大学受験の準備を(細々と)していた時に、大学教育の専門家と自称する人と話をしたことがある。「で、大学で何を勉強したいの」と聞かれたので、「文学です」と答えると、「文学では食べていけないから、何か他のものにしなさい」と言われた。そうか、文学では食べていけないのか、と思ったが、といって何をすればいいのか思い当らなかった。それで、結局文学の道を歩むことになった。
そして、なんとか食いつないで、今日に至っている。
「邯鄲の歩み」という言葉がある。昔の中国のある青年が、邯鄲に住む人の歩き方がとても素敵だと知って、そこに出かけて行ってその歩き方を覚えようとしたが結局覚えられず、といって自分の歩き方も忘れてしまったので、仕方なく這って帰った、という故事に因んだものである。
ここには、迂闊に他人の生き方を真似しようとすると元も子も失ってしまう、という教訓があるのだろう。
私は人まねをせずにやりたいことをやったためか、どうにか這わずに済んだ。
自分の人生なのだから、自分が生きたいように生きるほかない。
別の話。
学生時代に英文学の教授とある作品について話をしていたとき、彼が急に肩を落とすようにして、「まあ、所詮、人生は色と金だからね」と言った――それが何の作品だったかは忘れてしまったが。
人生経験の浅い私としては、「ああ、そうなんですか」と言うほかなかった。
しかし、私のその後の人生の中で、本当にそうなんだと実感することはなかった。
私が色と金に興味がなかったわけではない。私は誘惑には弱いタチなので、誘惑されればどうなっていたか分らない。しかし(なぜか)そのどちらからも私への働きかけはなかった。私は、今では、それをこの上ない幸運と考えている。
あの教授は、そのようにも見えなかったが、恐らく、この二つとの葛藤の中で生きてきたのだろう。そして、それを文学の中に見ていたのだ。
作品の中に自分を見る、というところに文学の本質があるように思う。
それでは、文学との関連で私が学生に何か言うとすれば、何と言うか。
「まあ、所詮、人生とはよく分らないものでね」
というあたりだろうか。
文学も、よく分らないところが魅力なのである。
《了》