9/17(金)

真夜中から明け方にかけて雨はどんどん激しくなり、一度寝たら起きない私の目を覚ますほどの降りとなった。外に干した洗濯物のことはとっくに諦めてそのままにしておいた。
気がつくと、天井に雨垂れの音。しばらくその音を聞きつつ、また眠りに入っていこうとしたとき、事もあろうに私の顔に、天井裏に溜まった雨が流れ落ちてきたのである!コレにはとってもびっくりして飛び起きてしまった。枕も濡れた...。
辺りを見ると、同時に3箇所雨漏り。雨漏りなんて経験するの何年ぶりでしょう。何か雨受けにするモノはないかと部屋を出たら、民宿のヘルパーのCちゃんが偶然いて、ポリバケツをもらってまた寝た。たかちゃんは起きなかった。

起きたら晴れていた。朝御飯は仏間で他の宿泊客(本島から波照間の電気工事に来ている人らしい)2人と一緒にいただいた。私は2膳、元気よく食べたが、たかちゃんはもっと食べてお櫃をカラにしたのであった。
早速自転車こいで出発、途中、たかちゃんのカメラの電池が切れていたので見つけ回ったが、島にはボタン電池を売っている店はなかった。今度来るときは気をつけなければ。
ニシハマビーチへ向かう。昨日の下見もあって、迷わずに到着。雲が多いので今一つぱっとしないが、綺麗な海を十分楽しんだ。沖縄では「西」のことをウチナーグチで太陽が「入」るから「イリ」、「東」は太陽が上がるから「ア(ー)ル」と言う。「北」は「ニシ」、「南」は「ハイ(パイ)」。つまりニシハマビーチは「西」浜ではなく、「北
側にあるビーチなのである。こんなにキレイなのに泳ぐ人は少ない。平日の朝っぱらからこんなところにいるニンゲンなんて、ヤマトの物好きしかいないよなあ、みんな有休取って来ているのかなあなどと思いつつとウダウダ過ごす。
お腹が空いたのでお昼を買いに部落へ戻ったりぶらぶら過ごす中、私たちは急遽予定を切り上げて明日の船で石垣へ戻ることを決めた。何もない波照間に飽きてしまったわけではない。あれだけ来てみたかった遠い遠い波照間にこうしてたどり着き、あちこち見て回って気が済んでしまった、と言うわけでもないのだ。これについてはいろいろ考えることが多いのだが、いまだもってはっきりしない。
夕飯近くまでずっと外にいて写真を撮ったりしていた。郵便局の公衆電話で石垣のホテルに予約を入れた。中学校の校庭で運動会に披露する地元の踊りを練習する学生たちを見た。どんなガイドブックにも載っているみやげ物屋にも行ってみたが、特にナニも買わずに出てきてしまった。波照間島最後の一日はこうして日が暮れた。私の心は何故かもうすでに石垣に向いていたのだった。

ニシハマビーチに立つ
(1999/9/17 ちるー)
予兆
夜になって布団の上で寝転がって話をしていたら、たかちゃんが「アレは何の音だろう。ちるーには聞こえないの?」と言いだした。外は昨夜の名残か、台風の前触れか、まだ風がある。「音、というか、振動というか地鳴りみたいな」。なんだか音波みたいなものを感じているらしい、敏感なたかちゃんであった。
私は白保の部落内を歩いていて、前方の石垣に生えているのコショウの葉の匂いをかぎつけるほど鼻の利くオンナである。耳を澄ましてみたが、私にはたかちゃんの言う「音」が聞こえなかった。耳はダメみたい。
「この空気をふるわすような音は前にも聞いたことがあるぞ 。」そう言ってたかちゃんは、数年前、当時住んでいた湘南の実家で体験した、遥か沖に見える三宅島の噴火前に起こった、ガラスをぴりぴりとふるわす振動の話をはじめた。その夜はそんな話ばかりしていた。

そして東京に戻って2日後の9月21日未明、台湾大地震発生。
大地震の4日前、たかちゃんはプレートのきしみを聴いたのではないかと思うのだが。
後日、波照間島も揺れたという話を聞いた。台湾は目と鼻の先、ちょっと恐くなった。

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