何十年か前に、ロンドンの大劇場でシェイクスピア劇を観た。
前売り券を持たずに行ったので、当日、入場券売り場で入場券を買うことになった。安い券が全部売り切れていたので、一番高いのを買った。高いと言っても、当時の日本の(例えば)日生劇場などの入場券と比べれば、大して高くもなかった。
席に着くと、隣の席の一見して紳士然とした中年男性が、体を少し前に倒すようにしてしきりに私を見た。どうしてそうするのかは分らなかったが、そのいかにも不愉快そうな顔つきが私には不愉快だった。
そして、ついに彼が言った。
「アジア人がシェイクスピアを観て理解できるの?」
私がそのつもりだと答えると、彼は、
「でも、この間、インドネシアから来た民族舞踊団の舞踊を見たけれど、どこがいいんだか全然分らなかった」
と言った。
それから二人の間で意味のないやりとりが続いた。
そのうち劇が始まったので、私は救われたように感じた。
しかし、やがて休憩時間に入ると、彼はまた同じことを蒸し返し始めた。私はついに我慢できなくなって、理解にはその人なりの理解の仕方があって、私は私のやり方で理解しているのだから、もう放っておいてもらえないか、と言った。
それから彼は静かになった。
彼は、そうとは言わなかったが、自分の隣に、そして一番いい席にアジア人が座っていることが許せなかったのだ。彼の顔つきがそれを示していた。
同じような経験は他にもある。
ロンドンから少し離れた地域のホテルで、エレベーターに乗ろうとしたとき、開いた扉の向こうに立っていた中年男性が、私を両手で制して、
「満員だからもう乗れない」
と言った。でもこんなに空いているではないか、と言っても、彼は譲らなかった。
そのうち扉が閉まってエレベーターは動いて行った。
そして、やはり同じ時期に、汽車に乗って、空いた席を探していた時のこと。
その汽車は各車両の一方の窓際が通路になっていて、それに沿って一〇人分ほどの席のある小さな乗客室が並んでいた。私はガラスのスライド・ドア越しに空席が幾つもあることを確認した上で、ドアを開けた。
すると、中にいた中年男性が、私を見て立ち上がって、
「もう満席で座る余地はない」
と言った。でも幾つも空席があるではないか、と言って中に入ろうとすると、彼は近寄ってきて私を制した。
私は怒鳴り合うだけの気力もなかったので、あきらめる他なかった。
欧米各国でよく人種差別が問題になるが、それはほとんどの場合が黒人を対象にしたものである。従って、黒人を迂闊に差別すると社会問題になりかねないので、そこには細心の注意が払われる。しかし、アジア人に対してはその気遣いはないようだ。
欧米で暮らすアジア人がその種の苦痛を多く経験していることは容易に想像できる。
同時に、私たちもまた他民族への差別意識がないか、反省してみる必要があるかもしれない。