●7月 2001年8月 ●9月

2001年8月1日(水)
【おまかせの限界か】
「無料掲示板のサービスから撤退します」というメールが、いま使っているところから届きました。

届いたメールには、現状のツリー構造を、そのまま他の掲示板サービスに移行する方法が紹介さていました。 ツリー形式の掲示板はなかなか良いなあと思っていたし、 櫃石記者が予想を書き続けてくれていたので、 この形を残しておくべく移行方法を調べてみましたが、有料によるサービスのものばかりでした。 広告掲載による無料運営という手法は、なかなか厳しいご時勢になってきたようです。

さて、どうしようかな。
そうだ!ダビスタでもやろっと!

おっ、有馬記念でワンツーフィニッシュしたぞ!

しかも、ナリタブライアングラスワンダーサクラローレルマーベラスサンデーレガシーワールドが出走している豪華版の年度の年にだ! 牝系を発展させる手法でこの成果とは、われながら大したもんだ!

でも、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念は制したものの、クラシックだけはまだひとつも勝てない。 というかほとんど出走すらできなない。おまかせの限界か・・・???

ところで、まえからちょっと気になっていたのだが、BC登録ってのは何だ?
ひょっとして、海外のレースってのも設定されてるのかな???


2001年8月5日(日)
【新装新潟にふらっと出かけてみたい】
久々に京都競馬場に出かけてきました。一ヶ月以上もごぶさたしていたので、少し懐かしい感じがしました。

新潟競馬場の様子をターフビジョンを通して初めてみましたが、向こう正面が遠くまであるなあという感じは確かにしましたが、 やっぱり生で見ないと広さの実感ができないっす。生で見る算段でも立ててみるとするか。

日曜洋画劇場でやってた寅さんをぼんやりと見ていたこともあって、ますますふらっと出かけてみたくなりました。 博文記者も、あうんで同じ気持ちなのではないかと想像しているところです。


2001年8月6日(月)
【野平祐二氏死去】
室伏広治選手の銀メダルに興奮していたところ、野平祐二氏死去のニュースが飛び込んできました。 競馬歴10年弱の俺にとっては、野平氏の絶頂期を直接的に体験することはありませんでしたが、 「シンボリ」の和田共弘氏とのコンビによる、騎手時代、調教師時代の活躍については、 さまざまな形で見聞きする機会を得ることにより、自分の中でも常識的な情報として定着しております。

時代は変わり、岡部&藤沢和コンビが輝きを放っている今日このごろですが、 シンボリルドルフの主戦騎手であったのが岡部騎手、 調教助手としてシンボリルドルフを世話していたのが藤沢和師、という具合に、 現在の最強コンビにも、野平&和田ラインのエキスが脈々と伝わっています。

最後は仲たがいをしてしまった野平氏と和田氏ですが、 当時としては非常に珍しい海外指向の強い二人であり、 スピードシンボリシンボリルドルフによる海外遠征は、いつまでも偉大なる先例として紹介され続けることでしょう。

タイキシャトルによる成果が、野平氏の影響を大きく受けている岡部&藤沢和コンビによって成し遂げられていると考えると、 競馬歴の浅い俺にも、野平氏のホースマンとしての偉大さを実感することができるような気がします。ご冥福をお祈りします。


2001年8月7日(火)
【代休申請】
職場のカレンダーでは、今週末まで働いたら夏休みに突入ということになっていますが、 俺の場合はその時期には出勤することになっているので、まだまだお休みモードには浸れません。 業務の都合上、休みは9月に入ってからと思っているのですが、もう少し経たないと具体的な業務日程がみえてきません。 とはいっても、会社には代休取得日を申請する必要があるので、とりあえずの休暇予定日は決まっています。

上司 「代休の申請なんだけど、いつにしとく?」
俺 「まだ決まらないから、適当に申請しといてください」
上司 「わかった」

以上のようなやり取りがあっただけなので、具体的な日程は把握していませんでした。 そろそろ休みのすごし方を決めたいなと思ったので、とりあえずの代休予定はいつになっているのかを調べてみたら、 何と、9月5日から9月24日まで連続で休めるように申請されていました。 代休分として、所定の日数よりも一週間分プラスして申請されています。

素晴らしい会社だ!!!
ばんざーい!!!!!!

でも、きっとこれはぬか喜びに終わるに違いありません。

(後日談)
上で書かれた内容が意味不明だという指摘を受けました。単に上司が申請時にミスをしていたというだけの話です。 そんなに長く休めるわけではありません。トホホ


2001年8月9日(木)
【検討の余地が必要】
昼飯に本場風台湾屋台ラーメンを食べたし、今晩のどっちの料理ショーでは中華がゆがうまそうだったし、 これは神さまが、俺に台湾に行ってこいとあと押ししてくれているのかと思って、 台湾のガイドブックを引っぱり出して読んでみましたが、どうも今ごろは季節がいまいちといった感じで、 もう少し検討の余地が必要のようです。

本日クレジット機能つきのマイレージカードが届きました。貯めてやるぜ!


