の作家、エドガー・アラン・ポーについては、ここでいちいち語ることもないですね。というか、端的に紹介する言葉をもっていません。ありがちに紹介すれば、辛辣な批評家、敏腕編集者、40才の若さで世を去った文豪パロディスト。ちょっとひねったところで、狭間の作家。夢と現、狂気と正気の境界線を描いた作家。そして、非日常、超現実、それもダーク・サイドへの畏怖を持ちつつも、その暗く混沌とした安寧の中に身を落とし委ねようとする指向が強いですね。異常なほどに「死」への執着と恐怖が描かれていまして、生きながらにして埋葬してしまうなんてネタが多いのもその一つの特徴でしょう。

 また、女性の描き方も美しく、叙情的ですね。この効果が絶大で、ストーリーに花を添えてもいますし、ダークな部分もまた引き立ちます。これは小説に限らず映画では特に重要なファクターの一つですね。女性の絡んでこない映画というものは極めて希ですし、よほどのことがない限り一般受けしません。もっとも、「リジイア」のようにそのほとんどを女性の描写に費やされると、いかに伏線とはいえさすがに辟易としてしまいます。この作品も「黒猫の棲む館/リージアの墓」として映画化されていますが、残念ながら鑑賞の機を失しています。もしも原作のままに映像化したら、前半はリジイアのプロモーションみたいになっちゃいそうですね。(鑑賞済み)

 さらにポーといえば、その厳しい表現の中にも叙情を醸し出している詩を忘れてはいけません。小説ですら虚飾と贅肉をそぎ落とし、ともすればハード・ボイルドに通じるかのような、無為な情感を排除し出来事だけを確たる言葉で表現した、悪くいえば少々平坦なものですが、これが詩編となると情念のうねりや感情の高ぶりが前面に押し出されてとても抑揚のあるものになっています。

 そしてやっぱりダークネスな主題であり、しかもそれが悲観的ではなく不思議な力に満ちたものですからたまりません。ある意味ミルトンの「失楽園」に通じるものを感じますね。あの、地獄のそこから復讐の機を狙うサタンたちに。「失楽園」については、ポー自身が詩論の中で、統一感を欠いた冗長な散文詩で、読み方によっていかようにも評価出来るとして触れています。

 さて、無知無教養がばれそうなので映画の話。ポーの作品はかなり映画化されていまして、古くは映画の父と呼ばれたD.W.グリフィスが1914年に「恐ろしき一夜」手がけていますし、近年では1991年の「ペンデュラム」の知名度が高いですね。ルチオ・フルチの「恐怖!黒猫(1980)」なんて、いつものフルチらしいスプラッターの怪作もありますが。

 もちろん、原作はさておき・・・というのは映画化のセオリーなのですが、完璧に過ぎるとまで評されるポーの小説を、え?と思われるかもしれない映画で楽しむのもまた趣きがあるというものです。特に詩編の映画化なんて、どう解釈すればそうなるの?ってな仕上がりです。もっとも、詩というものはその意をどう受け取るかなんて読み手しだいですから、何でもありといえばありなんですが。

 そんなポーの映像作品群の中でも、ユニヴァーサルのシリーズはベラ・ルゴシやボリス・カーロフを起用して、AIPのシリーズはヴィンセント・プライスを起用して傑作ぞろいです。ユニヴァーサルの作品は配役がサイエンティストだったり、セットが妙にメカニカルだったり、舞台を1930年代当時に持ってきてとてもモダンなんですね。全てモノクロ作品というのも時代背景にマッチしています。これが1960年代のAIPでは中世を意識したゴシック調の作品になっていまして、ダニエル・ハラーによる豪華なセットを美しいカラーで堪能できます。

 といったところで、手持ちのビデオからさくっと語ってみましょう。

ユニヴァーサル

 モンスター・ホラーで名を馳せるユニヴァーサル社ですが、その絶頂期にミステリー・サスペンスタッチのポーの作品を映画化しています。ドラキュラやフランケンシュタインの陰にかくれてあまり話題にはなりませんが、それらを演じたベラ・ルゴシとボリス・カーロフが主演しているのも見どころですね。

