野球

 野球を知らない人に、ホーム・ベースから外野フェンスまでの距離は野球場によって違う、と言うと、大概びっくりする。打球が同じ距離を飛んでも、球場によってホームランになったり外野フライになったりするわけだ。フェンスの高さもまちまちである。そればかりか、フェンスの曲線もいびつで、打球が同一の球場で同一の距離を飛んでも、飛ぶ方向によってホームランになったり外野フライになったりする。テレビの解説者が「これはホームランの出やすい球場でして……」などと言っているゆえんである。
 大リーグでは外野フェンスの形が必ずしも曲面ではなくて、曲面に直角面が食いこんでいるような形のものがあって、あれでは外野手は守備をしにくいだろうと思う。でも、それで文句が出るわけでもない。
 もともと野球は野原で休日などに子供や大人が楽しんでいたもので、それはスポーツというよりは「遊び」だったのだ。もちろん多くのスポーツはその発端においては遊びだったかもしれないが、それらは遊びからスポーツに進化する過程でスポーツとして整備されたわけだが、どうも野球はその整備のされ方が足りなかったような気がする。野球場の大きさにしても、野原に決った大きさがないから野球場の大きさも決めなかったということなのだろう。野原の一角に建物がある場合もあって、それで曲面に直角面が食いこんでいるような形のフェンスがあったりするのだろう。
 野球の特徴の一つは攻守交代があることだ。テレビで野球を見ていて、自分のひいきにしているチームが守備に回ると本を読んだり家事をしたりして、攻撃に回るとそのときだけテレビを見る、という人がけっこうたくさんいるようだ。これも野球の正しい見方と言えなくもない。天気のいい日に家族で野原に出て野球見物をするとき、自分の息子が打つときだけ目をこらして野球を見て、あとはのんびり草むらで昼寝をする、というのが野球本来の見方なのかもしれない。
 英語のベースボールを日本語に訳せば「塁球」になる。中国では野球のことを「棒球」というようだ。でも「野球」という日本語がいちばんこのゲームの本質を伝えているように思う。これは野原のゲームであって、いまでも本質はそこにある。
 野球になじみのないヨーロッパ人などが野球を見ると、「体を動かしているのはバッターとピッチャーとキャッチャーだけじゃないか」と言うそうだ。まさにそのとおりで、球が飛んでくれば野手も体を動かすが、あんなのは運動量からすれば僅かなものだ。両チーム合わせて一八人もの選手がいながら、いつも体を動かしているのは僅か三人! こんなスポーツが他にあるだろうか? でも、かつて、休日の晴れた日に野原に出て遊ぶとき、あまり疲れないで長いあいだ楽しめる、というのが大事なことだったのだ。サッカーを三時間ぶっ続けにすることはできないが、野球ならできる。
 野球の魅力は、たとえプロ野球であっても、野原の遊びの伝統を引きずっているところにある。試合中の選手がガムを噛んでいるのをよく見るが、それにはそれなりの理由があるにしても、他のスポーツでは見られないことだろう。観客がビールを飲んだり弁当を食べたりしながら試合を見ているが、それもサッカーやラグビーなどではあまりないことと思われる。大リーグでは七回の攻守交代時に全観客が一体となって「私を野球に連れてって」という歌を歌っている。観客が子供になりきって野球を楽しんでいるのがよくわかる。野球の魅力がどういうものか彼らはよく理解しているのである。

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