菊地秀行トークライブ
ユニヴァーサル篇1
トークライブ

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 ロフトプラスワン、午後11時30分、いつになく早く開場される。ゆったりと鑑賞できるよう、劉貴さんと後ろの席へ。せいらくんの席の確保も忘れない。たなべさんに怪奇大作戦の同人誌を見せていただいたり、ケビンさんと映画談義をしたりしていると、御大が会場入りされたのを見つける。思わず手を振ってご挨拶すると、なぜか私達のテーブルにいらっしゃって「飯野君はまだ来ていないのかね?」と一言。まだお会いしていないですね、ということで御大が確認して戻ってくると、なんと飯野先生は寝過ごしてしまっていたそうな。それに加えてまだちょっと早いこともあってか、御大と同じテーブルを囲んでお話しできるという光栄にあずかってしまった。忘年怪の忌まわしい写真とか、某ファンタで名前の文字が違っている写真とか、今日は客席にいてもオーダーを取りに来ないですね〜などと盛り上がる。ああ、至福のひととき!

 そして、終電でやってくるという飯野先生を置き去りにしてトークライブは開幕。お題は「ユニヴァーサル篇1」。今回の紹介作品はどれもあまりに有名なので、ここでの説明は本編を離れて菊地先生の裏話を含めて簡単に。

「魔人ドラキュラ Dracula」(1931)

 ブラム・ストーカー著「吸血鬼ドラキュラ」の公式では初の映画化。とはいえ、これを元にした舞台劇の映画化である。監督のトッド・ブラウニングはロン・チャニー出とる予定でいたが、残念ながらチャニーは1930年に他界。舞台劇で伯爵を演じていたベラ・ルゴシが起用される。このため、ブラウニングはやる気がなかったとか。ブラウニングに代わってカメラマンのカール・フロイントが仕切ったそうだが、ドイツ語しかわからないカールと、ルーマニア語しかわからないルゴシが意思の疎通を計るのは一苦労だったそうだ。本編は、トランシルバニアのドラキュラ城のセットは古色蒼然としていて素晴らしいが、舞台を1930年当時の現代に移したためにドラキュラが暗躍するロンドンの町には自動車が走り、電話が通じているというギャップがある。また、スペイン語版の「魔人ドラキュラ」が同じセットでスタッフとキャストを変えて同時に作られた。こちらは無気味な雰囲気ではトッド・ブラウニング版に遠く及ばないが、テンポ良く仕上がっている。ところで美男子で魅力的といわれる当時のルゴシ、わたしには丸顔のスケベオヤジの印象が強いけど。特にレンフィールドの悪事を陰からこっそり見ているシーンなんてバカっぽいと思うぞ。

「女ドラキュラ Dracura's Daughter」(1936)

 「魔人ドラキュラ」の続編で、ドラキュラ伯爵の娘、マリア・ザレスカ伯爵婦人の物語。社交界にデビューしたザレスカ伯爵婦人が美女を襲うという、いわばレズビアンタッチの作品。物語は前作のラスト、ヘルシング教授がドラキュラ伯爵に杭を打ち込むところから始まるが、さすがにセットが違うために立て続けに観ると違和感を感じる。また、この現場になぜか警官がやってくるが、この演技が妙に「アボット&コステロ」風である。この作品はハリウッドオリジナルではなく、ブラム・ストーカーの短編集「Dracula's Guest」をもとにしている。ところで、グロリア・ホールデン演じるザレスカ伯爵婦人ってヴァンパイラに似てないかな・・・似てないよね。

たしか、女ドラキュラの上映中に飯野先生登場。駆けつけ3杯を遥かにこえるピッチで焼酎を空け、一気にい〜の先生モードへ突入するのであった。ライブの終盤には、客席の女性にまで襲いかかってしまったのでした。あんまり度を越すと嫌われちゃうぞ!楽しいトーク程度にお酒をひかえよう!い〜の先生(爆)。

「ミイラ再生 The Mummy」(1932)

 1925年に発見され、その発掘にまつわる怪死事件で話題になったツタンカーメンの呪いを題材にしたハリウッドオリジナルの作品。物語は1999年リメイクの「ハムナプトラ Mummy」とほぼ同じ。主演は前年にフランケンシュタインモンスターを演じたボリス・カーロフ。監督は魔人ドラキュラのカメラマン、カール・フロイント。モンスターのメイクにフランケンシュタインモンスターを手がけたジャック・ピアース。初めのミイラ男は顔に包帯を巻いておらず、乾燥して皺だらけのメイクであった。また、常人と変わらないほどの姿形にまで再生する。わたしには国籍不明に見えるカーロフ、エジプト人を演じても違和感がありませんな。

