忘れまい

 大災害について、「忘れまい」とする運動が盛んだが、それをどう覚えているかは災害の性質によって異なる。
 災害は大きく分けて、人間が原因となって引き起こしたものと自然が原因となって生じたものとに分れる。犠牲となった人々の傷ましさについては区別できないが、社会の受け止め方は当然違ってくる、というか、違ってこなければならない。
 人間が引き起こした災害について、「忘れないようにしよう」と声高に叫ぶのは当然である。原水爆を例に出すまでもなく、同じ過ちを繰り返していては人類存亡の危機に直面することが明白だからである。
 自然災害についてはどうか。人間が忘れているか否かに関わらず、自然災害は繰り返される。覚えていてもそれを防ぐことはできない。過去の災害について「早く忘れよう」と言う人がいても不思議ではない。
 ここで問題にしなければならないのは、現代の自然災害は、本当に自然だけが引き起こしたものか、という点である。
 最近世界で頻発する大雨による大洪水が地球温暖化によるものであることは明らかで、これをただの自然災害と決めつけることはできない。森林火災も同様である。
 また、東日本大震災のように、津波の被害は多くは自然によるものだろうが、原発が浸水したことについては、その被害が予想されながら準備が行き届いていなかったとすれば、これも人間が深く関わっていたと言える。
 いや、津波についても、つまり地震についても、その原因に人間が関与していないと言い切ることはできないだろう。
 人間が災害にどのように、そしてどの程度関与したかは常に問われなければならない。
 「忘れまい」という運動は、これからさらにその意義を深めてゆくことと思われる。

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