●6月 2001年7月 ●8月

2001年7月2日(月)
【大芋小芋の法則】
今日は久々にフットサルの集いがあったので、それに参加しようといろいろ段取りを進めていたのですが、ちょっと無理でした。 仕方がないので、練習後の飲み会にだけ参加することにしました。

ところが、この飲み会が面白かった。

まず、高田記者が○野君に、大芋小芋の法則を解説した場面で、 ○野君曰く「でも、芋掘りっていったら、大きな芋に引きずられて小芋が出てくるんじゃないんですか?」といたってクールな反応。 芋掘り法則に関しては、○野君は清水記者ほどに理解力があるわけではないようです。

そんなこんなしているうちに、規定の2時間が経過して、○木屋のバイト店員から「お時間なので、〆させてください」と声がかかりました。 閉店までまだまだ時間がある上に、店内はすいている。何ともマニュアル的な対応です。 そんなとき、高田記者から○野君に、「あそこに座っている二人連れのギャルを連れてこい」という指令が出ました。 ちょっと渋っていた○野君ですが、ついに観念してそっちの席に向かっていき、彼女達に声をかけたところ、いとも簡単に連れてきてしまいました。 話を聞くと、何と17歳の高校三年生。なぜ居酒屋にという疑問はさて置き、 それまで○村君に対して、「工場での長期出張での経験は大切にしろ」と真剣に仕事面でのアドバイスをしていた高田記者が、 とたんにムードが一変し、本能的に楽しんでブレイクしていた姿がとても印象的でした。なかなか面白かったです。

もっと詳しいことを聞きたい方は、高田記者から直接聞いてください。


2001年7月4日(水)
【ファストフレンド引退】
ものすごく暑い日々が続いていて、日記をサボる口実には恰好の今日このごろの陽気なのですが、 がんばって更新しておきましょう。

メイセイオペラの後を継いでダート界を引っ張ってきたファストフレンドの引退が、正式に発表されました。 本当に御苦労様でした。アフリートアサティスみたいなダートでぶいぶい言わせている馬の産駒を、 ぜひとも見てみたい気持ちです。今度、近ぴ記者からダビスタを貸してもらえることになっているので、 先取りして産駒を試してみたいなあ。ってそういうことってできるの?

ファストフレンドの引退式は、11/24に行われるJCダート当日に、東京競馬場で行われる予定だそうです。


2001年7月7日(土)
【国際重賞への格付け】
少し前に伝えられてた情報ですが、宝塚記念が国際G1に認定されました。さらに、京王杯スプリングCと毎日王冠が国際G2に格付けされました。 格付けが2001年からとのことなので、すでにレースが終わっている宝塚記念、京王杯スプリングCも今年から格付けされたことになるようです。

ってことは、メイショウドトウは国際G1ホースに格付けされたってことになります。おおおお

強い馬が出走して好成績を残し、その相乗効果で格付けが設定される。その仕組みから考えれば、 ステイゴールドが制したドバイのシーマクラシックで、ステイゴールドに屈した馬たちが、 その後、各国でG1レースを制しており、かたやステイゴールドは宝塚記念4着という事実に照らしあわせてみると、宝塚記念の国際G1の格付けは当然といえば当然です。

国際レースへの格付けの条件として、「出走可能頭数の概ね半数を外国馬枠とする」というものがあるために、 現状はどんなレースも国際格付を取得するということにはならないでしょうが(特にクラシック)、 スポーツとしての競馬の醍醐味を楽しむためにも、国際格付レースは価値があると考えます。

国際格付の取得を受け、毎日王冠の外国馬枠が、5頭以内から9頭以内に拡大されました。 実は、毎日王冠に外国馬枠が5頭もあったなんて知りませんでした。 多分、そんなに来日する馬はいないと思うので、じゃんじゃん国際レースを増やしてしまっても、影響はないのではないかと思います。 ちなみに昨年の毎日王冠には、外国馬は1頭も出走していません。


