私が小学校五年生だったときに、学校のすぐ近くに地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅が出来た。その時、クラス担任の先生が、「地下鉄の線路脇には電気を通すための別のレールがあって、それに触れると感電死するので、絶対にホームから線路に下りてはいけません」と言ったことをよく覚えている。
これが事実に即したものだったのかどうか、今でも知らない。そんなことを言われなくても線路に下りるなどありえなかったのだが、それでも、こういう「訓示」が意味を持つほど、当時はまだ地下鉄が珍しい存在だった。
当時は都電の全盛期だった。都内二三区に四〇本ほどの路線が文字通り網の目のように張り巡らされ、どこに行くのも都電を乗り継いで行くことになっていた。
従って、道路はいつも都電、バス、タクシー、乗用車などで混雑していた。都電はいくら線路があるといっても、ゆっくり走らざるをえなかった。路上で立ち往生することもあった。
私は大学と大学院修士課程の六年間を都電で学校に通った。家から早稲田まで歩き、早稲田始発の都電に乗って北区の大学近くの駅まで行った。その都電は他の都電と違って一般道路ではなく専用の軌道を走ったので、他の都電よりも圧倒的にスピードが速かった。時には激しく左右に揺れて、これでも都電か、という印象が強かった。
だから私はこの都電がとても気に入っていた。
やがて地下鉄の路線が多くなるにつれて都電が次々に廃止され、ついには道路上で都電が見られなくなっても、この電車だけは、専用軌道を走っているためだろう、しぶとく生き残った。そして、かつての「都電32系統」から「都電荒川線(通称荒川電車)」と名前を変えて、今でも走っている。
私はいつかまたこれに乗ってみたいと思いながら、まだ果たせないでいる。