これはだいぶヒガミが入ったぼやきなんで、軽く読み流していただけると幸いです。マジメに反論されたりすると困ってしまいます。^^;; |
このような「安心理論」がまかり通ることになった背景に、物理屋さんと地学屋の感覚の違いがあるような気がします。言い方を替えると、「阪神大震災は物理屋と地学屋の感覚のずれが招いた悲劇だった」ということになります。 |
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一方、地学屋にとって数字はむしろ「心の目」で見るものです。実際の地学的現象はコントロールされた条件下で起きるのではなく、しかも研究者の目の前で起きるのでもありません。 特に過去のできごとを後から調べる場合には厄介です。その後に起きたできごとによって求める情報が見えにくくなっています。具体的には、ひと固まりの岩石でも陽に当たったり雨に打たれたりしているところとそうでないところで化学成分が変わってしまっていることなどがあります。 昔の医者が殿様など偉い人を診るときに「糸脈」という方法を使ったそうですが、それに近いことをやっているのが地学屋です。 |
地学屋にとっては「関東大震災の記録から算出された結果」というのはきわめて怪しいものであるのは明白なことです。ところが物理屋さんはいつもの感覚で「信用できるもの」として扱ってしまったのですね。 「の2倍」というのはいわゆる「安全率」ですね。安全率を2とするのは「設計のオヤクソク」ですが、人工物ならぬ大自然にそれがそのまま当てはめられてしまっていることが上記の想像を証拠づけているように思われます。 地学屋はそれを「怪しい」と指摘することはできます。しかし「不十分である」と証明できないと「ちゃんとした物理屋さん」は受け付けてくれません。彼らの感覚ではそれが当然なのです。 そして阪神大震災にいたったのです。
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