2001年7月8日(日)
【E研ブック、危機的状況】
非常に残念なことですが、E研ブックが危機的状況です。

最近予想陣に加わってくれた近ぴ記者が孤軍奮闘してくれているからまだ救われていますが、 古株の記者の成績は、かや記者がかろうじて上回っている以外は、 JRAの控除率を差し引いた返還率を大きく下回っているという惨澹たる状況です。

個人的には、最近ちょっと安易に最終結論を出しすぎていた点が反省材料。 来週からは、格よりデキがものを言う夏競馬が本格的に始まります。 さまざまな情報をシッカリ吟味して、その上で最終結論を導きだそうと思います。 まずはそれからです。


2001年7月10日(火)
【新潟競馬新装オープン】
今週末から、新装新潟競馬場がオープンします。チャンスがあれば、今年の開催の間に訪問してみたいと考えていますが、 さてさて実現するのでしょうか?

新装新潟競馬場は従来の右回りが左回りに変更され、目玉ともいえる直線の芝1000mコースができるなど、 コース形態が一新されました。 直線コースのみを走る競馬の場合、コーナー部分での減速がないために、従来よりも速いタイムでの決着が期待されています。 芝1000mの世界レコードは53秒台だそうですが、それよりも速いタイムが出た場合には、 ギネスブックに申請するプランもあるそうです。 第1回新潟競馬の番組表を見てみると、閃光特別や疾風特別といった芝1000mの特別レースが設定されています。

さらに、新潟競馬場はとてもでかいです。 最後の直線は659mもあり、当然のことながら向正面も長〜いです。 芝外回りの2000mの発走地点は向こう正面の奥になり、スタート後に948mの直線を走り、 コーナーを回って、あとは最後の659mの直線といった具合です。 他の競馬場の芝2000mと比較してみてください。でかさが実感できるかと思います。

スピードとでかさが新潟競馬場の売りということになりそうです。


2001年7月11日(水)
【ああ、旅に出たい・・】
出張といえば内陸部に向かうケースがほとんどなのですが、今日は珍しくも海に向かっての移動となりました。 須磨の海岸を見たのはとても久しぶりだったような気がします。

行く前はそんなに遠い場所というイメージがなかったのですが、最寄りの駅の自動券売機では切符を販売していない運賃のエリアだったことを思うと、 ちょっとした小旅行の雰囲気でした。

ああ、旅に出たい・・


2001年7月12日(木)
【トーシンブリザードがジャパンダートダービーを制す】
今晩8時過ぎに博文記者からの携帯メールを受信しました。

「まんばげっと」

時間的に、ジャパンダートダービーの結果報告であることは間違いありませんでした。 生観戦していたのかという若干の嫉妬心とともに、配当が万馬券であったことへの、驚きと不安が入り混じった複雑怪奇な心境に陥りました。

「万馬での決着ということは、トーシンブリザードは全然だめだったのか・・まさか・・・?????」

あわてて結果を確認してみたところ、その心配は杞憂に終わり、トーシンブリザードは見事に逃げ切り勝ちをおさめていました。 2着に人気薄のメイショウアームが食い込んできたために、馬単が万馬券になったということだったのです。 今のところ、各馬の人気に関する情報を得ていないのですが、単勝が100円だったトーシンブリザードとの組合せで、 この配当ということは、メイショウアームはよっぽど売れていなかったということなのでしょう。

JRAの3歳戦線では、アグネスタキオンアグネスゴールドといった無敗の有力馬達が戦線離脱を余儀なくされましたが、 交流ダート戦線では、トーシンブリザードが無敗のままで勝ちまくり続けて、ダート界の超新星としての地位を固めました。

トーシンブリザードのことを最初にこの番外編で書いたのは、昨暮れに行われた全日本3歳優駿で勝利したときだったと思いますが(2000年12月13日)、 当時はラムタラ産駒でイシノサンデーの弟であるロイヤルエンデバーの方が、 血統的な魅力もあって南関のかなめ的な存在でした(結果はハナ差の2着)。

