健康について

 自分はこれまで病気らしい病気はしたことがない、と誇らし気に言う人がいる。言われた側としては、へえ、そうなの、それは凄いね、と応ずるものの、心中は穏やかでない。体は丈夫でも頭は弱っているんじゃない? と言いたくなる。
 自分は絶対に認知症にならないだろうと豪語する人がいる。それを聞くと、この人は既に認知症になっているのではないか、と私は疑う。
 頑丈な体に生れついたことは大変に結構なことだが、しかし、それは他人に自慢することではない。世の中には人知れず長引く病気で苦しんでいる人がいくらもいるのである。
 人も羨むほどの健康な体を保持している場合、そこにはその人なりの努力や気遣いがあることは当然考えられる。しかし、それは健康の原因のほんの一部であるに過ぎない。その体を持って生まれたこと、なにかしらの不幸な状況に見舞われることがなかったことなど、その人の努力を越えた幸福な偶然が作用した結果に他ならない。
 それは、裏を返せば、重い病気を抱えている人も、その責任がその人にあるわけではなく、その特質を持って生まれたことも含めて、ただ不幸な偶然に襲われただけという場合がほとんどである。
 ビルの下を歩いていて、上から落ちてきた物に打たれて死ぬ人がいる。偶然とは何と残酷なものかと思わないではいられない。
 シェイクスピアに「我々人間は、神々にとっては、腕白小僧にとっての蠅のようなものだ。神々は面白半分に我々を殺すのだ」(『リア王』四幕一場)という言葉がある。殺されないまでも、私たちのあり方は、ただ運命なり偶然なりに委ねられているのである。それを覚悟したところから個人としての努力が始まる。
 たまたま健康でいる人も、その現実に驕ることなく、病んでいる人に深い同情と共感を持たなければならない。明日は我が身、という思いを片時も忘れるべきでない。

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