1932年 モルグ街の殺人 Murders in the Rue Morgue

 1845年のパリを舞台に、類人猿エリックの花嫁を探しに、というか作りにやって来たマッド・サイエンティスト、ミラクル博士が巻き起こすミステリーのようなもの。

 花の都パリの暗部に暮す人々と、そこに隠れるようにして暗躍するミラクル博士、この雰囲気がなかなかいいですね。さらに、ゴリラよりも濃いメイクと演技のベラ・ルゴシが印象的。紳士ドラキュラとは正反対のルゴシが拝める一作です。

 本編は、原作の探偵推理小説をそのまま映画化したら恐らくナンセンスになるのではないかと思いますが、マッド・サイエンティスト・ホラーにしたて上げたことが成功しているんじゃないかな。原作は結末以前のデュパンの推理がおもしろいけど、犯人がびっくらこいたオランウータンだってあたりでなんだかなぁだったからね。ラストは同じように屋根から転落してしまいます。

1934年 黒猫 The Black Cat

 第一次大戦中、上官であり邪教の徒であるポールジッグに陥れられて投獄され、さらには妻と娘までも奪われてしまったワルデガストの復讐譚。偶然事故にあった夫妻を巻き込んで話しはややこしいことに。

 ボリス・カーロフとベラ・ルゴシ夢の共演!というわけで、怪しい宗教団体の悪役カーロフのふてぶてしさ、復讐を遂げつつも誤解から命を落としてしまうルゴシの不条理さ、なかなかに見事です。特に、復讐心に燃えるあまりに狂気的な手段に出るルゴシの迫力、これはすごい。確かにすごいけど、カーロフが彼の奥さんにしたように、メスをふるって皮を剥ぐというのはなんともかんとも。もちろん、実際の描写はありませんが。ポールジッグの邸宅、地下の秘密基地が妙にメカニカルなのがユニークですね。さて、肝心な黒猫ですが、出てはきますが物語にはなんの関り合いもありませんし、雰囲気づくりにも役立っていません。そもそも話がちがいますから、原作とはほど遠い作品になってしまいました。

1935年 大鴉 The Raven

 高名ながらどこかあやしい素振りをみせる医師リチャード・ヴォリン。自動車事故に遭った女性を助けるもその娘を我がものにしようと悪巧みをします。しかし整形を依頼しに来た殺人鬼エドモンドを醜貌に変え、弱みを握って使役したところから身の破滅を招いてしまう。

 こちらもルゴシ、カーロフの共演ですが、今度は立場が逆転しています。ルゴシに見るも無残な顔にされたカーロフ、手下に成り下がりつつも最後は復讐を遂げます、という部分はサイドストーリーなんですが、どうしてもこちらに目が行ってしまいます。手術を終え、鏡に囲まれた手術室で狂気におちいるカーロフと、それをあざ笑うルゴシの対照的な演技が見どころ。というわけで、ルゴシは悪役のほうがしっくり来ますね。ところで、どこをどうすれば一篇の詩「鴉」がこのような脚本になるのか想像もつかない映画化なのでした。しかも、こちらの鴉ははく製で、もはや本編とはなんの関係ありません。ああ、まったく「最早ない」。

ロジャー・コーマンとAIP

 低予算短期間が信条のB級映画の帝王が手がけた初作、「アッシャー家の惨劇」は、ゴシックムード漂う傑作でした。この作品がヒットを飛ばし、ロジャー・コーマン=AIPを代表するポーのシリーズがつくられるきっかけとなったんですね。

 かといって特別大金をかけてじっくりと作ったわけではありませんが、コーマン流にいえば「節約できるところは節約した」ということです。セットなんか結構使いまわしてまして、チープな怪獣映画を作っていた時はロケ場所がいつも同じ裏山の洞窟だったんですが、ポーシリーズでは舞台がいつも同じ古城のセットだったりします。

