「専門バカ」という言葉がある。専門とする領域には詳しいが、その他のことはまるでバカみたいに何も知らない、という意味で用いられる。バカと言っているからには悪口の言葉であることに違いないが、一方において、そうとも言い切れないのがこの言葉の面白いところである。
例えば誰かが「私は専門バカですから……」と言ったとする。この人は謙遜したことになるのか、と言えば、必ずしもそうではない。自分は専門家だからこの領域においては権威者だと言ったとも受け取れるのである。
他人についても、「あの人は専門バカでね」と言ったときは、ニュアンスとしては「バカ」よりも「専門」の方に力点が置かれている。つまり、ちょっと冗談めかしながらであるにしても、褒めていることになる。
誰だって、バカと言われるほどに専門を極めたいと思っているのである。
「一芸に秀でる」という言葉があって、これは疑いようもなく誉め言葉である。それでは、二芸に秀でている人は尊敬されるか、というと、そうでもない。一芸ということが重要なのであって、つまりこの言葉は深いところで「専門バカ」と境を接していることになる。専門家は「この道一筋」を守り、よそ見をせずに一つの専門に徹することが求められているのである。あとはどうでもいいのだ。
かつて天才少女と呼ばれた女性の名ヴァイオリン奏者がいた。彼女はあるとき自分の歌手としての才能にも目覚めて、ヴァイオリン奏者を続けながら同時にオペラ歌手としても舞台に立つようになった。しかしそれからしばらくして、彼女は姿を消してしまった。その詳しい事情は知らないが、恐らく、オペラ歌手を兼ねているヴァイオリン奏者、ということで、世間からそのどちらにも興味を持たれなくなったのだろう。
また、バッハの宗教曲の歌い手として有名な男性歌手がいたが、彼はどういうわけかあるときアニメ映画の主題歌を歌って評判になった。そのとき彼が「私も美空ひばりのような人気歌手になりたい」と言ったことをよく覚えている。しかし彼の意に反して、それ以後、彼はバッハなどのクラシック音楽の歌い手として全く聞かれなくなったばかりでなく、ポピュラー音楽の分野でもそれっきりになってしまった。音楽の各分野はそれぞれ確立しているので、二股をかけることは好まれなかったのだろう。
それでは、「無芸大食」はどうか。これは特段の専門を持たない人の謙遜の言葉として用いられるが、私のように無芸小食の者からすれば、大食だって芸のうちじゃないか、と思われるのである。その人は真っ直ぐにその道を歩めばよい。