クリスマスツリーと門松

 今回は聞きかじりの断片的な知識がいろいろ入っていますので、もしかしたら間違っている部分があるかもしれません。お含み置きの上お読み下さいませ。


 クリスマスは西洋の行事です。正月はどちらかというと東洋で盛んに祝う行事のようです。ところがこのふたつ、根は同じものという見方ができるのです。


 クリスマスはキリストの誕生日ということになっていますが、実は聖書には誕生日に関する記述がないんだそうで。それどころか聖書の記述を分析すると夏だろう、という説さえあるとか。じゃ、12月25日はなんなんだというと、この重要な日がわからないと落ち着かないから、と、ずっとあと(10世紀だったかな)に会議を開いて決まったんだそうで。
 なぜ12月25日になったのかというと、それはその3日ほど前に冬至があることと関係あるようです。
 冬至は一年のうちで一番太陽が南よりを通る時、言い換えると(北半球では)一番昼が短くなり、日差しが弱い時です。この日を過ぎるとだんだん昼が長く、日差しが強くなって行きます。やがて気温は上がり、植物は光合成を盛んにするようになり、動物の活動も活発になり、人の食料も手に入りやすくなります。
 そこで、冬至の頃にお祭りをし、冬が峠を越したことを喜び合う風習が世界各地にあったようです。「冬至祭」などと呼ばれます。冬至祭では、自然の生命力の象徴である常緑樹のまわりでパーティーをするようなことが行われました。
 この冬至祭にあわせてクリスマスの日取りが決められたという話を聞いたことがあります(真偽のほどは確かめていません。念のため。)。
 また、西洋で発達してきた現在の暦では冬至の直後を年の区切りにしています。冬至と元日に1週間ほどのずれがある理由は、残念ながら私は知りません(昔の暦が正確でなかったからなのか、長い間にずれてしまったからなのか…多分後者だろうと思います。あるいは、なんらかの理由でわざとずらしたのかもしれません)。


 中国や日本の昔の暦では、立春、つまり今の暦で2月の初め頃を正月としていました。節分の豆まきは、元は大晦日の年越しの行事でした。立春の頃は、一年で一番気温が下がる時期です。言い換えると、立春を過ぎるとだんだん温かくなってきます。そう、正月もまた、冬から春へ季節が変わって行くことを祝う行事なのです。
 つまり、宗教的な意義付けは別として、クリスマスと正月は起源は同じものだということになります。北欧ではモミ、日本では松(門松)と、それぞれ身近な常緑樹を飾って、冬が去り春が来ることを祝ったのです。

 かたや冬至、かたや立春を区切りにしたのは、おそらく緯度と関係があるのでしょう。たとえばパリは北緯48°、ロンドンやベルリンは北緯52°、サンタクロースの本場(?)フィンランドの首都ヘルシンキは北緯60°です。一方、東京は北緯36°、北京は北緯40°、札幌でも北緯43°です。昼と夜の長さは緯度が高いほど大きく変化しますから、ヨーロッパの人々は昼の長さの変化に季節の変化を感じていたのでしょう。日本や中国では昼の長さの変化はさほど大きくないのであまり敏感でなく、むしろ気温に季節を感じていたのでありましょう。

宗教に関する暴論を少々


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