 もっとも、セットに関しては使いまわし以前の問題で、ユニヴァーサルなどから使い古しのセットを安く譲ってもらい、それらに手を加えて組み上げていたんですね。さらに、捨てるのはもったいないからとっておいて、次の作品に使いまわし、増改築を重ねていきました。

 ロジャー・コーマンがポーと出会ったきっかけは、彼が高校生のときにまでさかのぼります。課題で読んだ「アッシャー家の崩壊」が気に入り、両親からのクリスマスプレゼントにポーの全集を買ってもらったんですね。もちろん、当時は映画の仕事につくなんて思ってもいなかったのでしょうが。

 さてさて、繰り返しになりますが原作と映画を比べるのはナンセンスとはいえ、思いのほかプロットがいかされているのも特徴です。とはいえ、詩編の「大鴉」のような、どうひねれば魔術合戦を思いつくのか不思議な作品もあったりしますが。まあ、詩が原作のものは、エンディングにその一節が流されたりしまして、これがまた結構いい雰囲気なんですね。ポーへの思い入れと商魂がミックスされた結果でしょうか。コーマンにしてみれば、とにかく売れることが先決ですから。

 そして、AIPのポーといえばこの人なしには語れないのが、ヴィンセント・プライス。特異な表情と独特の声がかもし出す、重厚で深みのある雰囲気がたまりません。細かいしぐさや表情が、ウィットに富んでいるんですね。腹の中では何を考えているのかわからない、とも言いますが。

 さらにシリーズの見どころ、すばらしい美術セットを担当したのが、ダニエル・ハラー。この人の美術あったればこそのゴシックロマンシリーズなんですね。あの独特のカラーで高名なハマー・プロと比べても、まったく遜色のないものだと思いますよ。

 また、シリーズのいくつかの脚本を、リチャード・マシスンが書いているのも見逃せないかな。だからといって、必ずしも傑作とはいえないんですが。

 

1960年 アッシャー家の惨劇 THE FALL OF THE HOUSE OF USHER

 アッシャー家の呪われた血筋を断ち切るため、当主ロデリックは妹マデリンの結婚に反対していたが、その矢先に彼女は病死してしまう。しかし、心臓発作の持病のあったマデリンはまだ生きており、息を吹き返し発狂した彼女は棺から抜けだした。

 ロジャー・コーマンが最もお気に入りの小説を映画化した、AIPポーシリーズ第一弾がこれ。高いギャラを出してキャスティングした・・・というのは抜きにしても、ヴィンセント・プライスの存在感と雰囲気に圧倒されます。プライスはロデリックを演じるにあたり、日の光に当たったことがなく色の抜けてしまったイメージを出すために、頭髪を白く脱色し、メイクも白っぽいものにしました。これが赤と金を基調にした背景にマッチしています。もちろん、この雰囲気が活かされるのはダニエル・ハラーによる、ゴシック調の見事なセットならではのもの。コーマンいわく、この作品の主役はダンの作り上げた屋敷であり、「この屋敷は生きている」という、プライスのセリフがそれを物語っています。

 また、オープニングでアッシャー家へとつづく荒廃した森のシーン、出勤途中にカーラジオで森林火災を聞きつけたコーマンが現場へ駆けつけ、消火活動の終わった翌日にその場所で撮影されました。さらに、ラストのアッシャー家の炎上シーン、これも偶然、農家が納屋の解体をすることを聞きつけ、壊すんなら燃やさせてくれということで話がついたのだそうです。こちらのカットはさらに別の作品に使いまわしされています。低予算とは直接関係ありませんが、こんな裏話もあるということで。このあたりは、ロジャー・コーマン自伝に詳しく書かれています。

