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Father's Room

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mizuno RAFFICA-T1000
「'97新旭トライアスロン駅伝」参戦記(琵琶湖)
> 97/07/13 <
「トライアスロン駅伝」とは、1チーム3人で各自が「スイム(750m)・バイク(20km)・ラン(5km)」を行いタスキを渡していく競技です。今年は台風が接近していて「大雨・洪水警報」の中、スタート時の水温19℃と最悪に近い気象状況でしたが中止になることを思えば「よし」としました。
400弱のチームがエントリーし、私は「福知山水泳協会トライアスロンチーム」として、できたばかりのチームウエアで「第1走:向山靖・第2走:重留利夫・第3走:谷垣」で臨みました。第3走の私のバイクの時にようやく雨が止みランの時は日が照っていました。25,000円かけてオーバーホールしたバイクの調子が良くカーブのスリップで冷や汗はかいたものの楽しくレースできました。楽しむことを目的に参加したので結果は公式記録の結果が届いていないのでわかりません。
また坐骨神経痛の為「CW−X」というワコールのサポートウエア(腰ベルト)を試用しました。お陰で腰痛は出ませんでしたが少し肌との接触部に違和感が有りました。 今年のトライアスロンのメインレースである「珠洲大会(8/24)」までに調整したいと思っています。
新旭bike20km新旭run5km
公式記録が届きました(09/10)。何とトップは『2:55:04』。トップだったnewbarance キャノンデールチームのG,MangumにTシャツにサインをしてもらいました。
チーム成績4:07:49165位/331チーム
名   前 トータル SWIM BIKE RUN 個人順位
向 山  1:16:31 15:27 40:00 21:04 140位
重 留 1:31:02 23:05 45:56 22:01 251位
谷 垣 1:20:16 17:42 41:04 21:30 142位

「'97福知山トライアスロン」参戦記(京都)
> 97/07/20 <
福知山トライアスロン 「スイム900m・バイク30q・ラン10q」のショートタイプですが、130人のボランティアと福知山市・警察署のご協力で第12回を無事開催することができました。このページを借りて関係者にお礼を申し上げます。私はアキレス腱の故障で2ヶ月ほどランニングの練習ができず、バイクにウエイトをおいた成果が出て気持ちよくライディングできました。 公式記録がまだ届いていないので、身内の記録結果を掲載しておきます。私もスタッフ兼選手として毎年参加させて頂いております。なお総合1位の「山口崇」さんは地元の選手で「95年デュアスロンの全日本チャンプ」です。

レース結果 Here!   (福知山スイミングスクール関係者用)

「'97珠洲トライアスロン」参戦記(石川)
> 97/08/24 <
珠洲用決戦バイク 「スイム2.5q・バイク100q・ラン23q」のミドルタイプです。抽選の結果当選し初出場となりました。ちなみに参加費は2,3000円也。
珠洲大会用に「決戦用バイク 珠洲仕様」を購入。本番1週間前の納品となり調整不良のまま参戦となる。
腰痛防止用に振動吸収性の高いカーボンフレームを選択。「TREK5500」はトップチューブサイズが合わず、Mizunoの「raffica T1000」を選択。パーツはShimanoのNEW「アルテグラ」。勾配16%を考慮し、フロントインナーが39、リアのローが25(12〜25)とまさしく山越え仕様、タイヤはVITTORIA、ペダルもアルテ!ダンシングを考慮しバーテープの下に「ソルボセイン(衝撃吸収材)シート」を巻いたブルホーンにしDHバー共にSYNTACE。
値段はというと、・・・・うちの奥さんも見るので明らかにはできませんが、給料より高いでーす。
ラン!ラン!ラン!
スイム:1時間02分
バイク:4時間06分
 ラ   ン:2時間20分  
総  合:7時間29分
第509位

Aタイプ参加1,005名中、完走831名で完走率83%   天候は快晴で波は少し有り。
予定の   S:1h   B:4h   R:2h   T:7h  にほど遠い散々な結果になってしまった。
今回は7月に新旭大会に参加した「向山」氏と二人で参戦。もう一人の「重留」氏は抽選に通りませんでした。前日の朝5時半に福知山を出て410kmの工程を5時間ちょっとで珠洲。 帰路は18時半まで休憩の後出発し福知山には午前1時過ぎに到着。朝4時起床に始まり本当に長い1日でした。レースの詳細は、右の写真をクリック

距 離 95年(第5回) 96年(第6回) 97年(第7回) 98年(第8回) 2000年
(第10回)
【 96年 】
福知山マラソン
後方の黄色のランシャツは、同僚で鳥取営業所の河村氏です。
5q 24'25 23'05 23'45 24'31 26'10
10q 22'45 22'27 23'06 24'14 28'50
15q 22'43 22'31 23'28 24'18 30'11
20q 23'10 22'46 23'36 24'31 31'44
25q 23'06 22'55 23'32 24'43 31'55
30q 24'03 23'26 24'06 26'00 33'37
35q 26'42 23'45 26'24 30'00 38'05
40q 30'55 23'48 27'08 33'20 41'07
Goal 15'23 9'54 12'11 14'55 20'17
記 録 3時間33分12 3時間14分37 3時間27分17 3時間46分40 4時間41分59 【98年】
福知山マラソン98年
1q 5分04秒 4分35秒 4分55秒 5分21秒 6分41秒
5q 25分20秒 22分55秒 24分35秒 26分22秒 33分04秒
『5qラップ表』
5kラップ推移グラフ
 【97年】
夏のトライアスロンの故障の治療に40日間の休養で10/10から練習に入ったことで今年は目標を「200分」とし96年より「30秒/q」ダウンの5qを「23分30以内」で30qまで行き40qまでを「48分」、残りを「11分」の配分を考えた。しかしながら練習不足はものの見事に30qあたりから大腿四頭筋の疲労に顕著に現われペースは大きくダウンした。
 【98年】
直前の故障の為予定タイムを下げて、25kmまで4分30秒、以降25分30秒の予定でしたが練習不足の結果は自己ワースト2位のタイム。順位で2300位ぐらい。
 【99年】
内側靭帯損傷によりドクターストップ!
 【2000年】
足の骨折により練習期間3ヶ月の影響が顕著に出ております。f(^_^;