2001年8月10日(金)
【櫃石記者、来る!】
櫃石記者が西に向かって移動する途中で、都築記者の家に立ち寄って一泊するということだったので、 なじみのメンツで集まって飲み会をしました。

櫃石記者明美記者都築記者近ぴ記者ひで記者、本紙という組合せには全く違和感がありませんが、 このメンバーだけで集まるという機会も今までなかったので、なかなか新鮮でおもろかったです。

最近一部で好評の武士道の嵐ですが、それに劣らぬ新コーナー誕生につながる話題もあったのですが、 なにぶんにも、明日は朝から移動して出先での仕事に突入しなければならないために、詳細を書ききれないのがとても残念です。


2001年8月13日(月)
【マイルの皮算用】
連続出勤を回避するために、単休をとるべしということで、ひょっこりと出先から戻ってきました。

明後日の朝、再び出先に向かわなければならない慌ただしさですが、旅好きだから移動は苦にならないのはいつものことだし、 さらに早出の朝移動のときは、タクシーの乗車距離が長い移動方法が認められているために、カード利用額の伸びが活発になります。

ちりも積もれば、台北かソウルか、はたまたハノイかバンコクか????
ひょっとして北海道だったりして・・・???


2001年8月14日(火)
【ゴロゴロ】
昼頃にりむ記者の家に行って、ひで記者とともに、 りむカレーを食ったり、高校野球をみながらウトウトしたりして、束の間の休日をゴロゴロしました。

今日は素直に認めよう。俺が一番食ったし、一番眠ったよ。


2001年8月22日(水)
【マイル積立中】
お盆休みからの一連の業務がひと区切りついたので、出先から戻ってきました。

お盆休みのあいだは、社内のCDが停止していたために現金を引き出すことができなかったし、そもそもマイルをためる情熱に燃えているということもあって、 宿泊費、交通費などの自腹を傷めることのない分だけでも、8万円弱ほどをカードで使用することができました。 バンコクへの道の実現に向けて(台北、ソウル、ハノイ、北海道への道かもしれませんが・・・)、 着々とマイルがたまっております。出張バンザーイ!

さらに今日は、愛車のタイヤも交換したために、さらにマイルを追加!
うわおぅ〜!!!

いま手持ちの代休は8日分。当然連休にするつもりですが、一気に使うか、二回に分けるか、、、悩ましいところです。

さて、先週の日曜日は、もっとも仕事が立て込んだ一日となってしまったために、 競馬ダイジェストの時間にもホテルに戻れなくて、札幌記念の結果を映像で確かめることはできませんでした。 ジャングルポケットはゴール前で差されての3着だったとのことですが、 走りっぷりや、気性的なものはどうだったのでしょうか? まあ、まだ8月の段階で、使われてきている面々を相手にして、一応は格好をつけたのだから、内容はあったとみたいところです。


2001年8月25日(土)
【納涼祭明け】
昨日は職場の納涼祭。軽い二日酔いのけだるさを引きずりながらの、今朝の目覚めでした。

出張や休暇のタイミングもあって、例年よりは若干少なめの参加者数でしたが、 俺としてはとても面白い祭りだったので、参加できて良かったです。

自分たちの担当店舗はおでん屋だったのですが、袋を切って中味を鍋に入れるだけの手間なので、俺でもたやすくできました。 開会前にすでに2杯、開会後もどんどんビールを飲み続け、 2001年の下期のなかでは、昨晩が一番の酒量だったと思います。 その間も、おでん屋、エアホッケーの進行係、わたがし屋、フルーツ屋の出前などで、額に汗して労働しました。

越○さん、石川記者との共同作品である、アイスポンチも好評で、 売り歩きまくって売りつくしました。

今朝は、休みのわりには早めに起きて職場に向かい、昨日の残骸の後始末。 昼前に戻ってきたら、もうあんまり動く気がしなくて家でゴロゴロすることにしました。 ダビスタで、最初の繁殖牝馬だけを使ってどこまでいけるかをやってみようと思い立ち、 もう一回最初からやってみることにしました。 そしたら、初年度のメジロライアン産駒がいきなりG1を4つも勝って殿堂入りしてしまいました。 しばらく苦労する気分を味わおうと思ったのに、あっという間に金余りモードに突入で、ちょっと拍子抜け。 でも、もう少し続けてみたいので、近ぴ記者、もうちょい貸してね。


2001年8月29日(水)
【アグネスタキオン引退】
アグネスタキオンの引退が発表されました。 マレーシアから帰国したときには屈腱炎発症、出先から戻ってきた今日は引退と、 何か不幸なニュースを目にするのは、俺の外出からもどってくるタイミングと重なっています。外出がコワイ・・・

屈腱炎発症直後から症状の重さは伝えられていたので、早晩このようなことになるとは思っていました。 引退の報は、「ついにこのときがきたか」と冷静な気持ちで受けとめました。

屈腱炎でダービーを回避することになったとき長浜調教師は、皐月賞の前の調教が軽かったことを聞かれて、 「前から脚元に不安があった。何とかダービーまではもってほしいと祈りながら調整を続けていたが、かなわなかった・・」 と打ち明けるようなコメントを残していました。そのような状態にもかかわらず、 格上のレースぶりを発揮し続けたアグネスタキオンという馬のことを、しっかりと心に留めておこうと思います。


2001年8月31日(金)
【送別会】
昨日は○浦さんの送別会でしこたま酒を飲み、やや衰弱気味の体調でむかえた今日の金曜日。 できれば穏便に一日を送りたかったのですが、書類やら装置やらの移動をするということで、 朝から晩まで力仕事の一日となってしまいました。 さらにダメをおすように、定時後に尾○君とバッティングセンターに向かって、日曜日の試合に備えるべくバットを振ってきました。 爽快!

○浦さんは今日が最終日。初めて飲んだのが送別会というのはちょっとさびしものがありますね。しかも良く覚えていないし・・


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