自然破壊

 私は三〇代の初めに新宿区から千葉市に移り住んだ。
 移った先は新築マンション群で、中心部にスーパーマーケットや郵便局や幼稚園やバス停などがあって、住むのにとても便利な場所だった。
 住み始めてからしばらくして、そのマンション群を建築するにあたって隣接する住宅地の住民のあいだで激しい反対運動があったことを知った。そのあたりはかつては広大な森林地帯で、自然を破壊するなというのがその運動の趣旨だったという。しかし彼等の住宅地もかつてはその森林地帯の一部だったのだ。
 一〇年そこに住んでから、勤務上の必要から八王子市に引っ越した。
 私が引っ越した家は一〇年ほどにわたって建築が進んできた大団地の外れの部分に含まれていた。その部分はかつて小高い丘になっていて、建築の直前に地ならしをして平地にしたというから、元々の建築予定には入っていなかったのかもしれない。
 後になって、建築の予定を聞いた団地の先住者から反対の声が上がっていたということを知った。やはり自然破壊に反対するということだったらしい。しかし、彼等の住居も同じ地域の自然を破壊することによって建てられたのである。
 人類は、そもそも人類として存在し始めたときから、自然を破壊することで生活を築いてきた。人類は自然破壊によって歴史を築いてきたと言っても過言でない。
 しかし、だからといって、自然を無制限に破壊してもよいということにはならない。人類は、過去も現在も、自然を破壊しながら、同時に自然を拠り所としているからである。私にしても、もし近隣の自然が破壊されようとすれば、その理由が何であれ、とりあえず反対派に与するだろう。人間は一人残らず自然破壊者であると同時に自然依存者なのだ。そのことを十分にわきまえた上で自然保護運動がなされるべきである。
 キツツキは木に穴を掘って巣を作るが、その木を枯らしたりはしない。人間も生活の必要から自然の一部を破壊するにせよ、大きい視野から見たときの自然を破壊するようであってはならない。

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