漫画

 私が小学生の頃に講談社発行の『少年倶楽部』という小学生向けの月刊誌があり、わが家では毎月それを買っていた。今にして思えば小学生向けのものとは考えられないぐらいに高級な内容だった。ちょっとした物語や子供の身辺を題材にしたエッセイふうの読み物などがほとんどだったように思う。それは子供だけでなく、大人が読んでもけっこう読み応えのあるものだった。
 漫画はなかった。従って私はしばらくのあいだ漫画にはほとんど触れることがなかった。
 その頃『少年ケニア』という絵物語が広く読まれていたが、その絵は漫画ではなく、極めて写実的なものだった。太平洋戦争中にアフリカで親とはぐれた少年の冒険を描いたもので、アフリカの猛獣が多く描かれていたが、迫力のある絵だった。
 新聞に主婦を主人公にした「ブロンディ」というアメリカの漫画が連載されていたけれど、子供が見て面白いというものではなかった。ただ、ブロンディの夫のダグウッドが二枚のパンのあいだに大量の具を挟んだ高さ二〇センチほどのサンドウィッチを大口を開けて食べるところが記憶に残っている。戦後の食糧難の時代には、それは衝撃的なシーンだった。
 やがて「ブロンディ」に代わって長谷川町子の「サザエさん」が連載されるようになった。これは子供にもよく分るので、私も毎日読んだ。
 その頃、学校でクラスメートから田河水泡の『のらくろ』という漫画の本を借りて、家に持ち帰って読んだ。とても面白かった。それが、私が始めから終りまで読み通した生涯におけるただ一冊の漫画本となった。
 『のらくろ』は戦時中の兵士の生活を、のらくろという名の犬を兵士の一員として描いたもので、先の『少年ケニア』と同様に、子供の世界にも戦争の余韻が残っていたことになる。しかしこの場合は、およそ兵士の生活とは思えないほどひょうひょうとしたものだった。後に、長谷川町子が田河水泡の弟子だったことを知って、心に納得するものがあった。
 やがて『少年倶楽部』に対抗するように他の少年雑誌が現れ、そのいずれもが漫画雑誌であったために、『少年倶楽部』の売れ行きがガタ落ちになり、やがて廃刊となった。今も、私はそれをとても残念に思う。
 その漫画雑誌の一つに光文社発行の『少年』があり、そこに連載された手塚治虫の「鉄腕アトム」が日本の漫画界に革命をもたらすことになった。私も雑誌でそれを見ることがあったが、それまでの漫画とあまりに違うので驚いた。それまでの漫画では、ほとんど常に人物はその全身像が描かれていたが、「鉄腕アトム」では、時によって顔だとか手足だとか背中だとかだけが枠からはみ出しそうな大きさで描かれていて、新鮮かつ衝撃的な迫力があった。それは恐らくディズニーの影響を受けたものだろう。その頃の手塚治虫はまだ二〇代半ばだった。天才とはああいう人のことを言うのだろう。
 その後、数えきれないほどの優れた漫画家が出現したことは知っていたが、私は馴染めないでいた。
 それでも、ときどき週刊誌などで赤塚不二夫の「おそ松くん」や「天才バカボン」や「ギャグゲリラ」などを見て、よくこんなものが書けるものだと感心することが多かった。その徹底してチャランポランで無責任な世界は、私の心に訴えるものがあった。私にとっては、それは遠い憧れの世界だった。私に言わせれば、彼もまた天才の名に値する人だった。
 漫画の話はこれで終りとする。
 おそまつでした。

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