縄文杉の年齢疑惑

 屋久島は九州の南にある島です。自然が豊かなところとして有名ですね。この島を代表する生物…というのをひとつ決めるのは難しいことですが、候補のひとつに「縄文杉」があげられるでしょう。大きさから推定して樹齢7200年とも言われる巨木です。ところが。


 九州には雲仙、阿蘇、桜島など、今も活動している火山がたくさんありますが、鹿児島の南、屋久島との間にも火山があったことがわかっています。今は海中に沈んでしまいましたが、硫黄島などがその名残です。学者達は「喜界火山」と呼んでいます。
 この喜界火山が今から約6300年前に大噴火を起こしたことがわかっています。その時には大火砕流が発生し、半径100kmの範囲を覆い尽くしました。この火砕流によって鹿児島県南部の縄文文化が途絶えてしまったことが遺跡の研究からわかっています。その後再び現れた遺跡に特徴が受け継がれていないことから、このとき南九州の縄文人は全滅したものと考えられています。
 この火砕流は屋久島も覆い尽くしました。火砕流の堆積物が現在、島の全域を約1mの厚さで覆っています。当然、島の生物は全滅したものと考えられます。
 つまり、縄文杉の樹齢が6300年を越えるとは考えられないのです。


 …というのが地質屋の考え。生物屋さんや、地学でも古生物屋さんの中には別の見方をする人がいるようです。
 屋久島には、他では見られない動植物(「固有種」と言います)が何十種もいます。他の地域とは行き来がない状態で(「隔離され」と言います)独自の進化を遂げた結果ですが、現在見られるような、他との大きな違いがたかだか6300年でできたとは考えられないのだそうで。
 火砕流は完璧に覆い尽くしたのか。覆いそこなったところがあったのではないだろうか。現在の固有種の先祖は運良く生き延びたのだろう。縄文杉も生き延びた可能性がある。ということです。


 他にも、何本かの若い杉が合体したとする「連理説」、火砕流で折れた(当時7200歳?)巨木の上に若い杉が育ったとする「二段杉説」等あるようです。さて、真相は?
 けどさ、たとえ1000年としても平安時代だよ。2000年で弥生時代。すごいよね。


 なお、このときの火山灰は偏西風にのって関東地方にまでやってきています(「アカホヤ」と名付けられています)。それも5cmとか10cmとか、結構立派な厚さになっているものだから、まさか九州から来たとは思われていなかった時代があったとか。いかに大規模な噴火だったかうかがわれます。

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