果物

 最近の果物は甘い。私に言わせれば、異常に甘い。
 例えばみかんは、たとえ小みかんであっても、かつては酸っぱいものと決っていた。なんとか少しでも甘いみかんにたどり着きたくて、顔をしかめながら幾つも食べたものだ。それがみかんを食べる楽しみでもあった。
 他の果物も、すべて原則的には酸っぱいものだった。それが果物の特徴だった。それは爽やかさでもあったのだ。
 その特徴が失われつつある。
 現在では、果物の生産者は、糖度計を握りしめて、いかにして果物を甘くするかに全てを賭けているように思われる。
 西洋料理のディナーでは、デザートとして、まず果物が出て、それから甘い菓子、最後にコーヒーという順番になっている。ひとまず果物でそれまで食べた料理の後味を清算しようということで、これは果物は酸っぱいという前提に立っているのである。だから、次に出る菓子がとても美味しく感じられるということになる。
 果物がこれほどまでに甘くなると、菓子の立場はどうなるのか。もうデザートに菓子はいらないということにならないか。
 何にでも個性というものがある。そして、それぞれが他と異なるところに個性の存在価値がある。たとえ甘い物が好きという人でも、すべての物に甘くあってほしいということではないだろう。甘くない物でもそれなりの味わいを持っているからこそ、甘い物の魅力が増すのである。
 人間でもそうだ。偏屈な人がいても、それがその人の個性であるのなら認める他ない。偏屈であるというところにその人の存在理由があり、他の人は偏屈な人との比較において「自分」というものを見出しているのである(私は自己弁護しようとしている訳ではない)。
 たまに酸味の効いた果物に出会うと、私は懐かしく、しみじみするのである。

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