どうでもええわい

 私はパソコンを使うようになってから、ちょっとした必要があって紙に字を書こうとしたとき、漢字の書き方を忘れていることに気づくことがしばしばである。易しい字でも、あれ、どう書くんだっけ、と手を止めてしまう。
 今の子供たちも学校で漢字の書き方を学習しているようだが、せっかく覚えた漢字もほとんど使わないまま忘れてゆくのではないか。
 計算にしてもそうだ。昔は学校でやたら暗算の練習をして、次には算盤の練習をしたのだが、計算などスマホででもできる今では、人間の計算能力はあまり重要でなくなっているものと思われる。
 そして翻訳機が驚異的に進歩している。日本語の文章を外国語に、そして外国語の文章を日本語に直すなどたやすい作業だ。そればかりか、手に持った小型翻訳機に日本語を吹き込むと反射的に指定した外国語で言い直してくれる。外国語もすぐに日本語に言い直してくれる。これさえあれば世界のどの国に行っても誰とでも話すことができる。苦労して外国語を習得することにどんな意味があるかが問われる時代になってきている。外国語の教師の行く末はどうなるのか。
 そればかりか、現在ではAIが時代の花形になってきている。問題を提示するとAIが回答を出してくれる。それは人間が考えるよりはるかに説得力があるようだ。大学でのレポートや卒業論文も、論題を示せばあとはAIがやってくれるようになるだろう。学生の出す論文がどれも同じということになるかもしれない。それをどう評価するのか。
 人間がこれまで頭でやってきたことをすべてAIがやってくれることになるのであれば、人間の頭など何の価値もないことになってしまう。そのとき、人間が人間であることの意味はどうなってしまうのか?
 いや、そんなことを心配する必要はない。その回答もAIが出してくれるだろうから。
 AIがどうであろうと、そんなことはどうでもええわい――年寄りはそう思うしかない。

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