若い人は「高齢者の運動はいかにあるべきか」なんてことには全く興味がないだろうが、やがて役立つ日がくることを信じて、そのことについて少し書いてみる。
ここでは、「高齢者」とは何歳以上を指すのかは問わない。自分が高齢者だと思っている人が高齢者である。
勿論、これは素人談義である。専門家にはまた別の考え方があることは疑いない。
以前に哲学を専門とする教授と大学の将来について話をしていたとき、彼が「まあ、なるようになる、それが私の哲学です」と言ったので、哲学とはそんなに気楽なものかと感心した。
しかし高齢者の健康は放っておけば衰える一方なので、なるようになると割り切ってしまうわけにもいかない。
そこで、なにかしら運動を、ということになる。私も暇をみつけてはジョギングに励むようにしている。
私がある人に、自分はときどき八王子キャンパスのグラウンドでジョギングをする、と話したところ、その人が私に、「で、グラウンドを何周ぐらいするんですか?」と尋ねた。私が答えると、「え、たったそれだけ?」とあきれたように言った。
あきれたのは私の方である。
こういう人は性格が悪いんだな。老人がけなげにもジョギングをしているんだ。距離なんか聞くべきでないし、聞いてしまったら、とりあえず「え、そんなに?」と言うのが礼儀じゃないかね。
以前にテレビで、あるタレントが、老人がジョギングしているのを見ると歩いた方がまだ速いんじゃないかと思うときがあると言って、その真似をして笑いをとっているのを見たことがある。とても不愉快だった。
年配者の運動の目的は、簡単に言ってしまえば、内臓と精神の活性化にある。従って、どういう運動をするか、はそれほど大きな問題ではない。
この運動がいい、あの運動がいい、と多くの専門家がそれぞれ違った運動を推奨するが、それをいちいち聞いていたら体が持たない。
運動の分量はどんなに少なくても少なすぎるということはない。やらないより増し、と思えれば、それでいい。大事なことは、できるだけ頻繁に運動することだ。できれば毎日。
年配者の運動でいちばん妨げになるのは「向上心」である。昨日グラウンドを三周したから今日は四周、明日は五周走ろう、そのうち市民マラソン大会に出てフル・マラソンを走ろうなどと思わないことである。分量についての目標設定をしないことが重要である。分量にこだわった人は、結局、挫折することになる。「え、たったそれだけ?」なんて言う人が身近にいても、無視することだ。その人は運動しない人だし、もし運動しても、すぐに挫折する人だからである。
屈伸運動にしても、どこまで曲げられるか、どこまで伸ばせるかを目標にしてはいけない。それをやれば必ず体を痛めるだろう。
大事なことは、運動した翌朝に気持ちよく起きられるか、だ。特にだるくない、どこも痛んでいない、ということを目安として、分量を少しずつ増やすことはあり得る。
NHKのラジオ体操を毎日する人がいるが、その人は尊敬に値する。但し、ラジオ体操も気合を入れすぎると過重負担になるので、自分なりの気合の入れ方を模索した方がいい。
くれぐれもやり過ぎないように。
やりゃあいいんだ、やりゃあ――これが私の哲学である。
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