オリンピックの選手を選ぶには二通りの方法があるようだ。一つは、過去数年間にわたる試合結果を総合的に判断して選手を決めるやり方。もう一つは、オリンピックの直前に選考会をやって、そこで最高の成績を収めた者を選手とするやり方。仮に前者を総合型、後者を一発型と呼ぶならば、日本は総合型である場合が多く、アメリカは原則として一発型であるらしい。一発型では、どんなに実績があっても、また実力的には圧倒的に優れていると誰もが認めていても、たまたま選考会当日に風邪でも引いていて成績がふるわなければ選手になれない。水泳や陸上競技などのように、実力が数字で示されていて、調子さえよければ必ず勝てるはずだということがかなり客観的に論証できる場合でも、同じである。これは選考会当日の運・不運に左右されるという欠点がある一方で、選考基準がわかりやすいという長所を持っている。総合型はこれと正反対で、選手決定期限の直前の試合で優勝しても選手になれるとは限らない。その試合でまったくふるわなかった者、もしくはその試合に出場しなかった者が選ばれたりする。この場合には、選考基準が曖昧で、当然選ばれるだろうと期待しながら選ばれなかった者に強い不満が残る。二つの方法にはそれぞれ一長一短があって、どちらが優れているとは言えないが、私は一発型の方を支持する。選考基準がわかりやすいということは、何にも替え難い長所だと思うからだ。
興味深いのは、大学入試に関しては、日本とアメリカは逆だということだ。日本(の多くの大学)では主たる入試形態として一発型を採用していて、入学試験の成績で、上位から機械的に定員を取ってゆく。しかしアメリカでは、高校生活全体を視野に入れて、学力だけでなく、課外活動やアルバイトなどをも評価対象にして、総合的に判断する。一発型に問題が多いことは言うまでもない。たまたま入試前日に見た問題が出題されたという場合には、圧倒的に有利になるが、当日風邪を引いていて頭痛がする、というときには不利になる。総合型ではそのような問題はないが、そこにはどうしても不公平感がつきまとう。端的に言えば、アメリカの大学入試は「入学させるための試験」であり、日本のそれは「落すための試験」なのだ。落すためには、落す理由が客観的でなければならない。総合型では基準が曖昧だという欠点はこの場合にも当てはまる。
今、日本でも大学入試を総合型に転換させようという動きが盛んである。超難関校として有名な大学でも、積極的に総合型入試(それを入試と呼べるかどうかはともかくとして)を取り入れていると聞く。いろいろ理屈をつけてみても、結局、少子化その他の理由で、日本も「入学させるための大学入試」に転換せざるをえないというのが本音だろう。それはそれでいいのだが、落ちる入学志願者がいる以上、落とされる理由は明確でなければならない。その意味から、私は、この場合においても、一発型を支持する。