カミ様ホトケ様(暴論)

 私は一応仏教徒です。浄土真宗ですので「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽往生できることになっています。「一応」というのは、日本人によくある、困ったときには神様も仏様も稲尾様も全部まとめて拝む「無宗教的仏教徒」だからです。
 それでもいいじゃないかとこの頃思っています。神様も仏様もそれほど違いはないんじゃないかな、と。
 ま、稲尾様は別として(笑)。


 もちろん、それぞれの宗教で具体的な内容が違っているのは知っています。「それほど違わない」というのはもっと根本の部分についてのことです。
 要するに、どの宗教も「正しい生活をしなさい」と言っているのでしょう。具体的にどうするのが「正しい」のかは、それぞれの宗教が成立した(場合によってはそれが伝えられてきた)時代や地域の諸条件、自然条件や生活習慣などによって違っている、ということだと思うのです。
 豚を食べないのはイスラム教でしたっけ。たしか放送大学の先生がラジオ講座の中でおっしゃっていたことだったと思うのですが(だから、まあ信用していいと思うのですが)、それは「豚が穀物を食うから」だそうです。「牛は草を食わせておけばいいから食べてもよい」のだそうです。つまり、イスラム教が成立した乾燥地域では、豚を飼う(=貴重な穀物を豚に食わせる)ことは贅沢だからよしなさい、という教えなのだそうで。


 また、自分の考えとぴったり合う宗教もないように思います。十分調べたわけではないし、「自分の考え」も十分固まっているとは言いがたい部分もあるのですが。(「私の考え」については当館の方々に散在している文章を読んでいただくと少しご理解いただけるかもしれません。特に「僕らはみんな生きている」あたり)


 「神様」や「仏様」の存在そのものについては、「いてもいい」ぐらいに思っています。無批判に信じる気にはなれませんが、無碍に否定する勇気もありません。
 自然科学に関わる者は「神様」を安易に信じてはいけないことになっているようです。「神様」を持ち出した時点で真相究明が止まってしまうから、という理由です。それが間違っているとは思いませんが、「真相がわかるまでは、とりあえず『神様のせい』にしておいてもいんじゃないか」と思うこともあるのです。
 (第1分野の人にはなかなか賛同してもらえないのですが)まだまだ人知の及ばない、手がかりすらロクにつかめない物事がたくさんあります。そのことを認めるのは悪いことではないと思うのです(それは科学的な真相究明を放棄することとは違います)。
 さらに、神様(と呼ばれるような存在)の存在を完全に否定できるほど、今の人類は物事を知っているわけではないとも思います。もちろん、安易に頼るのはよくないと思いますが。

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