音楽や演劇の公演がいったん始まった後で中止されてしまうということは滅多にない。しかし私はそれを幾つか経験している。
もうかなり前のこと、バロック音楽を当時の楽器と演奏法で演奏することが既に一般的になっていたときに、日本にも古楽器演奏の四重奏団があって、私もときどきその演奏を聴きに行った。
その四重奏団が外国から有名なリコーダー奏者を招いて共演した。私もそれを聴きに行った。
プログラムに四つあった曲目の二つ目が始まろうというとき、いつまでたっても演奏者が舞台に登場しないので不思議に思っていたところ、四重奏団の代表的な演奏者が楽器を持たずに一人で舞台中央に進み出て、
「次の曲はずいぶん練習したんですが、どうしても合わないので割愛させていただきます」
と言った。
私は唖然とした。これがプロの言うことか!
しかし、考えてみれば、プロだから、ということなのだろう。
恐らく、曲の解釈が四重奏団とリコーダー奏者とのあいだで折り合わなくて、本番直前までもめ続けたのだろう。そして、ついに間に合わないという結論に達したのだろう。
だからといって、省いてしまっていいものか。プログラムは、いわば、演奏者と聴衆とのあいだの約束事項ではないか。
また、イタリアから来た有名な管弦楽団の演奏会に行ったときのこと。
二曲目に難曲で名高いヴァイオリン協奏曲が入っていた。私はそれを聴くのを楽しみにしていた。それが始まると、独奏ヴァイオリンを弾いているイタリア人の演奏が素晴らしくて、息を呑む思いがした。彼は超絶技巧を要する独奏パートを難なくこなしていた――ように思えた。
しかし、彼は演奏途中で突然手を止めた。そして、黙って舞台袖に引っ込んでしまった。管弦楽団員も、何があったか理解できずに、お互いに囁きあったりしていた。
そして場内に、
「独奏者の指がつってしまって演奏できなくなりましたので、この曲はこれで終りとさせていただきます」
とのアナウンスが入った。
恐らく、複雑で猛烈に速いパッセージが続く中で、指板を押さえる左手の指がつったのだろう。
その後休憩時間が入って、後半のプログラムに移った。先ほどのヴァイオリン奏者は何事もなかったかのように演奏していた。それまでの間に、つっていた指が元通りになったのだろう。それなら、さっきの曲をやり直してもらえないものか、と私は考えた。
そして、次は演劇の例。
イギリスのエリザベス朝時代にシェイクスピア劇を上演したことで有名な劇場のグローブ座が一九九六年に復元された。そのこけら落としの時にたまたまロンドンに短期滞在していた私は、その幸運に歓喜しながら、そのとき上演されたシェイクスピアの喜劇『ヴェローナの二紳士』を観に出かけた(そのチケットを手に入れるのは容易ではなかった)。
劇場はその外部も内部も絵で見てきたエリザベス朝当時のグローブ座と全く同じ作りになっていた。私はエリザベス朝時代の観客の気分に浸ることができた。
舞台は二階建てになっていて、横の動きばかりでなく、縦の動きも大きく活発に行うことができた。そして、ある場面は山の中で、山賊達が舞台狭しと跳ね回っていた。
その時、事故が生じた。山賊の一人が木に仕立てられた二階舞台からロープをつたって下りるとき、勢いがよすぎてほとんど自然落下と同じ状態になって、一階舞台に「着地」したときに足の骨を折ってしまったのである。
上演はそこで中止となった。
私は突然の事故に見舞われた俳優に同情しながらも、貴重な体験を完結することができなかった我が身の不運を嘆かずにはいられなかった。
山賊の一人ぐらい、咄嗟に代役を立てるかして、なんとかならなかったのか、と、生れつき薄情な私は考えたことだった。