職人

 職人といってもいろいろあるだろうが、私が職人と言ったときに思い浮かべるのは自営業としての職人である。毎日家にいて、別棟の作業部屋で一日手作業をする。食事の時と寝る時は母屋に戻るが、あとはずっと作業部屋にいる。それを若い時に始めて、死ぬまで何十年も続ける。
 私は子供のとき、そういう職人に憧れていた。私は決して器用ではないが、誰とも関りを持たずに手先で作業するということが性格に合っていたのだろう。
 高校に入って、音楽・美術・工芸から一つを選ぶという科目があった。私は、音楽・美術には全く向いていないという自覚があったこともあって、迷うことなく工芸を選んだ。そして、三年間それを続けた。その時間はとても楽しかった。
 一七世紀から一八世紀にかけてのイタリアのヴァイオリン製作家にストラディヴァリがいる。そのヴァイオリンをストラディヴァリウスと呼ぶ。彼は二〇代初めから五〇年ほどヴァイオリンを作り続けたが、その作品数は、現在まで残っているものだけでも、膨大なものである。彼はただひたすら作り続けた。そういう生涯に私は憧れた。
 私もヴァイオリン作りに手を染めたことがある。プロの製作家の指導を受けて二丁ほどを製作した。一丁作るのに気の遠くなるほどの長い時間を要した。組み立てる前に裏板の内側に製作者の名前を書いたカードを張り付けるのだが、自分の名前を書くのが恥ずかしいような、誇らしいような、奇妙な気分を味わった。微かにストラディヴァリになったような気がした。
 若い時は年賀状に必ず自作の木版画を添えた。年末が押し迫ってから絵を考え、それを版木に写して彫り始める。ようやく彫りあがってからバレンを力一杯紙に押しつけて一枚一枚を刷る。もちろん、出来上がりは未熟極まりないものだったが、二〇〇枚ほどの年賀状を刷り終えるまでに長い時間と多大な労力を消費した。そのため、年始めの一週間ほどはいつも体調が勝れなかった。それでも、毎年それをやるのを楽しみにしていた。ほんの少しだけ棟方志功の気分が味わえたからである。
 「私はでっかい仕事は駄目ですが、ちっちゃな仕事はけっこう向いてるんです」と、大学で冗談まじりに先輩の教授に言ったことがある。それは話が違うようだが、私の内部では繋がっているのである。

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