投票率58% 98.7.13.Upload
日本の若者、案外マジメじゃん。そんなことを思う今日このごろ。


 サッカーのテレビ中継が視聴率62%(だったっけ)。テレビどころか生で見ようと、入場券もないのにフランスへ繰り出した人々、無慮数万人。狂気の沙汰である。一方、公職選挙の投票率は年々低下し、前回は45%(だったっけ)。

 「今度の選挙の投票率がサッカーの視聴率に負けるようだったら日本は世界から笑われる」などとテレビの解説の人が言っていた。その通りだと思った。でもそうなるような気がしていた。50%には届かないだろうなぁ、って。

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 58%。予想外によかった。と思う。62%にはちょっと負けているけど、まあ、ほぼ互角と言ってよいのではなかろうか。特に、若者の棄権が減ったことが目立つという。日本の若者、捨てたものじゃないな、そんなことを思う。
 思い起こせば、この春にミュージシャンが死んで(*1)、葬式に数万人の若者が集まった。あのころから変化が始まっていたように思う。
 死んだのは我々オジサンには理解できない音楽(*2)をつくる人で、葬儀に集まったのはそれを聴く人たち。何かとんでもないことが起きるのではなかろうか。世間のオジサンの多くはそう思っていたはずだ。

 ところが若者達は実に礼儀正しく振る舞ったという。中には散らかったゴミを拾い集めたグループもいて、オジサン達を感心させた。
 サッカー観戦に行ったフランスでも、日本の若者はマナーのよい、かつ熱心な応援をし、ここでもゴミ拾いをして世界中から集まった人たちを感心させたという。
 今どきの若者たち(*3)が無気力とか醒めてるとか自分勝手とか評されるのは、多分、きっかけや動機に恵まれないだけなのだと思う。

(*1)普通、ドアノブって、手が届く程度の高さにあるよなあ。謎である。
(*2)批判しているわけではありません。言葉通り「わからない」ということです。
(*3)古代ギリシアの落書きにもこの言葉があるそうだが。(^◇^)

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 もちろん、悪く言う材料はいろいろある。
 投票率は、上がったといっても58%。5人に2人は棄権だ。それに、まだ若者の棄権率は年配者より高い。ゴミ拾いをしたということは、ゴミを捨てた者がいるということ。
 しかしそういうことには目をつぶって「日本の若者、この頃いいところが目立つじゃん」と言っておきたい。

 うまい具合に…と言ったら語弊があるけれども、オリンピック(*4)、ミュージシャンの死、サッカー等、若者達の心を動かすようなできごとがこのところ続いた。選挙への関心が高まったのもその一連の流れの上にあるのだと思う。
 今、日本の若者達は「『参加する』ことの喜び・充実感」に気づきつつあるのだろう。

(*4)そりゃ、裏にはいろいろ問題はあったようだけど。

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 さて、政治家のみなさん。
 次の指導者が誰になるのか、どの政党が主導権を握るのか、現時点では(少なくとも私には)わかりませんが、この流れを止めるようなことはしないで下さいね。
 なぁんだ。結局何も変わらないんじゃん。若者達にそんな思いを抱かせたら元の黙阿弥です。次の選挙の時にはまた若者はそっぽを向いてしまいます。
 その方が都合がいいという人もいらっしゃるかもしれません。しかし、社会の構成員が社会に関心を持たないことが社会にとって、またそこで暮らす人々にとってよいはずがありません。

 今回の選挙は自民党および橋本政権に「No」を突きつけた形になりましたが、失礼ながら、多くの政党および政治家の方々は大同小異である印象が否めません。
 日本の若者は変わりつつあります。この機会に日本の政治家の皆さんも変わっていただきたい。仲間内のルールや事情を重視するやり方を変えて、広く社会に目を向け、社会のために何をなすべきかを考えるようになっていただきたい。
 「いただきたい」というより、そうなってくれないとダメです。今が、日本が立ち直る最後の機会かもしれないんです。


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