ロイヤルエンデバーはその後、肩に不安を発症したために現在は戦線を離脱している状況ですが、 早く復帰を果たし、トーシンブリザードのライバル的な存在として交流ダート路線を大いに盛り上げてもらい、 今年の秋に第1回が開催されるJBCの最大の呼び物として、ぜひとも両雄対決の場面を演出してほしいと思います。


2001年7月13日(金)
【トーシンブリザードが骨折】
今晩は清水記者と結構飲んだし、腹もいっぱいにもなったので、睡魔の嵐が急襲。ということなので、本来ならば更新しないところなのですが、 トーシンブリザードが骨折していたというニュースが伝わってきたために、悲しみを込めて更新することにしました。

症状は比較的軽く、数ヶ月程度の療養ですむというのは不幸中の幸いなのですが、菊花賞も視野にあった秋のローテは、完全に白紙となりました。

トーシンブリザードまでもケガでリタイアか・・・


2001年7月19日(木)
【更新どころではありませんでした】
しばらく更新作業が途絶えてましたが、この間は、休日、代休、有休、出張、出張、といった具合で飛び回っており、 さらに、ウニ丼、特にぎり、ラーメン、焼肉などを、メニューによっては複数回も舌鼓を打っていたりしたわけで、 更新どころではありませんでした。

とりあえず、明日は何の予定もないので、ボーっとしておきたいと考えています。

この間の詳細レポートは、今となっては何となく気乗りしないので、割愛とさせていただきますが、 顔をあわせる人には直接お話することになるかと思います。 嫌がらずに、話を聞いてやってください。


2001年7月20日(金)
【ダビスタ99】
近ぴ記者から借りているダビスタ99をやり込んでみました。

ダビスタ99は、1999年当時の競馬状況を元に作成されたものなので、馬の年齢が今の呼び方と違ったり、 ダイタクヤマトが準オープンで平凡に走っていたりなど、現在では通用しない部分もあるのですが、その辺はご愛嬌です。 こうやってこのソフトにふれてみると、次々と版を重ねて発売されているダビスタは、 単なるゲームソフトとしてだけでなく、そのときどきの競馬シーンを表現する、データベース的な役割もあるのだと感じさせられました。

このゲームにはいろいろな遊び方がありますが、配合を極めて最強馬を作るという部分は放棄することにして、 気ままな感覚で、お気に入りの血統を探索してみることにしました。

2月の繁殖牝馬セールで、馬名がキャンペンガールと酷似していて、血統背景が同一の馬を見つけたので購入し、 サンデーサイレンスを種付けして、スペシャルウィークを再現してみることにしました。 ところが、ゲーム初期の手持ち資金に対しては、サンデーサイレンスは種付け料が高い上に、ようやく金は工面できたとしても BOOK FULL で種付けできなかったり、 種付けできても不受胎だったりして、産駒を作るのは至難の技でした。

結局、キャンペンガールサンデーサイレンス産駒の誕生は、1頭だけだったのですが(牡馬)、G1レースを総なめすることを夢見てスペシャルサンデーという名をつけて活躍に期待しました。 しかし、4歳春に屈腱炎を発症してしまい、満足な競走生活を送ることなく引退を余儀なくされてしまいました。

それならば、牝系だけでも残そうと、リアルシャダイ産駒のリアルキャンペーンを繁殖牝馬として牧場に残したところ、 リアルキャンペーントニービン産駒であるトニーペイン(牡)が、天皇賞春、天皇賞秋、ジャパンカップを制し堂々の殿堂入りを果たしてくれました。 成績がスペシャルウィークと似ているところが何となく嬉しいです(宝塚記念、有馬記念は勝てなかった・・)。

