時速40kmの壁


 文明の利器。そう呼ばれるものが我々のまわりに満ちあふれています。おかげで、一昔前からは想像もできない(であろう)ほど我々の生活は省力化され、スピードアップされました。将来は無限に加速化して行くのでしょうか。いえ、加速できない重要な要素があります。文明のヌシである、我々ヒトそのものです。


 ものを考える速さ、手を動かす速さ…。速さにもいろいろありますが、わかりやすいところで、実際に移動する速さを考えてみましょう。
 生身のヒトが出せる最大の速さはおよそ時速40kmです(*1)。しかるにヒトは自動車だの飛行機だのという文明の利器を使って、生身では出せない速さで日常的に移動しています。そしてときどき事故を起こし、少なくない確率で死にます。
 野生動物でぶつかって死ぬ話はあんまり聞きません(*2)。「動物のお医者さん」にネコのガブリエル君が石垣に突進する話が出てきますが、平気だったようです(*3)。つまり、動物の体は、自力で走ってぶつかっても平気なよう設計されているはずなのです。
 おそらく、体の強度だけでなく、情報処理、判断能力といったことについても、生物は進化の歴史の中で、必要以上の能力は身につけてこなかったはずです。
 ヒトは、持っている能力以上の速さで走るから、判断や操作を誤って交通事故を起こします。そして人体の設計時に想定されていない速さでぶつかるから死にます。交通事故に限らず、「文明の利器」がヒトの能力を追い越している場面では似たようなことが起きる可能性があることを忘れてはなりません。


 念のためですが、「文明は悪である」とか、そういう事を言いたいのではありません。便利であること、楽であること、速いことはいいことだと思っています。ただ、「ヒトはヒトでしかない」ということは忘れてはいけないと言っているのです。ヒトの能力を超えた事をやろうとするときにはそれなりの手を打っておく必要があります。(*4)
 たとえば、高速道路は良い例でしょう。歩行者・自転車という不確定要素をなくすことで運転者の判断するべき事柄を少なくしています。
 それでも気象条件、路面の状態、動物の飛び出し、他車の(もちろん自車も)無謀運転などの要素はありますし、運転者の疲労など判断や操作を誤らせる要素も残っています。それらについても道幅や路肩を広くしてある程度は許容するようになっていますが、それでも事故が起き、人が死んでいるのはご存じの通りです。
 飛行機は「利用回数あたり」とか「距離あたり」などで比較すると事故率・死亡率は自動車よりもうんと低くなっていますが、自動車よりももっといろいろの手が打ってあり、もはやシロウトには扱えないものになっていますね(ご承知の通り、それでも事故はゼロではありません)。ヒトの能力を超えることをするというのは、それほど大変なことなのです。


(*1) オリンピックの陸上選手が100mを約10秒で走ります。単純に計算すると秒速10m、すなわち時速36kmです。これは平均速度ですから、最高速度は多分時速40kmぐらいでしょう。
(*2) 鳥はガラス窓にぶつかってよく死ぬようですが、これは例外と言ってよいと私は考えています。ムツゴロウさんの本の中でコウモリを解剖した話を読んだことがありますが、「空を飛ぶ」という特殊能力のためにコウモリの体はきわめて華奢な作りになっているとのこと。鳥も同様なのでしょう。
 また、マンボウ(魚ですね)は水族館の水槽の壁にぶつかるとあっさり死ぬそうですが、野生のマンボウがものと衝突することはほとんどあり得ないため、衝突を想定しない設計なっているためと解釈できます。
(*3) あのマンガのエピソードはかなりの部分実話に基づいているようですから、このことも信用してよいのではないかと思います。根拠はありませんけど。
(*4) 「レーダーで先行車との間隔を測って速度をコントロールする」などという装置が試作されているようですが、他の車が出した電波との混信の恐れはないのでしょうか。

交通事故に関する暴論

 


back

僕生きの目次へ戻る
"about life" index