1961年 恐怖の振り子 The Pit and the Pendulum

 姉の死を確認しに来た青年は、狂った城主に捕らえられ異端審問部屋の拷問にかけられてしまうが・・・。

 これはスクリーミングクイーン、バーバラ・スティール出演の一作。もっとも、出番は少ないんですがラストの目で叫んでいる彼女に拍手です。ギロチン振り子も怖いけど、このラストがいちばん怖い。彼女に限らず、ロジャー・コーマン作品にはかわいく魅力的な女優が多いですね。

 そしてやっぱりこの作品でもプライスの怪演が見どころ。気丈な紳士と、その裏に隠された脆い狂人を見事に演じています。一つの作品で見せる多面性もプライスの魅力ですね。

 原作の異端審問と拷問部屋というプロットと、ダークな雰囲気ははそのままに、独り芝居の閉所恐怖譚とは打って変わってよりエンターテインメントに仕上がっています。ことに「振り子」の迫力は満点で、わたしとしては原作を超えた逸品ではないかと思います。もっとも、原作を忠実に映像化したらコアなファン向けの短編が限界じゃないかな。ネズミに助けられる振り子のシーン、見てみたいものではあります。

1962年 黒猫の怨霊 TALES of TERROR

 ミイラ化した奥さんが娘に乗り移って旦那に復讐を遂げる「怪異ミイラの恐怖(モレラ)」、奥さんと間男を地下の壁に塗り込めるが、悪夢にうなされ、ついには飼い猫によって悪事がばれる酔っぱらいの「黒猫の怨霊(黒猫)」、死の間際にかけられた催眠術によって死してなおその身体に魂を縛りつけられた男の「人妻を眠らす妖術(ヴァルドマアル氏の病症の真相)」の3部からなるオムニバス。

 ゴシック調の雰囲気はそのままに、スピーディーな展開に仕上がった短編集は、これがまた原作のプロットを大切にしていてよくできています。とはいえそこはコーマン、特に「黒猫」はコメディー色を強めてユニークな作品になっていまして、ピーター・ローレとヴィンセント・プライスのワインテイスティング合戦やら、壁に塗り込められ助けを求めるプライスの悲痛な叫びやら、悪夢の中で頭をキャッチボールされるローレやら、見どころ笑いどころが満載。ヴァルドマアルではバジル・ラズボーンが催眠術師をそつなくこなしていますが、やっぱり今ひとつ押しが弱いのか印象が薄いですね。死蝋と化し、最後には溶けてしまうプライスが強すぎるってのもありますが。モレラでレノーラを演じたマギー・ピースがかわいいですね。

1962年 姦婦の生き埋葬 Premature Burial

 人は一見死んだように見えて、実は埋葬後にひっそりと息を吹き返していることが少なからずある。掘り起こされた棺の蓋に残された真っ赤な爪あとが、真の恐怖を物語っていることがあるからだ。心臓に持病をもったガイは、埋葬された後に息を吹き返すことに脅え、自分の墓所に自力で抜け出せるように細工を施していたが、彼が発作をおこして埋葬されたのは共同墓地であった。しかし、幸運にも医学用の死体売りに掘り起こされた彼はそこで息を吹き返し、遺産を目当てに彼を死に落としいれた新婚の妻エミリーと仲間のドクターに復讐を誓う。だが、その結末は自身も含めて命を落としてしまう全くもって誰も報われぬものなのであった。

 というわけでポーの傑作の一つ「早まった埋葬」は、ロジャー・コーマンの元に「失われた週末」でアカデミー主演賞を獲得した名優レイ・ミランドを迎えて映画化されました。これは、コーマンのポーといえばヴィンセント・プライスの主演が定着しかかっていたため、これを打破するつもりだったといわれています。とても優しくて良い人にしか見えないレイ・ミランドですが、そのイメージが功を奏して、埋葬後に息を吹き返す妄想やラストの復讐譚ではその人当たりのよさが一転暗転、このうえない恐怖がかもし出されることになりました。これが当時どう評価されたかは定かではありませんが、残念ながらレイ・ミランドの主演はこの一作、というよりもロジャー・コーマンが手がけたAIPのポー・シリーズではヴィンセント・プライスの出演していない唯一の作品となっています。

