四〇年

 私は国からの補助費が全国の国立大学のなかでも下から数えて一番目か二番目かと噂される小さな国立大学に入り、卒業後はそのままそこの、設置されて間もない修士課程に進んだ。
 修士課程在学中に学園紛争が起き、狭い敷地内を活動家の学生たちが赤い旗を振りながらうねり歩くようになった。彼らは私たちが近くを通ると、私たちを指差して、ハンドマイクを通じて、「我々はああいう大学院生にならないために闘っているのだ」と叫んだ。「ああいう」のが「どういう」のか分らないまま、やがて校舎がバリケード封鎖されて、授業が学内でできないようになり、私たちは指導教授の自宅に行くなどして細々と授業を続けた。そのうち学園紛争が自然消滅し、大学解体を叫んだ闘士たちの多くは一流会社に就職して企業戦士となり、その後の日本の驚異的な経済成長を支えた。
 一方、「ああいう」大学院生だった私は、修士を了えると同時に共立女子大学に職を得て、「こういう」教員として既に四〇年が経過した。
 「こういう」のが「どういう」のであったか、客観的な視点から語ることはできないが、まあ、大過なく勤めてきたと言ってもいいのではないか(甘い?)。
 自分では英文学の教員のつもりで勤め始めたのだが、実際には英語教員としての役割の方がはるかに大きかった。「ご専門は?」と聞かれると、初めは「英文学です」と答えていたが、そのうち「英語です」と答えるようになった。私の中では、それはどちらでもよいことだった――文学とはすなわち言葉なのだから。
 長く勤めているうちに、年齢に応じてそれなりに役職を兼務することになったが、英語の教員として役職に就くことには一種の苦痛もあった。それは英会話に堪能であることが当然のこととして期待されたからである。私は他の大学の学長から、「英語の先生は国際交流にはあまり貢献してくれませんね」と言われたことがあった。彼は私が英語の教員であることを知らずに言ったのだが、この言葉はグサリと私の胸に突き刺さった。
 女子学生ばかりということに初めは戸惑ったが、すぐに慣れた。大学院生のときに私立大学の付属高校で英語の非常勤として教えていたが、そこは男子校だった。教えているときは教えている内容が重要であって、相手が女子か男子かなどはどうでもいいことだった。
 女子学生の能力には驚かされることが多かった。女性は勤勉さとか忍耐力に優れているとよく言われるが(それは女性に下積みの仕事を強いる口実でもあるのだが)、分析力や独創性においても、もし平均値という考え方が可能であるのなら、男性より優れているのではないか。共学大学の成績上位者の多くは女子学生によって占められているというのが一般的なようだ。女子大学の存在価値にはまだまだ揺るぎないものがあると私は信じている。
 私の四〇年はこのようにして過ぎた。(二〇一〇)

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