京都シティハーフマラソン
距離 96年(第3回) 97年(第4回)
98/03/09
98年(第5回)
98/03/08
ラスト100!
5q   22'30 22'48
10q   22'30 21'52
15q   23'02 21'53
20q   21'22 20'39
Goal   4'26 4'28
タイム   1時間33分53秒 1時間31分40秒
平均   4分28秒/q 4分21秒/q
  22'20/5q 21'50/5q
『5qラップ表』
京都シテイ5kラップ表
98年:1ヶ月のドクターSTOPで、膝の裏(大腿二等筋腱)に爆弾を抱えていたので「大腿二等筋用」の「サポートタイツ」をはくことにした。完走できるか不安だったがスタート地点で綾部の森本氏に出会ったのでペースランナーとして付いて行くことにした。思いのほか調子良く、ふくらはぎの軽い痙攣と共にゴールした。残り5qの白川通りは軽い下り坂でいつもスパートできる所で有るが、さすがに練習不足の為KEEPが精一杯であった。
上の写真はラスト100mの平安神宮横辺りです。





以前のようにマラソン完走時の感動が薄れてきており「新たな感動」を求めて100qマラソンに参加した。初夏のサロマ100qにもエントリーしたのだが家庭の都合で参加できなかった。練習でも50km以上走ったことが無いのに無謀と言えば無謀な挑戦であった。
朝3時に起床して5時の真っ暗な中スタート。道の両脇はかがり火と近所の人のバイクや車の照明で心温まる配慮である。スタートからいきなり山の中で20km前の最初の峠越えで500mの標高差はさすがにつらい。下りで案の定ひざを痛めてしまった。それでも50kmまでは「6分/q」と予定通りである。60km手前の峠が辛かった。
60km地点のレストハウスで休憩。15分程休む予定であったが横になり思わずウトウト。目が覚めたら30分経過、足がむくんでおり用意した一回り大き目の靴に履き替えてウエアも着替えてリフレッシュして再スタート、結局40分の休憩となる。グラフから分かるように峠の2ヶ所のラップが突出しており、休憩後の10kmは休憩が効いておりラップも低い。70kmからの15kmが一番辛い時期で普段の5kmのラップの倍掛かっている。この時期の沿道の声援が後押ししてくれる経験は始めて感じたものであった。
それでも90kmからは残りのキロ数がエネルギーとなりラストスパートができた。ラストの1kmくらいから感激で自然と涙が出て止まらなかった。冗談抜きで前が見えないくらいである。5時頃から辺りが暗くなってきてゴールは7時半で朝と同様真っ暗であった。12時間31分と予定より1時間30分遅れであった。「歩かずに完走」という目標は達成でき自分でも満足している。
しかし宿泊の同室のおじさんがフルマラソンで4時間をも切れないタイムであるのに私より1時間も早かったのにはショックだった。ウルトラマラソンは何よりもペース走が大切なことが分かったのは収穫である。反面「自分の限界を見てみたい!?」と感じていたのも事実で、見たいような見たくないような不思議な感想(完走)であった。毎年出れる大会ではないが30代にあと1回は参加したい大会である。最初の峠越えを考えてまた挑戦したい。成績は100kmの部は1000人の参加で777人の完走で402位であった。

綾部-宮津 ハーフマラソン 参戦記 <97/11/30>
京都縦貫自動車道建設記念で、綾部ジャンクションから舞鶴由良川大橋の手前までの往復21qを走ってきました。小雨混じりの寒風吹きすさむ朝でしたが、スタート時は何とか雨も止みました。1週間前に福知山マラソンがあったばかりなので遊びのつもりで参加したのでしたが「スタートの号砲」と共に体の中のスポーツマンの血(?)が目覚めいつものペースで走ってしまいました。後半のバテが心配でしたが、知り合いの女性(2位)のペースメーカーになることで何とか自分の走りができました。それでも残り4kでスパートを掛けて目標の100分を切ることができました。ハーフマラソンの部はエントリーが200名弱で結果は31位でした。参加料は無料で参加賞がTシャツ。しかも開通前の高速を走る1回こっきりの大会でもあり楽しく走れました。今年はこれが最終レースでした。
コース見取図
前半(10k) 47分24秒 後半(11k) 51分00秒 記 録 1時間38分24秒 ラップ 4分45秒/km
舞鶴由良川大橋 当日まで折り返し地点が分からずてっきり『由良川大橋』を走れるものと思っていたので手前で折り返したのは残念でした。ハーフにこだわらず25qにして大橋を渡れたほうが参加者は記念になったと思いました。
手前が綾部JCTで川向うが舞鶴大江ICです。尚宮津以北は「鳥取宮津自動車道(仮称)」です。

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