 ストーリーは、基本プロットは原作に忠実かつ読者の(私の)観たいポイントを見事に押さえながらも、原作の船舶の狭い寝台で目を覚ましほっとするラストから復讐譚へと大幅に変更されました。このためサスペンス色の強いストーリーになり、さらに墓地に響き渡る墓掘り人夫の口笛が謎めいた雰囲気に拍車をかけています。邪推ながら、この何かが起こりそうでなかなか何も起こらないのが恐ろしい口笛は「M」にインスパイアされたのだろうと思うのでした。

 ちなみに私が映像で見たかったシーンは、墓所で蘇生しながらもその扉が開かずに恐怖するところ、ガルバニ電池で蘇生を試みるところ、それと墓掘り人夫が死体売りのために棺を掘り返すところなんか。それにしても、ガイが埋葬されるシーン、あれだけ棺の小窓から目を見開いてきょろきょろしていれば誰か一人ぐらい気がつきそうなのに。あと、ヘイゼル・コートは確かに美人だと思うけど、あんまり好みじゃなかったかな。

1963年 呪いの古城 Haunted Palace

 相続した古城にやってきたチャールズ・デクスター・ウォードは、悪しき先祖ジョセフ・カーウィンの魂に身体を奪われてしまう。

 というわけで、ポーの「幽霊宮」のふりをしたラヴクラフトの「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」。まあ、邪神よりも幽霊色が強いのでポーとしてもなかなかの出来。といっても「幽霊宮」は一篇の詩なんですが、かつて栄華を誇っていたが今では朽ち果てたおばけ屋敷という点では間違ってはいないですね。この作品もプライスの魅力たっぷりなんですが、ロン・チャニーJrと共演しているのも見逃せません。すっかり太って頬のたれ下がった、年老いたチャニー、不気味さ倍増しています。主演女優のデボラ・バジェットよりも、冒頭でカーウィンに拉致される女優がかわいいなぁ。

1963年 忍者と悪女 THE RAVEN

 妖術師スカラバスによって鴉にされた友人から、スカラバスのもとに死んだはずの奥さんが捕われていると知った魔術師クレイヴン、魔法合戦の結果やいかに。

 どこが「鴉」なんだ?といった、原作なんぞどこ吹く風のコメディー。しかも、ヴィンセント・プライス、ピーター・ローレ、ボリス・カーロフが共演しているという豪華さ。作品も作品なら邦題もぶっとびだけど、これに限っては当たらずとも遠からず。妖術師に捕われた奥さんだけど、なんとまあ実はその妖術師とできていたのでした。鴉の羽根を羽ばたかせるローレは笑えるし、若かりしジャック・ニコルソンはキレてるし、プライスとカーロフの魔術合戦には開いた口がふさがらないぞ。ところで、シナリオに忠実なカーロフ、アドリブ派のローレとは折り合いが悪く、プライスが間を取り持っていたということです。

 内容はさておき、使いまわしと増改築を重ねた美術セット、これまでで最もすばらしい仕上がりになっています。おまけにこの作品の撮影後、ボリス・カーロフとの契約も数日残っていたため、コーマンとハラーはセットを解体する前に急きょ中途半端ながら脚本をあげ、現場にいたスタッフ総動員でもう1作の半分の撮影をしておきました。そしてもう半分のロケにはフランシス・コッポラが携わったのが、同年のジャック・ニコルソン主演「古城の亡霊」です。

1964年 赤死病の仮面 THE MASQUE OF THE RED DEATH

 城下に赴いたプロスペロ公は、美しい娘フランチェスカを見初め、城に連れ帰り淑女にしたてあげようとする。しかし、その狂気と凶行の末に赤い死神に魂を奪われるのだった。そしてその赤い死神の正体とは?