リアルキャンペーンもすでに亡くなってしまったので、リアルキャンペーンサクラユタカオー産駒であるサクラリアール(牝)が、 5歳(旧)暮れの時点で重賞8勝という立派な成績をあげているので(G1勝ちはスプリンターズSの1勝)、もう1年走らせてから引退させ、 その後はリアルキャンペーンの後継繁殖牝馬として牧場を支えてもらおうと思っています。

すでに資金は潤沢にあり、何億もする繁殖牝馬を購入することは朝飯前の状況なのですが、 この牝系にこだわって、ゲームを進めて行こうと思っています。ってことなので、近ぴ記者、もうちょっと貸しといて


2001年7月21日(土)
【顔合わせ】
本日は、りむ記者&むっちゃんと、都築記者明美記者の顔合わせの会が催されました。

1997年11月の日記にあるように、過去には香港豪華中華ツアーにも一緒に出かけた仲でもあり、 マレーシアで行われたりむ記者の披露宴に、都築記者明美記者も一緒に参列しても不思議ではなかったのですが、 明美記者のご懐妊の時期と重なったこともあり、顔合わせが今日まで延び延びになっていたものでした。

毎度のことながら、りむ家ではいろいろとうまいものを準備していただき、誠にありがとうございました。 そして、明美記者は、マンゴープリンをみんなに作ってきてくれました。 濃厚な味わいはさすが自家製!うまかったっす。また食わせて!(レシピは近日公開予定)


2001年7月22日(日)
【野球三昧】
「たいへんな一日になりそうだなあ」が今日の第一声。
3連休のうちのお気楽モードは昨日でおしまい。今日は灼熱の太陽と、照り返しの熱気と戦いながら、野球三昧の一日を送りました。

自分たちの試合の前の審判の担当になっていたために、早めの午前9時に現地集合。 審判というのは楽そうに見えても、守備と攻撃のめりはりがなく、炎天下で立ちっぱなしなので、これはこれでけっこう重労働。 じっとりと汗をかきながら、塁審の仕事をこなしました。

そして、いよいよ自分たちの試合の番がやってきました。 最近の俺の守備位置は、よほど選手のやり繰り上の都合がない限り、捕手固定となっているので、 本日も気合いを入れてがんばりました。なお、今日は新しいミットの使い初めでもありました。

第一試合はフル出場で近ぴ記者の球を受け、 第二試合は途中出場で豊村記者の球を受けましたが、 まだミットの中で球がはずむケースが何度もあって、もっともっとミットを柔かく仕込んでいかなければならないようです。

それにしても暑かった〜。サウナに入っていて、もういいと思って出口を探したけれど、扉がない・・・
一番しんどかったときには、そんな感じで、どうしようもない気持ちでした。

ということで、来週もがんばるぞ!


2001年7月24日(火)
【岩ア記者、帰厩】
長らく関東の地に居を構えていた岩ア記者が、こちらに戻ってきました。 転勤や退職などによる、職場内の記者人口の減少傾向に歯止めがかかり、 POGに参加している19名の記者に占めるE研人口の割合が、久しぶりに過半数を回復しました。

今日の昼すぎに居室内の通路を歩いていると、競走馬が映し出されたスクリーンセーバーのパソコンを発見しました。 「おっ、こんなやつがいたのか」と感心したのですが、最近席替えなどがあったために、 そこが誰の席であるのかを即座に思い浮かべることはできませんでした。 座席表で確認してみると、岩ア記者の席でした。

また石川記者や○神君などと一緒に、うまいものを食いに行きましょう。


2001年7月28日(土)
【研究室配属時期を回顧】
しばらくサボっていたブラジル旅行記の更新を進めてみました。 当時の記録を振り返っていて、書いておきたいことを発見しましたので、ここに記しておきます。

