メーソート(Maesod)
その2

得度式に乱入(4〜5/'96)
注:写真は得度式のあったお寺とは無関係です

結婚式に乱入した晩、またどこからともなく音楽が…今度は、得度式だった。かなり裕福な中国系タイ人のようだ。中にはいると(また、あつかましくも招かれた。)、親類縁者50人ぐらい集まっているよう。そして、良く見ると、お母さんとの別れを悲しんで泣いている二十才ぐらいの白い服を着た男の人と同じく白い服を着た男の子三人がいる。四人とも剃りたての頭が初々しく見える。これから、儀式が始まるらしい。白い少し太めの糸を渡される。それをこれから出家する人達の手首に巻いて行くのだ。そして、生演奏にのって、また踊りが始まる。おばちゃんたちにまじって、みようみまねで、踊る。今回の同行者理恵ちゃんは徳島大学出身なせいか踊りがどうも阿波踊りみたい。出家する男の人はとってもやさしくて頭が良さそう。きっと、良いお坊さんになると思う。そしてその日は『また明日朝の8時にきなさいね』と言われて別れる。


ビルマ式寝釈迦仏(膝あたりにアリンコみたいに見えるのが人です)
次の日、眠い目をこすり、昨日の家へ…トラック(出家する人を乗せるために飾られている)、生演奏隊、お供え物の数々がスタンバッている。あつかましくも、朝食(カオトムムー&蒸しパン)をよばれる。その後、昨日と同じ白い服を着た男の人と男の子3人の手首の白い糸(昨日私達が手首に巻いた)が切らる。そして、出家する人達がトラックの荷台の椅子に座り、生演奏が始まり、お寺までのパレードが始まる。私たちは、英語ガイド(タイ語なまり&タイ語まじりの英語)を引き受けてくれたピンちゃんとそのお兄さん(出家する人のいとこらしい)の運転する車に乗り、お供え物を持ちパレードに続く。お寺につき、お堂の回りを3周し、お堂のなかに入り(このとき、お金をばらまく。どうやら近所の子が集まってきて、取り合いをしている。)お堂のなかで黄色い服に着替えお祈り。それが終わると、広いお堂に移り、みんなで昼食。なぜかこのとき、200人ぐらいに人が増えている。そういえば、昨日、国境の橋行くとき、バス停で、『暑かろう』と言って、水をかけてくれたおっちゃんまでいるではないか。食べる前にまずお祈り。手を合わせるタイミングがわからず、ボケッとしていたら、ピンちゃんに肘をこづかれる。このご飯がまたおいしい。特にデザートの”ピーナッツかけアイスクリームonココナッツかけもち米”この味はあれ以来どこに行っても食べられない忘れられない、絶品!!


ビルマ式のお寺(黄色い服を着ているのがピンちゃん)
 そして、2日にわたる長い得度式は終わった。もっと神聖なものかと思ったら、ピンちゃんの服そうといえば、黄色のTシャツに黒いズボン。お祈りのときにもジュースはまわってくるし…踊りを踊らされたときも、ビールがでてくるし…。(タイは選挙の前日はお酒飲めないのに、、、関係ないか。。。)おみやげに記念の仏象(日付け&お坊さんの名前入り)をいただいた。 今でも、この仏像を見る度にあのやさしそうなお坊さんを思い出す。あのお坊さんもきっとがんばってはるし私もがんばらねばなぁ、、、

 


タイのイッツ・ア.スモール.ワールド???

 タイに何とあディズニーランドのイッツアスモールワールド(アジア版)が!?ピンちゃんが得度式の昼食時に、『We will go to the temple after ターン』と言う。『ターン』??そうそうターン(タイ語)=食べるだった。私達は、メーソート1大きいと言われる寝釈迦仏(写真のとうりとても大きい)を見に行った。それは、タイにありながらタイのお寺ではなかった。そう、ビルマのお寺。なかにいる人達は、ロンジーをはいたビルマ人ばかり。寝釈迦仏を観たあと、あるお堂が開いた。ビルマ人もお堂に集まってくる。なかに入ってみると、たくはつの鉢を持った人形がアジアの地図(一応日本もあった。)の周りをビルマらしい音楽とともに周りだす(電動式)ではないか。そして、ビルマの人達は、動く人形にしきりにお金を入れている。こんな田舎で、こんな国境の街でこんなものをみるとは…


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