九段坂

 九段坂は靖国通りの途中の坂である。皇居を取り巻く内堀通りの一部でもある。
 私は九段坂下から歩いて数分の所にある共立女子大学に半世紀近くにわたって勤めたので、九段坂に特別な親しさを感じてきた。
 九段坂の下には昭和時代を振り返るための昭和館があり、中ほどには武道館に通ずる田安門がある。上りきったところを左に行けば桜で有名な千鳥ヶ淵があり、右を見れば靖国神社がある。靖国神社もその境内の桜が東京での桜の開花を「宣言」するものとして使われているため、この辺りは春先にはお花見を楽しむ人で込み合うことになる。私も何度か行った。また、その先にある市ヶ谷の私学会館には会議その他の用事で何度も行った。いずれも、共立から歩いて、ということである。
 私が初めて九段坂を上ったのは、大学に入って間もなくの頃、アルバイトを求めて北の丸公園内にあった学徒援護会を訪ねた時だった。そのすぐ傍で翌年の東京オリンピックの柔道会場に予定されていた武道館の建設が急ピッチで進められていた。その印象が強いので、私は武道館といえばまず九段坂を思い浮かべることになる。
 学生時代、アルバイトで真夏の暑い盛りにアメリカ人の男性を連れて神田近辺を案内したことがある。千鳥ヶ淵近くのホテルに迎えに行ってから、並んで九段坂を下りている時、ふいに、彼が「暑いな!(It's hot!)」と言って空を見上げた。そのhotが私にはhatのように聞こえたので、私は、空から帽子が落ちてきたのかと思って、驚いて空を見上げた。あれでよく案内役が勤まったものだ。
 私にとって九段坂は雑多な思い出と結びついているが、一般的には、九段坂と言えば靖国神社が思い出されるようだ。
 戦時中に作られた歌謡曲に「九段の母」があるが、ここでは九段坂(あるいは九段)が靖国神社の同義語として扱われている。息子の祀られている靖国神社に赴く年老いた母を歌ったものだが、これはいわゆる戦時歌謡であって、戦死した息子を想う母の気持に寄り添ったものとは言い難い。
 戦後の歌謡曲の「東京だよおっかさん」は、娘が年老いた母の手を引いて東京を案内して歩くという内容のもので、二重橋で記念写真を撮ったあと九段坂に向うことになっている。もし歩いて行ったとすれば途中で共立の傍を通ったはずで、「ここが、ここが共立よ」という歌詞が入っていてもいいように思うのだが、それはもはや望むべくもない。
 ここで母娘が向うのは、言うまでもなく、九段坂というよりは靖国神社である。そこに祀られている息子に、兄に、会うためである。しかし、「あれが、あれが九段坂」と言っているだけで、まだ靖国神社に行き着いていない。行き着く前に、すでに心は悲しみで満たされている(「会ったら泣くでしょ兄さんも」)。そこには作詞者(野村俊夫)の、国家意識を遥かに超えた一市民としての矜持が感じられる。
 「雨の九段坂」という歌謡曲もある。これも老いた母が戦死した息子の霊と向い合うというものである。ここでも靖国神社は言及されない。ただひたすら、雨の降る中で、母が、押し付けられた言葉ではなく、血を吐くような自分の言葉で、息子に語りかける。
「せがれ許せよ、よくぞ死んだと/ほめにゃならぬがせつないうそと/かくし切れないこの母を」(作詞・矢野亮)
 雨の九段坂とは、当然、涙の九段坂の意味である。この悲しみの背後には母としての屹立した「自己」がある。母親の悲しみは母親だけのものであって、他人が、あるいは国家が口出しすることではない、と言っているのである。
 これを聴くと、粛然としないではいられない。
 歌謡曲も、なかなかいいものではないか。
 話が九段坂から逸れてしまった。

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