初めての海外旅行でもあり、初めての飛行機の体験でもあったブラジル旅行にでかけたのは、大学3年から4年にかけての春休みの時期でした。 旅の実態は、海外赴任した従姉夫婦を訪ねるというものだったので、特段のチャレンジ精神があったわけではありません。 それでも、一つ一つのできごとが思い出深く残っており、俺にとっての大切な財産となっています。

ところで、大学3年から4年の時期というのは、研究室に配属される時期にあたります。 それまでは同級生達といっしょの講義や実験が主体だった生活が、教官や先輩達に囲まれたものに一変し、卒業論文に向けた研究テーマも決まります。 卒業する先輩からテーマを引き継ぐ場合には、春休みから研究室に顔を出して、休み返上の生活に突入するなんてケースもあるようです。

そういった緊張感のある時期に、俺はブラジルに出かけていたわけです。 しかも、4月の半ばには帰国していたと記憶していたのですが、当時のスケジュールを確認してみたら、 なんと5月の連休明け+αまで南半球に滞在していたことが判明。 大学4年の最初の一ヶ月を、堂々と休暇に当てていたということわけなのです。 そう思って振り返ってみると、そうだったような気もしてきました。 もちろん無断でそんなことをしたわけでなく、事前に了承は得ていたのですが、 5月10日頃に研究室に初出勤したときには、「もう来ないのかと思ったよ」と言われたことも、ついでに思い出しました。

そんなお願いをした自分も大したものですが、快く許可してくれた先生方にも、あらためて感謝します。 そういったノリで研究室生活を送った俺なので、大した貢献をすることなくキャンパスをあとにしたのですが、 卒業後も今日までいろいろと声をかけてもらうことも多く、さらに感謝しているしだいです。


2001年7月29日(日)
【決勝進出】
「一回戦で負けたら飲みに行こうか」

今日は地域の草野球の大会が行われました。高校野球のようなトーナメント形式の大会を、 一日でやってしまうというものなので、勝てば試合が続く一方で、負けたら午前中でハイさようならということになります。

わがチームはトーナメント戦との相性が悪いので、不謹慎ながらもすぐに負けたときの時間の使い方の相談をしていたのが冒頭の発言です。 ところが、攻守に引き締まった試合をすることができ、何と決勝戦まで進出することができました。すごい!

経験者が多数いるチームが相手の決勝戦は惜しくも敗れましたが、点を取られたのは1イニングだけだったので、 大健闘といってよいでしょう。 大会を通じて、近ぴ記者豊村記者のデキがともに素晴らしく、 キャッチャーとして組み立てを楽しむことができるコントロールの良さが光りました。

でも、疲れた・・・


2001年7月30日(月)
【塩見記者と天一】
社内連絡用のメールアドレスが変更になったので、その報告のついでに、塩見記者と久々にメールのやり取りをしました。 元気でやっているのかと思っていたら、彼はいま、大変ツラい思いをしていることを知りました。

天一が大好きな彼は、天一密度の薄い場所に引っ越してからも、しばしば勃発するコッテリ欲を静めるために、 車で一時間もかけて天一を訪問していたそうです。 ところが先日その店舗に出向いてみたら、何とつぶれてしまっていたとか・・・

その悲しみがにじみ出た文面を読んだときに、彼に対して気の毒だという感情よりも、 今日の俺の晩飯は天一にしよう!という食欲の方がわいてきてしまいました。申し訳ないっす!

そういえば以前、天一渇望症にあえいでいた彼に対して、「もうすぐ生麺タイプの天一が発売されるそうだぞ」という、 根も葉もない情報を送って、彼の天一心をもてあそんだこともあったりしたので、 反省の意も込めて、今日は彼の家に天一を発送しておくことにしました。

俺 「発送をお願いしたいのですが?」
店員 「どのくらい送ります?5食くらいにしておきましょうか?」
俺 「天一が大好きなやつなんですよ」
店員 「じゃあ10食くらいにしておきましょうか?」
俺 「そうしましょう」

ということなので、木曜の夜に、クール便で届きますので、楽しみに待っていてください。


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