 シックにまとめられたダニエル・ハラーのセットに、ヴィンセント・プライスの怪演が映える、舞台劇の趣のある傑作。狂乱の宴に残酷な仕打ち、さらには赤死病の脅威と救いようのない暗鬱なストーリーだけど、ただの暴君ではなく奥底に救いを求めんとするプロスペロの、どこか不思議な優しさを演じるプライスの秀逸さ、物語の中央に毅然とした女性を据えることによってぎりぎりのラインで正気を保っていますね。脇を固めるキャストたちのドラマも見事に描かれています。そんなこんなで、色とりどりの死神が集うラストは一見冗談のようだけど笑えないんですねぇ。その死神の集うなかで生の道を与えられる子供に、一筋の光明が見て取れます。

 女優といえばさすがはコーマン、この作品でも老若貴賎を問わず綺麗どころで固められています。特にフランチェスカを演じるジェーン・アッシャーは一押しにかわいいぞ。

1964年 黒猫の棲む館 THE TOMB OF LIGEIA

 美しい妻リジイアを失ったバーデンは、彼女の墓所で偶然であったロウェーナと恋に落ち、後妻に迎えた。平穏に包まれるかにみえたロウェーナの結婚生活だったが、頻繁に黒猫に襲われ、バーデンが夜毎自室から離れることを知る。そしてある晩、黒猫に追われたロウェーナは隠された地下室へと入り込み、そこにバーデンと、死してなお美しさを保つリジイアを見つけた。リジイアの死を信じず狂気に陥っていたバーデンはロウェーナによって正気を取り戻すが、黒猫に襲われて失明し、失火によって館は燃え落ちるのだった。なんか変な説明だな。

 「赤死病の仮面」と共にAIP時代コーマンのポーシリーズ最後を飾る作品は、「リジイア」をベースに「黒猫」と「アッシャー家の崩壊」を盛り込んだ佳作。さすがに赤死病の迫力にはかないませんでしたが、コーマンらしく魅力的なキャスティングとそれなりの雰囲気づくりがなされています。廃墟で行われたロケはさすがに低予算を隠しえなかったようですが、古寂れた室内セットと共に雰囲気はまずまずでした。

 特徴的なところでは、バーデンを視覚過敏の設定にしてサングラスをかけさせ、不気味な雰囲気を持たせたました。このサングラスによる演出はヴィンセント・プライスの表情演技の要となる眼を隠すことになるのですが、それでも独特の雰囲気をもって怪演しています。しかし、最後まで徹底してサングラスをかけていたわけではなく、中途半端になってしまったのが惜しまれます。サングラスに絡んだ下りも一つしかなかったしね。まあ、サングラスのプライス、ちょっと若作りなスタイルとあいまって渋さ倍増でした。

 また、エリザベス・シェファードがリジイアとロウェーナの一人二役を演じているんですが、恥ずかしながらスタッフ・ロールを見るまで気がつきませんでした。確かにリジイアは黒髪で怪しげ、ロウェーナは金髪ではつらつと演じているんですが、私の目にはまるきり別人に見えたんですね。さらにこのエリザベス嬢が芸達者で、横座りで乗馬しながら障害を越えてしまうといった見事な手綱さばきを見せています。

 この後コーマンが抜けたAIPのポー作品よりはまだ良質なのですが、さすがにコーマンの手腕を持ってしてもパワーダウンの感は否めません。これは作品のほとんどが「死」をテーマにしていることもあり、マンネリに陥ってしまったからでしょう。ほとんどの作品にプライスが出ていることも、うれしい反面マンネリに拍車をかけてしまっていることは否定できません。ちなみに、初作「アッシャー家の惨劇」で撮影され、延々と使いまわされた納屋の焼け落ちるカット、この作品でも使われています。

