裁判の判決で、被告人に情状酌量の余地があると判断されることがある。それにはいろいろな場合があるだろうが、そのなかに、「被告人はその後自らの罪を深く反省しているから」というものがある。事件の後の態度が判決に影響するということが私のような素人には理解できない。もしかしたら重罪を科されるかもしれないと思えば「深く反省」するのは当り前ではないか。死刑廃止を唱える人の言葉に、あんなに反省している人を死刑にするのは残酷だ、というのがしばしば見られるが、死刑になるかもしれないと言われれば大概の人は反省するのである。反省しているから減刑するというのは、ちょっと理屈が違うのではないだろうか。
情状酌量の理由でもっと分らないのは、「被告人の育った環境に問題があったから」というものだ。そんなことを言い出せば、多くの被告人が情状酌量されなければならないだろう。なぜなら、罪を犯す人の多くが、何らかの意味で環境の犠牲者だからである。おぎゃあと生れたときすでにひねくれていたという人はいない。誰だって恵まれた環境のなかでのびのびとまっすぐに育ちたいのだ。常習的な犯罪者の生い立ちを見ると、それはひどいものだ。生みの親から虐待されて捨てられたなんてケースはざらである。「育った環境」を無視するからこそ裁判が成り立つと私は思うのである。
罪を憎んで人を憎まず、と言うが、罪を憎むからこそ、人を罰するのではないか。それ以外にどうすればいいのか。
私の言っていることは非情・冷酷の名に値するものだろうか。