この頃せいらくんが来たんだったかな。終電を忘れていて、タクシーで来たとか。いつ来るのかとヒヤヒヤ・・・しつつスクリーンに見入っていました。

「ミイラの復活 The Mummy's Hand」(1940)

 「ミイラ再生」のリメイクであるが、今回のミイラは墓守に操られるという設定。また、人間の姿には再生せず、終始ミイラのままである。ミイラ怪人を演じるのは活劇俳優のトム・タイラー。メイクは前作を引き継いでおり、しわしわのこまかいメイクが施された。

ここでちょっと新刊情報と質問コーナーだったかな。これについては詳しい情報が流れているはずなので省略。

「倫敦の人狼 Werewolf of London」(1935)

 この映画の企画は1932年に出ており、ボリス・カーロフが狼男を演じる予定であった。しかし映画は作られず、1934年に企画を修正してヘンリー・ハルとベラ・ルゴシが起用されることになる。しかしこれも実現されず、1935年にヘンリー・ハルとワーナー・オーランドの出演で制作された。カーロフもルゴシも狼男を演じていないため、この作品が最初で最後の狼男を演じるチャンスだった。この最初の狼男映画は、変身という題材を「ジキル博士とハイド氏」から受け継いでおり、科学的な要素がふんだんに盛り込まれていた。また、狼男になっても超人になったわけではなく、あっさり殴り倒されてしまったりもする。変身シーンは柱の陰を通り過ぎるごとに変化させるという、技術を演出でカバーするものであった。

「狼男の殺人 The Wolf Man」(1941)

 前作の続編ではないが、「ジキル博士とハイド氏」の影響を離れて「狼男」を確立させた作品。狼男は銀に弱い(一般的には銀の弾丸)という設定も、この作品の設定によるもの。まさしく、伝説の狼男はこの作品によって生まれたのである。また主演のロン・チャニー・JRは、この作品によってモンスター俳優の地位を確立したといってもいい。狼男の恐怖の本質は、狼男に襲われることではなく狼男に変身して無意識のうちに殺戮を繰り返すところにある。チャニー・JRはこの悲哀に満ちたモンスターを見事に演じきったのである。

「フランケンシュタイン Frankenstein」(1931)

 あまりにも有名なこの作品、ここでは何も紹介する必要もないだろう。というわけで省略・・・と言うわけにもいかないので、ちょっとだけ。当初モンスター役にはベラ・ルゴシが当てられていたが、素顔が見えない、セリフがないという役を嫌ったためにボリス・カーロフが起用されたのは有名な話。カーロフが見いだされたのはスタジオの食堂で食事中だったというのはあまり知られていないかも。さらに、この時期の下積み時代のカーロフは、こわもての相貌からか主に悪役をこなしていた。無骨な人造人間を演じるにはルゴシよりはフランケンシュタインモンスターには向いていたに違いない。なお、今回紹介された映像には、封切り当初にカットされた「モンスターが少女を池に投げ込む」シーンがカットされずにおさまっていた。これを見たのはわたしも初めてであるが、このフィルムは数年前にイギリスで見つかったそうだ。また、モンスターの服、袖が短いのは人造人間のアンバランスさを演出するためだとか。

「フランケンシュタイン復活 Son of Frankenstein」(1939)

 第2作目は「フランケンシュタインの花嫁」(1935)であるが、こちらが紹介された。フランケンシュタイン男爵の息子が父の遺産を引き継ぎ、実験室の地下からモンスターを発見、復活させるというもの。モンスターをそそのかす怪人イゴールを、ベラ・ルゴシが演じている。ドラキュラ伯爵と比べると、なんとも貧相な役柄であった。また、モンスターは毛皮のベストを着こんだ妙な衣装の上に、ただうなり声をあげるだけのものになってしまい、カーロフはこれを嫌っていたそうだ。

 上映作品は以上。そして再び質問コーナーで幕を閉じます。今回はスムーズに進行したためか、予定作品はすべて紹介されました。もっとも、どの作品も見知っている上に、映画自体が静かすぎて睡魔に襲われてしまいましたが(^^;。まあ、初めて目にする方にはきっと新鮮だったと思います。さて、九州の彼、飯野先生が来てないのか〜と残念そうでした。それもあってか、たぶん菊地先生も気にかけていたみたいですよ。今回は例のコーナー無しにしましょうとなりましたしね。まあ、時間もなかったですが。

 ライブも終了し、一足先に地上に出てしばし一休み。先生方とちょっとご挨拶をしてカラオケになだれ込むのでした。ああ、すっかり酔っぱらったい〜の先生が手を引かれていく姿、なんかかわいかったぞ。でも、地上でも女性を襲っていましたぞ。飲み過ぎは身体にもよくありませんから、お互い気をつけましょう(笑)。

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