1968年 勝ち誇る蛆 CONQUEROR WORM

 とある村にやってきた魔女探し屋の暴挙!魔女狩り物に正義無し、ということで、ヴィンセント・プライスが演じるのはどうやら欲に目が眩んだのか趣味なのか、やりたい放題の魔女狩り師です。彼の部下なんか、宿に娼婦をいっぱいはべらしたりして、もう何をやってんだか裸のねーちゃんがいっぱい。でも、魔法使いの嫌疑をかけられた者が、拷問されたり吊るされたり川に落とされたり火あぶりにされたりなんで、ちっとも楽しくないどころか、いやーな気分にされられます。いちおう正義の騎兵隊の若者も出てくるんですが、会うたびにひとしきり愛を語り合う恋人を救えるかと思いきや、とっつかまって目の前で恋人が拷問されちゃうし。仲間が助けに来てくれて魔女狩り師は倒すんですが、狂ったように斧を振るったりと、とっても後味が悪いですね。しかも恋人の悲鳴で幕が閉じたりするんで、もう勘弁してくださいです。この救いようがないあたりがポーなんでしょうかねぇ。そういえばラストになにやら朗読されますが、やっぱりポーの詩「勝ち誇る蛆」かな?

 いちゃつく馬鹿者共を除いて、映像、音楽共にすばらしいんですが、いかんせん救いようのないストーリーに打ちのめされてしまいます。

1970年 バンシーの叫び Cry of Banshee

 魔女狩りの風雲吹き荒れる村に、本物の魔女が弟子と獣人を派遣する話。で、何がしたいのは今ひとつ不明のまま、魔女も獣人も倒されちゃいます。

 魔女狩り物に正義無し第2弾、というわけで途中までは魔女の嫌疑をかけられる悲劇なんだけど、めずらしく本物の魔女と獣人が出てきます。それでも、魔女狩りにかこつけて人を陥れたり、欲望を満たしたり、快楽殺人をするといった描写には弱ってしまいます。ことに、まだ幼さの残る少女を手にかけるのはいただけませんねぇ。前衛舞踏のような魔女の宴はまあいいとして、そこへ乗り込んだ魔女狩り集団の残虐さには頭をかかえてしまいます。冒頭でポーの詩がクレジットされますが、バンシーの叫びって詩はあったかな?

 かろうじてヴィンセント・プライスの怪演が魅力なんですが、女優陣はいまいち色気に欠けて貧弱ですね。コーマンが離れた後のAIP、こういうところでボロが出ているような気がします。実際、ビデオ映画の波に乗り遅れ、衰退していくんですが。

1971年 モルグ街の殺人 MURDER IN THE RUE MORGUE

 劇場を舞台に繰り広げられる、オペラ座の怪人風連続殺人。

 これまた原作を大胆にアレンジした映画化ですが、ミステリーの体裁は保たれています。もっとも、ゴリラの出てくるオペラ座の怪人といったほうが的を得ていると思いますけどね。ヒロインの幻想シーンが雰囲気を盛り上げているんですが、今ひとつの感は否めません。そもそも、類人猿エリックを演じているのが、オペラ座の怪人エリックなんですから!。というわけで、本物のゴリラは出てこないのでした。

 この作品がAIPポォシリーズの最後となります。入手困難から紹介していない作品もありますが、それらは後に縁があったら入手できることを期待しています。他にも、ユニヴァーサル以前、ユニヴァーサルとAIPの間にある作品、AIP以降の作品もありますが、こちらもまた気が向いた時に入手するかもね。

1989年 新・赤死病の仮面 MASQUE of the RED DEATH

 AIPを離れて久しいロジャー・コーマンによる「赤死病の仮面」2度目の映画化。プロスペロ公の押しが弱く、ヴィンセント・プライスの前作に隠れて評価はさほど高くないようですが、中世の雰囲気たっぷりの不気味な仕上がりになってます。とはいえ、豪華さに欠けるセットのため、貴族の雰囲気がないのが残念ですね。田舎貴族の小さな砦、といった趣です。全員死んでしまう原作と違って、一組のカップルが生き残る設定になっていますが、村人への酷い仕打ちや女性に恥辱を与える宴など、やっぱり今ひとつ救われないのでした。

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